3/19 好きで、やっぱりどうしようもないくらい好きで
しばらくして、彼女が店の裏口から出てきた。
「お待たせ」
「大丈夫、待ってない」
僕の声は震えていた。その緊張感に彼女も気付いたのだろう、本気で心配そうな目線を寄こしてきた。
「ねえ……本当に今日大丈夫なの?」
「大丈夫。ただ、ちょっと神様さんを送っていきたい」
「送るって何処まで?」
「神様さんの家のあるところの、駅まで。ここ、メイドカフェのお客さんがいつ通るか分からないしね」
僕の言っている事がいまいち要領を得ないせいか、神様さんは首を捻り続けている。それでも短くない間に培った関係が、彼女に「いいよ」と笑顔で言わせていた。
彼女は色々話す。この間見た猫のこと、散歩中の犬が可愛かったこと。僕に勧めたライトノベルの新刊が出たという話。
僕も相づちを打ちながら、返事をするが、会話の中身はほとんど脳に残らない。思考のまとまらないこの状況で、ここから先どうなるんだろうと潰されそうだった。
「じゃあ電車に乗ろうか」
「あ、ああ。ちょっと待って、切符買う」
そして僕は切符を買って改札をくぐり抜けた。目的地は彼女の家のある駅。そこで、僕の思いを吐露しよう。
たとえ結ばれなくても、それはそれで、一つのよい思い出になるだろうか。いやにネガティブな感情が次々と過ぎる。
僕達は列車に乗る。でも、神様さんの明るく話す姿以外、言葉はない。僕はずっと、神様さんの言うことを聞きながら、そうだね、とかうん、と軽い返事を寄こした。ただ具体的な返答は出来ず、彼女の目をなるべく見ないようにしていた。今日の告白、うまくいくだろうか。そんな思いばかりが先行して、己の中にある恐怖心にただただ怯えていた。
十分もした頃だろうか、電車は駅に着いた。神様さんは改札を潜って、駅の出入り口に向かう。
僕も同じように改札をくぐり、彼女の隣に付いた。
遂に来た。もう逃げられない。でもこの瞬間はいつか乗り越えなきゃいけないことだったんだ。僕はぐっと奥歯を噛んで、彼女の側についた。
「せっかくここまで来たんだからマンションまで来ればいいのに。お母さんとお姉ちゃんいると思うけど」
「ここで話すよ」
「話す……? 何かそんな用があったの?」
彼女は当惑したような顔つきで僕を真っ直ぐ見てくる。僕は一度頷き、深呼吸をしてから、彼女と向かい合った。
「あの、神様さん、今日は少し重要な用事があってここまで来たんだ」
「どうしたの急に……不安になるようなこと言わないでよ」
神様さんは眉間に皺を寄せ、僕を疑わしそうに見てくる。この嫌な空気よ、早く晴れてくれ。僕は天に祈るような気持ちで、言葉を続けた。
「この間、二年の子が身を引いたんだ。僕が好きになってくれないって分かってるって。それを見てた委員長が、神様さんのこと、言ってきた」
委員長が言った。そのことで彼女の体が少し硬直したのが分かった。
僕はぐっと息を飲み込み、彼女にゆっくり、慎重に言葉を選びながら話しかけた。
「僕はクヌギの精霊に愛されてるから神様さんに認識してもらえる。でも、それと神様さんが僕とどういう関係でいたいかっていうのは、別だってその時思った」
「……えっとどうかした?」
「もしかしたら、神様さんに好きな人がいるかもしれない。それどころか、小さい頃に神様さんが僕の知らない誰かに初恋をしたってだけでも、今の僕なら凄く嫉妬すると思う」
僕の声は、いつもより重苦しかった。でも、嘘は一つもない。神様さんは何も言わず、驚いたように僕の目を見つめていた。
「ここから先が、今日、僕が言いたいことなんだ。僕もしっかり言う。だから神様さんもしっかり聞いてほしい」
「……分かった」
「神様さん、今までこの言葉から逃げてたけど、ようやく言わなきゃっていう決心が付いた」
僕は彼女の何か信じられないようなものを見るような瞳をじっと捉える。彼女は言葉を失ったまま、僕を見つめ返していた。
