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3/4 初恋の話と、これからのことと

 食事を終え、僕は夕暮れの街を神様さんと歩いていた。

 人葉さんは「ご飯食べたし付いてくの面倒くさい」と言って、家に残った。

 神様さんは一定の距離を保ちながら、明るい表情で訊ねた。

「昨日と今日、いい日だった?」

 妹のことを聞いてるんだな。僕はそうだね、と前置きをして返した。

「昨日と今日はいい日だった。でもそれがずっと続くわけでもないと思う。たまに妹もつまずく日があるだろうし、僕が煮詰まる時もあると思う。それを乗り越えるのが大変かなって」

 僕の言葉に納得したのか、彼女は何度も頷いていた。

「でも、今日みたいに本当に祝福されたっていうのは、凄く嬉しかった。チキンもケーキも美味しかったけど、そういう風に祝ってくれるってことがサプライズだったから」

「あのね、妹さんが復学するってずっと聞いてたじゃない」

「うん」

「一ヶ月くらい前かな。ずっと頑張ってるきみに何かしてあげたいと思ったんだけど、私に出来ることなんて何にもないから、凄く悩んだ。で、今日みたいにしようと思って」

 本当にこの人は心の優しい人だ。何もしてくれなくても僕は喜ぶ。それなのに、祝うことを先に思ってくれるなんて、普通は出来ない。

 今年一年の間に好きだと告白出来なかったら、多分もう一生その機会は訪れない気がする。僕は夕焼け空を見上げながら、口をぎゅっと結んだ。

「それにしても、妹を祝うんじゃなくて、僕を祝ってくれるってのが神様さんらしいな」

「本当は妹さんも祝ってあげたいんだけど、面識ないしね」

「そう言えばそうか。会いたい?」

「会いたいような気もするけど、ちょっとまだ早いかなって思う」

 会うのに早いも遅いもあるのだろうか。僕はそんなことをぼんやり考えながら、にこにこし続けている彼女の横顔に見とれていた。

 駅前に行く……のかと思ったが、少し道を外して、ファストフード店の前に着いた。煌々とした灯りが春の店をカラフルに彩っている。

「ちょっと休憩していかない?」

「まあいいけど。お腹減ってないよ」

「飲み物だけでいいよ」

 彼女は踵を返すようにくるりと回って、店に入っていった。僕も慌ててその後に付いていく。

 彼女はメロンソーダを頼み、僕はアイスティーを頼んだ。すぐさま席に着き、彼女は頬杖を突きながら、真っ直ぐな視線で僕の目を捉えてきた。

「クラス分け、どうだった?」

「知り合いはいなかった」

「委員長とかも?」

「あの人もだね。神様さんのことについてはまだ許せないけど、妹の復学で随分助けられたから、あの人に会うのは結構複雑な気分」

 神様さんは嫌な人の話を聞かされたというのに、にこやかな顔を崩すことはない。頬杖を突きながら見せる真っ直ぐな微笑は、僕を動揺させるには充分だった。

 彼女は学園に戻りたいのだろうか。だが働いている彼女や、こうしたプライベートで会う彼女にその面影はない。むしろ、学園から離れて、自分なりの道を一歩一歩着実に歩んでいるように感じられる。

 それに比べて僕のふらつき具合。そろそろ志望校を決めなきゃいけないのに、片道二時間までの間で行けるそこそこの大学からどこを選ぶべきか、などといういい加減な有様である。

「きみは道を決めた?」

「……神様さんとか妹と離れて生活するのは嫌だから、なるべく近くって決めてる」

「そっか。でも、妹さん、それ喜んでる?」

 痛いところを突かれた。野ノ崎やミミなら知っていることだが、神様さんにそれを話したことはほとんどない。それなのに、彼女は僕が悩んでいることを一発で見抜いた。

 僕の顔は饒舌なのだろうか。小さなため息をつくと、迷い顔が表れた。

「成績いいんでしょ? お姉ちゃんの学校でも評判になってくるくらいだし」

「本当、それ? 何か気味悪いな……」

「そうだよね。自分の知らないとこで勝手に褒められるなんて」

 彼女がくすくす笑い声を漏らす間、僕は困惑して逃げるような形でストローに口をつけた。

「ねえ、お姉ちゃんとはどういう関係なの?」

 その言葉に僕の息が止まった。確かに僕は、三月のある日、神様さんが一番だけど、人葉さんにも恋心を諦めないでほしいと言った。その八方美人さが今の自分を苦しめているとしか思えない。

