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3/8 待ちに待ったファミレスでの一時

 実力テストが終わって二日目の夕方、僕は駅の改札口付近に立っていた。

 考えてみれば、こんなところで待ち合わせをしていたら、神様さんのことを覚えている人達に会う可能性も高いわけだが、その点を僕は全然気にしていなかった。

 お前らにはこんな素敵な女性と知り合う機会もないんだぞーと自慢したくなるような気持ちだ。……さすがに人として少し程度が低い気もするが。

「お待たせー」

 後ろから声が掛けられる。春めいた、膝より少し長い青いスカートに、白いワイシャツ。清楚な雰囲気が、現れた神様さんの純粋さをより引き立たせていた。

 僕は急ぎ彼女の側に寄る。彼女も少し微笑んで、隣に並びながらゆっくり歩き出した。

「実力試験、どうだった?」

「僕は二位。といっても平均八割だから大したことない。妹が凄かった。平均九割五分で圧倒的な一位」

 僕がふうと息をこぼしながら告げると、神様さんは目を丸くしながら仰け反った。

「うわあ、さすが教育一家に育ったことはあるね」

「……そんなに教育されてないと思うよ。少なくとも妹は引きこもってる間、何もやることがないから勉強してただけだし」

「でも勉強してたってことは、いつかは帰ろうと思ってたってことじゃない? そう考えるとやっぱり凄いよ」

 歩きながらかけられる温かな言葉。右左には届いていないけれど、僕の心にはすとんと落ちてきて、心が安らぐのが手に取るように分かった。

 この人の側にいたい。ずっと側にいたい。そう思っても妙案はすぐに出なくて、妄想めいた方法ばかりが頭に過ぎる。

「そう言えばさ」

 彼女が突然ぽそりと声を出す。僕は不意を突かれたようで、少しびくっとしながらその横顔を見た。

「バレンタインデー、何もなくてごめん」

「ああ……あの頃丁度お互いに忙しかったから、別にいいよ、気にしてない」

 僕が苦笑して答えると、彼女は視線を脇にやりながら、僕に訊ねてきた。

「他の子からもらったりしてないの?」

「義理チョコは何個かもらったかな。でも三倍返しじゃなくて等価交換でお返ししたけど」

 僕が笑ってみせると、彼女も少しおかしげに口を押さえた。

「もらっててもおかしくないもんね。でもお姉ちゃんも私もあげてないの、なんか変な気分」

「神様さんはどうか分からないけど、人葉さんがそういうの乗ってこないのはちょっと驚きだったかな。そういうのでからかうの好きな人のイメージあったから」

「私はお店の会計の時に安いチョコを渡すのに苦心してた。でも本命はなし」

「……本命?」

「あ、あ、ああああ! そ、その本命に渡すなら気合いの入った手作りチョコにするよねーとかそういうこと考えて夢見がちな少女を演じてみたかっただけ! 何にも、何にもおかしなとこなんてないよ!」

 神様さんは早口で意味の分からない言葉を返してくる。

 というか、やっぱり本命、いるのかな。僕なのか、それとも違う誰なのか。それが分からないから、不安感と焦燥感が増してしまう。

「妹ちゃんからチョコもらわなかったの?」

「僕が妹のためにチョコ作ってた。それで仲良く食べて終わり」

「あはは、仲いいね。でも、そういう兄妹関係いいよね。お互いに信頼してるのがよく分かる」

 その言葉を受けて、脳裏に過ぎっていく父と母の思い。母は放任主義というより、家事も育児も放棄していた人だった。父は仕事で忙しく、家庭を顧みない人だった。そんな人達が子供を二人も作って、無責任に理想の家族像を押しつけて、今でも腹立たしい思いを抱えたままだ。

