3/39 ずっと側にいるという決意
期末試験が始まった。野ノ崎やミミに会うのも、当分ないかもしれない。
父からはまだ連絡はなかった。やはり、こちらから連絡しない限り強硬手段を執る気かもしれない。
色々な不安事が過ぎる。僕は黙って、神様さんの働くメイドカフェに赴いていた。
扉を開く。すると、いつものメイド服姿で神様さんが小走りで駆けてきた。
「お帰りなさいませ。って……」
「どうも、帰ってきました。それとも帰ってくるの、迷惑でしたか?」
僕がぶっきらぼうに呟くと、僕に挨拶をしてきた神様さんが、くすりと笑って、僕の服の裾を握った。
「そんなわけ、ないじゃないですか。さ、こちらへどうぞ」
と、彼女は僕を連れていく。時間はまだ二時半。閉店には充分時間がある。
「おや……ご主人様、お早いですね」
人気の少ない店の中は、普段の厳格な雰囲気が少し崩れる。カウンター越しに声をかけてくれたのは、この店の執事長、つまり店長であった。
「今、期末中なんで。早くに終わって」
「そうですか。なら、久しぶりに私とお話でもしませんか」
彼は嫌な人ではない。僕はそうですね、と笑顔で答えて彼と向かい合えるカウンターに座った。
「これはサービスで」
と、彼はコーヒーを差し出してきた。こりゃちょっと多めに頼まなきゃ駄目かな、とも思いつつ、神様さんがバイトが終わるまでまだまだ時間はあるので、色々注文出来そうだ。あえて僕は、彼に普通の食事を注文した。
「特製ナポリタンで」
「流石お目が高い。最近、ナポリタンのレシピを見直しまして、より一層深い味に出来たところなのです。急ぎ作らせていただきますので、しばしお待ち下さい」
彼は嬉しそうに材料を手にする。ここのナポリタン、前から美味しかったんだけど、更に磨きをかけたって何だろう。
僕がカウンターで執事長の料理を眺めていると、神様さんが周りに気取られないよう、水を入れる振りをして僕の側に来た。
「いらっしゃい」
「うん。まあ、あなたの顔を見たくて」
「そう仰っていただけると、メイドの甲斐もあるというものです」
暗号めいた、いつもと違う話し方。それが何となく面白くて、僕達は自然と笑っていた。
「何だか無断欠勤してる日があったって聞いたんですけど」
「はい。五日。でも、事情を話したら特にペナルティもなく、でした」
「優しい店ですね、ここ」
「はい、それもこれも、ご主人様のような方が来て下さるからですよ」
僕と神様さんが話していると、執事長がすっと顔を上げた。でもその顔は「私語は慎みなさい」というものではなく、にこりと笑った顔だった。
人が集まるところには、人が集まるもので、他の人と話していたきみかさんもこちらへ来た。
「ご主人様、お帰りなさいませ。双葉ちゃんが五日休んでた時は、執事長と私一人で回してた時を思い出しました」
「そんなに人がいないんですか、ここ」
「一番多かった時で四人くらい。みんな、就職が決まったりして卒業したんですよね」
「きみかさんは?」
「私もそろそろ本格的に就職活動しなきゃいけないんですけど……お店が心配で」
その視線の先に、執事長がいる。だが彼はその視線を受け止めることはなく、パスタにケチャップソースを絡めていた。
「出来上がりました。お口に合うようでしたら何よりなのですが」
「心して食べます」
と、僕はそのナポリタンにフォークを突き刺し。くるりと回してその巻き付いたナポリタンを口にした。
……なるほど、確かに進化している。酸味と甘味に深みが増している。ただ単にトマトやケチャップを増やしたというわけではなさそうだ。僕は料理が得意な方だ。だがこの味に勝てるナポリタンを作れと言われても、ちょっと無理だ。
