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3/30 あの頃のあの人ともし出会っていたなら

 それから一週間、僕を取り巻く環境は、神様さんと付き合いだしたというのにこれといって変わらなかった。

 毎日メールして、電話もして。今度、神様さんの家に遊びに行くことにもなった。

 もっとも、耳の早い奴はどこにでもいるもので、人葉さんの時にはまったく立たなかった噂が、今更ながら立ちだしたことに失笑が漏れた。

 塚田が凄く可愛い女連れてた。

 いや、前から一緒だし、そもそも僕が知り合うより君らの方が先に知ってたでしょう。そう言いたくなるのだが、みんな、神様さんの顔を忘れているのか、それとも学内にいた時の陰鬱な雰囲気と今の明るい雰囲気がまったく違うのか、そんな言葉が聞こえてくるのだ。

 ただ噂になっても、彼女を奪い取りたいなんて言葉はまったく聞こえない。そこはやはり神様さんの持った「排除の能力」が働いているのだと理解させられる。むしろ野ノ崎やミミから聞かされたのは、僕が固定の相手を捕まえたことが残念、というものだった。

 今までそんなことを言われてきたが、本当にアプローチをかけてきたのは二年の木島さんだけだったので、未だにそれを信じ切れない僕がいる。

 昼休み、食事を取り終えて僕は中庭のベンチに座っていた。隣にはミミがいる。野ノ崎は教師と進路について話すため、今日はここにいない。

 また、右左は教室で勉強をしたいということで、食事を取り終えると教室へすぐさま帰っていった。

 右左と僕の関係が、何となくぎくしゃくしている。僕が悪い。それは分かるのだが、なかなか切り替えられない右左に、僕は少し暗い気持ちを覚えていた。

「カズ君、右左ちゃんのこと考えてたって顔だ」

「……まあな」

 ミミは相変わらず僕の心情を察するのがうまい。僕が少し俯いているだけで、右左のことを言い当ててきた。

 右左をどうしてやればいいのか。やれることは出来るだけしてやりたいが、神様さんのことで右左を贔屓してやることは出来ない。

 僕がため息をこぼすと、ミミが笑いながら青空を仰いだ。もうすぐ六月も終わりそうな、すっきりした晴天だ。

「カズ君、野ノ崎君から聞いたけど、二宮さんと付き合いだしたんだってね」

「ああ」

「よく覚えてないけど、あんな凄く綺麗な人、なかなか見つからないよ、良かったね」

「……それ、よく言われるんだけど、綺麗とかそういうの、あんまり関係ないんだ。あの人の性格とか、優しさとか、そういうのに惹かれて好きになった」

 僕の返答に、ミミは何度も首を縦に振った。どうやら思い当たるところはあるらしい。

「学校やめたとき、周りから色々言われてたよ。でも、自分の信念を真っ直ぐ通せるっていうことは、心が強いってことだと思ってた。学校をやめる弱さと自分を通すの。違うようで、根本は同じだったのかもしれない」

 ミミの言い分に「なるほど」と思った。確かに彼女は強さと弱さを織り交ぜたような性格をしている。

 それでも僕の前では精一杯の笑顔を見せてくれる。それが僕にとって、至福の時間だった。

「野ノ崎君がカズ君、キスまでは終わったって言ってたけど」

「本当。初めてのことだったからキスでもちょっと手間取った」

「そっか。でも話聞いてたらこれから何度もありそうだね、よかった」

 ミミは顎に指を当てながら笑った。そう、こんな日がいつまでも続けばいい。時には言い合いになるかもしれないけれど、僕と彼女がいつまでも過ごせる日々。それを得たいというのが大学の先にある僕の夢だ。

 僕は晴天に広がる薄い雲をじっと見つめながら、ぽそりと答えた。

「まあ、そんな関係になれたら一番幸せだと思う」

「その意気その意気。カズ君が気後れしたら二宮さんの性格的に押せないよ」

「それはそうか。でもな……右左がな……」

 右左。その名前が出た瞬間、ミミは暗い顔になった。僕も同じ調子で暗い顔になった。別に右左が何か悪いことをするというわけではない。だがあそこまで僕に付き従っていた右左から、急に突き放されたように距離を取られれば、相当なショックを受けるだろう。

「右左ちゃんはどうするんだろうね」

「難しい質問だな。ただ心配なのは、右左が僕っていう目標を失って、成績下降すること」

「ありそうだよね……。こう言うと失礼だけど、右左ちゃん、自分のために人生使ってる気がしないんだ」

 ミミの含んだ言葉の意味が分かり、僕は一度頷いた。右左はこの半年、僕を目標に生きてきた。それは僕に認められたいという思いが多分に含まれているのは明白だ。それが失われた右左は、僕の前では気力がなくなったように暗い顔でいることが多くなった。

