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3/40 友と眺めていく何もない夏の街

 期末が終わって、試験休みの日々に入った。

 その日、僕はある所で待っていた。いつもの駅前だ。

「ごめーん、遅くなったー」

 のんびりした声が飛んでくる。普段聞き慣れた神様さんや人葉さんのものではない。ミミのものだ。

「大丈夫。野ノ崎遅いな。あいつほっとくか」

「カズ君、それは酷いよ。もう少し待ってあげよう」

 ミミに微笑まれ、僕も仕方なく笑った。

 今日は勉強会を開くという目的を持っているわけでもない。ただ単に、休みという日に、僕の家にも行かず、ただ三人で会おうというだけだ。

 友人だなんだと言いつつ、こういう機会は今までなかった。だからこそ、こんな風に過ごすのが新鮮だった。

 このまま手持ち無沙汰で待っていても仕方ない。自動販売機で飲み物でも買うか、と目線を動かした時、ようやく最後のピースがやってきた。

「よー一宏、遅くなっちまったな。悪い悪い」

 呑気そのものの男、野ノ崎が手を振って僕達に近づく。僕達三人はこの街に住んでいるためそうは遅くならないはずなのだが、時間にルーズな野ノ崎はこんな時間にのろのろと来たわけである。さすが野ノ崎だ。

「何やってたんだよ」

「あ、ああ……ちょっと寝坊して。ていうか俺が遅れる理由なんてそれくらいしかないだろ」

 まあそうか。僕はこくりと頷いたあと、野ノ崎の後頭部を思い切り叩いた。

「いてえ……けど目が覚めた」

「これでよく模範的生徒を名乗れるな、お前は」

「オンとオフだよ。ところで一宏、今日どこ行くんだ」

 野ノ崎が前のめりになって僕に訊ねてくる。僕は少し首を傾げてから、そうだな、と答えた。

「特に行くところは決めてない。いわゆる街ぶらをするだけ」

「なんかテレビの番組みたいで楽しそうだね。野ノ崎君もそう思わない?」

「まあ、この街に住んでるけど、知らない店とか色々あるしな。ちょっと楽しみだ」

 と、野ノ崎の笑顔を皮切りに、僕達は行く当てもなく歩き出した。

 基本的に住宅街であるこの街に、飲食店はそれほど多くない。あるとしてもコンビニなどだ。

 ただ野ノ崎やミミは街の再発見が楽しいのか、明るいトーンで会話をしている。

「そういえば一宏」

「何だ」

「引っ越しの件、どうなったんだ」

 それか。僕は少し空を眺めてから、静かに答えた。

「右左は説得出来た。ただ親が強権を発動する可能性はある。そこは難しい」

 そうか、そんな静かな声が人気の少ない裏路地に響く。

「二宮さんとはどうなったの」

「もし引っ越しするなら、二宮さんの家で居候して、バイトして学費捻出しろって言われた。流石に想像してなかったことだから驚いたけどね」

 と、僕が笑ってる脇で、野ノ崎とミミは驚嘆したのか口をあんぐり開けていた。

 知らない道にある、知らない家。もしかすると、ここに住んでいる人とも何かしら運命的な出会いがあるのかもしれない。僕は神様さんとの出会いでそんなことを思うようになっていた。

「でも、そういうこと言えるなんて、二宮、案外いい嫁さんになれるかもな」

「うんうん。カズ君のこと一番に考えられるのは凄いよ」

 僕はその言葉に黙ってしまった。それを言ったのは神様さんじゃなく、双子の姉の人葉さんだ。そこから考えるといい妻になれるのは人葉さんだ。

 似たようなもの、でも似たようなものじゃない。僕は黙って空笑いを浮かべた。

「一宏、そろそろ俺にも二宮の写メ見せてくれよ」

「絶対に嫌」

「何でだよ」

「お前に二宮さんのイメージ植え付けたら絶対変な想像に使う」

「……酷いな。お前が二宮に手を出すまではそういうのは封印するぞ」

「お前は馬鹿か。そんなこと言う奴に自分の彼女見せる奴なんているわけないだろ」

 僕のぽそりと呟いた言葉に、沈黙が過ぎる。

 何か重苦しい空気だな。僕は改めて二人に向かい合った。

「二宮さんは二人が思っている以上にいい人だよ。というか、僕の前だけでそういう姿を見せてくれてるのかもしれないけど」

 僕がとつとつと語ると、二人も静かに頷いた。

 最近気付いたことなのだが、学園に通っていた頃の神様さんのイメージと、僕が語る彼女のイメージが大きく違うことで、二人も自分の中で思い浮かべる彼女の姿を違うものに変えている。少なくとも社交的でないとか、陰キャでどうしようもない人というイメージは払拭されている気がした。