「後輩ちゃんにも告白されたし、きみの恋愛模様はどうなるのかなー」

 神様さんはからかうように僕に言う。そう言われても、不可抗力が次々と襲いかかってくるのだから、僕がどうこう出来るわけでもない。

 今この瞬間に、「僕が好きなのは君なんだけど」とむすっとした態度で言えたらどれだけ楽か。そんなことも出来ない自分の臆病ぶりに、相変わらず呆れてしまう。

「ケーキ、美味しかった?」

「ああ、凄かった。店で売ってるのと全然変わらない味だった」

「よかった。お姉ちゃんも言ってたけど、三回失敗した時、もう駄目かなって思ったんだけど、絶対に自分の手できみを祝ってあげるって思ったら、いきなりうまく行くようになったんだ」

 それに僕は疑問を抱いた。どうして彼女は、そこまでして僕の昨日という日を祝福しようと思ったのだろう。

 そんなこと、理屈で考えたって仕方ない。彼女がこうして祝福してくれる、そんな千載一遇のチャンスがあるのに何も答えられない自分に、苛立ちを覚えるだけだ。

「そう言えばさ、ケーキ失敗したって結構お金かかったんじゃないの? チキンもだけど」

「え? お金のこと?」

「悪いし、お金払うよ」

 と、僕がそう言うと、さっきまで喜色満面だった彼女の顔色が、一気に険しいものに化けていった。

「別にそういう対価を求めて作ったわけじゃないし」

「でもケーキ四つ分のお金はかなりかかってると思うけど」

「あのね、これは私がしたくてしたの。君にお金の心配をされるためにしたわけじゃない。きみ、そういうとこ考えるの本当に下手だね」

 最後に呆れたような言葉をもらい、僕はただ愕然と肩を落とした。確かに、彼女は僕を祝うためにケーキやチキンを用意したわけで、そこでお金を出すよなんて、無粋そのものだった。それに気付かずそう言ってしまったのは、間抜け以外の何ものでもない。

「ごめん、気が利かなくて」

「いいよ、きみのそういう性格は充分知ってるし、そこでイライラしたことはないから」

「……ありがとう。でもシフォンケーキとか、もうちょっと簡単なケーキでも良かったんじゃない?」

「シフォンケーキなら、メイドカフェで執事長が作ってるから見よう見まねで多分一発で作れたと思うんだ。でも、こういう時はショートケーキじゃなきゃね」

 僕一人を祝うために、ショートケーキを一から作ってくれた。その意味を、僕はもっとしっかり噛みしめるべきだ。

 嬉しい。でもその嬉しさを最大限に表す方法が分からない。

「ねえ、神様さん」

「何?」

「妹の夢は、とりあえず学校を無事に卒業することなんだ。僕の夢は、まだ人に話せるところじゃない。神様さんが抱えてる夢って、何?」

 僕が訊ねると、彼女は少し目を閉じた優しい顔付きで、僕に淡々と語った。

「少しずつ進んでる気はする。でもまだ私も言える段階じゃない。何とか頑張ってみればいいかなってところ。夢がもう少し近づいたら、まずきみに言う」

 その言葉に、胸がきゅっと締め付けられる気持ちを覚えた。僕に言って、どうにかなることなのだろうか。

 それとも、神様さんの未来に、僕の未来が組み込まれているのだろうか。

 もしそうなら、僕は彼女の手を引いて、一緒の道を歩いていきたい。

 ……まだそれを確定とするには早すぎる。クヌギの精霊に愛される人間は一人。僕が彼女の好みでなければ、僕が朽ち果てた後に、他の人間を選ぶだけなのだ。

 最近彼女のことを考えていると、自分がどうこうではなく、漠然とした不安が自分の中に生まれてくる。そして自分で制御しきれなくなったそれがどんどん心を破裂させんばかりに膨らんでいく。深く考えても無意味だと分かっているのに。

 どうしてこんなに憂鬱になるのだろう。それを思ってもまったく分からなくて、僕はただただ口を結ぶことが増えた。

「神様さんと知り合って半年以上経ったけど、色々あったね」

「そうだね、思い出したら色々あったけど、あんまり凄くなることはなかったかな」

 それには僕は苦笑して誤魔化した。まさか妄想で生み出した彼女に恋をしてキスまで交わしたとなれば、頭のおかしい人一直線だ。

 でも、そんなことよりも、本物の彼女とこうして喋れる方がよほど幸せだと分かる。それが僕がこの半年で得たものだった。

 僕がもし、あの時ここへ帰ることを選択せずに、一人暮らしで以前の街で暮らし続けるという選択肢を採っていたらどうなっただろう。神様さんの存在を知ることなく、僕は無味の生活を送っていたのだろうか。

 それを考えただけでも、この街に戻ってきてよかったと感じられる。

「ねえ」

「何?」

「最近、目合わせてくれること減ってない?」

 その一言で僕ははっと気付いた。確かに彼女と目を合わせる回数が減っている。気にしていなかった頃は目をじっと見て彼女をからかっていたのに、今は彼女と目を合わせると恥ずかしい思いでいっぱいになる。

