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3/14 努力はいつか結実する、はず

 中間試験が終わって一週間。僕と右左、そして野ノ崎とミミといういつもの顔ぶれは、この昼時にいつもと変わらず学食にあった。

「まあ、俺もやれば出来る男ということよ」

 野ノ崎が自慢げに言う。それを見たミミは苦笑していた。

「赤点の常連の野ノ崎君が、真ん中まで行くなんて凄いね」

「この調子で行けば、進路指導もうるさく言えないだろ。そう思うだろ、一宏」

「いや……それは知らない。次が駄目ならまた元に戻るだけだし」

 僕が淡々と呟くと、野ノ崎は面白くなさそうに横を向いた。

 とはいえ、野ノ崎の試験の結果は奇跡のようなものだった。毎度毎度、赤点を取っては補習を受けていた男が、補習の要らない中間層まで達したのだから、、それは見事と言うべきなのである。あるのだが、この男が目指している大学に行くにはまだ少しギャンブル要素が強い部分もあり、手放しで喜ぶことは出来なかった。

「でも凄いね、カズ君と右左ちゃん」

「私はその……試験対策をしっかりしてましたから。兄さんの方が凄いと思います」

 と、右左は僕を立ててくる。が、僕はそれを笑ってやり過ごしていた。

 僕は相変わらずの八割得点で、学年総合一位を取れた。右左は右左で、気合いを入れた試験対策が功を奏し、またもや九割五分で学年総合一位の座を手中に収めた。

 僕と右左の名字が違うため、僕達が兄妹であるということを知らない生徒も多いが、知っている人間は驚きの目で僕達を見ていた。

 僕は自分の成績はまぐれだとしか思っていないが、右左は確かな努力に裏打ちされた実力で勝ち取った栄誉だ。もはや誰も、右左が一年のブランクのある少女だとか思っていない、それは時折見に行く一年の教室の風景から如実に感じられた。

「右左ちゃん凄いよね。成績トップで男子からの人気も高いし」

「休学してたのが嘘みたいに愛想いいもんな。そりゃそこらの男子がかすかな希望を持つのもしゃーないって思うけど」

 と、野ノ崎のあくび混じりの言葉を聞きながら、僕はそうかもしれない、と思った。

 右左は拒絶しない。本人としては拒絶しているつもりなのだが、考えさせて下さいとか、今はちょっと他の事を考えてるんですとか、そういう濁した言葉で逃げるため、男子に振られたとかそういう意識を持たせないのだ。

 しかし、代わり映えのしない光景だ。この調子で続く一年。そうなると、僕は求めているものをみすみす手放すことになる。

 手に入れたい、どうしても。それが分かっているのに、自分の勇気のなさに段々嫌気を覚えてきたところだ。

「あら、まだいたんだ」

 考え込む僕に、くすりと微笑の混じった声が聞こえた。そこに立っていたのは、小さな弁当箱を持った委員長だった。

「あ、生徒会長さんだ、こんにちは」

「えっと……三重さんだっけ、こんにちは。あまり話したこと、なかったんじゃない?」

「えへへ、話すの初めてです、初めまして」

「初めまして。ということは、そっちの人が、塚田君の友達の野ノ崎君?」

「あ、は、はい。ど、どうも初めまして」

 野ノ崎は上ずった声で笑顔を作る。普段僕にどうこうしろだのせっついてくる姿はどこへ行った。そう言いたくなるような無様さに、僕は呆れを通りこえて野ノ崎らしさというものを覚えた。

 僕が困った顔で野ノ崎を見ていると、僕の隣にいた右左が、委員長に頭を下げた。

「生徒会長さんですよね、あの、私がここに戻る時にお世話になったこと、兄から聞いています。ありがとうございました」

「ふふ、あなたが塚田君の妹さんね。一度話してみたかったんだけど、生徒会の仕事が忙しくて、そういうの、なかなか出来なかった。試験も一旦終わったし、話せる機会があるの、凄く嬉しい」

 と、彼女は近くの席を引き、いわゆるお誕生日席と呼ばれる、向かいと向かいの間にある角に椅子を置き座った。

 彼女は席に着くと頬杖を突きながら右左を見ていた。その一方で野ノ崎は普段の軽口が嘘のようにガチガチに固まって、向かいの右左にじっと視線を向けていた。恐らく、視線を向けていてもろくに映像情報として認識はしていないだろうが。

