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3/24 知らないからと言っても言われたくないことはある

 僕はいつもなら人気のない空き教室の席に着いていた。ここにいるのは、僕ともう一人、進路指導について話す担任の中年男性教師だけだ。

 この街に留まるという意思を何度も示しているのに、それを翻そうとこの教師は必死にあれこれ伝えてくる。

「塚田、本当に今の進路のままでいいのか?」

「近くて程ほどなら、僕は文句はないです。僕の分は、妹が取り返せばいいだけですから」

 僕が淡々と告げると、教師の肩は一気に落ちた。そこまで落胆されるような話か。僕は問いただしたくなったが、よく考えてみれば、がっくりもするだろう。

 僕が難関国公立に進学すれば、この学校の名前は上がる。それを数年先のどうなるか分からない右左に託すと言えば、流石に教師も笑ってみていられないだろう。

 だが僕は右左を信じることにした。そして、自分の未来を神様さんと歩むと決めた。まだ恋人になって一ヶ月もしてないのに、共に歩んでいくという感情はちょっと気持ち悪い気もするが、それでも僕は、あの人と一緒にいられることにとてつもない充足感を覚える。

「塚田、もしだ、お前の妹がお前と同じように近くて手近な大学でいいってなったらどうなる?」

 そんなの知るか。そう言いたくなったが、僕は考え込むようなポーズを取り、そうですね、と答えた。

「それはそれ、妹の生きたい道ですから、僕がどうこう言えるものでもないと思います。ただ、後悔するような生き方はしないでとは言ってありますが」

「お前の妹もまだ進路を具体的には詰めてないからな……」

「一年ですし、仕方ないですよ」

 と、僕が笑うと、教師もつられたように笑った。何とも実のない話である。

「それより塚田、学部は決めたのか」

「……特にこれといった学部もないんで、日文か英文に進もうかと思っています」

 僕の言葉に教師は眉をひそめた。日文英文なんて潰しの利かない学部でも入試の難易度的には上位に来る。政経などに進んだ方が、サラリーマンをするにはいいのだろう。だが僕は、神様さんが何をしたいのか知るまで、その自分の道を黙っておくことにした。

 そういったわけで、僕は成績上位でありながら、教師陣の覚えがめでたくないというあまりありがたくない状況に陥っていた。

 こんな状況でありながらひょうひょうとしているところも、また一部の教師の癇に障る部分があるようで、僕としては困る、それ以上の言葉はなかった。

「とりあえず受験勉強は進んでいるんだな」

「そっちの方はまずまずです」

「お前はこの学園を代表する生徒なんだ。志望校を変えたんだったら、すぐに言うんだぞ」

 と、僕は教師に念押しされ、進路指導という面倒な作業を終えた。

 一礼して外に出る。次に待っていた生徒が代わりに入っていく。顔が強ばっている。進路が厳しいという顔だ。うまくいけばいいな。僕は心の中で小さく祈ってその場を立ち去った。

 さて、今から家か。そう思いながら靴箱に向かうと、野ノ崎とミミが待ち構えていたとばかりに僕の前に笑顔を携え現れた。

 この二人も僕の進路に関しては興味津々である。そんなこと知っても何のプラスにもならないのに。僕がそう思っていても、二人は僕のことに首を突っ込むことを辞めようとしないのである、ある意味敬服する。

「一宏、面談終わったか」

「まあ一応」

「ということは、カズ君、進路決めたんだね」

 何という早とちりをする二人なんだ。進学先の大学も、五、六校に絞ったものの、まだ確定したところはない。学部においては尚更だ。つまり、先ほど教師に言ったことはほとんどでたらめということになる。そこに関しては、多少申し訳ないという気持ちはあった。

「一宏、やっぱここは政経に行って、カバン持ちからスタート、そして行く行くは国会のど真ん中で――」

「そんな人生まったく望んでないんだが。お前、前から思ってたんだけど仕事の内容より肩書きに固執してるな」

 僕の指摘が当たっていたのか、野ノ崎はしばらく黙ってしまった。

 そもそも都会でサークル三昧したいとか、大企業に行きたいとかふわふわした夢を語っているのはむしろ野ノ崎の方で、こいつに進路指導のかくあるべきを語られるのは、納得出来ることがあっても説得力に欠けすぎていた。

「野ノ崎はいいや。ミミ、進路指導で何て言った?」

「まだ迷ってますって。でも、大学の線は少しずつ消えてるかもしれない」

 その言葉に僕は黙り込んだ。ミミがそんな人生を送るとは僕は思っていなかった。それが少しずつ現実になりつつある。

 進学に対していい加減な態度を取っている僕に言えることはない。僕は口をしばらく閉じて「頑張れよ」と思いついた言葉を並べていた。

「ミミ、ってことは就職か専門学校か」

「うん。色んな人と接するのって楽しそうだと思ったし、もし大学に行きたくなったら、社会人になってから行こうって思って。その方が、自分の本当に学びたいものに真摯になれると思って」

