3/13 月を照らし出した太陽(下)
「何してるんですか」
「好きな人に会いに来るのに理由とかいる?」
「……それを言われると、僕はもう反論出来なくなるんですが」
彼女はしてやったりという顔で僕の頬を人差し指で突く。彼女はくすっと笑っていつものように僕の腕に自分の腕を絡ませた。
「テスト期間たまたまちょっと被ってたから、ここにふらっと来てみたんだけど、運良く会えた。まああとちょっとタイミングを間違えると、もう一人の女性と鉢合わせになったけど」
「……それ分かってるなら自重して下さいよ」
僕が呆れたように言うと、人葉さんはいつもの小悪魔的ないたずらっぽい笑顔を浮かべる。どうやらからかいたい性分が出てきたらしい。
「しかし、そこそこ美人とは聞いてたけど、確かに美人だね、委員長さん」
「そこに色々ややこしい噂がついて回るのが面倒なんですけどね」
「君が面倒に思いそうなのも仕方ないかなって思う。美人だけど、可愛いって感じじゃないし結構性格きつそう」
そこを気にしたことはあまりなかったのだが、彼女から見て、委員長はややこしい人らしい。あなたの方がよほどややこしい性格なんですけどね、そう言うのは少しはばかられて、僕は黙り通した。
「テストは上々?」
「分かんないです。毎回テスト期間中はその答えしか返さないって委員長に指摘されました」
「確かに君はうかつな発言をして墓穴を掘るタイプではないな。ただ墓穴を掘らない代わりに勇気を持つこともなかなかない。それがうまくいくか失敗するか」
彼女は僕の目を下から覗き込んだ。言いたいことは大体分かる。僕が神様さんに対して取っている姿が、そう見えるのだろう。
「仮の話」
人葉さんは一拍置いて、呟いた。何事か。僕は彼女をじっと見る。
「双葉が君のことを今現在好きとして、君はどう出る」
「……難しいですね。自分から切り出す姿も……何か想像出来ないですし」
「だろうね。一ついいことを教えてあげよう。双葉は引っ込み思案で、地は暗い性格。あの子もはっきり何か言うことに怯えてるとこあるんだよね。ま、今の双葉にはあまり関係のないことだと思うけど」
と、彼女は笑って僕にしなだれかかった。
神様さんがたとえ僕のことを好きだとしても、それを自分から言い出す可能性はほとんどない。そして、勇気のない僕は彼女が離れてしまうのを恐れて、自分から言い出すことはきっとない。
それが示すのは、遠くない内に訪れる恋の終わりだ。
「双葉にかまけるのもいいけど、私も忘れないでよ」
「忘れてないです。……まあ、難しいとは思いますけど」
「そうだね、君は後輩が言い寄っても委員長がほのめかしても、私がド直球の告白しても何となくやり過ごすもんね」
彼女の言葉にはっきりと怒りの節が見て取れる。いや、それは……と釈明しようかとも思ったが、言ったところで今の僕の何となく空ろな気持ちが晴れるわけでもない。
僕は頭を一度だけ下げ、そのままスーパーへ入った。
「こんな話してても何だし、楽しい話しようか」
「何ですか?」
「二宮人葉式家庭内で出来る簡単勉強法」
「……結構です。あなたが陰で恐ろしい努力をしてるのはよく知ってるつもりですし」
「妹ちゃんの成績向上に繋がるかもしれないよ?」
「いえ、それでも結構です」
僕の素っ気ない答えに、彼女はつまらなさそうに頬を膨らませる。こういうところが、人葉さんと神様さんの二人の性格が一番違う部分だと感じさせられる。
「でも、人葉さんが言ってた、神様さんが性格暗いっていうの、本人とか委員長からも聞いたんですけど未だに信じられないんですよね」
「それ、私が言いたいくらい。君と知り合ってから、かなり明るい性格になったんだよね。言うなれば自分の理解者が出来たこと、それが大きかったのかもしれないけど」
なるほどな、と頷きながら僕はジャガイモを手にした。こいつもビーフシチューの一部に化けるのだ。
「僕は割と一人で生きてきた人間なんです。友達も作らなくて。でも、この街に戻ってから、妹、友人、委員長、人葉さん、それと神様さん、色んな人と付き合うようになって色々考えさせられるようになりました。それも、啓示なんでしょうかね」
信仰めいた僕の言葉に、さすがの人葉さんもくすくす笑っていた。