しばらくして食べ終わる頃には、神様さんもきみかさんも僕の席を離れて接客に戻っていた。執事長は洗い上げた食器を拭きつつ、僕に目をやってきた。
「双葉くんと、何やらあったと聞きますが」
「……あの人が無断欠勤したのは、僕のせいなんです」
「それは構わないことですよ。彼女が幸せになれるきっかけを、あなたが与えてくれた、そう聞いております」
彼に言われ、幸せにするという言葉の重みを痛感する。今も、これからも、彼女を笑顔にし続ける。その難しさに僕は静かに俯いていた。
「出来れば一生、彼女と側にいたいです。その妨害がちょっとあって」
「らしいですね。でも、あなたはそれを乗り越えようとした。それだけで賞賛に値しますよ」
彼の言葉に僕は少し笑った。そんな褒められることじゃない。僕がしたいことをした、それだけの話である。
それより、さっききみかさんの言っていたメイド不足の話が気になる。神様さんも、貯金が出来れば店を離れるだろう。どうなるのか、僕は思わず訊ねていた。
「あの、メイドさん不足しているのに、新しい人を雇わないんですか」
「ここのような屋敷はこのくらいが丁度いいんです。四人いた時は色々ややこしいこともありましたし」
「ややこしいこと……」
「人が増えると派閥が生まれるということです。それをきっかけに私は人をあまり増やさない方向に切り替えたんですよ」
彼は淡々と語る。だが、過去に別の街で開いていたというメイドカフェの思い出、そしてここでの思い出が色々重なっているのだろう。
きみかさんがさっき、執事長に視線を送っていたのも気になった。だが、今ここで聞いていいものかどうかは流石に分からない。僕はそれには黙っていた。
「店を開ける前に双葉くんから聞きました。家を出るか出ないかの瀬戸際だと」
「……はい。でも、そんなのに負けてられないって思いました。そうでないと、一番大切な人を僕の手の中に収め続けられないからです」
「はは、ご主人様、いいお顔付きになられました。今の貴方様と、その思い人様が手を繋いでいければ、どんな艱難辛苦も乗り越えられるでしょう」
彼はくすりと笑って、僕に静かに話しかけた。
「もし何かバイト先を急に探さなければならないとなりましたら、うちで執事として働いて下さっても結構なのですよ」
「本当ですか?」
「ええ。メイドだけでなく、執事もいるメイドカフェ、そんなのもいいじゃないですか。まあ、服と接客だけ変えれば普通の喫茶店ということになりますか」
彼は笑いながら壮大な夢を語る。でもそれは嘘偽りで出来ているわけではなく、僕の身の上を案じた上での言葉だとすぐに分かった。
「ありがとうございます。もし本当に大変になったら、お世話になるかもしれません」
「ご主人様、私は最初双葉くんと面接した時、大丈夫かなと不安だったんですよ。当人のやりたいという言葉に賭けてみましたが、いつ辞めてもおかしくないと思ったんです。でも仕事で話している内に、好きな人がいて、その人に会いたいから頑張る、その言葉を聞き大丈夫だと思ったんです。あなたがいて下さって、本当によかった」
執事長は天井を見あげながらくすりと微笑んだ。考えてみたら、神様さんだっていきなり社会復帰は大変だったはずだ。それなのに、頑張れたというのは、色んな努力があったからだろう。
やっぱり僕は、街に残りたい。父さんや母さんの言い分が分からないわけでもない。家庭を作ってこなかった人達が、ようやく家庭を作ることの意味を覚えた、それは進歩だ。でもそこに僕や右左の思いはない。僕もいずれ家庭を作りたいと思う人と一緒にいる。
だから、どんな言葉をかけられても、引っ越しということは考えられない。僕も右左も、この街から離れない。それを今度、しっかり伝えなきゃいけない。
