3/2 温かな日々の感覚
入学に関する一通りの流れが終わり、僕達は帰る時間を迎えていた。
が、早速右左が男子や女子に取り囲まれていた。
「ねえねえ、クヌギさん、だっけ?」
「楠木です……」
「ごめんごめん楠木さん、今彼氏とかいるの?」
「うわーこの人手早っ。あの、楠木さん、これから一年、仲良くしてね」
早速野次馬連中は右左を囲んで好き放題言っている。これ、右左は逃げられないパターンだな。僕は間にごめんと一声かけて、割って入った。
「あの、済みません。楠木の保護者代理の塚田です」
すると今度は女子が僕の方を見て目を丸くしていた。そんな珍しいものか。
「あ、兄さん、済みません」
「兄さん……? 名字違うけど……」
「そこら辺はややこしい家庭環境がありまして。皆さん、楠木のこと、よろしくお願いいたします。右左、帰るぞ」
と、僕は半ば強引に右左の手を引っ張りその群れから逃げ出した。
人混みから逃れて、ついでに学校からも出て行った右左はようやくほっとした顔になっていた。
ただ学校に来ただけだというのに、彼女にとってとてつもない成功体験に変わっている。そんな右左を僕は微笑ましく見ていた。
「休学した生徒が戻ってくるのって、驚かれることなんですね」
「いや……野ノ崎の言葉に従うのは嫌だけど、右左が目を引くビジュアルをしているだけだと思うよ」
「……そうでしょうか?」
「そういうの、自分では気付かないものだけどね」
僕の言葉が今ひとつ飲み込めないのか、それとも右左自身自分に自信がない性格の表れなのか、きょとんとし続けている。
「右左」
僕が声をかけると、考え込み続けていた右左がはっと目を見開いて顔を上げた。
「な、何ですか?」
「学校生活、うまくやれそう?」
僕の少し意地悪な質問。それを右左はすぐに受け止め、笑顔に変えていた。
「きっと、大丈夫だと思います。今日を乗り越えられたんだから」
「そうだね。右左なら大丈夫だよ」
僕がそう言うと、右左はふふっと笑って、僕の腕元にもたれかかりながら歩いた。
妹離れはするつもりだったが、今日のこれくらいの甘えは許してもいいだろう。僕は何も言わず、右左と共に家への道のりをただ行く。
少しの間の心の旅路。僕は来年のこの時期に、何も言わず幸せな表情で右左に「行ってらっしゃい」と言えているだろうか。
右左ならきっと大丈夫。そう思いながら、今日は右左の大好物であるビーフシチューを夕飯に出すことを決めた。
「兄さん、桜、綺麗ですね」
「確かに。でも去年も見たんじゃない? 僕が住んでたとこは街路樹とかなかったから全然見られなかったけど」
「去年は見ても、何だか逆に責められてるような気がして辛かったんです。父さんも母さんも私にプレッシャーをかけないように何も言わない。でもそうやって優しさを誰かにかけてもらう度に、自分が何をやってるんだろうって泣いちゃってたんです」
右左はそう呟くと、もたれかかっていた僕の腕から離れ、自分で一歩進んだ。
右左にかかっていたプレッシャー。それは僕には想像出来ないほど辛いものだったのだろう。
それを知っていれば、僕はもっと早くこの地に舞い戻っていたはずだ。それを出来なかった、力のない兄。その事実を突きつけられ、僕もいつの間にか押し黙ってしまった。
右左はこの学園に通うことを、半年諦め、半年目標にした。僕は右左のために何かやってやれたのだろうか。
歩きながら、時折右左の顔を窺う。右左は俯きがちに歩いていて、硬い表情をすることもあるが、時折何かを掴めたのか、笑顔を見せることもある。
そうだ、僕も右左の面倒を見る一年と考えず、右左と通える一年と考えよう。
どんな出来事が待っているのか。艱難辛苦か、歓喜の日々か。
どちらでもいい。右左がここへ帰ってきたのだ、僕はみっともない真似を見せるわけにはいかない。
僕は昼の高い日を見つめながら、風に吹かれて落ちる桜の花びらに微笑んだ。