「君はたった一つの出会いを神の啓示と思うのか。じゃあ、世の中には啓示だらけだ」
「……ですよね」
「君も双葉も、人と関わらなさすぎて知り合うってことが分からなくなってるのかもしれないな。出会いなんて何処にでもあるよ」
「確かにそうかもしれないですけど……」
僕が困惑していると、彼女は真っ直ぐ前を見て、しっかりした声で告げた。
「ただ一つ」
「はい?」
「どの出会いを大事にするか、大事に出来るか、それが一番重要だよ。私だって、こんなに親しくする人が出来るなんて思ってなかったもん」
彼女のはにかむ表情に、少しどきっとさせられる。彼女は恥ずかしそうな顔で、僕にそっと告げてきた。
「私も、双葉のことあんまり言えないんだよね」
「それって……」
「学校で友達なんて言ったって上辺だけ。深く付き合うの、避けてた。でも君と知り合って、この出会いを大事にしなきゃって始めて思った。ありがと」
そうか、彼女も一人だったんだ。右左も一人だった。それを思うと、僕の周りにいる人達は多かれ少なかれ、何かしらの孤独を抱えていたのだと思う。
いや、人生なんてそんなものかもしれない。それを埋めてくれる誰かと出会えるか、出会えないかというだけで。
僕は神様さんの孤独を埋めたい。でも、僕がいることで孤独が埋められる人がいるなら、その人の力にもなりたい。
人葉さんはいつも簡単な言葉で難しい問題を突きつけてくる。でもそれは、僕の人生にとって実り豊かになるきっかけかもしれない。だから、僕はあれこれからかってきても、人葉さんを振りほどくことをしないのだろう。他の人間にそんなことをされたら無言で突っぱねるような気がするのに、だ。
「でも好き嫌い多い私が言うのもなんだけど、さすがにビーフシチュー多すぎない? 学校の勉強でのみ料理と栄養価の関係を知らない私の知識で考えても、栄養価偏ってるよ」
「まあ、それはそうなんですよね。僕もやめたいところがあるんですけど」
「ビーフシチューに近くてまだましな料理はないのか」
彼女は横から突いてくる。僕は足りない頭を振り絞り色々と考え込む。
「和食の煮込み料理に徐々に変えていく、とかですかね」
「和食で煮込みか……確かにその方向で行けば、塩分過多の生活から逃れられるかもね」
「ただ世の中毎日カレー食べてるような人もいるわけですし、あんまり考えすぎてもストレスたまるだけなのかな、とも思うんですよ」
と、僕が息を吐きながら呟くと、人葉さんは僕と同じような感覚で深いため息を零した。
「そりゃ遺伝とか体の耐性とか要因はあるけど、若い時から暴飲暴食してたら後できつくなるんだから。一宏君だって妹ちゃんにいつまでも美人でいてほしいでしょ?」
「……確かに。やっぱり、ビーフシチュー離れは真剣に考えてみます」
彼女は「そうだぞ」と僕の肩口に自分の頭をこすりつけ、強い説得を終えた。
そう言えば、僕も聞きたいことがあった。腕に絡みつく彼女に目を合わせるため、首を真横に向ける。
彼女は僕が見てきたのが不思議だったのか、それとも不意を突かれたと思ったのか、数秒硬直していた。
「人葉さん、神様さんから聞いたんですけど、進路志望、かなりいい加減なこと書いたって聞きましたよ」
「あ、ああ……あれの話ね。別に気にしなくていいのに」
「いや、気にしますよ。旅人だの自分を見つめ直すだの」
彼女は少し俯いて、わずかばかりに吐息を漏らす。そこにからかいや自由にしたいという意思は感じられない。本当に迷っている、一人の弱い少女の姿が見えた。
「何だろうなあ、自分がどこに行きたいか全然見えてこないんだよね。大学はどんなとこでも努力すれば行けて当たり前ってずっと思ってた。でも、今になって大学に行って何をしたいのか分からなくなってきた。それならお金の無駄遣いだし、旅人でもやった方がましかなって」
彼女の言葉に、僕は思い出したことがあった。進路に未だに迷っているミミが、似たような悩みを抱えている。それを成績優秀者である人葉さんの口から聞かされるのに、驚いた。
大学へ行け、そんな無責任なことを言えない空気が漂う。この手の質問は、恋愛がどうこうとかいうことより苦手だ。僕は悩みあぐねて、口を噤んでしまった。
