3/11 何もないから悩みは深まる(下)
「もしもし?」
「あ、神様さん、こんばんは」
「こんばんは。何か用?」
「いつも通り、何の用もないから電話した」
僕が冗談めかして言うと、電話の向う側からくすくす声が聞こえた。そして「いいよ、たくさん話をしよう」という柔らかい声も聞こえてきた。
「さっきさ、妹と夕食取ってたんだ」
「そうなの。またビーフシチュー?」
「正解。……さすがにあれ飽きるよ。週に二回は食べてるし」
僕と神様さんの間に沈黙が過ぎる。冷蔵庫の中に常に切らさないように保存されているビーフシチューのルー。僕も流石にルーを入れて作るビーフシチューに飽きてきたので、最近レシピを見ながら一からスパイスを使って作るビーフシチューに手を出そうと考え始めている。
「妹さん、ビーフシチューとか好きなんだったら、ハンバーガーとかも好きなんじゃない?」
「それがそこはあんまり好きじゃないみたいなんだよね。僕も不思議に思う」
「ビーフシチュー好きのハンバーガー嫌い……珍しいね」
僕もああ、と応える。右左の味覚がどうなっているのか、科学的分析が出来るなら知りたいほどだ。
ビーフシチューは好き。だがステーキなどが好きというわけではない。というより、右左にとってビーフシチューは別格中の別格の料理だ。
あんな塩分の多い食事を続けてたら腎臓に負担がかかりそうだ。やはり食生活を少し改めさせよう。僕は胸に決意を秘めた。
「人葉さん元気にしてる?」
「元気。でも進路調査でまたふざけたって」
「は、はあ?」
「第一志望に旅人って書いて、第二志望は家事手伝い、第三志望に自分自身を見直すって書いて先生にさんざん怒られたってけらけら笑ってた」
あの人の本音はどこにあるのか。僕はまったく分からず、ただ頭を抱えた。
そうは言っても、本当は行きたい大学はあるだろう。……と、あの人に関しては言えないなと僕は口を噤んだ。人葉さんからは大学という枠に収まりたくないという願望を常に感じる。ふざけて、と神様さんは言ったが、旅人というのは案外嘘でもないと思う。
あの人があと半年ほどで自分のやりたいこと、願望を見つけられるられるだろうか。神様さんでさえ分からないことが、僕に分かるわけでもなく、僕は自然と話の方向を変えた。
「仕事、どう?」
「いつも通り。この間コーヒー出さなきゃいけなかったとこで、紅茶出しかけて危うくミスしかけたこともあったけど」
「ちゃんとコーヒーは出せたわけだ」
「急いで用意してね。全然気を抜く事なんて出来ないよ。でも、そういうのが自分を引き締めてくれる感じがして、努力しようって思える部分になってる」
神様さんは前向きだ。そのひたむきさは、きっと彼女の未来を明るいものにするだろう。
僕は彼女の未来に組み込んでもらえているのだろうか。いくら木が結んでくれた運命だと言っても、彼女の心が僕に傾いてくれなければ何の意味もない。
右左が学校に戻ってきて、ネガティブな感情が時折自分に襲いかかってくる。神様さんとのことに、時間制限がかかってきたことも大きな要因だろう。それを悟られまいとしながら、無理に明るく務めるのもそれは結構疲れることであった。
「きみの方はどう?」
「中間が迫ってきて、クラス中そわそわしてる。この時期の中間が悪かったら志望校変えさせられる可能性も高いわけだし」
「そうだよね……きみはどこの大学行くか決めた?」
「この街離れたくないからね。電車で行ける距離のところで適当に探してる」
「妹さんのため?」
「妹のこともあるけど、やっぱり神様さんと会えなくなるのは辛いから」
僕がそう言うと、神様さんからの声が聞こえなくなった。どうしたんだろう、心配して声をかける。
「どうかした?」
「……そう言ってくれるの、嬉しくてね。あれかな、一度妹さんに会った方がいいのかな」
「どうだろうなあ。うちの妹、神様さん見て美人だから尻込みするかも」
「いや、きみの妹さんの方が美人ってお姉ちゃんも言ってたじゃない」
