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3/10 何もないから悩みは深まる(上)

 その日の晩、僕は右左と夕食を共にしていた。

 メニューはお馴染みすぎて見るのも嫌になりつつあるビーフシチューだ。だが右左はこれがいいらしい。魚が出てきた時はテンションの低そうな顔をするのに、ビーフシチューの時は目を輝かせながら僕がシチューを皿に注ぐのを待っている。

 ニンジン、ジャガイモ、牛肉。そしてシチューの汁。たまに違うものが入るが、具の定番はこの三種だ。これの何が右左を引きつけ続けるのか分からないが、偏食の右左にはとてつもない好物であるのは間違いない。

「はい、右左、熱いから気を付けて」

「ビーフシチューは熱いくらいが美味しいんですよ、兄さん」

 凄い。右左はもうビーフシチュー評論家と化している。どうせなら、その内どこか絶品のビーフシチューでも出してくれる有名レストランにでも連れていってやろうか。

 とはいえ、コンビニのビーフシチューなりファミレスのビーフシチューでも何も言わず食べていた少女である。多分、高級ビーフシチューを出されても同じようなリアクションをするだろう。

 ここまでビーフシチューが好きだとある意味感心するが、おかげで僕は少し食が細ってきた。もう少し色々なものが食べたい。山盛りのサラダでもいい。ビーフシチューから逃れたいが、右左の笑顔の前にはその考えは破壊されるのである。

 仕方ないという心を顔の奥に隠し、僕は笑顔を作って右左と共にシチューを食べ出した。自分で言うのも何だが、この家に最初に来た頃に比べて、ビーフシチューを作る腕前だけは確かに上がった。手際もよくなり、どうすれば一番早く、そして一番味のバランスの取れたシチューが作れるか分かるようになった。本音を言えば、そんなもの分かりたくもなかったが。

 シチューを食べていると、右左が顔を上げた。

 僕がきょとんとしながら右左を見ていると、右左は微笑をたたえながら、僕に訊ねてきた。

「兄さん、中間試験近づいてきてますけど、準備整ってます?」

「右左にそれ言われるなんてなあ。まあ、いつも通り。右左は?」

 僕が訊ね返すと、右左は口元に悠然としたものを携え、僕に答えた。

「前の実力試験で一位だったじゃないですか」

「そうだね。凄かった」

「あれで……周りが私に凄く期待してるって分かって、次も頑張らなきゃって思えてきたんです」

 僕はその言葉を聞いて、一瞬息が詰まりそうになった。右左はプレッシャーに負けて学校を休学した人間だ。それが周りの期待に応えるために頑張るというのは、危険な気がした。

 だが右左の見ている方向は違った。右左は僕の目を直視して、静かに語った。

「私、休学するまで自分勝手な人間だったんじゃないかって思ったんです」

「そうは見えないけど……」

「天狗になってたわけじゃないけど、人との付き合いってこのぐらいでいいかなとかそういうことを色々考えて。でも、つまづいちゃった。だから、今学校に通って、みんなが気を遣ってくれたり優しくしてくれてるのに気付いたら、頑張らないとって」

 ……それが右左の思っていたことか。僕は黙ったまま、天井を見あげた。

 僕は右左の小中学生時代を知らない。その逆で、右左も僕が小中と何をやっていたのか知らない。

 僕の小中時代は、語ることがほとんどないくらいつまらないものだった。友人なんてどうせいつかはいなくなるもの。毎日遅くに帰って、ろくにコミュニーションも取らなかった父の背中を見て育ったせいか、人を信じなかった。だから周りが熱心に誘ってくれても適当にあしらって一人でいた。

 右左は周りに愛される人だったんだろう。それでも自分で自分を追い詰めて、誰とも話せない子になってしまった。

 なんだ、僕達兄妹、やっぱり似ているじゃないか。笑い話には出来ないけど、僕はそんな右左を大切にしてやらなきゃと強く感じた。

 そんな僕が、唯一自分から積極的に接して、大切に思う人、神様さん。どうして彼女に強く惹かれるようになったのだろう。今となってはきっかけすら思い出せない。

 でも、彼女の優しさ、明るさが自然と僕の気持ちを昂ぶらせてくれたことだけははっきり思い出せる。

 土川先生の言った、人との付き合い。それは言葉にすると簡単で、実行に移すとなると難しい。僕はそれを乗り越えなければならないのだと、土川先生との会話で痛感させられた。