「凄かったわね、試験。あんな点数取ってくれる子がいるの、学校としては嬉しいみたいよ」

「……まだ、努力が足りないです。答案が返ってきた時、分からない問題じゃなかったなあって思って」

「向上心を持つことはいいことだと思うけど、はりきりすぎも良くないわよ。入試なんて六、七割取れればそれで合格なんだから」

「まあ、この学校特進コースとかないから、右左も困ってるんだと思うよ。とはいえ、休学してたのが嘘みたいに試験の結果にこだわってるのは僕もびっくりしてるんだけど」

 と、僕がぼやくと隣にいる右左は僕の顔を真横から見つめてきた。

「出る範囲があらかじめ分かってる学校の試験をきちんと取れなくて、入試でいい成績を取れるなんて思ってないです」

「それはそうなんだけど……右左の目標がちょっと僕には分かんないんだよな」

「……私は部活もしてないし、一年休学もしてました。だから、せめて試験くらいはいい点数を取りたいって思うんです。ちょっとおかしいって、自分でも分かってるんですけど」

 と、右左は悲哀を帯びた声で、静かに答えた。

 委員長はどう返答するだろう。僕はその様子をあえて黙ったまま見つめていた。すると委員長は、僕に散々見せてきたあの柔らかな顔で、右左に呟いた。

「別に、いいんじゃないかな」

「え……?」

「だってすぐ側に塚田君っていう凄く手本になって、高い壁がいるわけじゃない。それを目の当たりにしてたら、少し焦るのも無理はないと思う。でもね、一つだけ忘れないで。あなたはあなた、楠木右左さんだから。自分のペースっていうのも、いつか掴んで」

 なるほど、そう答えたか。右左はそれを聞くと自分の中で張り詰めていたものが少し解けたのか、ふうと息を吐いて、ありがとうございますと答えた。

「いや、さすが生徒会長。一年のフォローも完璧だ」

「野ノ崎君だっけ」

「はい、何か?」

「あなた去年、私と塚田君の教室に来て色々覗き込んでたけど、どういうつもり?」

 やっぱりバレてたぞ野ノ崎。この窮地は野ノ崎自身が招いたものだ。僕は助けるつもりもなくその様子を窺っていた。

 いやーとかあのーとか何とか延ばそうと野ノ崎は誤魔化しをするが、委員長はそれを許そうとせず、じっと厳しい目で野ノ崎を見つめる。

「あ、あの」

「……楠木さん、どうかしたの?」

「その、私……中学の頃から、一人のことが多かったんです。だから、今こうやってたくさんの人と一緒のテーブルを囲んで、下らない話をしてるのが、凄く新鮮で嬉しいんです」

 右左は、委員長と野ノ崎を交互に見て、笑顔を見せた。すると委員長は、野ノ崎に見せていた恫喝するような視線を解き、右左にくすりと微笑んだ。

「大丈夫よ」

「……大丈夫、ですか」

「たとえ、塚田君が今年一年であなたと一緒に登校することが出来なくなっても、あなたの周りには人が集まる。あなたの笑顔を見たいって人がたくさんいる。だから、それを信じて」

 委員長の言葉に、右左は笑顔を見せていた。でも、その目には、何故だか涙がにじみ出ていて、右左のこれまでを教えているように見えた。

 どうしてこんな優しい言葉をかけられる人が、神様さんとはぶつかったのだろうか。相性か、それとも人を何かで格付けしているのか。その根底に流れるものが何かは分からないが、もやもやとしたものが過ぎったのは確かだった。

 僕が黙り込んでいると、さっきから硬直したままだった野ノ崎が、急に明るいトーンで声を張り上げていた。

「いや、さすが生徒会長! 人の心のほぐし方が分かってる!」

「……野ノ崎君、あなた私に何を言いたいわけ?」

「い、いや、流石だな……と言いたいだけで……」

「ありがとう。でもあなたが私の周りでうろうろしてたの、あまり感じは良くなかったわよ」

 彼女に指摘され、野ノ崎は「はい」と小さな声で答えた。そうか、こいつこの反応を打ち消したかったのか。今更そんなこと出来るわけないだろ。お前に出来るのは必死に委員長から遠ざかって彼女の反応圏外に向かうことだけだ。そりゃこの小物の性格じゃどれだけビジュアルが良くてもモテないよ、野ノ崎。