「それにしても二宮と一宏がなあ」

 と、僕が呟くと、野ノ崎が青空を仰いでから、僕にすっと視線を向けてきた。

「一宏、前にいた街で好きな女とかいなかったのか?」

「まったく。むしろ恋愛とか邪魔とか思ってた」

 僕の声に野ノ崎とミミが肩を落とした。まあ、仕方ない。僕はそういう性格で人生を歩んできたのだから。

 空を仰いだ野ノ崎は、大きなあくびをしながら、明るく笑った。

「その恋愛を邪魔と思ってた一宏が、問題児の二宮と結ばれるんだから不思議だよな」

「だから、何回も言ってるように、あの人は別に問題児でも何でもないって」

「分かってる分かってる。俺だって学校で見せる姿と家で見せる姿は全然違うしな」

 と、的外れな反論を受け、僕はもはや言い返す気力を失った。野ノ崎のオンオフの違いと神様さんのオンオフの違いを一緒にされると、ちょっと言葉に困る。

「一宏、ここまで来たらあとは二宮と一線越えるだけだな。キスは済ませたわけだし」

 野ノ崎のデリカシーの欠片もない言葉に流石のミミも言葉を失っていた。ミミは野ノ崎の肩をぽんと叩いて、ゆっくり頭を下げた。

「あの、野ノ崎君、私も気にならないわけじゃないけど、そういうのは聞くのやめようよ」

「だってなあ、一宏が無茶苦茶美人って言うくらいの相手だぞ? 他の誰かともう済ませてるのかなーとか思って」

 野ノ崎はふざけた口調で呟く。もう黙っておく必要もないか。僕は静かに口を開いた。

「野ノ崎、期待を裏切って悪いけど、実はもう済ませた」

「……え?」

「お互い初めてだった。これでいいか」

 僕が少し怒りを交えた口調で淡々と告げると、野ノ崎は表情筋を強ばらせて、視線を彷徨わせ先の青空を逃げるように見上げていた。

 一方のミミもその言葉に驚きを隠せなかったのか、周囲を見回しながら僕の手を握った。

「カ、カズ君、それ本当?」

「本当。まあなんていうか……流れで」

 僕が告げる一言一言に野ノ崎もミミも、祝福するような姿をしながら興味津々といった面持ちで覗き込んでいく。

 確かに恋人になってからここまでは随分と早かったような気もするが、お互いの感情やらややこしいことがあったからとも言える。すると野ノ崎は、僕の体を肘で突きながら苦笑気味に僕のことを突っ込んできた。

「お前、好きな奴もいなかったし、そういう欲求に無縁かと思ってたぞ」

「何を思ってるのか知らないけど僕も普通に年相応の男だぞ。欲の一つ二つある」

「でもその欲求って、二宮さん相手にしか出せないんだよね?」

 ミミが笑いながら痛い所を攻める。確かにそれはそうなのだが、いざ口にされるとなかなか気恥ずかしいところがある。

「でもま、良かったじゃないか。お互いそうなりたいって思って結ばれたんだろ? やっぱ一宏、この街に残るしかないな」

「まあ、そうだな。あとは引っ越しの問題がうまく片付きゃいいんだけど」

 と、歩く道をチラリと見る。最近行われている街の再開発のせいか、街の至るところで工事が始まっている。僕と右左も、何も抵抗しなければこういうところに放り込まれるのかもしれない。

「街の雰囲気もだいぶ変わったなあ」

「そうだね。ちょっと前ならここら辺、田んぼとかあったよね」

 そういえば、そんな思い出も蘇る。ここらは静かな街で、ところどころ田畑があったりもした。それが最近の再開発ラッシュでどこもマンションなどが建て並ぶようになった。

「なあ、一宏」

「何だよ、唐突に」

「お前は、二宮のためにも絶対にこの街に残れよ。それは凄く大切なことなんだからな」

 野ノ崎に言われることじゃない。そう思っていても、その言葉は胸にしみて、僕はしっかりしないといけないと痛感させられた。

 誰か一人のために、自分の生き方を決める。人生で一度も経験したことのない感覚に、僕はまだ戸惑っているのかもしれない。でも、あの人のためなら自分を捧げることが出来る。野ノ崎やミミだって応援してくれている。だから僕は、自分なりの生き方を進まなきゃいけないと思えた。