「それは人の感性次第だよ。僕はそう思わないし」
僕が軽い調子で言うと、また神様さんの声が止まった。何だか今日は、話の方向性もおかしければ、互いの反応もおかしなことになっている。
「と、とにかく中間頑張って。きみに限って志望校が変わるなんてこと、ないと思うけど油断禁物だからね」
「そうだね。神様さんの夢を聞くまで、この街を離れることは出来ないかな」
「それかあ……頑張ってるけど、調べれば調べるほど、大変だなあって思うことが増えて難しいなってなる時もあるんだ」
神様さんくらいの強い精神の持ち主でも遠い夢になるって、どんなことだろう。それを無理矢理聞き出してもあまり意味はないが、それでも僕は、見知らぬ夢に向かって努力する神様さんの姿が、とても強く見えた。
「僕の方は、今は家のこととかややこしいことになってないからいいけど、妹のことで鬱陶しいこと言ってこないか、少し不安になってる」
「気軽に乗り越えられるよなんて言えないけど、妹さんを守ってあげられるの、きみくらいなんだから、弱気になっちゃ駄目だよ」
「そうだね、妹と通学するようになって、色々考え出して少し疲れてたのかしれない。少しリフレッシュしなきゃいけないかも」
「だったら、店にでも来て。何のもてなしも出来ないけど、働いてるとこは見せられるから」
彼女の冗談にも捉えられる話に、僕はベッドに寝転んだ。
右左を守れるのは、確かに僕しかいない。そのために、色々頑張らなきゃいけないことはある。神様さんの強さに負けてる場合じゃないなと、僕は気を引き締めた。
「ねえ、神様さんお勧めのライトノベルとかない?」
「また急なこと聞いてくるなあ。あんまりそういうの興味ないんじゃないの?」
「興味がないんじゃなくて、知らないから分からないって感じ。読んでみたら意外とはまるかもしれないし、神様さんと趣味の話も出来るからいいかなって思って」
僕の真剣な声に、電話の向こうの彼女はおかしげに笑い声を押し殺していた。でも僕は真面目に彼女がどんな作品が好きなのか知りたかった。
「うん、いいよ。でも、その前にどういう傾向の作品が好きなのか知らないとね」
「傾向?」
「バトルものが好きだとか、冒険ものが好きだとか、現代か異世界か、ちょっと捻って現代異能ものだとか、ただ学園青春ものが好きだとか色々あるじゃない」
一応知識としてはあったが、ライトノベルと言ってもそこまで色々な種類があるのか。僕はまったく手を付けたことがないのでどれが面白いのか分からない。
「あの、僕はまだそこまで分からないから、神様さんがお勧めしてくれる奴を読むよ」
「そう、じゃあね――」
と、神様さんは優しく聞かせるような声で、好きな作品の話をし始めた。
それは押しつけがましくなく、穏やかかつ柔らかで、僕の興味を引く喋り方だった。
結局そのライトノベルの話で二十分ほどが過ぎ、今日の長電話は終わった。
やっぱり、あの嫌な父と母の話を忘れるのはこの人と話をするのが一番だ。
中間の結果次第で、また父が横やりを入れてくるだろう。右左を三年守る、その先にある右左の人生はどんなものだろう。それを考えると、少し心配になってくる。
僕がしっかりしてなきゃいけない。ただ、それとは別に、神様さんに教えられたライトノベルの作品への興味が沸いてきて、それが僕の人生の彩りになるかもしれないと思うと、少し嬉しくなる気持ちもあった。
中間、適度に頑張らないとな。特に父からの嫌味をはじき返すくらいには。
そう思うと、僕の体は自然と机に向かっていた。趣味を増やす分、勉強に集中する時間も増やすべきだ。何も思っていなかったのに、やる気が体中に漲りだした。
空はもう真っ暗だけど、外は寒さをほとんど残していない。
来年この季節に、また希望を持てますように。僕は窓から空を見上げ、星を見つめた。
1日お休みいただきます。頑張って書いてます。あと現在のところエタらない感じです。きちんと終われそう。完結までお付き合い頂ければ幸いです(こんなところで書くことでもないですが)。