 委員長の冷たい視線、そしてそれを向けられた野ノ崎の縮こまる姿に、右左は当惑したような目を僕に向けてきた。僕だって知らないよこんなこと。

「ま、まあ二人とも、せっかく知り合ったんだから仲良くしよう? 私ね、委員長さん……生徒会長さんの方がいいのかな、仲良くなりたいって思ってたし」

「三重さんは本当にいい人ね。野ノ崎君も、変な勘ぐり入れたりしないんだったら仲良くしたいけど」

「だ、大丈夫ですよ! そりゃ生徒会長の仰ることですから!」

 だからそれが駄目なんだって何で分からない。

 とはいえ、彼女もどこかで漏れ聞いていたのだろう。野ノ崎が先頭に立って僕と委員長のありもしない噂を散々垂れ流していたのを。僕の耳に入るのだ、委員長の耳に入らないわけがない。それをやめれば普通に接する、ということだ。

 もっとも彼女は野ノ崎の必死さにもはや呆れしか覚えないのか、そうね、と軽くいなして僕に目を向けた。

「私もいい点数取りたかったんだけど、やっぱり無理ね」

「委員長はどれくらいだっけ」

「順位的には十六番。たまにはあなたを追い抜かしたいって気持ちもあるんだけど、なかなか難しいわ」

 彼女は微苦笑を交えながら今回の試験について語る。彼女が努力して僕を追い抜かすことには大賛成なのだが、僕が勝手に転がり落ちて抜かされるのは間抜けそのものでしかない。

 僕も努力を継続し続ける。彼女の努力がいずれ報われますように。僕は心の中で静かに祈った。

「そ、その生徒会長はどこか進学希望とか……」

「野ノ崎君、別に無理して敬語とか使わなくていいから」

「……悪い。何かどこか行きたい大学とかあるわけ?」

 野ノ崎が改めて問いただすと、彼女は小首を傾げ、そうね、と答えた。

「今のところは、目標としてるところと滑り止めの両方を考えてる」

「あの、生徒会長さんは学費とかそういう心配はないんですか?」

 右左の問い掛けに委員長は口元を緩め、柔らかな口調を見せた。

「幸いにしてそういう心配のある家ではないわね。ただ私、語学力の問題なんかで留学は厳しいと思ってるけど」

 と、委員長がジョークを飛ばすと、右左はそれを本気の言葉と受け止めたのか、真剣そうにじっと見つめていた。

「一宏妹は留学とかしてみたいわけ?」

「私はそういう目標とかはないです。大学も、ほどほどでいいかなって思ってますし」

「ならなんで試験に必死になってるんだよ、意味分かんねえ」

 敬語の解除を許された野ノ崎が早速悪態を飛ばす。右左もそれには困るのか、そうですね、と小さな声で呟いた。

 黙り込む右左に助け船を出したのは、野ノ崎ととことん相性の悪そうな委員長だった。

「あのね、野ノ崎君。学校の試験をこなすこと、それと入試に余裕を持って合格すること、それは両立すると思わない?」

「……確かに」

「ここで一番を取れば、全国どこの大学でも合格出来るっていう卒業生の進路のデータ自体はあるわ。ただ、それを楠木さんが求めているかどうか、それは別問題じゃない?」

 委員長のやや苛立ったような声に、野ノ崎は縮み込んだ。

 割にきつい言われようをしているが、そもそもこんな感情にさせたのは野ノ崎がいい加減なことを言って、委員長の周りでふらふら見回っていたからだ。お前が悪い。そう言いたくもあったが流石に今の野ノ崎には酷な一言で、僕は何も言わず空になった弁当箱を閉じた。

「まあ野ノ崎、他人の受験の心配する前に、自分の心配しろってことだよ」

「まあなあ……中間期末取れたからって入試通るかどうか完全に別問題だしな……」

「そうそう。野ノ崎君、頑張って!」

 と、いつの間にか話は野ノ崎を励ます会に変わっていた。

 そうこう話している間に、チャイムが鳴った。僕としては、野ノ崎や右左のこれからよりも、進路を未だに決めかねているミミのこれからについて聞きたかったのだが、タイミング悪くそれを訊ねることが出来なかった。

 ミミの進路、そして人葉さんの進路。成績は違っても、迷っている方向は同じだ。人葉さんへの提案のために、ミミに色々聞いてみたかったのだが、今日はうまくいかなかった。出来ればまた今度聞ければいいのだが。

 緑陽の季節。日差しのきつさが、夏が徐々に近づいている様を僕の閉じた瞼に教えていた。

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