表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/163

3/26 知っている人、知らない人、背中を押してくれた人

 神様と家でデートの日まであと数日。

 僕は相変わらず野ノ崎、ミミ、そして右左と共に昼食を取っていた。

 だが空気は重い。僕は野ノ崎を心の中では赦していた。野ノ崎も何か言いたそうなのは見ていて分かる。しかしお互いにあと一歩、歩み寄ることが出来ず、ミミや右左まで重苦しい空気に巻き込んでいた。

 外は六月特有の雨模様の様相を見せていた。今の陰鬱とした雰囲気と相まって、鬱陶しいことこの上ない。

「あの、あと一月もしたら期末試験ですけど、何か心構えとかありますか?」

 この鈍痛にも似た空気に耐えられなくなったのか、何も知らない右左が僕達に質問してきた。それに答えたのは、大気汚染のような空気の元凶である野ノ崎だった。

「平常心、と言いたいとこだけどなあ。失敗すると学期全否定食らうようなもんだからな」

「それと進路のことに関しても言われるよ。逆に言えば、期末試験を順当に取れてたら推薦も自然といいところを紹介してもらえるようになるよ。だよね、カズ君」

 ミミが僕にうまく話を振る。僕はそうだな、と考えながら、弁当を食べる右左を見た。

「右左が推薦に興味があるなら、必死にやればいいと思う」

「おいおい、推薦に興味なくても必死にやらなきゃ駄目だろ」

「いや、また九割五分目指すとかそこまで必死にやらなくてもいいんだよ。二位がどのくらいだったか知ってるか? 八割三分程度だったぞ。オーバーキルってのはこういう時にあるような言葉だ」

 野ノ崎とミミは二位の成績を知らなかったせいか、右左の引き離しっぷりに絶句していた。それでもまだ右左は歩みをやめようとしない。右左が目指す究極的な目標は十割、つまり全教科満点だ。

 さすがにそこまでやらなくてもいいだろうと思うのだが、右左に聞くと「こんな風に点数を付けてもらえる機会は高校が最後ですから」と答えられる。確かにそうだが、そこまで突っ走るのは生き急いでいるようにも見えた。

 ただ、右左が毎日部屋に籠もりながら一心不乱に勉強に取り組む姿は、見ていて応援したくなる部分があった。きっと、人葉さんも同じように一人頑張っているのだろう。そう思うと、途端に彼女に対して親近感がわいてくる。

「で、でも右左ちゃんの頑張りはきっと無駄にならないよ。受験勉強も同じくらい頑張ったら凄くいいとこ行けると思うし」

「……でも、いい大学に入れば入るほど、私なんかが敵わないような凄く頭の回る人がいるんですよね。それを考えたら……努力がまだ足りないって」

「い、いや、一宏妹、お前は何を言ってんだ。いい大学入って、頭の回転で負けてもお前はそのルックスと生真面目さで何とでもなるだろ。特に男子から誘われまくるぞ。一宏、大学で男の断り方ちゃんと教えてるんだろうな」

「まだ教えてない。ただ、大学のナンパはたちの悪いのが多いからきちんと言い聞かせるつもりではある」

 僕が力強く言ったことで、野ノ崎も安心したのだろう、口元を緩めながら、今日の昼食であるかき揚げそばをかき込んでいた。

 ミミはそんな右左を、微笑ましく見つめている。あれからミミの心境に変化があったかも気になる。僕はミミにそのことを訊ねた。

「ミミは就職、専門学校どっちで行くつもりにしたの?」

「前は服飾って言ってたじゃない。でもちょっと変わったんだ。事務系のことを教えてもらえる専門学校に二年行って、それから就職しようかなって思ってる。でも、何かいい条件があるんだったらそのまま就職しようかなとも思ってるよ」

 曇っていたミミの将来に対するビジョンが明確になってきた。そこには自活していこうという強い信念が見えた。

 親なんて。そんなことを言っているのに、生活費も学費も、大学進学のための教育資金も何もかも出してもらう自分が、結局親に頼っている現状を見せつけられているようで恥ずかしく思えた。

「ミミなら成功する。頑張って」

「うん、カズ君、野ノ崎君、右左ちゃんに恥ずかしくない人になるのを目指すね」

 と、僕達が話していると、「あら」と静かな声がかけられた。手元には紙パックのジュース。誰かと思えば委員長だった。

「あ、委員長さん、こんにちは」

「三重さん達は昼食?」

「はい。委員長さんは何してたんですか?」

「生徒会の会議が終わって甘いものでも飲もうと思って。こういう息抜きでもしないと頭疲れるのよ、生徒会って」

 彼女は僕達に混じるように、紙パックのジュース片手に手近な席に着いた。握られているのはアップルジュース、何となく彼女のイメージに合致する。

 右左は相変わらず敬意を持っているのか、彼女が来ると一礼した。それを軽く彼女は手で制する。

「何の話してたの?」

「進路の話。ミミが専門学校か就職で大体固まってきたのが良かったねって」

 僕がそう答えると、彼女は相好を崩しながら、頬杖をついた。

「未来が決まったのは、いいことよね」

 彼女の言葉は、まるで今、推薦か受験かで進路を決めきれず悩んでいる自分自身への嘲笑に聞こえた。それに気付かないミミは、苦笑を浮かべながら、ほとんど空になりつつあった弁当箱の最後のおかずである卵焼きに箸を伸ばしていた。

