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2/21 夢はまだ伝えられなくて

 右左は毎日のように自主勉強を続けている。今から努力しすぎて息切れしないかどうかが心配なのだが、家にいるのはストレスを感じないのか、それとも通信制の高校と同じと割り切っているのか、杞憂に終わりそうな感じだった。

「兄さん、出来てますか?」

「うん、大体出来てる感じかな。正答のプリントもらってるわけじゃないから確実とは言えないけど、ちゃんと正解に辿り着けてる。ただ大問でちらほらミスが見受けられる。そこだけ注意」

 僕は右左の書いた答案を一通り眺めていた。学校から右左の勉強のためにもらっているプリントを、右左が自主的にこなしたのを僕は今、一通り眺めていた。学校に持っていって担当の教師に採点させてもいいのだが、受験まっただ中のいらいらした空気に気圧され、僕は教師に見せるタイミングを失っていた。

 だから代わりに勉強面はサポートしてこなかった僕が採点しているのである。一年の問題だが、手強い問題はなかなか厳しい。ただ基礎問題は普通にこなしているので、それほど困る、ということはなさそうだった。

 むしろ僕が一年だった頃よりもよく出来ていて、素直に感心するほどだ。

「勉強の準備は整ったって感じかな」

「だといいです。簡単な演習を繰り返しやってるのが一番力になってるんだと思います」

「それは重要だな。入試でも小問を落とせばかなり響く。逆に言えばそれをこなして大問をある程度こなせれば充分ってわけだから、気を引き締めてやること」

「ふふ、それ兄さんが来年考えることですよ?」

 ああ、忘れてくれてればよかったのに、右左はしっかり覚えていたか。仕方ないと言えば仕方ないんだが。

 先にある右左の受験の心配より、結論の出ていない自分の受験について。それを考えると頭がくらくらしそうだった。

 この街に留まることは大方決めているが、どの辺りまで出るか、そこが問題なのだ。すぐ近くにも大学はあるのだが、さすがに偏差値が低すぎてあの父親に何を言われるか分かったものではない。というか、僕が耐えられそうにない。

 となると、少し上の大学、ということになるが、この近辺にはそれはなく、電車で片道二時間の通学となる。この辺りで妥協するのが一番だろう、僕はそう考えるのだが、その度に神様さんのことが脳裏に過ぎる。

 あの人と接する時間が少なくなる。それは嫌だと分かっている。ただ右左のことを考えると無責任に近く、ということにもなる。右左のために近場の低偏差値の大学に行けば父だけでなく担任にも何を言われるか分かったものじゃない。

「兄さん、まだ受験のこと悩んでるんですか」

「選択肢が無駄に多いとこういう時困るな」

「あの、私、頑張って学校に行きます。だから兄さんは……」

「違う、右左。右左のことも大事だけど、僕はこの街に置いてきたものがたくさんあるんだ。それを捨てて違う街にまた行くのなんて、嫌。それだけの話」

 右左を落ち着かせるかのようににっこり笑うと、右左は心苦しそうに俯いた。

 右左と学校に通えるのは一年しかない。でも側で支えることで右左の三年間の面倒を見ることは出来る。

 右左が学校を卒業するところを見るまで、この街から離れられない。いや、神様さんに僕の思いを告げるまで、この街から離れられないのが本音だ。

 そう考えていると、人葉さんの言っていた言葉が蘇る。一回告白して振られただけで諦めるなんて、馬鹿らしい。そう、何度もアタックして、それでOKがもらえるならそれでいい。

 神様さんが神様でよかったと思う瞬間だ。あれだけ美人だったら何度もしつこくアタックしてくる奴は普通ならいるだろう。それがいないというのは、さすが神様の神通力である。

 神様さんと同じ地域に生まれて、同じ学校に通っていたら、僕はすぐに恋に落ちたのだろうか。違う気がした。あの瞬間に出会ったからこそ、僕達はわかり合える部分を共有して、僕の何もなかった心に水を与えてくれた。

