2/27 未来を見るために今を進む
一週間の休み。それを僕はどう過ごそうか悩んでいた。
丸々休みが続くと、流石の家事もやることがなくなる。右左の勉強具合も多少は気にしてみたものの、やはり頭がいいのか、煮詰まっている様子はない。
となると、僕は受験勉強の取っ掛かりでもすればいいと思うのだが、テキストを開く度に人葉さんの涙を思い出してしまう。
あの時人葉さんは「恋人ごっこをやめる」ということと「未練が残る」という二つの言葉を僕に残した。
……人葉さんは、本気で僕に恋をしていたのだろうか。
僕と神様さんは友達だ。なのにあんな涙を流したのが分からない。
僕は、自分が嫌になりそうだった。神様さんにきちんと言葉を返せていれば、この話はとうの昔に終わったことだ。それどころかきっかけもなかったかもしれない。
ただそこに、人葉さんの強い思いがあって、元気な人だと僕が勝手に思い込んで、嫌なことが起こった。
人葉さんは明るく元気な人を装っている。でも本質は、窓の外をじっと見ている、あのなにもかもに希望を抱いていない姿なのだ。
もし僕が、その希望の欠片になれたとしたら?
難しい問題だな、と僕は目を閉じた。
「会おう、やっぱり」
僕は携帯を手にし、人葉さんに電話をかけた。
だが着信拒否にされているのか、何の反応も返ってこない。
メールを送るか。送ってみると、送信エラーの文字が出た。
本気で僕と別れるつもりなんだ。そう思うと、あの日の涙ほどではないけど、自分の心がどんどん淀んでいくのが分かった。
夕飯の準備でもしよう。僕は諦めてキッチンへ向かった。
すると、相変わらず脳が糖分を求めているのか、右左がコーラを飲みながらニュースを見ていた。
僕は右左に笑いかけた。すると右左は、少し心配げな表情で僕を見てくる。少なくとも僕の知っている右左はこんな顔はしない。分からなくても、悟られるものだな。僕は口をぎゅっと結んだ。
「兄さん、何だか暗い表情してますけど、どうかされたんですか?」
「ちょっと考え事が色々あってさー。まあ、右左には関係のない話だよ」
「そうですか……。私に手助け出来ることがあったら、どんどん言って下さい」
そんなこと、あるかな。僕は少しだけ失笑して、気持ちを前向きに出来た。
「そう言えば、父さんの言っていた受験のこととか、大丈夫ですか?」
「志望校は何校か絞ってる。模試も受けてみたけど、基本A判定のとこしか受けないようにしようと思って」
「……兄さんは私なんかと違って頭がいいんですから、一人暮らししても……」
右左の声が沈む。僕は右左に近づいて、その低い背からすぐに届く頭をぽんぽんとはたいた。
「僕が一人で生きていけるならそれでいい。でも、右左をしっかり高校出るまで見届けなきゃ後悔しか残らない。右左、心配しなくていい。僕が支えるし、右左もそれが出来る」
僕が励ますと、右左は目尻を少し拭って、はい、と破顔一笑で答えた。
「右左、今日は野菜炒めとサラダとロールキャベツだ」
「兄さん……野菜ばっかりで酷すぎます……!」
「いい加減食生活見直さないと。ビーフシチューだけじゃ成長出来ないぞ」
右左は何か言い返したかったのか、口を開こうとしたが、僕の言い分に負けたのか、ぐっと口を真一文字に結んだ。
「まあ、右左は太るような体質でもないし、そこは心配はしてないんだけどね」
「兄さんの気遣いはありがたいとは思います……私もそろそろ料理を作れるようにならなきゃいけないかなって思ってる部分もありますし……」
「ジャガイモの皮もむけない子が言う台詞じゃないな。料理は一朝一夕で出来るもんじゃないぞ。少しずつ、覚えるんだ。その時は僕が教える」
分かりました、右左がへこたれたような声で返事する。
最近の右左は表情が豊かになった。笑う顔、僕に食ってかかる顔、悩むような顔。いずれも以前なら自分の殻に閉じ込めて見せなかった顔を、自然に出せるようになっていた。
何か目標があれば変わるのだろうか。かつて僕はそう考えていた。
その目標というのは、きっと学校に復帰することなのだろう。
大切な夢が、もっともっと素晴らしいものになるように、僕も一生懸命サポートしてやらなきゃいけないな。僕は学校に戻る右左のために何をしてやれるか、少し考えた。
「そういえば、先日来られていた野ノ崎さんと三重さん、期末試験大丈夫だったんですか?」
右左がそんなことを訊ねる。
ああ、そう返答して僕は一笑して返した。
「野ノ崎はまずいままかな。ミミはまあ何とかなりそう」
「そうですか。あと一年で受験とか、そういう大変さ、想像出来ないです」
「進学志望の野ノ崎がまずい成績で進路未定のミミが赤点取らないってのがな……教えてたこっちも困った」
僕の苦笑いに右左も同じように苦笑いする。
「右左はどこか志望先とかあるの?」
「……それはまだ分からないです。成績が上がるか下がるかも分からないですし。今の自分を照らし合わせたら、会社で働けるのかも不安がありますし」
右左は口を真一文字に結び、俯いた。確かに今は少しは丈夫になったとはいえ、未知の世界に対してのメンタルはまだまだ分からない。
僕は冷蔵庫から野菜を取り出し、料理の準備を始めた。
「今の右左なら難しいかもしれないな」
「……ですよね」
「でも、未来の右左は分からない。右左はもっと強くなる可能性だってある。だから、今は目の前のこと、一つ一つに集中するんだ」
右左はくすりと口元を緩ませて、はいと答えた。
目の前のこと一つ一つに集中。未来の僕は分からない。
神様さんの未来。僕との未来にするには、切り開いていかなきゃいけないことがたくさんある。
でもその前に、人葉さんの今もある。僕は、そこに責任を持つべきなのだ。
右左に説教したつもりが、自分に言い聞かせるような形になったな。
やっぱり、もう一度会いたい。このまま終わりは絶対嫌だ。
「右左、ドレッシングは何がいい?」
「シーザードレッシングでお願いします」
「分かった。じゃあ、今から料理作るから、そこら辺でゆっくりしてて」
僕の言葉にしっかりと頷いた右左は、食卓についてニュースを見始めた。
昔神様さんに言われた言葉を思い出す。
――幸せは、その人の心持ち次第。
やっぱりあの人には敵わないな。僕の中に、微かな光明が差した。