「勉強も本当はちょっとはしたいんです。でも、今の自分が本当に勉強だけしたいのかとか、本当は遊びに行きたいんじゃないかって考えたら、そういう方向になって」

「三重さんは真面目ね。私だったら遊ぶ方に進みそう」

 この厳格が歩いているような存在が遊んでしまうほど、大学という場所はレジャーランドなのか。大学の程度が低くなっているとは聞くが、委員長がそんな存在になってしまうというのはある種怖く思えた。

「右左ちゃん、先生から推薦の話が早速来てるって聞いたけど」

 委員長がいつもの静かで落ち着いたトーンの声で右左に訊ねる。右左は困ったような顔のあと、笑い顔を作って彼女にゆっくり答えた。

「事実です。でも本当にそうするかじゃなくて、今の成績をキープ出来ればこの辺まで行けるよっていうだけです」

 と、右左が答えると、野ノ崎が興味を示し、右左にじっと視線を送った。

「どの辺の大学行けそうなんだ」

「都心の有名な私大を何件かどうだって言われてます」

 その言葉に野ノ崎は「おお」と声を上げた。流石に野ノ崎に提示された大学とは違うのだろう。そう言えば、僕もその辺りを提示された気もするが、気にも留めなかったので半ば忘れていた。

「でも今の右左ちゃんの成績なら、推薦で行かなくても一般受験で合格しそうだけど」

「委員長、知ってるか。さっき一宏から聞いたんだけど、こいつ試験九割五分取ってるけど二位は八割ちょっと。差が開きすぎて理解出来ねえよな」

 野ノ崎が笑うと、委員長は僕に目を向けてきた。今までその程度の成績と言えば、僕だったわけである。それを指摘されると確かにどうと聞きたくなるのは分かる。

 僕は何も答えず、黙々と食事を取った。委員長はもうよくなったのか、再び右左を見た。

「一年のこの時期から入試の話されるなんて、結構疲れる人生ね」

「あの、生徒会長さんはそういう話なかったんですか?」

「今でこそ生徒会長で推薦の話はあるけど、二年まではクラス委員担当だったから。成績も悪くはなかったけど、委員長ってことが推薦の話には繋がらなかったのは確かね」

 意外だ。あんなボランティア精神溢れることをやらされていたのに、そこが査定にプラスされなかったというのは。

 それでも彼女は、今の自分を楽しんでいる雰囲気がする。以前よりも、明るい雰囲気が彼女の周囲に漂っているように僕には見えた。

 就職や専門学校に傾いているミミ、受験を頑張ると言っている委員長。そして推薦で遠くに行くかどうかで悩む野ノ崎と、まさに三者三様の姿を見せる中、僕は自分の行く方向をあえて黙っていた。

「塚田君も色々大変みたいだし、余計なプレッシャーをかけるのはよくないわね」

「受験のプレッシャーとかないよ。ここらの大学に行けなかったら、浪人するだけだし」

「あなたが志望してる大学で本当に滑りそうなとこってある? ないでしょ。私は塚田君の右左ちゃんをサポートしたいっていう気持ちを素直に尊敬してるわ」

 何というか、言葉にしづらい局面である。右左のサポートは嘘ではないのだが、それだけでなく神様さんの側にいたいというのが一番の事実なのだ。

「塚田君」

 突然委員長が声をかけてきた。落ち着いた声だ。どうしたんだろうと僕は顔を上げた。

「いい顔になってる」

「その……委員長」

「ま、積もる話は今度また二人でしましょう。ここでする話でもないでしょ?」

 彼女は優しく微笑んだ。いつもの僕に愛想を振りまくための笑顔ではない。誰にでも優しく出来る、僕が尊敬していた頃の委員長の笑顔だ。

 ……委員長、僕が神様さんとうまくいったのに気付いたんだな。そもそも、きっかけがこの人の一言だったんだ、分からないというはずもない。

 ありがとう。僕は心の中で自分に語りかけるように呟いた。

「一宏とまた映画行ったりしないの?」

「今は生徒会と勉強が忙しくて、息抜きしたいっていう日は家で寝てたいのよね。そのくらい疲れるっていうの分かってたら生徒会断ってたんだけど」

 委員長のジョークとも取れる言葉にみんな笑っていた。こういう雰囲気が、ここ最近なかった。僕達にそのきっかけを与えてくれたのが委員長というのは、想像だにしなかったが。

 委員長は僕の目を見た。合わさった眼差しにメッセージがこもる。映画に行かないのは生徒会の都合ではない。神様さんのことはまだ嫌いだけど、頑張って。そんな思いの詰まったような優しい笑みだった。

 人に支えられている。僕はそのことを強く感じると、委員長をあえて見ずに食事にありついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