最後の気合い。息を飲み込み、僕は一気呵成に思いの丈をぶちまけた。
「僕は、神様さんとしてのあなたも、二宮双葉というあなたも、どちらも好きです。恋をしています。あなたと付き合うっていうことが、この街に来てから、ずっと僕の生きるモチベーションになっていました。お願いです、付き合って下さい」
僕は深々と頭を下げた。神様さんの顔なんて見えない。
僕は言葉を待った。でも、神様さんからの声は聞こえない。
振られたのかな……僕は諦めた調子で顔を上げ、彼女を見た。
目の前に映った光景に、僕は言葉を失っていた。
彼女は泣いていた。
ぼろぼろと目から雫をいくつも垂らして、端正な顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「神様さん……?」
僕は不安の入り交じった声で彼女に訊ねる。すると彼女は、泣き声の混じった不明瞭な声で僕にぶつけるように言葉を返した。
「それ……嘘じゃないよね……?」
「う、うん。僕が君のことを好きなのは、本当だよ。……好きっていうより、自分の人生の中に組み込みたいって思ってるくらい」
と、彼女の涙の意味が分からず焦る僕が言うと、彼女は更に嗚咽を上げて泣き始めた。周りを行くサラリーマン達が、泣いている彼女となだめる僕を横目で見てくる。でも神様さんはそんなのを気にせず、ずっと泣いていた。
「やっと、思い通じた。やっと、やっと私のきみが好きっていう気持ち、通じた……!」
「え……?」
「私、ずっと好きだった。きみのこと。始めて知り合った頃はこんな思い抱えるなんて思ってなかった。でも、段々と意識するようになって、きみのこと、切り離せないくらい好きになってた。初恋なんて叶わないなんてよく言うでしょ。だから、無理かもって不安がいつもあって、私が弱かったから全然言い出せなかった。私は……きみのこと、愛してるよ」
彼女は泣きながら、僕の胸にしなだれかかった。僕はそれを受け止めながら、その言葉が夢のようなものではないかと思っていた。
信じられない。僕が一番好きでいたいと思っていた人が、僕のことを好きでいてくれたということ。
可愛いからとか、スタイルがいいからとか、そんな言葉で野ノ崎は神様さんを評した。でも僕は彼女のその表層的な部分をあまり気にしたことがなくて、ただ色々話していた時に温かく包んでくれる優しさに、心を動かされていた。
気持ちが昂ぶる。僕は彼女を少しだけ抱きしめ、うん、と一言呟いた。
「きみの周りに色んな素敵な子がいて、私なんて好きになってもらえないって思ってた……。 でもいつも、きみに好きでいてもらえる子になるにはどうすればいいか考えてた。ようやく、ようやく願いの一つ、叶った……!」
「神様さんの願いは……僕と恋人になることだったんだね。ごめん、こんな遅くになっちゃって」
「ノートに書いてるメモに、まだ十パーセントって書いてたのに、今日で一気に百パーセントになった……こんな嬉しいこと、他にない……」
と、彼女は自分の思いの丈を告げると、また激しく涙を流し出した。
ずっと一人きりだった少女。孤独で誰からも理解されなかった。その彼女のことを理解出来る僕という存在が現れたことで、彼女は自分の世界を広げていった。その苦しい時間が喜びの感情と交ざって、彼女にこれほどまでの涙を流させているのだろう。
僕は改めて、彼女を好きになって良かったと思った。
「神様さん、もう一回言うね。僕はあなたと恋人として付き合いたいです。頼りないし情けないところもいっぱいあります。それでも僕と付き合ってくれますか?」
「はい、私もあなたのことが好きです。これから、よろしくお願いいたします」
彼女は顔を上げ、真っ赤になった目で笑顔を作って、僕に確かな声で答えた。
「何かこんな他人行儀で話すの、変な感じがするね」
「そうかも。でも、嬉しいな、きみと恋人になれたこと」
