3/7 思えないことのもどかしさ
野ノ崎も楽しみにしていた実力試験は、楽など欠片も寄こさず、あっという間に終了した。
成績優秀者一覧が廊下に貼り出されている。科目別に並んだところに僕の名前はぽつぽつとあって、総合点数で二位というありがたい結果が記されていた。
しかし自分の試験結果より、右左の試験結果の方が気になる。僕は一年の結果が貼り出されている二階へ歩んだ。
「……凄いな」
貼り出されていた結果を見て、僕は思わず呟いた。一年半分の勉強の蓄積があるとはいえ、全ての科目において、九十点以上の高得点を叩きだしていた。まるでゲームのスコアアタックのようで、実力試験で他者を寄せ付けない圧倒的な一位というのは驚きに値する。
それにしても、先ほどから僕の姿がちらちらと見られている気がする。一年の結果を三年が見に来ていればそりゃおかしな話にもなるか。
僕は右左の教室を覗いてから自分の教室に帰ることにした。
右左のいる1ーCの教室。右左はどこにいるか……と思い、目をこらす。
右左の席がある辺りに、人だかりの山が出来ていた。女子も男子も、とにかく詰めかけているという印象だ。
休学していたとは思えないほどの成績に、周囲も色めき立っているのだろう。これは僕が去年、委員長に勉強を教えてくれと言われた時より凄いことになっている。
教えてほしいか、お近づきになりたいか。右左のような引っ込み思案な子と付き合っても、なかなか会話がかみ合わずにうまくいかないことの方が多いと思うが。
僕は右左に一声掛けるのをやめ、貼り出されていた成績表をもう一度見てから、自分の教室に戻ることにした。
「あれ?」
廊下の喧噪の中に、一つ調子の違う声が聞こえる。ふと目をやると、右左の担任である、新任の女性教師が立っていた。
「楠木さんのお兄さんよね。こんにちは」
「どうも」
頭を下げると、彼女はくすくす笑って手で制した。
何か用でもあるのかな。そんな顔をしながら彼女の顔を見ていると、彼女はふうと大きなため息をこぼして僕と向かい合った。
「楠木さん、試験結果凄かったわね」
「半年間、ずっと家で勉強してましたから。その積み重ねの貯金が効いてるだけで気を抜いたらすぐに落ちますよ。それにその間やってきたのに、百点満点じゃなかったわけですし」
「そんなことないわよ。九割五分取れるとか、他の子と比較にならないと思うわよ。百点を取るなんて、それこそ自分の想定していた通りの問題が出た時だけじゃない? それはあなたもよく分かってると思うんだけど」
確かにそれはそうだ。僕の二位という数字はぱっと見は素晴らしいが、得点的には八割台だった。そこから考えれば、右左の一位の内容の濃さは驚嘆に値する。
「あなたも学年二位だったって聞いたけど」
「一位の人はもっと凄いってことです」
「時々一位になってる人が言うと、ちょっと嫌味になるから気を付けなさい」
バレてたか。別に点数レースをしているわけではないのだが、相手の方が勝手に僕をライバル視しているという話は聞かされている。僕が気を抜いたような点を取るのは許せない、らしい。面識も特にない人間にそういう感情を持たれても正直困るだけなので僕としては少しは気楽になりたかった。
「兄妹揃って成績優秀なんて、お父さんやお母さん、さぞ嬉しいでしょうね」
「……それはその内、面談の際に話すと思いますが、特にそういう感情のない家だとは言っておきます」
「……そう」
僕の淡々とした言葉で彼女は察したのか、すぐに引っ込んでくれた。若いのに割にきちんとした人だな、と僕は少しだけ彼女に対する見方を変えた。
「とにかく。楠木さんも段々とクラスに溶け込みだしてるし、そこまで心配するようなことはないって伝えておくわね。それじゃ、授業もあるし、行くわ」
と、彼女は最後に明るい顔を見せて廊下の向こうに消えていった。
クラスに溶け込んでいる右左、か。想像しにくいが、それも現実なのだろう。僕の認識がアップデートされていないということの裏返しでもある。
右左に対する思いも、そろそろ変えなきゃいけないな。僕はのんびりした思いで、遠回りして教室に戻った。
戻った教室には取り立てて面白いものはない。選択授業でばらばらにみんなが散っている形だ。
実力試験が終わった。あとはご褒美である神様さんとのファミレスが待っている。
彼女にとっては何でも無い日だろうけど、僕にとっては実質デートだ。ここ最近の張り詰めた空気から解放されると同時に、彼女の笑顔で癒やしをもらえる。
少し休みが続いたら、神様さんの働いているメイドカフェにも行こう。そういう思考をしていると、右左のことで色々考えてた脳内がすっきりして、明るい自分に変わっていくのが分かる。
僕は選択科目の世界史Bの教科書を持ち出して、教室を移動した。