 せめて、右左にだけは幸せな家庭を見つめてほしい。僕がその一助になれば、そんなことばかり思うのが、神様さんと出会うまでの僕の生き方だった。

 それが今、僕は神様さんとファミレスに行くことを楽しみにしている。特別なことなんて何にもない、それなのにとてつもなく嬉しくて、右左のことすら忘れてしまう。

 どこで線引きをすべきなんだろう。僕の中に、迷いが過ぎった。

 寄ったのは、神様さんと最初に訪れた、駅前のファミレスだった。入り口の変わったものが入っているガチャガチャに神様さんがちらりと目をやった。

「何か回してみる?」

「要らない要らない。ただ見てたら面白いなーって思うだけ。それより、食べよう! 今日お腹すかせてきたから!」

 そう言ってくれるとありがたい。僕の顔が、自然と柔らかくなる。

 店の奥の席に案内され、僕達は座るや否やメニューを見つめだした。

「そういえばきみは夕食はいいの?」

「妹には外食してくるって言って、昨日の段階でカレーを作っておいた」

「ビーフシチューじゃないんだ」

「たまにはちょっと変えて、偏食を直そうと思ってる。割と本気で」

 僕の真顔に神様さんは苦笑した。

 店内は昼とも夜とも違う、穏やかな空気に包まれていた。喋りに興じる学生なんかが、色々な席で見受けられる。

 注文を決め、呼び出しボタンを押す。しばらくすると、店員が来て、注文を取りに来た。

 神様さんは柔らかグリルハンバーグ、僕はチキンステーキ。両方共にライスセットを付けて。

 ドリンクバーの飲み物を取りに互いに立つ。神様さんは相変わらず甘いものが好きで、コーラを注ぐ。僕は甘いものはちょっと要らないので、ストレートのアイスティーにした。

 席に着くと、ようやく落ち着いて話せるような雰囲気に変わった。神様さんはストローに少し口づけた後、僕の目を見て訊ねてきた。

「テスト、楽しかった?」

「楽しくはないな」

「そうだよね。テストかあ。もう長い間受けてないから、どういう心境になるか忘れてるな」

 神様さんは、少し切なげに呟く。そうか、それは僕にとって当たり前だけど、この人にとってはもう懐かしい過去になっていたのか。

「最近ね、時々思うんだ」

「何を?」

「もし自分のことを分かってくれる人がいれば、学校生活も楽しかったのかなって」

 僕はその言葉に、掛けてあげられる何かが見つからなかった。僕がもし、この街に残っていればそれは叶えられた事なのだろうか。でも、それはそれで、僕の人生が大きく変わる。少なくとも妹によくしてやろうなんていう、少しばかりは責任を持った兄になれたとは思えない。

「でもね、考えた後に違うって思うんだ」

「え?」

「私が人を遠ざける力もあるけど、私の心が人を遠ざけてたんだって。だってね、今お店できみかさんとか執事長と接してるけど、普通に話せてるでしょ?」

「そう言えば……考えたら接しにくくなるはずだよね」

「でも、そうじゃない。その力は確かに発揮されてるんだよ。でも、私が近づくって願ってたら、それなりに接することが出来てる。バイトの面接の時もそうかな。どうしても頑張りたいっていう思いがあったから執事長と話せた。……きみともう一度会う、その思い」

 神様さんはくすぐったそうに呟く。そして大きな胸を張りながら、一笑した。

「だから、自分の壁に負けないようにしないとって今は思ってる。きみの妹さんだって、一度自分を閉ざしたのに、自分の力で帰ってきたんでしょ? その強さに比べたらまだまだ弱いけど、私は私なりに頑張りたいから」

 彼女の決意めいた言葉に、僕はただ感心したように頷いていた。

 ただ気になることはいくつかある。いつも思うことだが、彼女は何を思って、そこまで必死になっているのだろう。彼女に叶えたい願いがあるというのは聞かされた。その何かが分かれば僕も手伝いが出来る。それを教えてもらえないところに、幾ばくかの疎外感を覚えていた。

