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3/20 幸せを突き抜けると何気ない日常生活も幸せに見える

 休日を挟んで数日経った学校の昼休み、僕は普段に帰ってミミや野ノ崎、そして右左と共に食事を取るため、食堂に移っていた。

「ねえ、カズ君、何かいいことあった?」

 ミミは席に着くなりそんなことを告げてきた。もちろん、いいことはあった。自分の人生の中でも屈指のいいことだと思う。

 ただ、まだこの面々に告げるのは早い気がする。僕はそうだね、と適当な相づちを打ってその言葉をやり過ごした。

「ま、何があったか知らねえけど、一宏、進路決めたか」

「大体は。この街に残ること前提にしたら結構絞れるんだよな」

「俺は一人暮ししたいな。やっぱこう、自分の人生で一番自由な時間って感じするじゃねえか」

「……野ノ崎、先に言っておくぞ。真面目にやらなきゃ一人暮しなんて留年の最たる原因になるからな」

 半一人暮し生活を送っていた僕からの、厳しいメッセージを聞いて、野ノ崎は黙り込んだ。そんな様子をミミは笑っていた。

 そう、僕が今日話をしたいのはミミだ。ミミも人葉さんと同じように進路に迷っている。そこの折り合いをつけたのか、それともまだ決めかねているのか聞きたかったのだ。

「ミミ、進路なんか決まった?」

「うーん……色々調べて可能性を考えたら色々あるんだなって分かったけど、分かった分戸惑うことが多くなっちゃった。大学受験するにも試験があるし、落ちたら結構大変だと思うし、それなら専門で頑張るのも手かなって思うし、就職もいいかなとか思うし……」

 駄目だ、以前より悪化している。特に大学受験で滑ることを考えたことなんて今までなかったのに、それが思考の一部に組み込まれているのがまずい。

「あの、三重さんは何か推薦とかないんですか?」

「私みたいな平凡な成績の子には推薦とかないんだよ、右左ちゃん」

 ミミは苦笑する。だが、ミミのように赤点も取らず、平均点付近を常に取れる人間なら行ける大学なんて選ばなければいくらでもある。

 以前も話をしていたが、ミミは学力面ではなく大学へ行くこと自体に悩みを抱いている。どこでもいい、それは親に迷惑をかけるだけだとミミは感じているのだろう。もはやメンタルの問題である。

 そういった家庭環境のことをあまり知らない右左は、ミミの考えが分からないとばかりに首を捻っていた。

「なあミミ、学費のこと考えてるんだったら、ちょっとランク落とした大学行けよ。そこで返済不要型の奨学金もらうとかさ、だったら親に迷惑かけなくて済むだろ、な?」

 野ノ崎はミミを大学受験組に組み込みたくて仕方ないのか、毎度のごとくミミに進学を促す。それが余計にプレッシャーになっているのか、ミミは薄笑いで俯くばかりだ。

 最近外は、雨に降られることが多くなった。残された時間は、そう多くない。

「ミミ、うちにはないけど、よその学校の有名野球部とか見てみろよ。夏が終わって、プロ行きます、社会人野球に進みます、進学しますだぞ? 夏が終わってからだぞ? まだ急いで決めるには早すぎるって」

 いや、それは相手が特殊すぎるだろう。僕は突っ込むことも馬鹿らしくなり黙って野ノ崎を見た。ミミはそもそも部活に入っていない。そもそもそんなところを進路指導において考慮してくれるはずもないのだ。

 あまり聞きたくはなかったが、この方向性も聞いてみるか。僕は野ノ崎が一通り喋り終わってから、静かにミミに訊ねた。

「なあミミ、専門学校行くとして、どんなとこ行きたい?」

「えっとね、服飾とか行きたいなって思って。美大生の人達には勝てないけど、服飾のデザインとか、裁縫とか、そういうのいいなって思ってる」

 その一言を話すミミは笑顔だった。何にもやりたいことがないわけではない。ただ、大学で手堅く四年を修めて就職するか、専門に行って、実は本当にやりたかったことをやっていくのかミミ自身が一番迷っていることなのだろう。