 でも、幼い頃から知り合っていたらというイフは、時折僕の心に深く突き刺さってくる。

「兄さん」

 突然右左が声をかけてくる。僕ははっとして右左の顔を見た。柔和な、いつもの右左の顔だ。

「兄さん、優しくなりましたよね」

「そ、そうかな……」

「分かってます。小さい頃に何も出来なかったから、今取り返そうとしてること。でもそんなの気にしなくていいです。私は私なりに頑張れるって、みんなに証明したいんです」

 その言葉を聞き、僕は黙りこくってしまった。右左は強い。それを強く見せつけられた。僕の中で作り上げていた右左の弱いイメージは、どこまで当たっているのだろう? 僕はそんなことも考えず、突っ走ってきた。それが自分に情けなさをよこしていた。

 でも僕は、まだ少し右左の学校生活に不安を覚えていた。男子にはモテるだろうし、女子からはやっかみをうけそうだ。そして何より、一つ年上の人間が同じ教室で授業を受けているということ。それが何よりも難しいと感じさせる。

 大丈夫と信じてやりたい。それでも少しばかりの不安を感じさせるのは、右左がこの数年で積み重ねてきたものの結果なのだと、僕は悲しい目で受け止めていた。

「証明しようとかあんまり気負いすぎない方がいい。繰り返しになった時に辛すぎるよ」

「はい。でも、今は明日にでも学校に戻りたい気分なんです」

「……本当に強くなったんだね、右左は」

 僕が郷愁を込めた笑顔で微笑むと、右左は今を見つめる目で微笑み返してきた。ここまで強く言っているのだ、もう僕は信じてやるしかない。

「それじゃ、僕は部屋に戻るから。また勉強で悩んだら声かけて。一応右左よりは進度はこなしてるはずだから」

 と、最後に冗談を入れると、右左はおかしげに笑って見送ってくれた。

 部屋に戻った僕は、スマートフォンを握りしめていた。そして、最近の神様さんとのメールのやりとりを思い出す。話が長くなりそうな時は電話をかけ、話が簡単ならメールで済ませる。

 でもこの繋がりがあるから、僕はあの人の側にいられる唯一の人でいられる。側にいられる人が、大切だと思える人でよかった。それも他人は運命というのかもしれないけど、僕にとってはありがたい話だった。

 電話でもかけるか。僕はおもむろに登録している神様さんの電話番号にかけていった。

「もしもしーどうかした?」

 すぐに取られた電話の向こうから聞こえてきたのは、いつもの調子の神様さんの声だった。風邪は完全に治ったらしく、ガラガラ声ということはない。

「あ、神様さん、今日もバイトお疲れ様」

「かなり慣れてきたから大丈夫だよ。それより、妹さん、勉強はかどってる?」

 神様さんは僕の妹の心配をしてきた。そこまで深く話したわけではないが、妹の休学は知っているので、こうして時々心配してくれる。

「まあ、大丈夫かな。勉強のペースで言ったら現役生と何にも変わらないし」

「凄いな、きみも、きみの妹さんも」

 僕は神様さんの方がもっと凄いと思う。だがそれを口にしても彼女は特に喜びはしない。だから、あえて黙ってその厚意を受け取ることにした。

「今の時期って、先生みんな受験生の相手で忙しくて……妹のことを相談するにも相談出来ないって言うか」

「そっか。そう言えばそんな時期だね。私、その頃学校辞めてたからあんまり分かんないな」

「あ、ごめん、気の利かないこと言っちゃって」

「いやいや、気にしなくていいよ。きみに教えられた。学校通わなくても人生は続いて、その人なりの生き方が必ずあるって。だから、私は私なりにきみの妹さんを応援してるよ」