「人葉さんの夢って何ですか?」
「私の夢かー。何だろ、考えたこともない」
「それじゃ、難しいですね」
「高校まで割と突っ走ってきた自負はあるんだよね。で、そのまま突っ走るのかと思ったら大学でモラトリアムあってもいいよって言われてる感じがして、分かんなくなってきて」
「人葉さん、頭いいんですから何か凄い職に就けばいいじゃないですか」
「どんな場所で働いていても二宮人葉は二宮人葉。職業訓練のために大学行きたいわけでもない。そんなこと、君はよく分かってると思うけど」
彼女は笑った。でもその目元は悲しげだった。あと少しだけ時間はある。でもその時間は一年もなくて、決断を嫌でも求められる。
気付けば僕も同じように沈んだ顔で、何も言えずに俯いていた。
「一旦自分を見直す必要があるのは確かなんだ。でも、適当にやってきたそれが一番難しいって分かった。だから、今の双葉見ると結構コンプレックス刺激される」
彼女は神様さんのことを口にした瞬間僅かに笑った。自分の夢に邁進している神様さんを、彼女が羨むのは確かに分かる。
僕の夢は一つ、神様さんの側にいることだ。でもそれも、漠然とした夢と言えば漠然とした夢であり、将来のことを真剣に考えているとは言いにくかった。
「一宏君は後悔しちゃ駄目だよ」
「人葉さんにそれを言われると結構きついですね」
「はは、無茶言うね。とりあえず何か色々本でも読んで真剣に考えなきゃいけないなあとは思ってるんだけど、教師に言われる話もあんまり魅力的じゃないんだよね」
彼女の声に、ようやく色艶が戻ってきた。やっぱり、人葉さんはその方がいい。たとえ周りを振り回す、いい加減なものであったとしても、その根底に二宮人葉を構築しているものがあるのだから。
「でもこれで、私が人間として最低って言ってたこと、分かったでしょ。夢も何にもない。ただ何となく生きて、成績良けりゃうまくいく、それでやってきただらしない奴」
「……そんなことないですよ。あなたの成績がよくなきゃ、神様さんは潰れてた。その一点だけでも、僕はあなたに感謝しなきゃいけないんです」
「まーたそうやって双葉の話のために私を使う。別にいいけど。夢か……また双葉が羨ましくなっちゃう、よくない話だって分かってるのに」
ゆっくり、店の中を歩く僕は人葉さんに歩調を合わせながら、静かに考えた。彼女を救いたい。でも、僕に出来る事なんて何かあるのだろうかと思わされる。
だったら、助けりゃいいじゃないか。安請け合いかもしれないけど、それが今僕に出来る唯一の恩返しだ。
「人葉さん、なるべく相談に乗りますから、しばらく夢探し、しましょうよ」
「夢探し……?」
「そうです。一緒に探しましょう、自分がなりたい何かを」
大真面目な顔をして、僕は言う。すると彼女はよほどおかしかったのか、口元を押さえてくすくす笑い続けていた。
「高三で夢探しかあ。旅人並に恥ずかしい恥ずかしい話だなあ」
「割と真剣に提案してみたんですけど……」
「ありがと。ま、ちょっと子供っぽいけど、一緒に探してみようか、夢」
「そう言ってくれるとありがたいです」
僕が笑うと、彼女は突然とぼけたような顔をして、天井を見あげた。何があるんだろうかと僕もその視線を追う。すると彼女はぽそりと呟いた。
「そうだ、まず委員長さんと話をしてみよう。それが当面の夢ということで」
「双葉さん、真面目に話した後にそういうことを言うのはどうかと思いますよ」
「ははは、冗談に決まってるじゃない。双葉と仲悪い上に、私が出てきたら揉めるの目に見えてるし。だからま、君と会う時は連絡を取ってからにする。双葉の電話の時間を奪うわけにもいかないし」
何だかんだで、この人はこの人で神様さんをカバーしてるんだな、と感じた。
しかし一つ用事が入ったことで、神様さんの働くメイドカフェに通う頻度が落ちるかもしれないと思った。
外はまだ肌寒い。この寒さが払拭される頃、人葉さんは自分の夢を見つけられているだろうか。そして、僕は自分の道を後悔しなかったと振り返らずに済んでいるだろうか。
右左の成長も見つめなければならない。僕は少し考え込みながら、人葉さんと共に、見慣れたビーフシチューの材料をひたすらかごに放り込んでいった。