「野ノ崎、聞いたか。これがミミの考えてることだ」

「でも俺は大学行った方がいいと思うんだよなあ」

「野ノ崎、一つだけ聞く。お前、高卒就職のメリットデメリット、専門卒のメリットデメリット、全部知ってものを言ってるんだよな」

 僕の言葉は、冷たさの感じられるものだった。野ノ崎の大学に行けという思いが分からないわけではない。だがそれはいつしか野ノ崎が言ったような「どんな人生を歩んでも立派にやっている人はいる」という言葉と反しているからだ。

 あの言葉を告げた野ノ崎は、僕の目から見ても輝いていた。なのに、今、凝り固まった未来を押しつけようとする野ノ崎は格好悪いを通りこえてやや不愉快だ。

 だがそんな僕達のとげとげした感情を取り除いたのも、やはりミミだった。

「野ノ崎君、ありがとう。あとカズ君も。カズ君、野ノ崎君をあまり責めないでほしいな」

「……ミミ」

「野ノ崎君は私のこと、割と本気で考えてくれてる。あれなんだよね、高卒の生涯賃金と大卒の生涯賃金ってかなり違うって先生に言われた。そこに魅力は感じないけど、大学でしか経験出来ないこともいっぱいあるのも知ってる。だから、こんなに悩んでるんだ」

 ミミは野ノ崎の言葉を肯定した。僕は唇を結び、野ノ崎に目をやった。

「一宏、俺はお前だって気にしてるんだぞ」

「僕のこと?」

「そう。お前、浪人覚悟すりゃ医学部だって狙えるじゃねえか」

「医者になりたいとかそういう夢はない」

「そうじゃなくて、今のお前、自分で自分の可能性を狭めてるんだよ。それを一番苦痛に感じてるの、多分お前の妹だぞ」

 野ノ崎に言われ、僕は右左を見た。右左は野ノ崎の言葉を肯定するように、僕から目を逸らすように俯いていた。

 僕はこの街に残りたい。だが右左は、僕に自由な大学生活を送ってほしいと願っている。

 僕がこの街にいたい理由はただ一つ、恋人になった神様さんと一緒の時間を紡いでいきたいからだ。それが叶わないなんて、自分の人生を投げ捨てたのと同じだ。

 ただ、このことはまだ誰にも言っていない。だからこそ、ややこしい話になっているのだと頭では分かる。

「野ノ崎、気持ちはありがたいがお前に進路を決めさせられるほど何にも考えてないわけじゃない」

「……一宏、俺だってこんなこと言いたかねえよ。でもな、大切な友人が、ベストを尽くして終われないなんて、自分がベスト尽くせないより辛いこともあるって分かってくれよ」

 野ノ崎は口げんかを仕掛けてくると思っていた。だが掛けてきた言葉は、僕を必死に思ってくれる、親友の野ノ崎の姿だった。

 ベストが何かは分かる。でも、僕は先日、ようやく自分の虚無から解放してくれる唯一の人と繋がれたのだ。それを振りほどくのがどれほど意味のないことか。

 僕が神様さんと恋人になったからこの思考に行き着いた、なんて言ったら野ノ崎だけでなく右左もミミも色々呆れるだろうな。また言う機会を逸した。僕は弁当箱を開け、食事を取りだした。

「ねえ、右左ちゃんはどこか進学先とか決めてる?」

 ミミは空気を変えたかったのか、右左に質問する。右左は少し考え込んだあと、そうですね、と返答した。

「私は特にないです。三年の時に、行ける成績のところに行けたらいいかなって」

「一宏、あれだな、三年まで試験ずっと九割五分とか取り続けたらヤバいことになるんじゃねのか?」

「そんな奴見たことないから分からない。右左だってその内調子を落とすよ。……ていうか、落としておいた方がいい。今のままの状況だといつか苦労する時が来る。だから、僕は右左に手を抜くことも覚えてほしいんだ」

