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3/33 upside down

 夏の暑さが近づいてくる。朝のニュースで今日は真夏日だと言っていたが、夏服であっても汗は垂れる。

 授業が終わり、僕は廊下に出ていた。特にこれといった用事もないが、硬い椅子に縛り付けられる感覚が鬱陶しいのだ。

 歩いていると、久方ぶりに委員長の姿が見えた。どうやら毎日生徒会の仕事が忙しいのと、新しく出来たクラスメイトとの関係で僕にかかりきりになる暇はなかったらしい。

 僕は小走りで彼女に近づいた。彼女は顔を上げると、「あら」と柔らかな声でやってきた僕を受け止めてくれた。

「塚田君、久しぶり」

「本当に久しぶり。生徒会忙しいんだよね」

「まあね……どうしてこういう面倒事を生徒に任せるのかしらね。おかしいと思わない?」

 彼女の本音とも冗談とも取れる言葉に、僕はどう答えることも出来ず「そうだね……」と煮え切らない言葉で乗り切った。

 彼女は僕のその性格を熟知しているように、くすりと笑って手を取った。彼女がこんなことをしてくるのは初めてだ。どうしたんだろう。不思議な心地が体中を包む。

 そのまま僕を連れ、彼女は人気の少ない踊り場に僕を連れ出した。

「塚田君、いいことあった?」

 まるで、神様さんのことを聞いてくるようだった。でも、僕はもう嘘は吐かないことにした。僕は真っ直ぐ彼女を見据えて首を縦に振った。

「二宮さんのこと?」

「うん。もう誤魔化すのも嫌になったから、聞かれたらはっきり答えることにした。今、あの人と付き合ってる」

 僕がそう言っても、彼女は特に驚くこともなく「そう」と一言呟きながら、相好を崩した。反感を食らうかもと思っていた僕にとって、その反応は意外そのものだった。

「おめでとう。よかったじゃない」

「……ありがとう」

「そんな暗い顔しないでよ。後押しした私の立つ瀬がないじゃない」

 その言葉に僕ははっとした。僕が神様さんに告白した時、確かに僕は彼女に「二宮さんに付き合っている人がいる可能性を考えたことがないの?」と言われ、動揺した。それがきっかけで、僕は不安感に背を押されて告白したという背景がある。

 それが偶然ではなく、彼女が意図的に僕に声を投げたということにただ驚嘆した。

「どうして分かったの」

「二年の子と塚田君話してたでしょ。その時に好きな子がいるからって言うのも聞こえた。その時にああ、その子って二宮さんだって分かった」

 彼女はさばさばした口調で口元を緩める。その横顔に影はない。明るさのみが僕の顔に見えてくる。

 ただ、何故あのタイミングだったのか。それが分からない。僕は難しい顔を浮かべながら彼女に訊ねた。

「ああいう風に言ってくれて、最終的には助かったよ。でも、どうしてあの時だったわけ」

 僕の問いに、彼女は柔らかな顔を崩さないまま、踊り場の上部にあるガラスから漏れる光に目を細めながら、静かに呟いた。

「塚田君の性格から言って、あの反応はまだ付き合ってないんだと思った」

「それだけ?」

「それだけじゃないわね。受験でどこに行くか決めてないって話も噂に聞いてたし、妹さんのこともそう。あのまま行ってたら塚田君の行動パターン的に、タイミングを逸し続けて二宮さんとは自然とフェードアウトすると思った」

 まさか。そう言いたかった。だがあの頃の僕を思うと、それはごく自然に見えていた未来だったかもしれない。神様さんも自分から言い出せない人で、僕も言い出せない人だった。だからお互いに思い合っていても言うことが出来なかったかもしれない。そしてお互いの熱が冷めてきた頃に、別の人と知り合って終わっていた可能性もある。

 そこまで考えてくれていた委員長に、僕は感謝を越えて、何も言えなくなっていた

「委員長はその……二宮さんと……」

「うん、嫌いよ。でも塚田君が幸せになれそうなのは、私じゃなくて、二宮さんだと思った。それだから応援しただけ。最近、時々廊下で最近のあなたの横顔見ることがあるけど、凄くいい顔してる。だから良かったって思うのよ」

 彼女は最後の最後まで強い人だった。自分のエゴを押し通す人だと思っていたのに、こうやって人を思いやることが出来る人だった。

 最後になるかもしれない。僕は思い切って訊ねることにした。

「周りはずっと色々言ってたけど、結局委員長は僕のこと、好きだったの?」

「好きか嫌いかで言えば好きだったわ。恋愛感情も多少は含まれてたと思う。でも、今はもういいかなって思ったのよ」

 彼女はさらりとしたよどみない言葉で僕に向いた。

「私が本当に塚田君のことを思うんだったら、塚田君の恋愛を応援すべきだって」

「その、普通自分のものにしようとかそういう風に思うんじゃない?」

「それも少しは考えた。でも、塚田君は二宮さんのことに真っ直ぐ向かい合ってるし、二宮さんのことは特別に見えた。じゃあもう、私の出る幕もないし、だったら逆に応援しようって」