 ミミは薄い雲のかかった青空を仰ぎながら、淡々と呟いた。

「お兄さんのためにいい妹でいたい、お兄さんの顔に泥を塗りたくない。全部カズ君が軸になってる気がして、二宮さんと付き合いだしたカズ君をどう見るか分かんないよね」

「最近、少し避けられてる。今まではそんなことなかったのに」

「右左ちゃん、カズ君に頼ってる部分強いから、余計辛かったのかも。お兄さんが知らないところで好きな人が出来て、付き合い出すなんて普通のことだと思うけど、右左ちゃんにはそれがイレギュラーに見えるんだろうね」

 ミミの言葉に僕は反論することが出来なかった。恐らくそれは間違いではない。僕と右左は普通の兄妹の生活をしてこなかった。一人生活する右左を支えていたのは、外の世界を知らない右左には特別に見えたのかもしれない。ただ右左が現在どう思っているのか、どのくらい僕に依存しているのか、それが分からないため、余計に困惑は深くなっていた。

 ミミは僕の暗くなった表情に気付いたのか、ぽんと肩を叩いて、僕にいつものにまあとした笑顔を見せてきた。僕も合わせて笑うと、よしよしと僕の頭を撫でてきた。

「あの人みたいだ」

「二宮さん、こういうことするんだ」

「まあね。なんかここにいたころ性格暗かったって聞いたけど本当?」

 気になっていたこと。それを訊ねるとミミは苦笑を交えながらに軽く返答した。

「本当って言えば本当かな。私は直接見たわけじゃないけど、最初は可愛い子いるねって評判だったんだよ。でもなんか近寄りがたい雰囲気が出てて、話しかけてもはいとかうんとか一言二言しか返さない人だったって聞いてる。あといつも俯いてるとか」

 なるほどな。聞いていた通りだ。彼女は人を無意識に避けさせ、そして本人自身の諦観もあって誰とも接さなかった。

 でも、だから今僕が独り占め出来る。彼女には少し悪いが、ちょっと儲けたかなという気もした。

「二宮さんが接しづらい人だって思われてからは、みんな距離取って。でも、まだいい時期に来なくなったと思う。あのままいたら、いじめの対象になってたと思うから」

「……だね。そういう人がいたら、性格悪い人に何されるか分かったもんじゃないし」

「二学期の最初に退学届出すために一度学校来たけど、みんな忘れちゃってて、誰だっけって話になってた。私はね、聞いてて嫌な話だなって思ったけど、誰もそれを止められなかったんだ」

 ミミは苦しそうな息の詰まった声で呟いた。こいつにとって神様さんは関係のない人のはずだ。それをここまで思える。本当に優しい人というのは、神様さんやミミみたいな人のことを言うのだろうと、僕は自分の日頃の態度と見比べて、内省した。

「でも、今の二宮さん、明るくなったんでしょ?」

「うーん……最初から明るかった気がするけど」

「それは、カズ君と知り合ったからだよ。学校やめて明るくなるってのも考えにくいし。委員長さんとも話をしたし、今度は二宮さんとお話してみたいな」

 ミミは僕の腕を掴んだ。そうは言っても、あの人が僕の友人関係と会いたいかどうかは分からない。

 棚上げにはなるが、今度会う時に聞いておくか。僕はミミにそうだね、と返答した。

「二宮さんがいいって言ったら、ミミには会わせるよ」

「野ノ崎君は?」

「胸ばっかり見そうだから却下」

「あはは、確かにそうかも。野ノ崎君って結構人の目見るの苦手で、胸ばっかり見てるって誤解されてるんだよね」

「たとえそうだとしても、野ノ崎は目を見ずに二宮さんの胸ばっかり見る」

「男の嫉妬だー。でもカズ君にそこまで言わしめるなんて、二宮さん、本当に愛されてるんだね。カズ君、大切にしなきゃ駄目だよ。女の子なんてちょっとしたことで傷つくんだから」

 確かに、と僕は頷きながら、ミミに笑いかけた。晴天の中吹き抜ける、温かい風が気持ちいい。たった二十年も生きてないけど、僕の人生の中で最も穏やかで、充実していると言える日々を過ごしている。

「ねえ、写真とか撮ってないの?」

「ああ……この間うちに来た時、スマホで自撮り強要された」

「見せて見せて。どんなのかな」

 ミミは食いつきのいい釣り堀の魚のように、必死にくっついて離れない。ミミなら問題もないだろう。僕はいたって健全な、二人で写っているスマートフォンの自撮り写真を見せた。