 優しい声色に僕はほっとする。この人の温かさは、やっぱり僕を包んでくれるようなものだ。

 そういえば、マフラーのこと話してなかったな。僕は話の方向を転換した。

「あのさ、マフラー借りっぱなしだけど大丈夫?」

「あ、忘れてた。そのまま返してくれてもいいよ」

「いや、さすがにそれは。家で洗うかクリーニングに出すかして返すよ」

「そこまでしなくていいよ。返してくれなくてもいいかな……って思ってるし」

「どうして?」

「どうしてだろうね」

 と、彼女はくすぐったげに笑う。僕はその意図することが分からず、困惑したまま言葉を続けた。

「まあ返すけど。それにしても妹なんだけど、僕と一年学校通うのは確かだけど、その後の進路なんだよね。僕はここに残ることを決めたけど、妹はどこか遠くに行くかもしれないし」

「兄離れの瞬間か……難しい問題ではあるよね。妹さんもいつまでもきみに頼りっぱなしってわけにもいかないだろうし」

 そう、右左に残る唯一の幼さの問題点はそこにある。僕が過保護なせいもあるが、右左は僕から離れようとしない。ようやく出来た唯一の家族から離れるというのは、よほど辛いことだというのも分かる。ただ、それを受け入れていいのかどうか、僕にとっては悩みの種だった。

「妹さんとその辺しっかり話した?」

「あんまり」

「だろうね。きみって、色々話してくれるけど、一番大切なこと話さないの結構ある気がするし」

 神様さんに言われ、そうだね、と返答した。神様さんに嫌われたくないから、別れられたくないから告白も出来ない。そんな臆病者が妹とこれから先の話をじっくり出来るとも思えない。

「ねえ、バイトの方はどうなの?」

「お姉ちゃんから私のこと聞いたって本当?」

「私のこと……? まあ、色々聞いてるけど」

「……何言ってるのかな、あの人」

 神様さんの声色が怖くなる。僕は作り笑いを浮かべながら、視線が宙に泳ぐのを感じた。

「私がね、人を寄せ付けない力があるってこと。それが加護ってものなんだけど」

 そのことか。僕はそれを聞くと、静かに「うん」と答えた。

「聞いてるよ。その力のおかげで誰とも知り合えなくて、それで僕と知り合ったってことも」

「そうそう。その力。それのおかげで相変わらず。誰にも寄ってもらえない能力のおかげで、一声二声はかけられるけど、すぐに離れてもらえる感じ。あとは店長が厳しく目を光らせてるからね。きみかさんとか凄いよ。一週間で十人にアプリのID聞かれたこともあったし」

 さすが美人で気の利く店員さんだ。そういう人は偽装で薬指に指輪をすると聞いたことがあるが、それをしない辺り、矜恃を持って仕事に接している姿が見えてくる。

 神様さんも負けないくらい美人なのだが、あれだけがっつく学生だらけのうちの学園で、まったく声をかけられなかったのは、加護のおかげと分かっていても不思議に思う。

 僕のものだけに出来るかもしれない権利。ただ強引な方法だけは取りたくない。僕が一番好きなのは、微笑んで包み込んでくれる神様さんなのだ。意味もなく自分のものになったとしてもまったく嬉しくない。

「でも、色んな人に声かけられなかったのが辛かった時期もあったけど、今はちょっと幸せかな」

「どうして?」

「きみが話しかけてくれるからね。話したいって思ってくれる人と話せるのは、本当に幸せなんだって思う」

 ……これ、もしかしたら神様さんが。いやいや、それは早計だ。この人はずっと友達も作れなかった人で、僕という友人が初めて出来て喜んでいるだけ、そう考える方が自然じゃないか。

 むしろ、今まで誰にも興味を示さなかった僕が、この人に入れあげている現実こそ、どういうことなんだって言われそうだ。特に前の街で中高と一緒に過ごした奴らから。

「ねえ、妹さん、大切にしなきゃ駄目だよ」

「お姉さんをあんなに扱ってる神様さんにそれを言われるとは」

「あれでもお互いに一線は踏み越えないように注意しながら過ごしてるんだよ。きみも、妹さんが幸せになるまで頑張るんでしょ? でもそれはきっと、もうすぐ叶うな」

 彼女は右左の未来を予言した。僕でさえまだ信用しきれない右左の幸せ。それが叶うと信じている。

 責任を取らなくていい立場だから言えた言葉とは思わなかった。彼女の知っている右左は、僕を通じてのみ見えてくるものだ。その断片的な情報、そして僕を見て彼女は右左が幸せになれると信じてくれている。