「ねえ、頑張ってるのは見てて分かる。それで何を叶えたいの?」

「……それはまだ、秘密。でも何となく、もう少ししたら言えそうかなって気はする」

「まだ話せない、か」

「心配しないで。嫌な話じゃないから。前向きに進むために、自分で設定した目標、そんな話」

 少しばかりのヒント。今まで聴けなかったそれを聴けて、僕は少しだけほっとした。

 僕がほっとしていると、テーブルに注文したメニューが運び込まれた。そういえばポテトとかの類がない。僕はついでに皿いっぱいの山盛りポテトなるメニューを注文した。

 神様さんは肉を前にして、満面の笑みを見せていた。ああ、これ最近食べてない感じだ。今日一日くらいしっかり食べた方がいいぞ、と思いつつ、本人の肉付きと食事がそれほど因果関係を持っているわけではないと、彼女の胸をわずかに見ながら思った。

「ねえ」

 彼女がナイフを置いて、顔を上げた。どうしたんだろう。僕は彼女にきょとんとした目を向けた。

「委員長とか、告白された後輩とかどうなってるの」

 またその話か。僕はちょっとうんざりといった顔で彼女の表情を窺った。だが彼女は少し俯き気味で、明るく茶化すような姿を見せない。

 割と真面目な質問なのかもしれない。僕は彼女に、そっと答えた。

「何もない。委員長からは告白されたわけでもないから何も言う必要がないし、後輩の子に関してはそもそも受ける気持ちがないよ。神様さんのアドバイス通りフォローしてるだけでね」