「夢、叶って良かったね。……本当は僕の方が嬉しいけど」
「夢はね、まだもう一つの方が叶ってないから、やることは色々あるんだ。でも、そのもう一つの方も、きみが一緒にいてくれるってなったから、少し前に進んだかも」
彼女の涙混じりのはにかみが、とてつもなく愛おしい。たった一言言って、お互いの感情を確認し合っただけなのに、何故か今までと違う感覚になれた。これが恋人同士になることだと、自分の人生の虚無から、ようやく解放された気がした。
「神様さんは可愛いな」
「な、なにいきなり言ってるの」
「そのままの意味だよ。ルックスも可愛いし、精神的な部分も可愛い。……神様さんに振られるかもと思って、気持ちがぐらぐらしてたけど、ようやく落ち着いてきた」
僕の笑顔を見て、神様さんはほっとしたのか、優しく微笑んだ。
「知り合って半年以上経つけど、始めて会った時、こんな関係になるなんて思ってなかった。自分の人生に引っ掛かる人だとは思ったけど、きみ、下らない冗談ばっかり言ってたから」
「あの頃は……まあね。今はもう、冗談言う気にはならないよ。妹には悪いけど、神様さんが僕にとって一番大切な人だから」
「またそう言う。でも、私も世界で一番きみのこと、好きだよ」
お互いに同じようなことを言って微笑みあう。こんな単純なことが、今まで出来なかった。それを思うと、この状況は幸せそのものだった。
この思いが一生涯続きますように。僕は夕焼けの中に溶けた薄い月に願いを込めた。
「……そ、その、恋人……なんだよね、私たち」
「そうだよ。その響きに照れてるとか?」
「えっと……その、やっぱり恋人同士になったらその内色んなことしちゃうのかな……って」
神様さんの衝撃的な発言に、僕は思わず押し黙った。純朴で何も知らなさそうな彼女の口からそういう「欲求」に似たものが発せられたのは、正直驚きであった。
でも、無理にする必要もないけど、避ける必要もない。僕は神様さんの遊んでないある意味純真な部分を見て、晴れ渡る空を思い出した。
「したい?」
「……あ、あの、言葉のあやで出ただけだから気にしないで!」
「僕はしたいけどね。機会があればっていう但し書きは付くけど」
「……そうだね。きみがそういう性格の人で良かった。私も機会があればそれでいいと思う。今は、恋人としてゆっくりお互いを尊重し合おう」
彼女の提案に僕は大きく頷いた。そう、僕達は恋人一年生だ。まだ何も知らない。そこからどんな空気になっていくのかも分からない。時には喧嘩もするかもしれない。
でも最後は一緒になって笑っていたい。それが、僕が神様さんに出会えた本当の運命だったと思うから。
父と母に振り回されて、妹の面倒を見るために帰ってきた街。そこで知り合った人と、ずっとずっといたいなんて、この街に帰ってくる前の僕なら信じなかっただろう。いや、今でも信じられないくらいだ。
でも、この心の中にある温かさは本物で、神様さんの笑顔を思い浮かべる度に幸福な思いになれる。
これからどんな日々を過ごすんだろう。僕は神様さんをゆっくり振りほどき、向き合った。家に帰って夕食を作らなきゃいけない。名残惜しいけど、今日はここまでだ。
「神様さん、また電話とかメールとかするよ」
「うん! あの、また店に来てね。店の中で恋人みたいなことは出来ないけど、他のお客さんよりも一生懸命もてなすから!」
「分かった!」
そして僕は、手を振って、駅の二階にある券売機の方へ歩き出した。
その一歩は、僕と神様さんのこれからを示すようで、強く強く踏みしめていきたいと思えた。
未来はまだ分からない。おぼろ気な想像でしかこれから先を予想出来ないけど、今、とても満たされた気分になっていたのは事実だった。
家に帰って、右左にどんなことを言われるだろう。今日は魚にしておくか。僕は自分に笑いかけながら、まだ明るい空に飲み込まれながら、家路に向かって歩き出した。




