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2/25 それでも悔いは残って

 期末試験まであと数日。

 そんな重要な日に、僕はいつもと違う駅に来ていた。

 女子校である春日第一のある駅だ。

 ここで先日約束した通り、二宮人葉さんと会う予定になっている。会って何をしたいのか分からないが、初めて降りる駅は新鮮だった。

 駅に直結した百貨店は巨大で色々揃うだろう。改札のある二階から降りた一階も、飲食店やドラッグストアなど色々目移りしそうだ。

 さて……来るまで何をしていようか。

「どりゃっ!」

 げほっ。いきなり僕の肺がむせた。背後からの避けられない一撃。倒れそうになる体を必死に支えて、背後から加えられたタックルに目をやった。

「こんにちはー一宏君」

「……だと思いましたよ。こんにちは、人葉さん」

 僕の背後に立っていたのは人葉さんだった。人葉さんはしたり顔で僕の背に抱きつき続ける。この人、本当に何がやりたいんだ。僕はゆっくり腰回りに回された腕をほどいて、彼女と改めて向かい合った。

「丁度今着いたところです。人葉さんは?」

「君にこれやるために待ってた」

 ……なんて暇な人だ。だからこその人葉さんだと思うと、怒る気分など沸くはずもなく、笑って僕は歩き出した。

「どこか行きましょう」

「そうだね、なんか食べよっか」

 人葉さんが僕を先導するように、前へ出てくる。そして、腕を組みながら指差ししながら方向を指示する。

 僕達が着いたのは、何気ないハンバーガーショップ。人葉さんは何を注文するのかなと思って見ていたら、シェイクを一つ注文して終わりだった。

 僕はやや小腹が空いていたので、ポテトのLサイズとコーラのMサイズを単品で注文した。

 人葉さんは何も話していないのに、喜色満面といった笑みをずっと浮かべ続けている。

 窓際の席に、向かい合うように座る。運ばれてきた揚げたてのポテトは、舌を少し火傷させる。人葉さんはいつかファミレスに行った時のように、何も喋らず外を見ていた。

 饒舌な彼女が真なのか、無言を貫く彼女が真なのか。僕には想像つきかねる領域が目の前にあって、それは近いはずなのにあまりにも遠くて掴めそうにもなかった。

「あの」

「……」

「……やっぱりいいです」

 もはや独り言に近いことを呟いた。人葉さんは話しかけても応えない。やっぱり窓の外を見ているだけだ。それに何の意味があるのか。神様さんとはやっぱり違う部分が見え隠れする。

 でも、何故か不快感はない。見ていると、不思議とその真横から除く黒目の深さに引き込まれそうになる。

 この人が漂わせる、神様さんと似た空気。それが僕の好奇心と少しばかりの恐怖を煽り立てて、もっと見つめていたいと思わせるのだろう。

「あれー人葉、何してんのー」

 背後から声がする。人葉さんがゆっくりと顔を上げた。僕の後ろに、春日第一の制服を着た二人組がいた。一人は学生なのに化粧を思い切りした遊んでそうな子。もう一人は背が高めで何となく地味な印象の子。ただどちらも人葉さんに出会って笑っていた。

