3/27 関係の清算は難しくて
委員長に見守られながら送りだされた、神様さんとの交際。付き合いだしたのに、何かと忙しいこの状況下で折り合いを付けられず、まだ彼女の働いているメイドカフェにも行けていないし、会うことも叶っていない。ただそんな中であっても、僕達は電話やメールで常に繋がっている。そのことが寂しさをほんのわずかだが拭い去ってくれていた。
僕は委員長と二人で軽く話をしようかと思い放課後彼女の教室へ行った。だが彼女の姿は見えなかった。
「生徒会長? あの人なら生徒会があるからってすぐに行っちゃったよ」
そうですか。そう告げて僕は立ち去った。何となく分かっていたが、ちょっと避けられているような気がする。気を遣うなというメッセージなのも分かるが、きちんと話して彼女のことに関しても終わらせておきたかった。
僕はとぼとぼと靴箱へ向かう。すると、靴箱に人影が見えた。
そこにいたのは、いつも見慣れた右左だった。右左がこんな風に僕を待っているのは珍しい。珍しい上に、こんなところで待っているものだから耳目を集めて仕方ない。
「……右左」
「あ、兄さん、授業お疲れ様です」
僕に会うやいなや、右左は頭を下げてきた。兄妹だからそんなことしなくてもいい、というか周囲の誤解がまた広まるのでやめてくれというのが本音だった。
ただ可愛い妹がこんな風に待ってくれているというのは、少しばかりはありがたい。僕は「行こうか」と一声かけ、靴を履き替え歩き出した。
「何か右左が待ってくれてるっての、不思議だな」
「そうですか?」
「行きは一緒のことが多いからそうでもないけど、帰りも一緒ってのはなかなかないなって思って」
僕が呟くと、右左はくすりと笑った。
右左は期末試験の目標を合計九割以上に設定した。それは恐らく問題ないだろう。だが実技の伴う体育や美術など他の科目は大丈夫なのか、少し聞いてみたくなった。
「右左、実技の方はやれてる?」
「何とか見よう見まねで一生懸命やってます。心配なので先生にも聞いてみたんですけど頑張ってるし試験はきちんと取れてるのでいい評価を出せるって言ってもらえました」
そうか、僕は頷いた。推薦に必要な評価は十分に手にすることが出来るだろう。もっとも本人がそれを望んでいるかどうかは別なのだが。
青い空の下、妹と共に帰り道を行く。その雲一つない空のように、僕の心も大きく広がっていた。右左とこの時間を歩くのは久しぶりな気もする。その僕の心の根幹を作っているのは、神様さんへの激しい熱情だ。彼女がいなかったら、僕は右左にこんな顔を出来なかったかもしれない。人生は起伏の連続だが、出来れば神様さんと行く道は穏やかに上っていければと、頭上の青に祈った。
一方、右左は僕の横顔を見てにこにこしている。今朝もこんな感じだった。ここ最近、右左のこんな表情が増えたのは気のせいではない。
「なあ、右左、何かおかしいか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「右左が僕の横顔見て笑ってるから」
そう僕が返答すると、右左はくすりと微笑んで一言投げてきた。
「兄さん、何だか嬉しそうな感じにしてるからです」
そうか。やっぱり僕の神様さんと付き合うことが出来たというのは、隠せないほどの喜びに満ちあふれていたのか。
もう逃げてても意味はないな。僕は共に帰るこの時間に、右左との共依存を断つ一歩を踏み出すことにした。
僕はこほんとわざとらしく咳を一つした。右左はきょとんとしながら僕の横顔を見つめ続けていた。
「右左、実は僕の人生、ちょっと変わったんだ」
「どうしたんですか……急に」
「右左、まだ野ノ崎とかには言ってないけど、右左には先にきちんと言っておく。ずっと好きだった人がいて、その人と付き合えることになったんだ。すごく嬉しくて、それが顔に表れてるんだと思う」
僕は得意げに、はっきり言い切った。隣にいる右左が笑顔で「そうですか」と言ってくれるのを少し期待した。
だが、右左から言葉は漏れない。僕は右左を見た。右左は固まった顔つきのまま俯き、黙り込んでいた。
右左はしばらく黙する。僕に依存していた右左がそんな反応を示すのは、確率的に考えると想定内のことだったが、少し沈む様子にはやはり心が痛めつけられた。
「右左、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。兄さん、良かったですね」
「うん。……本当に僕にはもったいないくらいいい人でさ。嬉しくてたまらない。今度の休みに僕の部屋に来ることになってて、右左にも紹介するから」
今度のスケジュールを右左に話した。だが右左は口を噤んで何も応えない。
こんな光景になるのは、僕と右左がこの半年あまり、どういう関係で過ごしてきたかということを表している気がした。右左は僕に依存していた。僕も右左を支えるという名目で努力することが出来た。
その一角が崩れた。組成式で言うなら、結合している分子の一つが離れたようなものだ。結果全く違うものになっている。
それでも僕は、右左と離れることを選ばざるを得なかった。右左の生活を支えながら、大学入学まで見届けるのは事実だ。それと、プライベートの部分で右左と一緒になるのは違う。だから、この瞬間は、遅かれ早かれ来ることだったのだ。
右左は神様さんに嫉妬するだろうか。愚問だなと僕は自嘲した。右左が嫉妬するとすれば、今までの僕を独占していたと思い込ませていた関係にある。そしてそれはほんの少し前まで事実でもあった。
右左は何も言わず、口元だけ上向きにしている。ただそれが本音でないことは安易に推察がついた。目元は僕に見せないように、必死に隠している。わずかばかりに見えるその悲しげな目だけは右左の本音がしっかり出ているように見えた。
「右左、今日なんか食べたいものあるか?」
「いえ……兄さんが作りやすいもので構いませんよ」
右左は作り笑いを僕に向けてきた。
右左はそれほどまで、僕に依存していたのだろうか。僕はそれほどまで、右左の心の支えになっていたのだろうか。
このことが今の右左の勉学に影響を及ぼすとは思えないが、僕は少しばかりの不安を覚えてならなかった。
「右左、今度その人が来る時に、右左にも紹介する」
「そうですか……精一杯、嫌な感じにならないようにしますね」
「そんな気負わなくていいよ。明るくていい人だから、右左も仲良くなれると思う」
僕はそう言って、右左の手を引いた。
右左の手は震えていた。それが僕と右左の現状だと思うと、こんな僕でも多少は辛くなる。ただ、それでも進まなきゃいけない時もある。僕はそれ以上口幅ったいことを言うのをやめ、右左をスーパーへと連れていった。夕食作りに必要な食材選びをさせるのも必要なことだ。
それから後、僕とスーパーへ向かった右左は、暗かった表情が何だったのかと思うくらい、明るい顔であれこれ僕に何が食べたいとか、あれが食べたいとか言ってきた。
しかしいつも食べたいと言っているビーフシチューを選ぶことはなかった。普段それほど食べていない魚がいいと言ってきたのは、多少驚いたが、右左が一歩踏み出したということで僕はあえて受け入れた。
野ノ崎やミミは、このことをどう受け止めるだろうか。
野ノ崎のいつもの調子で罵倒されるのか、それとも祝福されるか。
どんなことでも構わない。僕はあの人の側にいられることが、何より幸せなのだから。
昼間降っていた雨は止んだ。でもまだ一雨来そうで、明日以降も面倒だなと少し思わされる。
なるようにしかならない。僕が願うのは、神様さんとずっと付き合い続けたいというそれだけだ。
――右左、また裏切って、ごめん。
声に出せない思いを心の中に秘めて、僕は右左に笑顔を向け続けた。