「右左、担任の先生とはうまく行ってる?」

「はい。色々面倒を見て下さって、親切な人だっていう印象が持てます」

「そうだな……僕も右左のことで少し話したけど、不必要に干渉しない、でも大切なことはきちんと言ういい先生だって思ったよ」

 僕の言葉に右左は相好を崩した。

 右左の幸せ、そんなものが少しずつ分かるようになってきた。ただ普通に過ごして、普通に恋愛をして、普通に毎日を送る。そう、右左の幸せは「普通」にある。可愛いからとか、頭がいいからとか注目されることが多い右左がそれを手にするのは大変かも知れないが、僕も出来る限り応援したいと思えた。

「右左は中間大丈夫?」

「次も一番、取りたいです。それは誰かのためじゃなくて、自分のために」

「流石に中間になると気合い入れる奴多いぞ」

「一年間の蓄積がありますから。あと、今二年の勉強してるんです。来年は受験勉強しようかなって」

 向上心の高い右左の言葉を聞いて、僕は思わずため息をこぼした。そこまでするなら、いっそのこと予備校に通うなりすればいいのに。

 でも、右左がそうしないのは分かる。他人に迷惑をかけたくない、それが今の右左を動かす原動力だ。それがたとえ、憎しみの募った父や母だったとしても。

「兄さん、私に勉強、教えてくれますか?」

 右左が柔和な表情で頼んでくる。これは断られても構わないという表情だ。

 だが僕は右左の兄で、そうしてやりたい立場の人間だ。僕は満面の笑顔で応えた。

「ああ、何か難しい問題があったら、言ってくれ。ただし、参考書は用意して」

「はい。でも兄さん、問題集って難しいですよね。解答方法を見ても分からない問題とかあるんですから」

「それは右左、背伸びしすぎなだけだよ。自分の出来る範囲をまずしっかり固めなきゃ」

 右左はそうですねとおかしげに呟いた。

 右左と共に過ごす生活を再開した時、僕は心の奥底でうまくいかないのではないかと思っていた部分があったと思う。

 右左の僕を敬うような言葉遣い。そこに少しの距離を感じたこともあった。それも今では心地いい。

 一年。

 この後一年という時間に、僕は右左に何を与えることが出来るだろうか。神様さんのことも大切な話だが、右左のこの話も大事なことだ。

 僕は食事を終え、席を立った。すると、右左が突然「あの」と僕を引き留めてきた。

「あの、兄さんに一つ聞きたいことがあったんです」

「……何?」

「兄さん、いつも電話とかしてますよね。野ノ崎さんとか三重さんだったらそんな電話をしなくても済むと思いますし……誰に電話をかけてるのか、少し気になって」

 右左に気付かれたか。僕はどう応えればいいか考えあぐねた挙げ句、一番無難な答えを寄こした。

「友人だよ」

「学校の方ですか?」

「いや、少し知り合った人。でも、仲良く電話してるのはポジティブに受け止めてほしいな」

 右左は口を少し閉ざしきれず、難しい顔をさせていたが、仕方ないと飲み込んだのか、はいと返事をして、食器を流しに置いた。

 ごちそうさまでした。右左はそんな言葉を残し、食卓から去っていく。右左から神様さんのことを聞かれるとは思っていなかった。これは学校に通い出すようになった弊害と言えよう。

 神様さんに電話をするか。一日の内、一番リラックス出来る時間だ。

 右左にまた電話をしているところを突かれたらどうしようか。いっそのこと、電話をしている人が僕の好きな人なんだと開き直ってみるか。

 どれもこれも、無理だ。土川先生は僕を過大評価している。僕は自分に呆れたように頭を抱えた。

 そんなことを思っているくせに、僕は部屋に戻るやいなやスマートフォンを握った。

 慣れた操作で神様さんに電話をかける。

 3コール。すぐに電話は取られた。

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