僕の決意は時間を経るに連れ、どんどん強くなっていた。
のんびりと時間を過ごし、四時半に差し掛かろうとした時、僕の肩がぽんと叩かれた。
顔を上げると、少し上目で僕から顔を逸らした神様さんが立っていた。
「どうかした?」
「執事長が今日は早めに切り上げていいって。だから、その、いつも通りで」
いつもメールなら強気な文面が並ぶのに、こんな時はたどたどしくなる。こういうところが可愛いんだよな、そう思いながら僕は席を立った。
支払いのレジに立つのはいつも通りきみかさんだった。
「双葉ちゃん、いつもより気合い入ってて見てて微笑ましく思えました」
「そうですか。あの、きみかさん、一つ聞きたい事があるんですけど」
僕が切り出すと、彼女はきょとんとした目で僕を凝視してきた。
「その、きみかさんはこの店を続ける深い意味とかあるんですか。失礼な話かもしれませんけど」
僕の本当に失礼な質問に、彼女は嫌な顔をせず、微笑みながらレジ打ちを終わらせた。
「……そうですね、ないと言えば嘘になります。でもそれは、もう私の一方通行な気持ち。それでもここで働くのは、自分でもよく分かりませんね」
彼女の言葉は、よく分からなかった。僕は支払いを済ませ、店を出た。
それから五分ほどした頃だろうか、神様さんが店から出てきた。彼女は店の前だというのにいきなり腕を組んできた。これ、客に見られたらもう言い訳不能な部分だよな。そう思いながらも僕は腕を振りほどこうとはしなかった。
「こういうの、他のお客さんに見られたらどうなるんだろ」
「聞かれたら付き合ってますって答えるだけだよ。ていうか、何人かにはそう言った」
「……何て言うか、度胸あるね」
「だって、好きな人と手を繋いだり腕組んだりするのっておかしい?」
「いや、それを元に脅されたりしたら嫌だし」
「付き合ってるかどうか聞いてくる人も、すぐに離れるよ。いつもの力。そうですか、頑張って下さいねって言われて終わり。そもそもメイドさんはアイドルじゃないし。……だから、きみとの時間は特別なんだ」
彼女の甘い声に、僕も思わず頬を緩める。こういう時間がいつまでも続けばいいのに。
人葉さんや僕はいずれ年老いて、そのまま命が尽き果てるのだろう。でも神様さんは、ずっと老けないまま、何百年も生きていく。それまでに、どれだけ僕は彼女に愛情を注げるか。考えてもきりがないことなのに、そんなことを最近何度も考えていた。
「そう言えばさ、きみかさんがこの店で働くことにこだわる理由って何?」
ふと思い出したことを、神様さんに訊ねる。すると神様さんは気まずそうな顔をしながら僕から目を逸らした。
何かまずい話でもあるのだろうか。僕は気になりながら、もう一度彼女の顔を覗き込んだ。すると彼女も諦めたのか、はあ、と大きなため息を吐いて僕に呟いた。
「まあ、きみかさんもきみなら教えてくれると思うけど」
「何かあったの」
「きみかさんの好きな人って、執事長」
へえ、と答えそうになって、僕は「えっ!?」と大きな声を上げた。執事長は見た目こそ若いが五十過ぎである。きみかさんはまだ二十代。年齢差があまりにもあるそれに、僕は思わず目をこらした。
「執事長、性格も穏やかで働く人にかけるアドバイスが適切なんだよね。だから意外とモテるんだ。以前にメイドカフェやってた時も同じようなことがあったらしいし。でも、自分はあくまで経営の側で、メイドの身を預かる立場。客とメイドが自然恋愛の形になるならいいけど、ナンパは駄目。だから自分もメイドとは線引きするって態度」
「でも……きみかさん」
「何回か告白したみたいだよ。でも、向こうが大人。そういう時に真剣な顔を見せて付き合えないって言われたって聞いた。振られても側で尽くしたいから、あの人就活もしなきゃいけないのにあそこで働いてるんだ」