 そう言えば、恋愛なんてこの方したことがなかった。右左を好きになったのが先か、神様さんを好きになったのが先か。

 どちらでもいいが、今僕の目に映っているのは前にいる彼女だけだ。

「僕は、神様さんと一緒にいて、笑い合ってるこういう時間が一番幸せなんだ」

「妹さんといる時よりも?」

「うん。妹には悪いかなって思ってるけど、それでも神様さんがいてくれることが僕にとって凄く楽しく思える」

 彼女は頬杖を突いたまま、僕を優しい目で捉える。少し潤んだ唇が開く様が、妙になまめかしい。

「出会って半年かあ。きみは私に変えてもらったって言うけど、変えてもらったのはきっと私も同じ。きみと知り合ってなかったら街ぶらぶらしてるだけの駄目人間だったからね」

「あれ、いつまで続ける気だったの?」

「たまの暇つぶしだよ。家の中でじっとしてるの嫌だったから、外に出ただけ。で、あの日なんとなく学校のある駅に行って、ふらっとしてたら何となく気になる人がいたんだ」

「それが、僕」

「そう。周りが自分に何にも関係ない石ころに見えたのに、きみだけはきらきら光る宝石に見えたんだ。だから話しかけたの」

 僕はその時のことを思い出していた。いきなり僕の前に現れた不思議な少女。ふらふらしてて危なっかしくて、あまつさえ僕にジュースをねだってきた。

 はっきり言って、第一印象は最悪に近かった。

 そんな人が、今一番僕が大切にしたい人になっている。人生とは本当に分からないものだと痛感させられる。

「あの頃の神様さんも、今のメイドカフェでアルバイトしてる神様さんも、どっちも僕に元気をくれる。ありがとう」

「感謝するのはこっちの方だよ。……あの頃、人生が何か全然分からなかった。神様だ何だって言っても、根っこにあるのは弱い自分。それをきみが変えてくれたから。今生きてて楽しいって思えてる。それだけで嬉しい」

 神様さんの思いの詰まった言葉に、僕は懐かしむような目を見せた。あの頃だって元気だった。でもその心の奥底では、自分では何も出来ない落ちこぼれだと自責の念に駆られる等身大の少女がいた。

 それを僕が救えたという。その言葉だけで、僕は充分満たされる。

「それにしても、実力試験すぐでしょ。どう?」

「まあ、現状維持出来ればいいかな。神様さんは受けたことあるの」

「最初の二ヶ月くらいはいたからね。中間までは受けたかな。成績は中ぐらい。誰からも惜しまれずに学校を去りました」

 と、悲壮感溢れる過去を話す割に、彼女の声のトーンは明るい。

 この人が強いのか、すでに学園時代のことが過去になったからそう言えるのか、どちらかは分からない。でも僕には、彼女がそれを振り切ってくれていたことが、我が事のように嬉しかった。

「でも小学校とか中学校とかは経験あるけど、春休みとか夏休み、冬休みってあんまり記憶にないんだよね。きみは何かある?」

「親が離婚と転勤して別のとこ行ったからね。あんまり休みの面白い思い出とかない」

「……そういえば、さ」

 彼女が急に俯き、小さな声で訊ねてきた。

「きみはどんな初恋とかしたの?」

 思わず、僕の唇が動きを止めた。思い返せば、僕は人を好きになったことがなかった。そこに風穴を開けたのが、神様さんだった。右左をカウントしていいのかどうか分からないが、僕の中で、かつて誰かと共に歩みたいと思った人はいない。

「いなかったなー」

「……いなかった? 過去形?」

 まずいところを突かれた。僕は慌てて作り笑いを見せる。彼女はそんな僕の様子を窺うように、ずっと鋭い目で直視し続けた。

「神様さんはどうなの。加護で人を避けることが出来ても、神様さんの心は変わんないでしょ」

「それか。私ね、人が避けてくるの物心ついた時には分かってたんだ。こんな話し方してるけど、昔は無茶苦茶暗い性格で、陰キャだった。だから人を好きになるって感情も沸かなかった。お姉ちゃんはお姉ちゃんで、人をぼーっと見て、自分の気に入る人がいなかったから恋愛したことなかったらしいけどね」

