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2/24 妹が久しぶりに再会した昔馴染み

 その日、一日の授業全てが終わるとすぐ、僕の元に野ノ崎とミミが教室前までやってきた。

 今日という約束をしたのは事実だが、二人とも随分と気合いが入っている。ただ一日でそう変わるものかという僕に掛けられた妙な期待に応えられるかどうか、僕自身不安になってきていた。僕でさえこれだ。教師なら尚更、予備校の講師なら吐きそうな思いでやっているだろう。

「二人揃って顔を出すなんて珍しいわね」

 去ろうとする僕に、声が掛けられた。委員長だ。確かにこの光景は珍しい。僕は笑って今日のことを答えた。

「二人が勉強会したいって言うから」

「それで。そんな話があるなら私も誘ってほしかったかな」

「いや、委員長に僕が教えられることなんてそんなにないよ」

「そんなことないわよ。いつも成績上位でいられるの、あなたが私に試験前にアドバイスをくれるおかげだもの」

 そう言われると、何か嫌ですという言葉を出すのは難しくなる。

 僕は困った果てに、笑顔を作って彼女に告げた。

「まあ、機会があれば」

「そうね、楽しみにしてる」

 そして僕は逃げ出すように野ノ崎とミミの元へ向かった。

 二人は僕と委員長のやりとりを見ていたのか、嫌な感じで笑っていた。

「相変わらずアプローチされても全然動じないねえ、一宏クン」

「野ノ崎、お前殴るぞ」

「おうおう、殴ってくれていいぞー。面白いもん見せてもらったし」

 こいつ、最近肝が据わってきたのか、僕がここに戻ってきた時のおどおどした感じが時々消え失せることがある。

 一方困った方がミミである。ミミにまで嘲笑の対象になっているのは、正直きつかった。

「カズ君ごめん、笑っちゃいけないのは分かってたんだけど、声かけられても適当にしてるのってどうしてもおかしくて」

「会話、聞こえてた?」

「この距離だよ。聞こえるわけないよ。ただ委員長さんが頑張って話しかけて、カズ君があしらってって感じでそこがおかしくて」

 ミミからそんなことを言われたのが多少ショックではあったが、人葉さんに先日言われたことを思いだした。

 ――それって事実上の告白でしょ

 だとしたら、委員長のアピールは相当なものということになる。僕としてはまだ疑ってかかっているのだが、そうだとしたら厄介だ。神様さんに知られたらいつかの時みたいに距離を取られる原因になりかねない。それだけはどうしても避けたかった。

「――ズ君、カズ君」

「……?」

「カズ君、ぼおっとしてた。何か考え事?」

「今晩の夕食どうしようかと思って」

「あ、それもあるよね」

「嘘。昨日の段階で夕食の準備はしておいたから、気にしなくていい」

 僕がしれっと言うと、ミミは笑い、野ノ崎は感心がないのかあくびをした。

「それより早く一宏の家に行こうぜ。あのリフォームした家、どんな感じになってるのかすげー気になってるんだよな」

「……お前の着眼点はそこか。まあいいけどな、行こう」

 そして僕達は歩き出した。ここから家までは十分ほど。野ノ崎達の家も、小中と同じ校区で過ごしていた位だ、それほど遠くはない。

 しばらく歩いて、途中の自動販売機で野ノ崎とミミがペットボトルのお茶を買った。そんなの買わなくても家に着いたら僕が入れたのに。先に言っておけばよかったかな。そう思いながら僕は家路に就いた。