 彼女の言葉に、僕は頭が下がりそうだった。この人を恨んだこともあったのに、最後に差し伸べられた手で、僕と神様さんは結ばれた。

 この人も、優しい人だったのだ。何か少し、意見がずれて、嫌悪の念が勝っていただけで、きっかけがあればわかり合える、そう思わせてくれた。

「何て言えばいいのか分からないけど、本当にありがとう。委員長の一言がなかったら、まだ僕はあの人とだらだら友達の関係を続けてたと思う」

「友達って言っても、お互いに意識はしてたんでしょ? 私は手助けしたけど、それは結果論。最終的に振り返ってみたらあなた達は無事に結ばれた。ただ見ててもどかしかったから、背中を押した、それじゃ駄目?」

 彼女の屈託のない顔に、迷いはない。僕を応援したことに、僅かの後悔もないのがすぐに見て取れた。

 どう言えば恰好がつくのか分からない。晴れた日差しが僕の視界から委員長を一瞬消し去る。僕は、ただ彼女にありがとうという感情を抱き続けた。

「でも、私は振られたけどあなたの力になれてよかった。それだけで気分がいい」

「僕も、二宮さんを傷つけないように頑張るよ」

「そう。ま、それが一番重要かもね。二宮さん、明るくなったって野ノ崎君から聞いたわ。それを続けさせてあげてね。あと、今まで映画鑑賞に付き合ってくれてありがとう。あなたと見に行けて楽しかったし、いい思い出になった。二宮さんとの関係、応援してる」

 そして、彼女は「またね」と言って立ち去った。僕と神様さんは、自分達で道を作ってきたような気がしていた。でもその実、色んな人の支えで結ばれた部分が大きいのだと思った。

 さて、僕も授業があるし、移動するか。僕は一歩を踏み出した。

 と、僕が歩き出そうとした時、突然僕の前にすらっとした影が差してきた。

「あら、こんなところで会うなんてね」

「あ……どうも」

 僕の前に姿を見せたのは、右左の担任である土川先生だった。自分の担任より、彼女と話している時間が多いというのは、多少問題があるような気もする。

 と、彼女はくすりと笑って僕を見た。何か知ってるといった顔だ。

「あの、先生……」

「私は噂話で聞いた範囲で、あなたがどこまで進んでるかも知らない。けど一つだけ注意しておくなら、浮つきすぎて目の前の他にもある大切なことを放置しないようにね」

 どうやら彼女は僕に彼女が出来たことを知っていたようだ。というか、教師にさえ把握されるほどこの関係は有名になったのか。僕はただ恥ずかしい気持ちのまま、はい、はいと頭を下げた。

 彼女は大きく伸びをして、僕に苦笑したような顔を見せた。まだ神様さんとのことを聞いてくるのだろうか。僕が身構えていると、彼女は違う方向の話をしてきた。

「大変ね、あなたのおうちは」

「……いつものことですよ」

「でも、右左ちゃんせっかく成績がいい状態なのに、引っ越しなんて辛いんじゃない?」

 え? と僕は間抜けな声を漏らした。告げられた一言が、頭に定着しない。この人は何を言っているんだろう。僕はそんな目で土川先生を見たが、彼女はどうしたのと言わんばかりに小首を傾げていた。

「あの……引っ越しって……」

「右左ちゃんから聞いたんだけど」

 彼女の一言で、僕は狐につままれたような感情を覚えた。目の前で紡がれている言葉の意味が分からない。そんなこと、僕は右左と食事をしている時に一切聞かなかった。

 何が起きているのか。僕はただ口を開け、彼女に問い詰めていた。

「え、え? 僕はそんな話聞いてないです。どういうことですか?」

「そうなの……? 右左ちゃんが言うには、お父さんとお母さんがそろそろ家族揃って生活しようかって言い出した話だって」

 僕はその言葉に愕然とした。今更家族? 散々放置しておいて? どこに行くつもりだ? 右左はそれで幸せなのか?

 ……僕は、神様さんと離れなきゃいけないのか? それを思うと、怒りと焦燥が慟哭に化けた感情を覚えた。

 それでも僕は、平静を装わなければいけなかった。いや、違う。僕はそういう性格に育てられたのだ。僕は静かに笑いを交えた言葉でやり過ごした。

「うちの親、何にも考えずに急に物事言い出すことあるんですよね」

「確か、それであなたは前の街に住んでたのよね。でも、今更引っ越しっていうのも、ちょっと性急過ぎる気がしなくもないわ。少なくともあなたのことは考えてない感じがするもの」

「……右左がそんなことを勝手に決めてたなんて知らなかったです」

「引っ越しのことは右左ちゃんとしっかり話して。でもお父さんとお母さんが決めた話なら否定しにくいことかもしれないけど……」

 と、彼女は一言残し、渡り廊下から去っていった。

 引っ越しの話なんて、まったく聞いたことがない。そもそも今年の初め頃に、転勤先が決まったとかそんな話ばっかりしてたじゃないか。

 なんでこんなに間の悪い奴なんだよ。僕は思わず、泣きそうになった。

 神様さんと離れて、遠距離恋愛を成し遂げられるだろうか。それとも高校に通う右左を見捨てて、自分だけこの街に残るか。

 僕は呆然と、呑気に青を広げる空を見上げた。またなかった話にしてくれればいいのに。

 神様さん。僕は今、運命とかいう意地悪な人と向かい合っています。

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