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3/9 忌避した人がもう一度人と触れ合うことの難しさ

 右左と共に朝の通学路を歩む日々も、少しずつ慣れてきた。

 相変わらず右左を取り巻く環境は凄いことになっている。

 野ノ崎とミミは右左が一ヶ月でどれだけの男子を殺すか賭けをしていたが、意外にも死んだ男子は少なかった。

 そう、右左のあの実力試験の成績を見て、尻込みする男子が増えたのだ。それでも挑んでくる男はいるが、右左がごめんなさいと一言謝るとすぐに引っ込んでいく。

 その理由に「三年の兄が厳しく見張っている」と言われているから、と野ノ崎に聞かされた。どんな噂だよと思ったが、変な男には引っ掛かってほしくもないし、僕はひとまず右左にとって重要な高校生活の充実ぶりにほっとしている部分があった。

 休み時間、学内を静かに歩く。教室でじっとしていてもいいのだが、野ノ崎やミミのように特別親しいという間柄の人間がいるわけでもなく、時折襲う眠気を払うために、日当たりのいい校庭付近を歩くことがある。今日もそれに漏れず、ということだ。

 僕がベンチでぼおっとしていると、肩がぽんと叩かれた。ふと振り向くと、右左の担任が笑顔で立っていた。

「ああ、先生、どうも」

「そろそろ名前くらい覚えてくれない? 土川柚月、よろしくね」

 彼女に自己紹介され、僕は仕方なく頭を下げた。彼女は僕の隣に座ると、体をぎゅっと伸ばして周囲に目をやった。

「元気な光景ね」

「その光景に右左はいませんけどね。あんまり外で遊ぶの好きじゃないですから」

「確かに、まだ親しい友人が出来たっていう話は聞かないわね。こういうの、成績面がよくてもなかなか解消出来ないことだと思う」

 彼女の言葉に僕はええ、と頷いた。

 春風が吹き、僕の肩口に緑色の葉がついた。彼女はそれを取ると、また真っ直ぐ、校庭で遊ぶ学生達に目をやった。

「保護者面談は君の担当らしいけど、話、きちんと出来る?」

「初めてのことですからね。でも先生方と右左が復帰する時に色々話をしたので、一応何とかなると思っています」

 彼女はそうね、と一言呟いて、腕組みをした。グレーの地味なスーツに身を包んでいても、やっぱり若くて美人な人は何を着ても似合うんだな、と僕はため息をこぼした。

「成績もいいし、模範的な態度をしてるし、非の打ち所のない子だって私は思ってる」

「隠れたところに非はあるものですよ」

「以前から思ってたことだけど、君は少しニヒリストなところがあるわね」

 それは言われても仕方ないと思っていた。多少嫌な部分を、どうしても出してしまう。そんなのがまったく出ないのは、神様さんと話している時だけだ。

 ニヒリストというより、悲観主義者という方が正しい。右左のことも、何とかなると思っていた反面、ここへ復帰してから不安が募ることもある。

 それが、僕の野ノ崎やミミ以外に友人が出来ない一番の理由だと分かっている。

 それをすぐに見抜く土川先生は、若いのにしっかりしてる人だと感心させられた。

「でも私はあなたが嫌な子だとは思わないけどね」

「どうしてですか」

「あなたが本当に嫌な人なら楠木さんがあんな真っ直ぐな子に育つわけないもの。思うに、あなたは親しくない人には突き放すような感じで、親しい人には真っ直ぐな……そうね、犬みたいな性格してるんじゃないかな」