そうか、側にいるだけでもって、そんなに辛い思いを抱えさせることもあるんだ。
僕は右左がこの街を離れたいと言った理由の一端を垣間見た気がした。神様さんが視界に入らなければ自分に目が向くかもしれない。その僅かな可能性を信じて、右左は自分に目を向けようとした。
でも、もう振られたのに側で甲斐甲斐しく働くきみかさんは、いつも通りお客さんに笑顔を振りまいて、店の看板メイドとして働いている。その献身的な姿勢はどんな宝石よりも美しく見えた。
「私、もしきみに告白して、振られたら立ち直れないと思う」
「……僕も同じかも」
「だから、きみが好きだって言ってくれた時、凄く嬉しかった。これからどんな日々を過ごすんだろうって。初めての夏が来て、秋が来て、冬が来て。今までも過ごした時があったけど、告白されて付き合うことになった夜、凄く特別だった」
「ある意味特別だよね、今の状況」
困ったように笑ってみせると、彼女は僕の腕にもたれかかって、肌の露出している腕をさすった。
「ねえ、引っ越しのこと、うまく収まりそう?」
「……そうだね、妹も僕のことを諦めたし、あとは親を説得するだけかな」
「そっか、なら大丈夫かな」
と神様さんは笑った。でも本当に心配させているんだなと、僕の胸が痛む。
このことが終われば、二人で夏祭りに出かけたり、花火を見にいったりするんだろうか。乗り越えなければならない障壁がいやというほど見えて、僕も明るいこの先より、不安を抱える方が大きかった。
僕達は夕暮れには少し早い街を、腕を組みながらのんびり歩いていた。このまま散歩するのも悪くないような、そんな思いに駆られる。不安が心を押しつぶしそうになると、神様さんの笑顔が僕の闇を晴らしてくれる。この人と一緒にいたい、そのことが後ろ向きになりそうな自分を支えてくれていた。
「あのね、一宏君」
「……どうしたの?」
「もし、離ればなれになったとしても、私はきみのこと忘れない。だから、きみも私のこと忘れないで。ちょっと離れる時間が出来ても、また一緒にいよう」
腕に組み付いていた彼女の腕が強くなった。その時僕は得心した。僕一人が不安に思っていただけじゃない。色んな人を不安に巻き込んでいたのだと。
僕は彼女の頭を空いてる右手で撫でながら、笑顔で答えた。
「大丈夫。絶対にこの街に残る。もしそうなれなくても、神様さんを忘れるなんて不敬なことはしない。一緒に歩んでいく、それは確かだから」
「……そうだね。でも、私のこと抜きでも、受験は頑張って。応援は色んな形で出来るし」
「僕は神様さんを不安になんかさせない。それが自分の生きてる一番の目的になったから」
僕の物腰柔らかな声に神様さんも不安が少し拭えたのか、そうだね、と同じ柔らかさで答えた。
「将来、いつでも一緒に会える関係になれたらいいね」
「そうなったら、やっぱりちょっとしたことで喧嘩とかもするのかな」
「そりゃすると思うよ。でも、きみとならどんなことがあっても最後には笑ってられる気がする。今まで、ずっと乗り越えられたんだもん。絶対、大丈夫」
彼女の力強い言葉が心地いい。僕も早く、励まされるだけじゃなく、励ます方に回りたい。
彼女を守るために、右左を傷つけた。だから、僕が出来ることは、右左にこの街にいてよかったと思わせることだけだ。
駅に着く。今日は何もなしで終わりだ。
と、僕が駅を眺めていると、さっき僕が彼女の頭を撫でたように、彼女が背伸びしながら僕の頭を撫でてきた。どっちにしろ、恥ずかしい気もするが、こういうのも悪くはない。
どんな日々が待っているんだろう。僕は少し夕暮れに色づいてきた夏の陽を見つめながら、神様さんとの少しの逢瀬を、心に刻み込んでいた。




