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3/29 鬱陶しいくらいいい奴は鬱陶しいけど心地いい

 神様さんとの夢のような時間を過ごした翌日の朝、僕はいつものように朝食と弁当作りに勤しんでいた。僕の分と右左の分、それは変わらない。

「あ、兄さん……」

 ダイニングに来た右左の表情が曇る。右左は昨日僕と神様さんが部屋で何をしていたか知らない。右左の目から、疎外感のようなものがはっきりと見えた。

「右左、昨日は悪かったな。突然人招いて」

「それはいいです。その、綺麗な人でしたね」

 右左は席に着いて、ぽそりと呟いた。励ますべきか、ここで兄離れさせるべきか。難しい局面に立たされたなと、僕は頭をかいた。

「二宮さん、あの人は右左が凄く美人だって言ってたよ」

「……そうですか、ありがとうございます」

 右左は特に嬉しそうな声を上げない。

 右左の中に、神様さんへの嫌悪感でもあるのだろうか。僕は何も言えず、朝食を食卓に並べた。

「右左、あの人に何を思ってるのかは知らない。でも僕はあの人が好きだし、あの人に好きって言ってもらえるのを心から喜んでる。……成績は落とさないようにな」

「成績のことは別ですから。兄さんも、あの人とうまくいくといいですね」

 軽く笑って右左は応援するようなことを言う。だがその口調は何処かぎこちなく、無理をして作った言葉であるのは一目瞭然だった。

 食事を取り、いつもより早く学校へ行く。その隣には右左がいる。でも僕は、この間まで手に取るように分かった右左の気持ちがまったく分からなくなっていた。どうしてだろうか。右左のことを考えていても、最終的に脳裏に浮かぶのは神様さんのあの真っ直ぐな笑顔だ。あれこれ悩んでも仕方ないと、僕は右左と余計な会話をすることをやめた。

 学校に着き、右左と別れる。朝らしい賑やかな光景が広がる中、僕は教室前で珍しいものを見かけた。

「おう、一宏」

 野ノ崎が何故か教室前で待っていた。神様さんと会った翌日にこいつかよ。そう言いたくなったが、僕は軽く手を上げ返答した。

「どうした、野ノ崎」

「お前を待ってたんだよ」

「どうせ噂話でも聞いたんだろ」

 僕が呟くと、野ノ崎は少し硬い顔をして「そうだな」と返答した。

「昨日、二宮と会ったんだろ」

「話早いな。ていうかあの人の顔覚えてる奴いたんだ」

「いや、一宏が駅前で知らない女と手を繋いで歩いてたって、昨日部活行ってた奴からメール届いたから。多分それ二宮じゃないかって俺が思っただけ。で、当たった」

 なるほど。相変わらず神様さんの顔を覚えている人はいない、か。だが考えてもみればあの人が入学したのは二年以上前。二ヶ月程度で登校拒否になって二学期が始まって退学したんだから、誰も覚えていなくても仕方ない。

 そして、野ノ崎である。こいつの妙に硬い顔が気になる。何を言いたいのか。また難癖でも付けてくる気か。僕は野ノ崎を睨むようにして見つめた。

「一宏、ここじゃなんだから校庭の端で話しよう」

「そんなまずい話なのか」

「お前にどうしても言いたいことがあるんだよ。頼む、来てくれ」

 そう言われると仕方ない。僕は黙って野ノ崎の後に付いていくことにした。

 朝の校庭は部活の人間が陣取って、ある意味賑やかでもある。ただしもうそろそろ部活の時間も終わりというところで、しばらくすれば静寂が支配するだろうというのも分かった。

 野ノ崎はグラウンドの脇にある木の下で立ち止まった。可愛い女の子にこうして誘われるのは悪い気はしないだろうが、相手は野ノ崎、しかも硬い顔である。まったく嬉しくない。

「で、野ノ崎、話はなんだ」

 僕が切り出すと、野ノ崎は突然僕に向かって土下座しそうな勢いで頭を下げた。

「一宏! 今まで悪かった!」

「は、はあ? お前どうかしたのか?」

「俺はお前のことをよく理解してるつもりだった。でもそれはつもりだったんだ!」

 話がまったく読めない。僕は野ノ崎の肩を叩いて顔を上げさせた。顔を上げた野ノ崎は涙目で僕を見てきた。

「どうしたんだよ」

「……お前、本気で二宮のことが好きだったんだな」

「まあ……今更隠すこともないから、そうだって答えるけど」

「俺、お前が今まで二宮と噂になったのって、モテるから二宮をただキープしてるだけって思ってた。色々噂になった女いるだろ? その一人だって。でもお前は違った。俺が思ってたことと違った。二宮のこと、本気で好きで、二宮以外に目が行かないから色んな噂が噂で終わったんだって、俺、分かってなかった」