「お前の妹、立ち直ったのか」

「分からない。でも、この街で生きてくこと、新しい出会いを大切にするってことを思い直したのは事実」

「やっぱりそれは大事だよ。右左ちゃん、学校で今一番の人気者だもん」

「そうそう、あのルックスで性格もいいし、嫌われる要素がないもんな。……それ全部捨ててまた新しいとこに行くなんて、絶対に勿体ない」

 野ノ崎は普段の馬鹿らしい話し方が嘘のように、しみじみと語る。その優しさは右左には伝わらないかもしれないが、思ってくれるだけで、充分に思えた。

 右左はこんなに愛されている。父や母はそんな右左の現実を見たこともなければ知ることもない。やっぱり、僕は右左と共にこの街に残るべきだと思った。

「カズ君、引っ越し回避の打開策は見つけられた?」

「それがなあ……元々会話の少ない家だろ? 連絡してくる時は好き勝手に言ってくる時だけで、都合の悪い時は連絡してこないんだよ。こっちの言いたいこと、なかなか言えない」

 僕のぼやきに、野ノ崎は腕を組む。そして、一つ頷くと、僕の頭をがしがしと思い切り掴んできた。

「一宏、やっぱ親から逃げるな」

「逃げるって……逃げてないぞ、別に」

「そうじゃない。一度思い切り前から立ち向かうべきだって思うんだよ。そこで一宏なり妹なりの言いたいこと、思い切りぶつけた方がいいと思うんだよな」

 野ノ崎の言葉にそうか、と僕は頷いた。確かにそういう意味では僕は親から逃げていた節はある。こんな状況だから、言いたいことを言って、この街から離れたくないという思いをぶつける必要がある。

「あーでもカズ君羨ましいな。受験の悩みとかないもんね」

「引っ越しの悩みはあるぞ」

「それはそれとして、私みたいにまだ最終段階決め切れてないのはちょっとね」

 ミミはまだ、就職か専門学校に行くか悩んでいる。大学進学は流石にもう進路から外したが、あとの二つの選択肢で悩んでいる。

 そんな時、野ノ崎はどうアドバイスするのだろう。それを横目で見ていると、野ノ崎はまるで兄のような優しい目で、ミミの行く末を何も言わず見守っていた。

 あえて黙る強さもある。二人の関係を見ていると、そんなことも思わせる。

「それにしても一宏、なんで農学部なんだよ」

「植物に興味持ち出したから」

「それ本当かあ? 二宮絡みだろ、どうせ」

「だとしても、実際に植物に向き合おうって思わなきゃ選ばないよな。自分が今まで選ばなかった道だから、大変だと思うけど、新しいことやろうっていうのは楽しみ」

 野ノ崎は唇を固く結んだ後、腕を組みながら僕を見る。やっぱり、野ノ崎としては他の学部に進んで欲しかったという思いがあるようだ。

「まあ、一宏がそれでいいって言うならそれでもいいんだけどさあ。なんか勿体ないんだよなあ」

「僕の叶えられなかったことは右左が叶えてくれるよ。僕は僕で植物の品種改良とかに挑みたいっていう気持ちが強いから」

「カズ君、頑張って」

 ミミの励ましに、僕は口元を緩めて応えた。頑張るってことは、一番重要な局面で百二十パーセント出すのが重要、それをかつて神様さんに教えられたことを思い出した。今はまだ、三十パーセントでいいかもしれない。

 そうして歩いていると、知らない道路の脇に脂ぎった古くさい中華料理屋があった。

「一宏、あの店なんか気にならねえ?」

「そうだな、無茶苦茶うまいか無茶苦茶まずいかのどっちかだな」

「昼飯あそこにしようぜ。絶対いいネタになるって」

 と、野ノ崎に促されると、僕もミミも同じように頷いた。

 今日の街の散策は、僕達に何を与えてくれるのだろうか。きっと何もないだろう。でもその何もないというのが、たくさんの思い出を与えてくれるというのはみんな分かっている。

 今日という日が、大切でありますように。僕は青空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。

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