「あー見つかっちゃった」

 人葉さんはけらけら笑う。その二人組はハンバーガーのセットが載ったトレイを僕達のすぐ近くの席に置いて、人葉さんに近寄った。

「人葉、この子誰?」

 派手な方が訊ねた。人葉さんはふふと笑って答えた。

「私の彼氏。羨ましいでしょ」

 人葉さんは笑いながら言う。ちょっと待って下さい、そんな話にいつの間になったんですか。そう言いたくなるところで、彼女は僕の目を見て数度まばたきをした。

 話を合わせろ。つまりそういうことですね。僕は何も言わず、適度に相づちを打つことにした。

「どこで知り合ったの?」

「学祭で。私の方からアタックかけてさ」

 人葉さんの返答に二人は「へえ」と驚いた。男と付き合ったことがないという人葉さんなら確かに驚かされるだろう。

「人葉に誘われたらそりゃ一発で落ちるよねー」

「でしょでしょ? こいつ結構面倒くさい性格してるけど、可愛いんだよね」

「ねえねえ、もう済んだ?」

「そりゃもう、ほぼ毎日って感じで。若いからね」

 ……どこまで話を膨らませる気だ。そもそも何が済んだか聞いてみたいが、聞いたが最後、聞いて後悔するような言葉を並べ立てられると思うと癪である。

 すると、今度は地味目の方が人葉さんに訊ねていた。

「ねえ、人葉さん、どっちの学祭で知り合ったの?」

「どっちでもいいじゃない。何が気になんの?」

「いや……人葉さんの彼氏の制服、人葉さんの妹の学校の制服と同じだから、そこ気になって」

 と、彼女が呟くと、派手目の方がげらげらと下品な笑い方で地味な方の背を叩いた。

「何言ってんの。知ってる? 人葉の妹って学校でも有名な変人で、中退してんだよ。人葉も仲悪いってしょっちゅう言ってるし」

 僕は黙った。黙って、机の下に握りこぶしを作った。

 人葉さんと僕の関係を誤解するのはどうでもいい。ただ、神様さんを侮辱するのは、男も女も関係なく、殴り飛ばして今すぐ席を立ちたくなるほどだった。

 抑えろ、とにかく人葉さんのために抑えろ。葛藤が僕の中でぐるぐる回り続ける。

 が、それより先に動いていたのは、人葉さんだった。人葉さんは席を立ち上がり、派手目の方にくすりと微笑んで静かな声で告げていた。

「ねえ、あんた」

「何、人葉」

「あんたも学校中退したい?」

「な、何言ってんの」

「春日第一でトップ張ってるってこと、甘く見られたら嫌だなあ。教師に軽く吹き込んだら何故かあんたが学校辞める羽目になる可能性あるって、分かんない?」

 僕は人葉さんの目を見た。

 まったく笑っていない。感情の炎などどこにもない。ただ静かに、相手を追い詰めるだけの寒気がする目だった。

 ああ、そうか。この人の本当の姿が分かった。

 この人の本当の姿はこっちだったんだ。寂しがりで、強がりで、神様さんを羨んでいるけど神様さんを大事に思っている姉なんだ。

 派手目は人葉さんの脅しにおののいたのか、しばらく無言になった後、強がった顔で「あっち行こう」ともう一人を連れて奥の席へ移ってしまった。

「一宏君、つまんないし、行こうか」

 人葉さんは空になったシェイクの紙コップをゴミ箱に叩き捨てる。僕は少し残っていたポテトを食べ終わり、急いで彼女の後に付いていった。

 外へ出ると、彼女は夕焼け空を見上げながらふう、と息を吐いていた。そして、くるりと回って僕の目を見た。その表情はいつものやけに笑った、そんなものだった。

「悪いね、変なとこ見せちゃって」

「いえ……それはいいですけど、大丈夫ですか? あんな風に言って」

「大丈夫大丈夫。教師も二宮もとうとう男を作ったかって喜んでくれるよ」

「いやそっちじゃなくて、あの二人組の方ですよ。あんな言い方したら、後々……」

 僕がそう言うと、彼女は静かにため息を零しながら、大きな胸の前で神様さんそっくりの腕組みをした。

「ああいうバカとつるみたくないんだよね。なんでああ頭が悪いんだろう。双葉よりバカで付き合う気にもなれないわ」

 人葉さんは軽く鼻息を漏らす。その笑顔は、空笑いだとすぐに分かって、ただ見ていることしか出来ない自分が惨めに思えた。

「でも、これで決心ついたかな」

「決心……?」

「一宏君、今まで私のわがままに付き合ってくれてありがと。とりあえず、双葉にも悪いしここらでやめておくわ」

 人葉さんの長い髪が、風に揺られる。その目は、うっすらと滲んでいて、どこか遠くへ消え去ることを覚えさせた。

「一宏君を巻き込んで恋人ごっこするの、楽しかったよ。次は本当の恋人見つけなきゃ」

「……人葉さん!」

「やめて! 今追いかけられたら……本当に未練が残るから……これはごっこ遊びだった、それでいい。私はそれでいいから」

 彼女は下を向きながら、僕から目を逸らす。僕はぎゅっと拳を握りしめ、彼女との距離を縮めようとする。でもその度に彼女は後ろに下がって、僕との間合いを取り続けた。

「双葉と、頑張ってね。応援してるから」

「人葉さん……人葉さんはそれでいいんですか!?」

「私は、君の恋人になりたいなりたくない以前に、双葉のお姉さん。妹をからかうのも程ほどにしなきゃ」

 そして、彼女はそのまま背を見せて、改札へと走り去ってしまった。

 そう言えば、以前もこんなことあったよな。神様さんが委員長と揉めた時、僕はその場にいたのに何も出来ず、ぼおっと見てるだけの無様な奴になってたんだ。

 双葉さんは本気で僕と付き合いたかったのかな。

 あの人の本当の感情が分からないから、僕は何も掴めない。でも、その気持ちが嘘だったら、あんな風に涙を滲ませながら去るだろうか。

 人葉さんが去った。寒風が頬を伝う。

 そして、一筋の涙も、僕の頬を伝った。

 どうして僕は泣いているのだろう。さんざん迷惑だなんて言ってたくせに。僕の手で助けられた人を助けられなかったから、こんな思いになっているのだろうか。

 人葉さんは確かにトリッキーな人だった。でも僕にたくさんの勇気をくれたことも確かで、それは神様さんと比肩するほどのものだった。

 僕が、人葉さんを傷つけた。僕がもっと、あの人を大切にしていたらこんなことにはならなかった。

 それを分かっていたくせに、何もしなかった自分の愚かさを、今頃後悔している。

 いつだったか、もうその日にちも覚えてないけれど、僕は右左の手を取らなかった。右左の目も見なかった。その後悔を引きずって、この街に来たのに、新しい後悔を今突きつけられて情けない男を演じている。

 こんな男を愛するとか、みんな馬鹿だねと自虐的になっても、腐った気持ちは晴れることもなく、どうすればいいのか、ただ天を見上げる。

 神様さんは、僕の愛しているという感情を聞いた時、どんな表情になるのだろう。嬉しがるのか、嫌がるのか、それとも無関心か。

 僕はしばらくして、考えるのをやめた。何かを考えるのには最悪の時間だ。

 人葉さん、また会えればいいけどな。

 傷つけてしまった人への後悔を持ちながら、僕は改札口に向かった。


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