 ミミは社会人入試を念頭に置いているようだ。ただそれが何年後になるかは分からない。二十代で入試を受けるのか、それとも時折いる、六十代を越えてから人生の勉強に来るような人になるのか。

 ミミの人生をこうやって聞いていると、悪い選択肢ではないような気がした。そういうビジョンがあるなら、親御さんも就職や専門学校へ行くことも否定しないだろう。

 ミミの人生観が広くなったことは、僕に少しばかりの安堵を与えてくれた。こんな調子で人葉さんも自分の道を選んでくれれば、どれだけ嬉しいか。

 幸せにしたいという気持ち。

 もちろん、その一番先に立つのは神様さんだ。でも、僕の小さな手で、もし誰かを幸せに出来るのだったら、少しばかりの手伝いはしたい。ミミの笑う横顔を見て、僕はそんなことを朧気に考えていた。

「あーしかしこうなると一番落ちぶれるのは俺か」

 僕があれこれ考えている最中、野ノ崎が突然ぼやいた。何故そんなことを言い出したのか、全く分からない。僕はとりあえず友人として聞いてみることにした。

「なんだ、野ノ崎、志望校変えるのか」

「まあ、変えるかもしれないって話」

「どういうこと?」

「ほら、俺こう見えて遅刻ゼロ、校則違反ゼロの模範的生徒なわけだろ。そしたらちょっとランク低いけど、推薦あるぞって進路指導で言われてさ……」

 野ノ崎に推薦。それは正に青天の霹靂、驚嘆に値する。というか、この男辺りまで推薦が回ってくるこの学園の底力に少々驚かされた。

「でも今まで成績赤点だったじゃない」

「そこ。赤点時代の俺を知ってるから、親心働かせて赤点と模範的態度で相殺出来るとこに行けばってことになったんだよ」

 確かに話としては美味しい。しかし、今の野ノ崎なら、その辺りのランクの大学なら地力で合格出来るのではないかという疑念がわく。

 ただ推薦は早期かつ確実に合格の知らせが届く。それが大きな魅力なのは間違いない。

「田舎なの?」

「まあまあ都会。地方だけどな」

 野ノ崎は大きなため息を吐いた。田舎は嫌だ、そんな言い回しもこの推薦の話では何の障害にもならない。ただ、野ノ崎がこの街から少し離れたところに一人暮らしして、大学生ならではの生き方をしたいというのは、如実に伝わった。

 ここで下手なことを言うのは簡単だ。だが野ノ崎のことを思うと、あまり適当なことは言えない。僕は考えあぐね、結局黙っていた。

「一宏はいいよなー。成績いいし、もし仮に本命滑っても有名私立が滑り止め。そうでなくても浪人してもいいんだろ?」

「まあ、予備校生やってもいいとは聞いてる。僕はやりたくないけど、ただまあそういう経済力はあるっていうのかな」

「予備校かあ。俺も一年勝負かけてみるかね。どう思うよ、ミミ」

 と、野ノ崎は聞く一方だったミミに話を振った。ミミは頷いてばかりだったせいか、突然の言葉にびっくりしている。そりゃそうだろ。虚を突かれたようなものなんだから。

 ミミは顎に指を当て、必死に考え込む。その小動物的な生き様が、何とも微笑ましく見えた。

「野ノ崎君、最初から浪人覚悟なんて考えちゃ駄目だよ。やっぱり、現役で受かるのが一番」

「と、世間は言うけど、浪人してでもいい大学入った方が結果としちゃいい方向に転がることなんて多々あるしなあ……」

「野ノ崎、入ったところがお前の母校だ。よそと比較しても、惨めになるだけだぞ」

 僕がすっと言葉を入れると、野ノ崎はまた頭を抱えだした。

「あーお前はいいよな。ほとんどパーフェクトだから委員長にも一目置かれてるし」

「野ノ崎君、カズ君は多分二宮さんだと思うよ」

「えー? あの見た目とスタイルだけの陰キャと、誰とでも話合わせられる一宏が? ないない、絶対ない。二宮みたいな陰キャが一宏に接するなんてむりむり」

 こいつ、僕の恋人をどこまで侮辱すれば気が済むのか。顔面に数発拳を入れたあと、馬乗りになって更に数発殴ってやりたい気になったが、神様さんと僕が付き合ってることはまだほんのわずかにしか知られていない秘密だ。