 それから随分と長い距離を歩いた錯覚に陥りながら、僕は家に二人と共に辿り着いた。二人は久しぶりに僕の家を見るのだろう、新築同様の家に目を見張らせていた。

「綺麗な家だな」

「何でリフォームしたの?」

「親の気まぐれ。ていうか、ちょっと古くなったからリフォームして住みやすくする予定だったんだろう。誰が住むか全然考えてないバカが金出したんだけどな」

「一宏……お前恨み募ってるのかもしれないけど、親にすげー辛辣だな」

「右左を精神的に追い詰めたのはあのバカ二人だからね。許す気はない」

 僕が言い切ると、ミミは何故か優しい笑顔で僕に語りかけてきた。

「今はそれでいいよ」

「ミミ……」

「いつか変わる時が来るって。妹さんだって変わったんだから」

「そうそう、今は勉強会に集中だ。それが終わったらお前の親への恨み辛み全部聴いてやる」

 野ノ崎も調子に乗って僕をからかってくる。

 でもそれはからかいじゃなかった。僕を励ますために言ってくれているとすぐに分かる。

 よし。僕は家に入った。すると、少し寒いのか、普段よりは厚着をした右左が階段から降りてきた。

「あれ……兄さん、そちらは……」

「野ノ崎と三重美咲。覚えてる?」

「ああ、兄さんのお友達ですね。覚えています。どうかされたんですか?」

「今日家で勉強会することになって。僕の部屋でするから、右左は気にしなくていいよ」

 僕がそう告げると、右左は丁寧に階段越しから二人に頭を下げ、邪魔にならないようにしたのだろうか、自室に帰った。

 すると野ノ崎が僕の腕を掴んで、興奮したような目で僕の顔を覗き込んできた。

「おい、一宏!」

「何だよ」

「聞いてたのと全然違うじゃねえか!」

「何が」

「お前の妹だよ。可愛いっていう話は聞いてたし知ってたけど、ありゃヤバいレベルで美少女っぷりに磨きかかってるじゃねえか。あんなのが学校に通い出してみろ、一年中男子に付き纏われるぞ」

 そうか、僕は右左が美少女だと知っていたが、そこまで凄いと評価されるとは思っていなかった。

「二宮さんも美人だったけど、右左ちゃんほどじゃなかったかな」

 神様さんと比較されるのは少し癪だが、世間の目で図ると右左はそれくらいの評価が与えられる美少女らしい。なるほど、凄いな。

 神様さん、人葉さん、委員長。僕は美人というものに頓着がないのかもしれない。この間の木島さんもそれなりに可愛い子ではあった。

 が、可愛いと恋愛感情がすぐに結びつくわけではない。僕は神様さんのあの包んでくれるような笑顔が、どんな食事よりも好きなのだ。

 そこのところを熱心に二人に説いたところで分かってもらえないような気がする。僕は黙って二人を自室に連れていった。

「落ち着いた部屋だね」

 部屋に入ったミミは開口一番、何の面白みもない我が部屋を見て呟いた。野ノ崎は部屋の中をぐるぐる見回している。

「野ノ崎、お前何しに来たんだ。帰ってくれてもいいぞ」

「い、いやまあお前の趣味にちょっと興味があっただけだよ。しかし本当に何にもないな」

「欲しいものがないからね」

「まあ、そういう生き方もありか。じゃあ勉強に励みますか」

 と、野ノ崎は鞄を置いて、僕の部屋の真ん中に置かれているテーブルに陣取った。ミミも「失礼します」と一声かけてきてから席に着く。そして最後に僕が座ったところで勉強を開始した。

 僕達はお互いに苦手な教科を穴埋めするということで、それぞれ苦手分野の前回のテストや教科書を持ち寄っていた。

 が、野ノ崎の持ち込んできた教科書はあまりにも多く、大量すぎて困るだろうという感じであった。

「野ノ崎、最初に聞く。一番初めにやりたい教科は」

「数Ⅱb。全然分からないんだよなあ」

「先に聞いておくけど、お前、数Ⅰaはちゃんと出来てたんだろうな。プリント見せろ」

 と、僕が強い語気で攻めると、野ノ崎はしょげた姿でプリントを渡してきた。

 ……よくこれで四十点取れてるもんだ、逆に凄い。そう思うくらい基礎ががたがたで、応用問題をやるなんて話になりそうもない。

「数Ⅰa、ちゃんとやったのか」

「……あんま出来なかった」

「一言言わせろ、馬鹿かお前は。数Ⅰaの基礎を今日は叩き込んでやる。数Ⅱbは次回しっかり教えるから、とにかく因数分解から反復練習しろ。簡単な因数分解が一問二十秒で解けてなおかつ満点取れるようになったら次のステップだ。それを今日の目標にしろ」

 僕が厳しい目で言うと、野ノ崎は言い返せなかったのか、教科書を少し奥にしまって、うろうろと辺りを見た。

 まさかうちにきて初歩の初歩をやらされるとは思っていなかったのだろう。僕は立ち上がって本棚から数Ⅰaの載っている今は使っていない参考書を野ノ崎に渡した。

「野ノ崎君頑張って」

「分かった、頑張る」

「ミミは」

「現国。やっぱり分からないんだよね。文系の鍵なのに」

 ミミが問題集を開いて、僕に見せてくる。漢字を書けなど単調な問題もあるものの、ミミが示してきたのは、この一節は何を意味しているのか、文中から抜き出せという割に簡単な問題だった。

