3/25 人を許せる優しさがあるだけでその人はすごい
家に帰った僕は、神様さんに自分からメールを送らなかった。彼女から来たメールに相づちを打つような形で返信はした。
右左には大変申し訳なかったが、焼き魚で茶を濁して夕食もそそくさと終えた。
野ノ崎は神様さんの何を知っているのか。
僕は迷った。自分からメールを送らなかったのに、電話をするなんて。
でも、逸る手を止めることが出来ず、結局僕は神様さんに電話をかけていた。
五コール。神様さんは電話に出てくれた。
「どうしたの? メールとかで話したのに」
「……ちょっと今日、色々あってさ」
僕の声が少し涙声になっていたのに神様さんは気付いたのか、優しい口調で「うん、聞いてあげる」と返事がきた。
「僕がここに以前住んでた頃の友人がさ、神様さんと付き合うなんてどうかしてるって言うんだよ。そいつ、神様さんと同学年。一年の頃、クラスは違ったけど噂は聞いてたみたいで、クラスを崩壊させた最悪な人間だって言うんだよ」
「……それはちょっと、私としては面白くないかな。だいぶ誇張入ってるし」
「でしょ? 覚えてるのは胸が大きいのと、陰キャだったけど見た目だけは良かったとか、ひどいこと言うんだよなあ」
それを言うと、彼女はおかしげに一笑した。
「見た目がいいかは分からないけど、胸とか陰キャだったのは事実だから否定しづらいな」
「……付き合ってること知らないからって胸大きいとか言われるのは僕はむかつくけどね。神様さんのそういう部分を他人に評価されたくない」
「きみはピュアだなあ。で、きみは胸大きい子と小さい子、どっちが好きなの?」
「……神様さんのサイズが好きです」
「あはは、素直でよろしい。でも……気にしなくていいんだよ? 私のそういう部分、どうこう好きに言って、私が答えるのはきみだけの特権。他の人に噂話されても私は全然気にならない。そもそもこの大きさちょっと肩こったり周りより大きかったからコンプレックスだった頃もあったし」
まだ唇を交わしたこともないのに、少し恥ずかしいことをお互い明け透けと話している。でもその明るさが、野ノ崎と真っ向から対立したと思った僕にとって、温かかった。
「きみは私と付き合えて嬉しいの?」
「嬉しいに決まってる。嬉しくない理由なんて探しても見つからない」
「……だったら、その友達を許すことも出来るはずだよ」
神様さんは優しく諭すように静かに語った。確かに、僕は野ノ崎に激しい怒りを感じた。だがその矛先に立たされた神様さんがそれは全て事実で、それを乗り越えて自分があるというのも示してくれた。
僕は何に怒って、何に辛くなっていたのだろう。これが言葉の綾という奴か。
「私のことで怒ってくれるのは嬉しいよ。でも、長い間大切にしてきた友達を、こんなところでなくすのなんて馬鹿げてる。私が高校辞めて、胸が大きかったくらいしか覚えられてないくらい存在薄かったのは本当なんだし。多分、その人顔覚えてないでしょ?」
「そう言えば、前に話した時に顔は覚えてないって言ってた」
「でしょ? その人にとって、高校行ってた頃の私は過去の人なんだ。そして今いる私は、きみだけの人。それで終わりでいいと思う」
神様さんは優しかった。僕のやりどころのない怒りを見事に収めてくれた。僕の中に腹立たしさがあっても、神様さんが許すというのなら、それで終わりだ。僕は改めて、この人を好きになれたことに感謝した。
と、僕がふうと息を吐くと、彼女が突然ぽそりと電話越しに呟いてきた。
「ところでね、行きたいところ……一つあるんだけど」
すがるような甘い声が僕の耳に響いていく。僕は前のめりになりながら、彼女の次の言葉を待った。
「私の行きたいところはね……その、きみの家、きみの部屋」
その言葉に僕の心臓がばくんと破裂しそうなほど跳ねた。それは場合によっては一線を越えるということを意味している。
このまま一線を越えてもいいのか。僕の中に内在するものたちは、興奮よりも混乱が勝っていた。
「神様さん、その、ショッピングモールとか……」
「あ、あのさ、妹さんにも会っておきたいし。妹さんが家にいるのに何時間も変なことできないよ」
と、神様さんはうっかり口を滑らせた。やっぱり彼女は一線を越えたかったらしい。
でも、右左がいなければ、家でずっと、何時間でも可能なんだよな。と、僕もその提案に乗りそうな自分を咄嗟に抑えにかかった。
「ま、まあうちに来ることなんてその内何回でも出来るから、今回は僕の部屋を見て話をするってことでいいんじゃないかな」
と、僕が疲れたような言葉をだすと神様さんも黙ったあと、急に笑い出した。
「でも、きみの家に行くのは純粋に楽しみだな。きみの部屋で二人っきりになるのも、今まで憧れてたことだから」
彼女は悪戯めいた口調で告げる。でもその裏に、かなり強い本音が隠れているのも何となく分かった。
彼女は少し笑ったあと、僕に一つ問い掛けてきた。
「それで、友達の件、どうするの?」
「……しばらくその話は避ける。妹の友人でもあるから。でも、神様さんと付き合いだしたことは、時期を見て必ず話す。それが解決に一番近い方法だと思うんだ」
そうだね、と言われたあと、僕は電話を笑顔で切った。しかし、野ノ崎の話から妙な方向に話が進んでいったものだ。
神様さんが部屋に来る。掃除、念入りにしないと。右左にはどう紹介しようかな。
いつの間にか、野ノ崎へのどす黒い念は消え去り、僕は神様さんへの様々な思いで溢れ出すようになっていた。