 僕ははあ、と大きなため息を吐いて、野ノ崎を見た。

「野ノ崎から見て、二宮さんのいいとこって何」

「やっぱあの胸だよなあ。あれだけは価値がある。それであの陰気な雰囲気が消えればなあ」

「そうか、野ノ崎、よく分かった」

 僕が一言呟くと、野ノ崎は黙っていた。どうしたんだろう。僕は野ノ崎を見た。野ノ崎は何か恐ろしいものを見たかのように顔を強ばらせていた。

 ミミは苦笑している。もしかして、僕は無意識の内に、野ノ崎を徹底的に威圧するような口調で話していたのだろうか。特に胸のことを言われると異様に腹が立った。彼女の魅力の一つではあるが、関係のない野ノ崎に神様さんを性的な目で見られるのは異様にむかつく。しかも陰気な雰囲気というおまけまで付けてくれた。

 本人も悪気はないのだろうが、先日余計なことをしてきたことを委員長から注意されたばかりだろう。

「野ノ崎君は二宮さんと委員長さんだったらどっちがいいの?」

「いくらスタイル良くても二宮と話が合うわけないだろ。委員長だよ。スタイルはすらっとしてるし、顔も整ってる。社交的、頭もいい、二宮と比較にならない」

「そうか、野ノ崎、お前の言いたいことは分かった。お前は人を見る目が無い」

「……一宏、まだ二宮引きずってんのかよ」

「あの人は可愛いからね。僕は彼女にするなら下手に男にべたべたするような奴より、僕だけに尽くしてくれる陰キャの方がいい」

 自分でもかなりやけな口調で言い返した。野ノ崎はその僕の顔を見て、また唇を曲げた。

「今ので確信した。お前、まだ二宮と会ってんだな。あんだけ俺とか委員長が警告したのに」

「ああ、そうだよ。で、その警告は何の役に立った?」

「……まあ、そう言われると立つ瀬はない。でも一宏、お前さ、大学入ったらもっといい女なんて軽く捕まえられるんだぞ? どこで知り合ったのか知らないけど、お前と中退の二宮じゃ格が合わないって分かんねえのか?」

 格。

 僕は野ノ崎に失望した。僕が何者かは知らないが、そんな格なんて持てるような人間じゃない。ただ僕は、二宮双葉という女の子と知り合い、普通じゃない出来事を繰り返し、自然と恋に落ちた、それだけだ。そして、その思いが彼女に伝わり、僕に幸せな時間を与えてくれている。それを「警告」という意味の分からない言葉で振り回されるのは嫌だった。

「なあ野ノ崎、中退と復学って、そんな差があるものなのか」

「……そりゃ、あるだろ。最低でも高卒と、中卒なんだぞ」

「お前、前に右左に言ったよな。学校に行かなくても立派な人生送ってる人なんてたくさんいるって。あれ、嘘だったのか」

 僕が詰め寄るように問い掛けると、野ノ崎はしまったとばかりに黙り込んでしまった。

 僕と野ノ崎の間に、修復出来なさそうな溝が生まれつつある。それを何とか止めようとしたのは、もう一人の友人であるミミだった。

「野ノ崎君もカズ君もやめようよ!」

「ミミ……」

「ごめん、カズ君、私が二宮さんの名前出したからこんなことになって……でも、野ノ崎君の心配とかも分かってあげてほしかった」

 ミミは心底悔しそうに俯いていた。あのいつも笑っている姿しか見たことのないミミが、泣きそうになっている。

 その時、僕も野ノ崎も、自分達の言い合ったことの愚かさにようやく気付いた。

「野ノ崎君の印象が悪いのも分かるよ。あの人、クラスぐちゃぐちゃにして、誰とも接さなかったし。でも野ノ崎君、カズ君は私たちの知らない二宮さんを知ってるんだよ。そこを突いたっていつまで経っても平行線辿るだけだよ!」

 ミミの言葉で怒り一辺倒だった僕の頭が少し冷静になった。そうだ。高校に行ってた頃の二宮双葉と、今の神様さんは全く違う人だ。僕と出会って、過去を突っ切った強い人だということを僕は忘れていた。

「……駄目だな、あの人のことになると冷静さを欠く」

「……なあ、一宏、お前二宮と……」

「いいだろ、別に。人間触れられたくない話だってあるってことだ。悪い、夕食の材料買いに行かなきゃいけないんだ、じゃあな」

 と、僕は軽く笑って、駅の方へ走っていった。それは端から見れば逃げたようにしか見えないだろう。いや、僕は逃げた。野ノ崎と真正面からぶつかることから。野ノ崎にあの人と付き合ってると言えばそれで終わる話だったのに、話をややこしくしたのは僕だ。

 でも多分、ミミも野ノ崎も気付いただろう。気付いた上で、誰にも話さないだろう。あの二人は意外と義理堅い。

 神様さん。あなたが学校に来ないことで、僕はあなたと出会えました。

 あなたが陰キャと言われクラスの端で生活していた時期を僕は知りません。

 でも僕にとって、あなたが一番大切な人なのは何も変わらないんです。

 あなたの強さが、何よりもほしいです。

 僕は口を噤んだ。また、メイドカフェに行くか。

 僕は澄んだ空を見上げ、両腕を大きく仰いだ。

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