3/5 昼食メンバーに新しい人材が加わりました(上)
実力試験まで明後日という日、僕は毎度のように食堂にいた。
テーブルの向かいに座るのは、いつものようにうどんを食べている野ノ崎、そしてその隣に三重美咲ことミミ。
そして、新しいラインナップが加わった。僕の隣に妹の右左が座っているのだ。
先ほどから何度も視線を感じる。僕に対してではないし、ましてや野ノ崎やミミへのものでもない。ただ一つ、右左を通り際に見ていく人間がやたらといるのだ。
「……兄さん」
勉強面では右左は模範的な学生だと右左の担任から聞かされている。しかし、この何度も発生する視線の槍に右左は若干耐えられないような表情をしていた。その視線を発しているのは主に男子である。
しかし彼らに悪気があるわけではない。ただ単に可愛い子がいるなーと観察しているだけのものもいれば、何とかして近づけないかと画策するものもいる。
つまり、一年の女子事情は現在のところ八割近く右左が持っていっていると言っても過言ではない。
「一宏妹。何だか俺達まで有名人になりつつあるんだが」
右左が昼休みの退避先に選んだのは、僕達三人の昼食タイムだった。たまにばらばらに食べていたこともあったが、右左が加わるようになって毎回この面子で固定されつつある。
「あ、あの、あの、野ノ崎先輩には本当にお世話になってます」
「右左、こいつに先輩つける必要ないってこの間も言っただろ」
「あ、は、はい。えっと……野ノ崎さん、迷惑をかけて済みません。でもこうしないと気持ちがもたなくて……」
と、右左が呟くと、解せないと言った面持ちで野ノ崎が頬杖を突いた。
「モテてるんだったら気にする必要ねーじゃん。いざとなりゃ一宏頼ればいいんだし」
「あの、野ノ崎くん、右左ちゃんすっごく悩んでるんだよ。私たちじゃ想像出来ないけど、いっつも視線に晒されるって結構怖いんだからね」
ミミが右左の言いたいことを代弁してくれた。ただ野ノ崎はその辺が理解出来ないのか、手を後頭部に回して首をくいと捻った。
「まあそりゃうちの学年でもかなり噂になってるけどな」
「うちの学年の子がアタック仕掛けないのってカズ君がいるからだよね」
「だろーなー。一宏にあれこれ言えるだけ精神力強い奴なんてそういないし。一宏見た目はいいけど取っつきにくい奴ってのが大半の認識だからな」
何だろうか、フォローする気があるのか罵倒したいだけなのか。
右左の小さな弁当箱の中身はまだそれほど減っていない。精神的にかなり参っている証拠だ。
「右左はどんな学生生活をイメージしてたの?」
「何となく周りとちょっとだけうまくいって、静かに勉強だけしてる生活でした」
「で、一宏の妹はそれと全然違う生活にギャップを感じているわけか。モテるのも辛いねー」
野ノ崎が本気で心配しているのか呆れているのか分からない声でぼやく。
確かに右左の望んでいた生活はそんなものだっただろう。だが現実はそうではない。皆、右左という異質な存在に目を引かれるのだ。
「右左ちゃん、男の子から告白されたりした?」
ミミが心配そうに訊ねる。右左はしばらく黙っていたが、やがて根負けしたかのようにぽそりと呟いた。
「三人に告白されました」
「この時期に三人って人間性見てないよなー。ただ見た目いいから付き合いたいだけって奴。人間として最低だね。そう思うだろ、一宏」
「いや、僕は聞いたことないから分からない。右左はどう答えたの?」
「今はちょっとそういうことが分からないから、考えさせて下さいって答えました」
右左の答えに、野ノ崎は笑いながら目元を抑えた。野ノ崎でなくとも分かる。この答えは最悪の返答だ。相手をはっきり断るわけではなく、希望を見せてどうするんだ。
右左の一言一言が重くなってきた僕は、右左の弁当箱より大きな自分の弁当箱に入った昼食を一気にかき込んだ。我が妹の無防備さに流石に呆れが来る。
「なあ、一宏妹」
「はい?」
「お前、一宏のことどれくらい知ってるんだ?」
右左は不意打ちを食らったかのように、きょとんとした目で野ノ崎を見ていた。野ノ崎はやれやれと言った形で僕を一瞥した。
「一宏、お前都合悪いこと全然話してないな」
「都合悪いことってなんだよ」
「委員長のこと、二宮のこととかそこら辺だよ」
野ノ崎の言葉に右左は「え?」と間抜けな声を漏らす。確かに話したことはないが、別にひけらかすことでもないだろう。
だが野ノ崎の悪癖が止まるわけではなく、右左にぺらぺらと事の次第を喋りだした。
「こいつさ、生徒会長にアプローチすげーされてるのに無視してんの。それをないがしろにしてるくせに、気にしてるのが学校中退した二宮っていう奴なんだよ」
「そ、そうなんですか? 兄さん」
嘘をついても仕方ないが、話せばややこしくなる。僕は黙ったまま食事を続けた。
「二宮って顔もスタイルもいいけど変な奴でさ、それに首突っ込む一宏もまあ変だなってことだよ、なあ一宏」
「野ノ崎、僕は今箸を持っているわけだが」
「はあ? 何だよ」
「この距離ならお前の目に箸を突き刺すくらい簡単だぞ」