「そうだよね、フォローしてあげてって言ったの、私だ。それでその……フォローしてあげて態度とか変わった?」

「僕の友人いわく、妹をダシにして近づこうとしてるんだって。まあ、そういう空気は確かに感じるけど、嫌悪感を抱くほどでもないんだよね」

 あの手の話は僕自身も困っている。その僕の気持ちを汲み取ってくれたのか、俯きだった神様さんの顔は、わずかに柔和なものに変わっていた。

「きみは本当に律儀だなあ」

「律儀って言うか……断るタイミングとか逃してるだけの人だと思うよ。少なくとも後輩の子に関しては断ったのに食い付かれてるだけだし」

 僕は思わず困った低いトーンの声を発してしまった。木島さんが可愛い可愛くないという話ではなく、僕の目に映っているのは、今この間近で話している神様さんのみなのだ。

 それを伝えられていないから、余計に問題があるというのも分かっている。だが現状、彼女に対するフォローがうまくいってるとは思えなかった。

「ねえ、神様さんが同じ立場ならどうする?」

「私か……私なら、付き合えないけど友達ならいいよって答えるかな」

「……僕、それやってるつもりなんだけど」

 と話すと、彼女は困ったように暫時無言になり、しばらくしてから空笑いを浮かべた。

「諦めさせるのって難しいよね」

「まあそうだと思う。僕の好きな人が、僕が好きってことを察してくれたらどれだけ楽か、そう考える日もなくはない」

「相手に頼っちゃ駄目だよ。もしそれがさ、両思いだったら凄く大切な記念日になるわけだし」

 そう告げると、彼女はしばらく黙った。何か言いたげな沈黙に、僕も同じように黙ってしまった。

「ねえ、きみの好きな相手って誰?」

「……それは言えない」

「どうして? 私、そんなに信用出来ない?」

「信用とかそういう話じゃない。いつか言わなきゃいけないと思ってる。でも今はまだ、自分の勇気とか、周りの環境とか、その時じゃないんだ。そこは信じてほしい」

 そうきっぱりと告げると、彼女はくすりと笑うような吐息を零して、僕と同じようなはっきりしたトーンで返した。

「まあ、頑張って」

「うん、頑張る」

「それにしてもきみの好きな人かあ。どんな人だろ。きみが好きになるくらいだから相当美人さんなのかな」

「ああ、美人なのは間違いない。妹より美人だと思ってるよ」

「え、え? あの妹さんより美人なの? ……それは……そう」

 神様さんのトーンが落ちる。僕の観点で言えば、身内の右左より神様さんの方が美人と思っているだけなのだが、それはどうやら悲しいことに伝わらないらしい。

 楽しい時間のはず。なのに今日は、お互いにやきもきした、歯切れの悪い言葉を連ならせている。

「この話、楽しいかなあ?」

「言われてみれば、あんまり楽しい話じゃないかも」

「だね、違う話にしよう。神様さんは、最近バイトで面白いことあった?」

 美辞麗句を挟まない直球の質問。彼女は薄く笑って、肉を一口食べた。

「ちょっとずつ貯金出来てる感じかな」

「確かに……神様さんは趣味があるって言っても無駄遣いしなさそうなタイプだしね」

「本当は趣味にもお金使いたいんだけど、やりたいことのためにお金貯めなきゃって思って」

 その言葉に、僕は神様さんがやりたいと願っていることの一端が垣間見えた気がした。

 それが留学なのか、結婚式なのかは分からない。でも、この人からそんな話は今まで聞いたことがなかった。

 ……やりたいこと。父に振り回されている僕には難しい言葉だった。右左のように進学を夢にしている人間や、神様さんのように何か大きな目標があってそのために毎日過ごせている人が、単純に羨ましかった。

「始めはね、毎日仕事行けるかどうか心配だった。でも働いてる内に、お店の一員って気持ちが出てきてね、仕事に行くのが当たり前になった。そこは成長かな」

「凄いな。僕は……何のために学校行ってるんだろう」

「きみは真面目に勉強して、いい大学行かなきゃ。あの辛口のお姉ちゃんも認めてるくらいだよ」

「……あの人が認めるってちょっとニュアンス違いそうで嫌なんだけど」

 僕がうんざりした声で呟くと、神様さんは含み笑いしながら飲み物に口づけた。

 神様さんは始めて一緒にファミレスに来た時、僕のことなんてほとんど気にせず食事にがっついていたのに、今日はそんな姿が嘘だったかのように食事より会話に重きを置いている。

 色んな話がお互いの口から漏れる。

 何にもない。何にもないから幸せだと思えた。こんな気持ちは、右左でさえ与えてくれない。

「でも、きみとこうして会って、何気ないことを話してたら、こんな感じで仕事も頑張らなきゃって思う」

「神様さんは仕事、きっちり頑張ってると思うよ。今より頑張ったら倒れると思うけど」

「大丈夫大丈夫。まだまだ頑張り足りないって思ってるところだし」

 神様さんの屈託のない笑顔につられ、僕も笑う。それを見ていると、僕も頑張らなきゃと自然に気力が沸いてくる。

 彼女の皿が空になる。僕の皿も、もうすぐ空になりそうだった。

「たまに、こんな感じで会えるといいね」

 彼女がぽそりと呟いた。僕ははっとして、彼女の顔を見た。彼女は目を逸らすように、他の客席を見つめていた。

 僕の胸が締め付けられる。期待ではない。何故か不安の方が先に走ってしまう。

「僕ならいつでも都合付くよ。会いたい時があったらいつでも呼び出してくれていいから」

「そういうとこ、優しいね。……そんな風に優しいから、お姉ちゃんも含めて、色んな人が好きだって言うのかな」

 彼女の視線は僕の方へ戻っていた。エアコンの温風がやけに暑く感じる。彼女のはにかみに僕は何も言えず、うん、と首を縦に振っていた。

「神様さんのメイド服姿、凄く似合ってる。また行くよ」

「そう言ってもらえると嬉しいな。似合わないより似合ってるって言われる方がやっぱり嬉しいし」

「……神様さん、その……何かあったらすぐに言ってね。少しくらい無理なことだったら頑張って絶対に力になる」

 言いたかった。その、の後に君のことが好きだから、という一言を。でも言えなかった。軽くあしらうのは得意なのに、どうして彼女に対してだけこんな慎重になってるんだろう。自分でも分からない。

 神様さんはそれがおかしかったのか、口元を押さえてありがとうと返事した。

 春の夕暮れは、人の往来を眩しく映す。

 色んな人が行き交うその道で、僕は何を思い、何をするのか。学業優先なんて言葉がどこかへ消え失せたように、僕は彼女の瞳の残影に囚われていた。

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