3/38 夏の日差しに映った妹の涙と笑顔
季節は夏、もうすぐ夏休みが近くなろうとしていた。
期末試験があと少しで始まる。それが終われば、長い夏休みに入る。
ちょっと前の僕なら、夏休みに神様さんとどう過ごそうか、一日だらだらと二人で部屋に籠もろうかとか考えていたに違いない。
でも、今はやるべき事がある。右左に、僕の本当の気持ちを伝えなければならない。
最近、食事を用意しても右左は時間をずらして一人で食べることが多い。
右左は僕が意地でもこの街に残るという選択肢を取ったことに、薄々気付いているように思えた。
僕は右左を支えたい。それなのに、右左は食事と洗濯だけでそれ以上を求めようとしない。
思えば、この街に帰ってきてもうすぐ一年が経つが、僕は右左と家族らしいことをしたのだろうか。どちらかと言えば、歳の近い女の子の世話を焼きながら、一緒に生活していただけにも見える。
もう一度、僕と右左が本当の意味で家族に戻るために、右左との話し合いは絶対に必要なものだった。
夏の眩しい日差しが窓から入り込む。休みのその日、僕は昼食を取りに来る右左をダイニングで待っていた。
「……兄さん」
「右左、昼食、何がいい?」
「その、何でもいいです。私、特に気にしない方なので」
今更他人行儀を装う右左に、少し辛さを感じる。それもこれも、元はといえば僕が悪い。僕が右左を裏切ったから、右左が逆襲に転じただけなのだ。
僕は何も言わず、パスタをゆでる。難しそうでいて割と簡単な、カルボナーラを選んだ。
短い時間で出来た昼食を右左の前に並べる。右左は済みません、と一言呟いて暗い顔で食事を口にした。あんな表情じゃ、何を食べても美味しく感じられないだろう。何とか頑張って、その表情を解きたい。それが僕が「右左を守る」と言ったことの表れだと思った。
「右左、試験勉強はどう?」
「多分、今度もいつもと同じくらいの成績が取れると思います。試験範囲は分かってますし」
「ならいい。右左は真面目だな。僕なんか試験範囲が分かってても手抜きするのに」
「兄さんは……私の世話とかなかったら、もっと取れてるはずです」
「そんなことないよ。この街に来る前、父さんは家事を何にもしてくれなかった。だから自分で色々するしかなかった。それが当たり前だったから、今更家事を抜いて成績が上がるとも思えない。だから右左、そのことは気にしなくていい」
僕が穏やかに説明すると、右左は何も言わず顔を下に向けた。怒気を孕んだ声でも浴びせられると思っていたのかもしれない。そんなこと、するわけないのに。右左はそれだけ自分のしたことに罪悪感を覚えているのかと思うと胸が苦しくなった。
「右左、ちょっと前に父さんと電話した。どうしても引っ越すって言い張った。先に結論から言うよ。僕は右左だけの王子様になることも出来ないし、なるつもりもない」
「……兄さんも、私を捨てるんですか」
「右左、厳しいことを言う。右左は僕が離れただけで弱るほど、弱い子なのか。僕はそんな風に思わない。だから引っ越しのことに驚いた。この街にいて、新しい友達が出来て、勉強も頑張って。それを僕が構ってくれないからってだけで捨てる右左に、僕は魅力を感じないし守りたいとも思わない」
正論は時に人に理不尽さを覚えさせる。右左は僕の言っていることは分かっているのか、反論してこない。ただ、静かに俯き、その言葉と現実の乖離に涙を流しそうになっていた。
「兄さん、そんなにあの人のことが大切なんですか」
「大切だよ。ミミに言われた。離れている間に他の男のものになってるあの人を想像出来るかって。それを聞いて分かった。離れたくない。少しの心の隙間も作りたくない」
「でも、そんなことしても、学校には行けなくなるんですよ」
「学費は自分で稼ぐ。家は自分のところに居候しろってあの人のお姉さんに言われた。それは全部、親の理不尽、振り回すような光景に負けるなってメッセージだと思ってる」
右左をまったく甘やかさない、強い言葉。右左は全てを飲み込めず、唇をきつく縛っていた。
「僕の結論はそれだ。右左はそれでも引っ越しする?」
「……兄さんの結論は分かりました。私も本音を言えば、この街に残りたいです。でも、兄さんを今までのような目で見られるのか、捨てられたって思った私が平穏でいられるか、それが心配です」
右左は当然のことを心配してきた。僕は小さく笑って、右左に声をかけた。
「右左は強い子だから、心配ない」
「そんなこと……」
「苦しいことを乗り越えて、学校にも戻った。懸念してた人付き合いもうまくやれてる。今は僕っていう補助輪が必要かもしれないけど、もうそれもそろそろいらない時期に来てるんじゃないかって思ってる」
僕は立ち上がり、右左の肩をぽんと叩いた。右左は顔を上げた。僕は右左に微笑んだ。すると、右左は我慢していた全てが決壊したのか、大粒の涙を流しながら、僕の胸に抱きついてきた。
「私、苦しかった。兄さんが私を女として見られないのは仕方ないって思ってた。だからせめて妹としてずっと側にいたいっていう気持ち、それだけは叶えたかった」
「……でも、僕は恋人を作った」
「悔しかった。美人だし、スタイルもいいし、明るいし、敵うとこなんてなかった。だから引っ越しして、兄さんにあの人を忘れさせようと思った。でも、それは兄さんのためにならないって分かってた……分かってたのに私……」
僕は泣きじゃくる右左の頭を撫でながら、頬を手に取り顔を上げさせた。右左は涙でくしゃくしゃになった顔で、僕の目を見つめていた。
「妹としての右左なら、ずっと側にいられる。まあ、その場合、二宮さんも一緒にいることになると思うけど」
「……兄さんは、私に自立しろって言ってるんじゃないんですか?」
「自立はしてほしい。でも自立だって色んな形がある。別に僕から離れる必要もない。右左が自分で、これって決めた道を行くこと、それが自立だと思うよ」
僕が優しく言うと、右左は再び泣き出し、僕の胸を何度も叩いた。僕は何も言わず、右左の髪をくしゃくしゃと撫でて、その体をゆっくり解いた。
「まだ来年のことなんて分からないし、どうするかは右左が決めればいいと思うけど、生徒会やれるんだったら、やってみたらいい。僕も出来る限りサポートする」
「……はい!」
右左のことは、これで済んだだろう。あとはあの嫌な父とどう話すかだ。
昼の日差しに見えた、微かな希望。右左は強くなれる。いや、もう強くなった。学校のみんなに愛される右左は、これから卒業まで続くに違いない。
僕から仕掛けるより、相手の動きを待とう。今は試験に向けて時間を費やすべきだ。
点数が落ちて、神様さんをがっかりさせたくない。ずっと側にいて、時間を気にせず何度だって結びつく、そんな日を僕は心待ちにしている。
「半年後に受験かあ。結果出さないとな」
僕は玄関に射す光明を見て、大きく笑った。