 手抜き、そんな言葉を知らない右左は僕の顔を信じられないといった驚きの面持ちで見つめていた。

 理想の兄としてはよくない話なのだろう。だが、右左がどこかで息切れする前に僕は止めておきたかった。

 ――それでも、右左は、僕の知っている楠木右左ではなくなっていた。

「兄さんに口答えするような風に聞こえるかもしれないですけど、私、それでも試験頑張り続けます」

「右左……」

「私、逃げてた時間が長かったんです。だから、今度は逃げずに、自分の限界と戦おうと思うんです。比べちゃいけないですけど、ランナーとかそういう、自分を追い込める人って凄いし私も見習いたいんです、自分を追い込むことに」

 右左の声の力強さから感じるそれは、本気で自分と戦っていく決意を固めたものだ。僕が何度制止しても、きっと聞かない。

 それを強さを身につけたと取るか、無謀だと取るか、人それぞれだろう。でも僕は、右左がそこまでの決意を持って挑むなら、もう止める必要はないという考えを幾ばくか植え付けられた。

「右左ちゃん、そこまで気負わなくて大丈夫。右左ちゃんにはカズ君だけじゃなくて、私たちもいるから」

「ま、一宏と違って俺達が何の役に立てるかは知らないけどな。それでも何か力貸してほしいってなったら手ぇ貸してやるよ」

 優しい言葉で包むミミ。ぶっきらぼうで愛想のない声を発する野ノ崎。でも二人とも、右左を守ろうとする思いは本物だ。

 だから、僕も信じなければならない。これから先の右左が進む道を。

 あとはミミが自分の道を決められればいいのだが。人葉さんの悩みと被っている分、ミミが解決出来れば人葉さんも解決が出来ると甘い考えをしたのがまずかったのだろうか。

「ミミ」

「ん? カズ君、どうかした?」

「ミミ、なんかやってみたいとか夢とかないの。そういうのがあれば進路とか決めやすいと思うんだけど」

 我ながらうまい誘導だ。ミミもこう言われれば自分の進路、そして夢の思い浮かべ方を出すに違いない。

 ミミはしばらく考えた後、にこっと笑った。

「街角で、笑顔でいられる人」

 分からなかった。受け付けないとかそういう問題ではなく、抽象的すぎてまったく意味が分からなかった。

 ただミミはそこにビジョンを持っているのだろう、穏やかな声で僕に答えた。

「街角でパン屋さんやって笑ってるのもいいし、会社に行こうと思って今日いいことあるかなって笑顔になってるのでもいいし。笑ってない自分は、自分じゃないから」

 そのミミの言葉に、僕だけではなく、右左も、野ノ崎も黙り込んでいた。

 ミミはやっぱり強い。普通の人間が普通に歩む、それがどれだけ難しいかをミミはいつも教えてくれる。

 でも、ミミの言ったことで、僕は「夢を追うこと」が何か少しだけ分かったような気がした。

 目標もなく、大学は決めても進む学部すら決めてない僕が、何を偉そうに言えるのだろう。それを思うと、少しだけ自分自身が空しく思えた。

 でも、その思いが走ると同時に、先日の神様さんが涙を流してまで喜んでくれたことを思い出す。そう、僕は一人じゃない。彼女を守るために一生懸命生きなきゃいけないんだ。今までならずっと自分を支配していた弱さが、一瞬にして消え失せるのが心地よかった。

「ミミ、ありがとう。なんか迷ってたことが少しだけ晴れた」

「……カズ君が?」

「僕にも色々あるってことだよ」

 僕が笑うとさっきまで難しい顔をしていた野ノ崎も笑った。そして相変わらずのうどんをかきこみながら、僕の進路について突いてきた。

「一宏は日文ってよりも英文とかなんか違う国の文学やってる方が似合いそうだな。一つに集中して研究しなきゃいけないわけだし」

「いや……まあ興味がないことはないけど」

「まあ全ては進路決めて、その後合格して、そこから先か。俺も頑張るぞー!」

 と、野ノ崎は体を伸ばして笑顔を見せた。右左はそんな野ノ崎の姿を見て笑っていた。

 神様さんと結ばれてから、まだ劇的なことは一つも起こってないけれど、僕の人生が少しずつ変わっている気はした。

 どんな道に転ぶか分からないけれど、神様さんの側に最後までいられますように。雨の降る外、雲を突き抜けた先にある太陽という一番輝く星に僕は強く強く願いを込めた。

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