「僕は犬ですか。人なんですが」

「ものの喩えよ。でも私はその生き方を否定するつもりはないわ。誰かに指示されて性格変えろなんて無茶もいいとこだもの」

 その言葉が漏れて、ようやく僕の唇が上弦を描いた。この先生なら、右左を託しても大丈夫だ。

「犬、悪くないかもしれませんね」

「そうね。薄い付き合いの友達を増やすより、しっかりした関係の人を増やす方が人生においては重要になるから」

「至言ですね」

「でも、一応色々生徒経由で聞いてるのよ。生徒会長さんと仲がいいとか、いつも同じメンバーで昼食取ってるとか」

「まあ、嘘じゃないですね。先生から見て、僕は付き合いづらい人間に見えますか?」

 僕が先生を真っ直ぐ見ていると、彼女は顎に指を当て、そうね、と一拍置いてからそっと返答した。

「私はそう思わないけど。壁を作ってるんじゃなくて、根拠のない話で勝手に壁が出来てるように見えるかな。人付き合いもほどほどに出来てるし、別に今のままでいいと思う」

 何だか、友人より友人のような話をしている気がする。神様さんや野ノ崎達とはまた違う、本音の部分の話。

 今更愛想のいい人間になれるとは思っていないが、少しくらいは考えた方がいいかもしれない。僕の心にくさびが打ち込まれた。

 先生は疲れているのか、もう一度背伸びをした。そんなに疲れることなのだろうか。僕は彼女を横目でじっと見た。

「偉そうなこと言っても私なんて教師歴まだ一ヶ月だしね。あんまり君に偉そうなことは言えないのが本当のところ」

「教師は年数じゃないと思いますよ。しっかりしていれば、それだけで付いていっていいって思えるものですから」

「やっぱり君は楠木さんのお兄さんね。ニヒリストなんて言ったけど、結局人を思いやる言葉を言えるんだもの。頑張ってね」

 彼女は最後に笑顔を残し、席を立って去っていった。

 ニヒリスト、悲観主義者、優しい人。どれが本当の自分なんだろう。

 きっと、どれも本当の自分で、人によって付き合いの差が大きすぎる人間なのだろう。

 それを思うと、やはり僕を救ってくれるのは神様さんのような、優しく包んでくれる人なのだと痛感する。

 休み時間の終了までまだ時間がある。僕もベンチから立ち、適当に散歩することにした。

 この学園に来て半年ちょっとだが、三年になって、見える景色が色々と変わったような気がする。

 右左がいるということも大きいのだが、野ノ崎やミミの受験に対する心構えを見ていると、ああ、そんなことが近づいているんだな、と少しだけ自覚させられる。

 相変わらず、僕はどこの大学を受験するのかまったく決められず、ぼんやり空を眺める日が増えた。流石にそのことをミミはともかく野ノ崎に言うと嫌味に映るので、黙っていることが多いのだが、自分の将来をあまり顧みていないのは事実だ。

 ふらふらと歩き出して着いたのは、一年の教室だった。右左のことを気にしても仕方ないのだが、どうだろうかと少し気になった。

 そっと外から、右左のいる1ーCの教室を遠巻きに眺める。すると、右左が教科書を開いている姿が見えた。

 だが右左が一人で教科書を開いているわけではない。周囲には何人かの女子生徒。右左はシャープペンシルと自分の指で、教科書を何度もなぞっていた。

 すると女子生徒達はノートに色々記して、何度も頷いていた。

 ……右左が他人に勉強を教える日が来るなんてな。多分、この街に帰ってくる前の僕なら信じなかっただろう。

 周りは教えてもらっているにも拘わらず、笑っている。一方勉強を教えている右左の表情は真剣そのものだ。やはりというか、予想通りというか、手の抜き方を知らない右左らしい光景だと思った。

 僕が他人に勉強を教えている時、あそこまで熱心な顔をしているだろうか。以前、野ノ崎やミミに行った勉強会のことや、委員長に問題の解き方を質問された時のことを思い出した。

 僕は、あんな表情をしていなかった。分からないからと言って馬鹿にすることもない。でも、どこか事務的で、本気でその人の一生がかかってると思ったこともない。

 右左は一年間自分の殻に閉じこもっていた。その貯めていたエネルギーを爆発させるように今この瞬間を情熱的に生きている。

 何も言わず去ろう。このまま右左を見ていると、自分の生き方が惨めに思えてくる。僕らしく生きる。土川先生に難しい難題を突きつけられたなと、僕は窓の外からまた空をぼおっと眺めた。

 そんな空に、答えが降り注いでいるわけもなくて、僕は右左と過ごす一年が、本当にうまくいくのかどうか、少し心配になっていた。

 いい子過ぎるのも、なかなか難しい。でも、あんな性格をしていたら、みんなから愛される楠木右左になれると確信も出来た。

 そんな脳裏にふと蘇った、神様さんの屈託のない笑顔。あの人を守りたい。守り続けたい。それを今の僕が叶えることが出来るのか。

 野ノ崎じゃないけど、自分をもっと磨く必要があるだろう。僕は自分に頷き、一年になるべく気付かれないように教室へ帰っていった。

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