 彼女は淡々と語りながら、過去の物語を淡々と口から紡ぐ。

 今の彼女は誰か好きな人がいるのだろうか? バイト先の常連で、気になる人が出てきてもおかしくない。

 でも、やっぱり僕はそこまで踏み込むことが出来なくて、彼女に茶化すように語りかけた。

「似たもの同士かもね」

「あはは、そうかも」

「でも陰キャの神様さんって想像出来ないな。高校時代もなんかとりあえず明るそうな印象があったから」

「まあ勝手に生まれたイメージだと思うよ。入学した時の自己紹介で神様なんですって言った時もなんか自信なさげに言った覚えあるし」

 なるほどな、と僕は首を縦に振った。それなら野ノ崎が嫌がる理由も分からなくはない。

「でも今はメイドカフェで明るく振る舞ってるし、そんなの気にしなくていいよ。そんなのがあっても、神様さんのことを好きだって思う人は必ず現れるはずだし」

「……それ、信じていいのかな」

 僕達の間に沈黙が過ぎる。簡単な思いつきで言っていい言葉でもないが、僕がそうだと伝えたい部分はある。

 何か話題を変えよう。僕は以前から気になっていた「あること」について訊ねることにした。

「あのさ、前から気になってたんだけど、初めて知り合った頃に、ファミレスで肉食べるの凄く嬉しそうにしてたよね。あれ、どうして?」

 彼女はそれを耳にすると「ああ」と苦笑しながら事の真相を話した。

「あれね。お母さんが肉類を食べると神様としての力が落ちるから出来るだけ控えるようにって。そう言いつけられたから、お姉ちゃんがお肉食べてる横で私は魚なんてこともあったんだ」

「菜食主義者ってわけでもなかったんだ。でも肉を出来るだけ抜きは辛いな……」

「ごくごくたまに食べてもいい時はあるんだけど、ほんとにたまに。だからきみにお肉食べさせてもらえた時凄く嬉しかった」

 彼女はそんなことを呟くと、くすっと笑った。きっと、彼女にとって家に対する、小さな反抗のような意味合いもあったのだろう。

「メイドカフェで肉類食べないの?」

「ほとんどなし。基本お昼食べてから行くし。でもね、卵とか魚はOKで肉は駄目ってちょっとおかしいと思わない?」

 そう言われても、二宮家のそれが神様の神性に由来するものなのば、逆らうべきではないだろう。

 その一方で、食べ盛りの頃に肉をたっぷり食べられないというのは、僕なら音を上げるのはすぐに分かった。また、右左は好物のビーフシチューが食べられなくなって人生の終末を迎えるかもしれない。

 そんな馬鹿なことを少し考えた後、僕は神様さんに一つ提案をしてみた。

「神様さん、今度またファミレス行こう」

「え?」

「考えてみたら、今日もローストチキンあまり食べてなかったよね。少しくらい親の目を盗んで羽目を外すくらいじゃなきゃ、立派な神様になれないよ」

 僕が励ますと、彼女はそうかなあ、と少し考え込んだ。そしてしばらく後に、僕の目を真っ直ぐ、あの柔らかい眼差しで捉えてきた。

「そうだね、たまにはそういう休みも必要かもね」

「そうそう。なんせ僕は今日神様さんと人葉さんに大きな借りを作っちゃったから」

「だからーそういうつもりじゃないんだからそういう言い方やめてよ」

「いやいや、恩には恩で返さなきゃ駄目だからね。都合のつく日があったら教えて」

 軽い口調で促すと、彼女はスマートフォンを取り出しカレンダーのメモを眺め始めた。

 そうだね、と一言彼女は告げ、僕に提案してきた。

「実力試験近いんだよね。それが終わった辺りで、行こうか」

「分かった。神様さんを心配させないように、出来るだけいい点数取れるようにするよ」

 力強く宣言する。その言葉が気に入ったのか、彼女は手を伸ばして僕の頭を撫でた。

 普段子供扱いしている人から、逆に子供扱いされると少し照れくさい。でも不思議と悪い気はしなかった。

「実力試験、頑張ってね。これから先の進路決めるのにも関わるんだから」

「分かってる。神様さんも、仕事頑張ってね」

「うん、大丈夫」

 僕達は互いに微笑みあい、言葉を交わさず同じように席を立った。

 この人の笑顔を見られるだけで、テストの苦労なんてどこかへ吹き飛ぶ。でも、それに応えるのは僕自身だ。

 次のテスト、絶対に頑張ろう。そんな気持ちを溢れさせて、僕は神様さんと店を出た。楽しいパーティーの時間は終わりである。

 右左のこれから、僕のこれから、神様さんのこれから。色々難しいけど、少しずつ道は見えてきた気がした。

 木立が辺りを駆け抜ける。耳元を冷たい風が突き抜ける。それでも今の僕には、逆に温かさを知るプレゼントに変わっていた。

 神様さんが手を振って僕の元から去った。僕も電車に乗ろう。右左の夕食が待っている。

 僕はそれから、柔和な表情を絶やさないまま、自宅への道のり、ずっと突き進んでいた。


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