「うわ……すっごい美人さんだ。こんなに綺麗な人だったかな」

「綺麗って言うより可愛いっていう方があってると思うけど」

「それは人によるんじゃない? 右左ちゃんは間違いなく綺麗系だけど。でもいい笑顔してるなあ。二人とも、無茶苦茶幸せそう」

 ミミがスマートフォンに映し出された写真を見てしみじみ呟く。この写真を撮ったのは、家に来てから数時間後、何となくの時だ。つまり、ファーストキスも終えて、お互いの感情が大体重なり合った後のことである。

 僕もその写真を見つめた。神様さんの嬉しそうな笑顔、それがミミの言う通り、自分でもとても幸せに思えた。

「人って、出会いでこんなに表情が変わるんだね」

「それは確かだな。僕もこの人に会って、随分と変わった。自分の人生が右左と家の中で出来てるとか、そういうことを考えなくなった」

「うん、それでいい。お互い支え合ってたら、こんな顔になれたってことだもんね」

 と言った後に「いつからそういう風に意識しだしたのか知らないけど」とちょっと意地悪な言葉が飛んだ。

 神様さんが僕を意識しだしたのはいつかは知らない。僕が意識したのは、去年の十一月から十二月辺りの頃だ。そう思うと、結ばれるまで結構早かったような気がする。

 でもやきもきした期間は長かった。時間は短いが、精神的な負担はかなりかかっていたと思う。だから今、こうしていられることに開放感を感じると共に、あの少しの刺激で激しく動揺するような日々が帰ってこないというのも、それはそれで寂しく思えた。

「ミミから見て、今の二宮さんどう思う?」

「会ったわけじゃないからどうこうは言えないけど、写真見ててもカズ君のこと好きなの伝わってくる。ほら、何気なく腕に手回してたり」

 ミミは僕が見落としていたことをさっと伝える、確かに写真で僕達は腕を組んでいた。

 当たり前じゃなかったことが当たり前になる。気を付けないと、調子に乗ってひっくり返してしまうかもしれない。僕は改めて気合いを込めた。

「でも、今二宮さんって何してるのかな」

「知ってるけど教えない」

「えーなんで」

「細かい事情があるんだよ。あの人の負担増やしたくない」

 ミミは最初こそ「うーん」と呟いていたが、神様さんが何かしら負担のかかることをしていると得心すると、分かった、と一言告げてそれ以上追求しなかった。

「じゃあカズ君、二宮さんに伝えておいて。頑張って、カズ君と幸せになってって」

「なれたらいいな」

「なれたらいいなじゃなくて、なるの! 二宮さんのこんな笑顔、学校で一回もないんだから」

 と、反論され、僕は「はい」と小さく返事した。

 こうして、昼休みが何もなく過ぎていく。あと半年もすれば受験のまっただ中にいるとは思えない気楽さだった。

 野ノ崎は猶予を求めるミミにいつまでも子供でいたいだけだろうと言ったことがあった。むしろそれは僕の方かもしれない。僕の方が、現在という時間の甘美さに浸りすぎて、受験のことを忘れかけている気がする。もちろん、先日神様さんに約束した農学部に進むというのは考えているが、今まで文系でやってきた僕がこの時期に理系の農学部に転進するのはなかなか厳しい気もした。

「でも、こうして話してると、いつものメンバーで過ごすのって、本当楽しいことなんだなって痛感するね」

「分かる。野ノ崎はうるさいななんて思ってたけど、やっぱりあいつはムードメーカーだって思うし、右左もあんまり喋らないけど、やっぱりいないと寂しい」

「でも、そんな時間も半年ちょっとで終わるんだ。野ノ崎君も大学行ったら違う知り合い作るだろうし、私は私で進んだ先で新しい人と出会うだろうし。もちろんカズ君も」

 ミミの寂しげな声に、僕はそうだね、と答えた。いつか離ればなれになる。いつまでも友人でいたいけれども、新しく出来た関係がそれを忘れさせることもある。

 ……神様さんと付き合えてよかった。このまま何も言えず物理的な距離が離れたら精神的な距離も離れたような気がする。

「カズ君、受験、頑張ってね」

「ミミも納得する道、選べよ」

 そして僕達は笑い合って、席を立った。そろそろ昼休みも終わりだ。

 いい友人に恵まれて、いい妹がいて、素敵な恋人が出来て。自分の人生の絶頂期が訪れているんじゃないかと錯覚する。

 でもそれは、今まで機会があったのに全部自分で投げ捨てていたことでもあった。僕は後悔せずに進めるだろうか。

 進んだ道が、自分の道だ。後悔とかそんなもの、最初から存在しない。先に教室へ走っていくミミを見て、僕はそうだなと自分の手のひらを見た。

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