「これか。この手の問題は解き方が二種類ある」

「二種類?」

「問題で出てくる文章は、当たり前だけど破綻していないものが多い。だからあまりにも離れた文節に答えの一節が載ることはそんなにない。あるとしてもその話の言いたいことだから目星を付けやすい」

「なるほど。もう一つは?」

「作者の考えじゃなく出題者の考え方になること。出題者がここなら引っ掛かるだろうっていう裏を読み解くんだ。やり過ぎると逆に普通に解けなくなるヤバいやり方だけどな」

 ミミは僕の解き方を聞いてなるほど、と答えた。一方、その横で野ノ崎が因数分解ごときに苦戦している。こいつ、一年の時に何をやってたんだ?

「因数分解は高校数学の全ての基本だぞ。それが解けなきゃ大半の問題は解けないんだからな。死ぬ気でやれ」

「解けるけどよお……一問二十秒は厳しすぎるだろ」

「バカか、頭を使わずに反射神経で解けるようになって初めて因数分解が解けるようになったって言えるんだよ。問題解く時にそんな暇かけてる時間なんてないんだからな」

 そう言いながら野ノ崎の答案を横から眺め見る。八割は解けているが、八割である。基礎の基礎で八割はまずい。十割取れて当たり前の設問なのである。逆に言えばまだ伸びしろはある。徹底的に鍛えなければいけないと僕はいきなりダウンしかけている野ノ崎に鋭い眼光を浴びせかけた。

 一方ミミの方も文節をなぞる作業を続けている。作者の気持ちを答えよなんていう都市伝説的な話はともかくとして、こうした分かりやすい解のある問題なら現国もスムーズにこなせるはずだ。

 ……のはずなのだが、そんなものが一朝一夕に治るわけもなく、ミミは現国の問題で早速つまづきを見せていた。

 あまり成果が得られないまま三十分が経った。一旦休憩にしよう。僕は立ち上がった。

「二人とも一度休もう。疲れて点が下がったら意味ないし」

 その言葉を聞くと、二人から大きなため息がこぼれた。ミミはぐったりしていたが、野ノ崎は少し手応えでもあったのか、充実感溢れる顔つきになっていた。

「因数分解って割と簡単だな!」

「……それ、一年の最初に言うべき言葉だけどな。お前四月から何年だ」

「わ、分かってるって。ただ一宏の言う通り、基礎サボってたから応用問題が出来ないってのは理解した。今日だけで五点くらいは上げられそうな気がする」

 そう胸を張って告げると、買ってきたペットボトルに入ったお茶をぐっと飲み出した。

「あのさ、何か持ってくるよ」

「気ぃ使わなくていいって」

「そうだよ。私たちがお世話になってるわけだし」

 説得するには骨の折れる二人だ。僕は何も言わず立ち上がり、一階へ向かった。

 一階の冷蔵庫近辺に菓子が少し置いてあった気がする。それならお茶と被ることもないだろう。そう思いながら台所へ向かうと、飲み物を探していた右左と鉢合わせた。

「あ、兄さん、お疲れ様です」

「右左も。今日は勉強会なんだけど、進路未定のミミはともかく、進学志望の野ノ崎が数学ヤバいレベルなのは驚いた」

 右左は少し顎に手を当て、何かを考えていた。

「野ノ崎さんって、あの男の人ですよね」

「うん。右左のこと、凄く可愛いって褒めてたよ」

「ありがとうございます。昔、兄さんがこの家に何度も連れてきてたこと、少し思い出して」

 ああ、そう言えばそんなこともあったか。右左をのけ者にしていたわけではないけど、野ノ崎やミミ、そして今は関係が切れたかつての友人を伴って一緒に遊んでたりしてたのか。

 野ノ崎やミミも、最初から右左のことを覚えていた。そう考えると、案外、世界は狭いのかもしれない。

「右左は因数分解出来る?」

「え、何言ってるんですか……。今ベクトルの問題やってるところですよ」

 聞くんじゃなかった。僕はとてつもない後悔に襲われた。

「野ノ崎さん、それで大丈夫なんですか……?」

「あいつ文系で、国立受けるわけでもないし、数学利用出来る私大に行くなんてのも聞いてないから、共通対策と期末の赤点の回避だと思う。あと考えられるのは、数学利用出来た方が倍率低くなるとこも多いからそれ狙いかもって思うけど」