ただ授業中も僕の頭の中は神様さんとどれだけ一緒にいられるか、そんな邪念ばかりが過ぎってまともに勉強に打ち込むことが出来ない。このままだと成績下降まっしぐらという気もするが、それでも僕のはやる気持ちを抑えることは出来なかった。
授業が終わり教室に帰る。すると、見慣れた姿が目に飛び込んだ。
先日野ノ崎に悪し様に言われた二年の木島さんだ。
廊下でぽつんと立っているところからして、偶然、というわけではなさそうだ。このまま無視するのは簡単だが可哀想だ。僕はあえて声をかけた。
「木島さん、こんにちは」
「あ、あ! 先輩、授業お疲れ様です」
「君も授業だったんでしょ。お疲れ様」
僕が笑顔で軽く返すと、彼女は頬を真っ赤にしながら俯いた。何と言うか、こういう子を無下にする言動や行動は心苦しい。彼女の思いを受け止めてくれる新しい人が現れるように、すっと振る方がいいのではないかと僕は逡巡していた。
……周囲から視線を感じる。委員長に続いて二年の子をたぶらかしたとかそんな噂話がまた辺りを駆け巡るのだろうか。
「あら?」
噂をしていないのに、なんとやらである。
「塚田君、こんにちは」
後ろから声をかけてきたのは、その心に思った委員長である。委員長は僕と木島さんという組み合わせに何の疑問も持たない目で、すっと僕達の間合いに入ってきた。
「委員長、久しぶり。学年変わってからは初めてだよね」
「一度あなたの背中を見つけて、声をかけようかなって思ったんだけど、妹さんを連れてたからやめておいたの」
「ああ……ごめん、気を遣わせて。妹、うまくいってるみたいだよ」
「そうね。試験凄いじゃない。圧倒的な点差でトップなんだもん。休学してたとかそんな不安吹き飛ばすくらいのインパクトよね」
委員長は楽しげに喋る。一方、その横で木島さんは肩を小さくしてじっと黙り込んでしまった。
このままだと木島さんの立つ瀬がないな。僕は委員長に木島さんを紹介してみることにした。
「この二年の子、前に右左とちょっと知り合いだったんだって」
「へえ」
「それで僕にも声かけてくれるんだ。部活とか入ってないから、先輩って呼ばれるの新鮮に感じる」
僕が笑ってみせると、木島さんは「え?」という顔をした。僕は彼女に向き合って「とりあえず話を合わせて」とアイコンタクトを送った。
木島さんは意図を汲み取ったのか、「はい」と頷いて委員長の追求を躱した。
「えっと……生徒会長さんですよね。全校朝礼で挨拶されてたの、覚えてます」
「ありがと。あんまりそういうキャラでもないんだけどね」
彼女は困り顔で笑いながら、木島さんに軽く返答した。
春風が開きっぱなしの窓から吹き抜ける。委員長はなびいた髪を抑えながら、木島さんに微笑んだ。
「楠木さん、二年生の知り合いあまりいないみたいだから、出来れば仲良くしてあげて。一年生ばかりじゃ寂しいじゃない」
「そうですね。私、頑張ります!」
木島さんは強く叫ぶが、実際のところ右左と木島さんにそれほど強い関係性はない。
もっとも、そこを強く指摘しても仕方ない。嘘から出た実という言葉もある。これで右左が木島さんと仲良くなれば、それはそれで幸せな話だ。
「委員長、クラス離れたけど、今年も色々妹のことでお世話になると思う。今年もよろしくね」
「塚田君の頼み、断れるわけないじゃない。でも生徒会の仕事って結構面倒なのよね……。妹さんとあなたを、幸せな方向へ導けるように頑張るわ」
と、彼女は最後にそんな言葉を残して、廊下を闊歩して立ち去った。
「……木島さん」
「……はい」
彼女が去った後、僕は木島さんと改めて向かい合った。別に説教をしたいわけではない。だがちょっとした嘘が原因で物事が大きく崩れる時もある。それを彼女に知ってほしかった。
「別にきついことを言いたいわけじゃないんだ。でも、君の猪突猛進な性格は、時として取り返しのつかないことを引き起こす可能性がある。右左と仲良くしてくれるならそれでいい。でも右左は、今、友達作りより学校に慣れることの方が大変なんだ」
「……ごめんなさい」
「別に責めてないよ。ただ、仲良くしたいっていう言葉が本当なら、右左と仲良くなってほしいってだけのこと。ただ単に口から出任せで言ったことじゃないって示すためにね」
少しきつめの言葉。それを彼女はどう受け止めたのかは知らないが、少し肩を落としながら一礼した。そして、そのまま自分の教室のある方へとぼとぼと歩き出していった。
危うい奴と言えば僕の中では野ノ崎だったのだが、木島さんは木島さんで危なっかしいところだらけだ。彼女が右左と仲良く出来ている光景は、残念ながら今の僕には想像出来ない。
何と言うか、ややこしい案件を抱えたものだ。
僕は大きなため息を一人こぼしながら、緑陽に跳ね返った光の眩しい我が教室へと帰っていった。
二日ほどお休みいただきまーす