 野ノ崎は申し訳なさそうに頭を垂れながら、噛みしめるように呟く。その姿は大柄の野ノ崎をとてつもなく小さく見せていた。

「その親友のお前が、本気で好きになった女のこと、顔も忘れたくせに俺はずっと顔だけはよかったとか胸だけとか、すげー酷いこと言ってた。知らなかったからってお前の彼女にかけていい言葉じゃねえよ……お前も傷つくし、自分の女の軽口なんかいい思いしないだろ」

 野ノ崎は情けなさに身につまされているのか、泣きそうな声で喋っていた。そこまでしなくていいのに。この間までの険悪な雰囲気も合わさって、僕は脱力しかけていた。

「なあ一宏、本当に二宮と付き合いだしたんだよな?」

「最近だけどな。お互いにきちんと告白して恋人同士になった。昨日はキスもした。これでいいか」

「……そこまで進んでたんだな。悪かった、俺のせいで腹が立ったこともあっただろ。それも全部含めて、謝る」

 野ノ崎はそう言うとまた頭を下げた。だからもういいって。そう言いたいのに、野ノ崎は頭を下げ続けた。

「なあ、野ノ崎、なんでそこまで謝ろうって思ったんだ? 別にそこまで気にすることでもないだろう」

「ほら、俺さ、成績とか適当じゃねえか。だから、せめて人間性くらいは誠実でいたいわけ。それなのにお前の恋愛を真っ直ぐ応援出来ないなんて友人ですらないだろ。俺は自分の好きな女を自分の手で捜す。でもそれと同じくらい、お前の友人でいたいんだよ」

 野ノ崎は笑っていた。何となく、情けなさの過ぎる、不格好な笑い方だった。

 ただいつもなら暑苦しい奴と思いそうだが、今日は自然とその言葉が心の欠けていた部分にぴったりと当てはまる気がした。

 見た目はちょっと遊んでいるような感じのする野ノ崎。でも僕がこいつと友人を続けられる理由は、その根っこにあるのが昔と変わらず、義理を重んじるからだろう。

「野ノ崎、お前、二宮さんと付き合うなってずっと言い続けてきたよな。そこはどうするんだ」

「キスまで済ませたんだろ。淡白なお前がそこまでしてんだ、もう反対する理由なんてない。ただ色々面倒な奴なのは確かだから、そこだけは覚悟してろよ」

「いや、野ノ崎、あの人学校辞めてから性格かなり変わったぞ。面倒なところはあるのかもしれないけど、その時は僕を頼ってほしいって思うだけだし。お前の杞憂だ」

 僕が少し笑って返答すると、野ノ崎も硬い表情を崩し、同じように笑った。

 神様さんと付き合うことになってから、色んなことでこじれていた野ノ崎とこうして再び笑い合えるというのは、信じられなかったし、こんなにも喜べることなのかと不思議に思えた。

 野ノ崎はいい奴だ。こういう性格だから、きっと女の子を大事にしすぎて誰かと交際するということが出来ないのだろう。野ノ崎が今ひとつモテない理由の一部を、僕は垣間見た気がした。そういう点では、僕と野ノ崎は結構似ているのではないかと言えた。

「さて、俺は俺で受験勉強頑張らないとな」

「……野ノ崎、勉強会やるか」

「いいよ、それはもう。お前はさ、二宮のことに全力注げばいいんだよ。一年二年したらちょっと飽きてくる時が絶対来る! ……ってみんな言うしな。それに二宮といちゃついた部屋に俺とかミミ上げるのも気が引けるだろ」

「そうでもないけど……」

「ま、こっちが気を使うってことだよ。もしやるなら、放課後の教室とかでやろう。俺から言えるのはそれくらいだ。ありがとな」

 と、野ノ崎は最後に爽やかな笑顔を残して走り去っていった。

 野ノ崎とわかり合いたいと思っていたのは事実なのだが、こう妙な形ですとんと終わると、驚きよりも信じられない気持ちが先に立つ。

 野ノ崎に付き合っているという話が伝わったということは、ミミ辺りにも伝わるか。やはり委員長には僕の口から直々に伝えておこう。

 そろそろ教室に戻らないと、朝のHRに間に合わない。

 今日は天気がいいな。僕は一度空を仰いで教室に駆けていった。

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