 そう言うと、右左は納得したのか、少しだけ相好を崩した。

「兄さんとこういう話あまりしたことないから、少し新鮮です」

「そういえばそうか……進路の話はしても試験の一つ一つの話なんてしないもんな」

「それが普通の兄妹なのかもしれませんけど、ここは兄さんが全部まとめてくれる家だから」

 と、右左は照れたように笑って、冷蔵庫からコーラを取り出した。

「兄さんのお友達にご挨拶してもいいですか?」

「いいけど、どうしてまた」

「来年、仲良く出来ればいいなと思って。いいですか?」

 右左は上目遣いで訊ねてくる。そこまでされて、断るのもさすがに心苦しい。

 相手は野ノ崎とミミだ。悪い結果になることはない。僕は右左に「いいよ」と告げて菓子を手にした。

 階段を上る。そして、扉を開けるとだれた雰囲気で床に寝そべる野ノ崎とミミがいた。

「お、一宏……って妹も」

「あ、あ、右左ちゃん、久しぶり。覚えてる? 私、三重美咲だよ……って名前まで覚えてないか」

 二人は付いてきた右左を見て驚いたような声を上げた。右左はにっこり微笑んでから、丁寧に頭を下げた。

「お二人とも、お久しぶりです。兄さんの妹の、楠木右左です。四月からまた学園に復帰することになりました。その時はよろしくお願いいたします」

 右左はそれだけ告げて、部屋から立ち去った。どうやら本当に挨拶だけするつもりだったらしい。

「……やべえな、あれ。ミミ、今度の一ヶ月で何人の男子が死ぬか賭けるか?」

「いいね、それ。当てたら一週間お昼おごりで」

 二人が馬鹿なことを言っている。僕は白けた中に怒りを含み、二人を見下ろしていた。

「お前らな……今日ここに何しに来たんだ」

「か、一宏、冗談だよ冗談。ていうかお前冗談通じにくい性格なの自分でも理解してるだろ」

「だったら尚更だ。勉強しろ。その前に、これでも食え」

 と、僕はテーブルに菓子を投げ出した。ポテトチップスとチョコレート菓子。最初に要らないと言っていた二人は早速菓子の袋を開け、むしゃむしゃと食べ始めた。

 それにしても、因数分解で引っ掛かる二年の終わりか。確かにまずい。というかこれでよく留年しなかったものだ。

「野ノ崎、お前受験で数学使うのか」

「武器になるようなら使う。ていうか、共通利用で受験すんのも頭に入れてるしな。田舎には行きたくねえんだよ」

「田舎も案外面白いけどな」

「田舎に住んだことのねえお前が言うか。ともかくまずは赤点回避、そして弱点を無くして強みに。どうだ」

「……素直に公民とかやってりゃいいと思うけど」

 僕がぽそりと呟くと、野ノ崎は目を逸らした。そうか、こいつ地歴公民もまずいレベルなのか。どうやって一年過ごす気だったのか本当に知りたい。

「でもカズ君、二教科受験とかもあるよね」

「あるけど当然倍率高くなるよ。あとやってる大学が野ノ崎の好みに合うかどうか」

「一宏、俺は田舎じゃなきゃ選り好みしない男だ、俺を信じろ」

「お前の何を信じればいいのかな……」

 と、僕は普段使っている自分の椅子に腰掛けた。野ノ崎とミミはまだお菓子を食べている。休憩時間が少々長くても別に構わないだろう。この数時間で本当に成績が伸びたら、それこそ教師の面目丸つぶれである。

 結局、適当な雑談を挟み、夕食作りに取り組まなければいけない時間になったところで、勉強会は終了した。

 空は真っ暗。ただ野ノ崎の数学アレルギーは多少取れたようで、因数分解が解けるようになってからは、数Ⅰaの範囲が嘘のように解けるようになっていたのは、僕としても驚きだった。こいつの場合、メンタルに左右されるところが大きいのではないだろうかという僕の推論は、多分当たっていると思う。

 これが変わるというものなのか。僕は水菜と厚揚げの煮付けを作っている間、ずっと窓から見える暗がりと、その中に見える微かな煌めきに思いを重ねていた。

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