僕が淡々と脅しをかけると、野ノ崎は途端に黙ってしまった。そんなのなら最初から言うなよ、バカが。
僕は右左の顔を見た。どこか不安げな、曇った目をしている。
「大丈夫だ、右左。学校にいる間は僕は右左の味方だ」
「……兄さん、ありがとうございます」
僕達のやりとりを、野ノ崎は白けた眼差しで見ていた。きっと奴の頭の中には神様さんのことがたっぷりと詰まっているのであろう。
「ていうか、妹に二宮のことも委員長のことも話してないのが驚きだ」
「確信の持てない話をするほど馬鹿じゃないだけだ」
「あの、野ノ崎さん、委員長さんのお話は聞いてます。復学のサポートをしてくださった人だって。でも、それ以上のことは聞いてないだけなんです」
「そーれーがー問題なんだよ。いいか、お前は一宏のプライベートの何割知ってる? こいつはそういう秘密主義に生きてきた男なんだよ」
野ノ崎の呆れ調子の独演会は続く。いい加減席を立ってこの馬鹿な話から逃れたいとも思うが、右左の気にするような素振りが、そこから消えるという選択肢を奪っていた。
「言われてみたら……兄さんがどんな学生生活を送ってるのか、誰と親しいとか、私、何にも知りません」
「だろ? 家族なんだからさ、もう少し色々話すべきだと俺は思うわけよ」
野ノ崎は好き勝手言う。僕はそんな野ノ崎の呆れ調子を止めたくなって、思わず口を挟んでいた。
「野ノ崎の言うことには一理ある。だけど、今までの右左はとりあえずここへ戻るっていう重要な目標があった。だからそんな話をしたくなかったのも確かだ。右左が知りたかったらこれからきちんと話す」
僕が仏頂面で告げると、野ノ崎も流石に言い返す言葉を失ったのか、最後の麺の一本をすすって、「そうか」と頷いた。
「まあ右左ちゃん、カズ君だって意地悪したくて教えなかったわけじゃないよ。本人が言ってる通り、余計な心配をかけたくないっていうことだって私も思うし」
「私……そんなに不安な表情してたんでしょうか」
「きっとそうだよ。あんまり気にしないカズ君が心配するくらいなんだもん、やっぱり休学から復学するって大変だと思う。私は役に立てないと思うけど、頑張って」
ミミに励まされ、ようやく右左の顔に笑顔が戻った。何と言うか、右左のメンタルを支えるのはこれはこれで苦労しそうだなと僕は心の底で息を吐いた。
「話変わるけど、一宏妹は去年一緒の学年の奴と会ったりしないわけ?」
野ノ崎にしては真っ当な質問が飛んできた。僕もそれは若干気になっていたところで、右左の表情をそっと窺った。
右左は微苦笑を浮かべ、少し俯くように弁当箱に視線をやってゆっくり答えた。
「向こうは覚えてくれてるみたいですけど、私、誰も覚えてなくて……」
「まあしゃーねーな。一ヶ月か二ヶ月だっけ? いたの。そりゃ顔も覚えてないわ」
「それだけじゃないんです。私、前にここに入った頃から兄さんが帰ってきた頃の間までの記憶、ほとんどないんです。何となく毎日勉強してたことと、夕飯をコンビニに買いに行ってたことは朧気に覚えてるんですけど……思い出らしい思い出なんて何にもなくて」
右左は寂しげに答えた。これはあれだろうか、嫌なことがあると、人間の防衛本能が働いて記憶を抹消してしまうという現象だろうか。
いや、そうだろう。右左にとってその頃は何の希望も持てない、苦痛すら感じない時期だったのだ。
野ノ崎は軽口でも叩くかな、そう思いながら目を向ける。だが意外なことに、野ノ崎はかける言葉がないとばかりに、口を噤み、視線を逸らしていた。
「右左ちゃん、よく戻ってこれたね。それだけでも凄いよ」
「……兄さんが帰ってきてくれたから。それがなかったら、今も私、家で引きこもってたと思います」
「あのなあ! 一宏が色々してくれたのも分かる。でも、学校なんか行かなくても立派な人生送ってる奴なんて腐るほどいるんだ! だからお前も自分を見失うな!」
野ノ崎が突然大声を発した。その勢いに驚いた右左は、ただ目を丸くして野ノ崎を見つめていた。
何だかんだ言いつつ、野ノ崎はいい奴だ。咄嗟にこんな言葉を熱を持って告げられる人間なんてそうはいない。しかも打算抜きで、だ。
ただし、その熱の籠もった言葉が、周りのテーブルで食事に興じていた人々の視線も受け取ったことに関しては、マイナスの評価を与えたい。いい奴なのだが、いい奴になればなるほど周囲が見えなくなる野ノ崎の悲しい人生は、どこで転換点を迎えられるのか。
「右左。野ノ崎の声の大きさはちょっとおかしいけど、こいつの言ったことは正しい。ここに戻ってきたのは喜ばしいことだけど、結果を出さなきゃとか、そういうことに気を取られないようにしてほしい」
僕や野ノ崎の言葉を、右左は深く深く、呼吸を整えるように聞き入っていた。
すると、横で聞いていたミミも、優しく笑みを浮かべながら、右左の背中を押すような言葉を発した。
「大丈夫だよ。心配しなくても、右左ちゃんの背中をカズ君はずっと押し続けてくれる。それでも足りなかったら、私とか野ノ崎君の力を頼ってくれたらいいんだよ」
ミミの一言が決定打になったのか、右左は緩やかに笑みを浮かべ、恥ずかしげに「はい」と頷いた。