 色んな人に励まされてばかりだ。何故か、そんな単純なことが心の奥を突いてきて、胸と目頭を強く熱してくる。

「あれ? 電話切れてる? おーい、聞こえてるー?」

「……聞こえてるよ。神様さんの言葉がさ、ちょっと胸にしみて」

「今泣いちゃ駄目だよ。泣くのは、妹さんが学校に戻ってから。あと二ヶ月の我慢だね」

 彼女はくすくす笑いながら僕に助言をくれる。そうだ、今泣いてる場合じゃない。僕はそうだねと返答して、明るい調子の声を作った。

「あとは……妹がいつ僕から離れてくれるか。僕が妹を手放せないのと同じで、妹も僕に依存してるところが少しあるから」

「そりゃ頭よくて格好いいお兄さんがいたら頼っちゃうよ」

「いや……それはないと思うよ。だいたいそれを言うなら神様さん人葉さん頼ってないし」

 僕が正論をぶつけると、彼女はむくれたような声ですぐに反論してきた。

「自分と顔がそっくりで、やってることが全然違う人を尊敬出来ない。そもそもきみと違ってお姉ちゃん不真面目だし」

「まあ……あの人はあの人なりに色々考えてるみたいだよ。全部は知らないけど」

 僕がそう説得すると、神様さんは無愛想に「そうなの」と答えて黙った。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。慌てて軌道修正するため、僕は話の方向を変えた。

「僕としては、神様さんの将来ってのが気になるかな」

「自分で何とかしたいことでもあるんだけど、そこにもう一つ、夢があるんだ。でもそれは今の半人前の私が言えることじゃない。バイトだってまだ初めて数ヶ月だし。今しっかりやらなきゃいけないこと、頑張らないとって思ってる」

 神様さんは自分をしっかり持っている人だった。僕が何か言う必要などないくらい、自分の将来をしっかり見据えている。

 僕も、負けられないな。

「神様さんはその夢を叶える時に、この辺りの街で過ごすの?」

「うーん、それはまだ分かんないな。その夢の叶え方もまだよく分かんない段階だし」

「なんか壮大な夢なんだね」

「そんなことないって。私が社会性を欠如してるだけの話だから」

 そんなことを告げる彼女の声はワントーン上がって心地いい。

 色んな人が色んな夢を持っている。夢が破れた人も、その夢に走っていた頃は幸せだったはずだ。

 出来れば、僕がその夢の一助になれれば。うぬぼれすぎか。僕はふふと自分に笑いかけ、神様さんに今日最後の言葉をかけた。

「神様さん、電話取ってくれてありがとう。やっぱり、神様さんと話してる時が一番楽しい」

「そう言ってくれると嬉しいな。でも、この間振られた子、もし会うことがあったらちゃんとカバーしてあげなきゃ駄目だよ。女の子はそういうの結構弱いんだから」

 恋愛をしたことがあるのかないのか分からない神様さんがそれを言いますか。僕は笑いそうになったが、「ちゃんとそうする」と返事して、電話を切った。

 僕はベッドに寝転がって、天井を見た。

 思いを伝えられていないのは事実だ。でもやっぱり、一番側にいたい人は、神様さん以外いないのを、改めて痛感した。

 外は今日も雪が降っている。寒い中、勉強に身をやつす右左。そしてバイトへ毎日のように向かう神様さん。

 僕はただ学校に行って、野ノ崎やミミと話して、たまに委員長に絡まれて終わるだけだ。

 僕の夢。神様さんの夢。

 それが重なり合う日が来るのだろうか。それを決めるのは、僕次第だと分かっている。

 まず、右左のサポートと、来年に向けて受験勉強を本格化させることからスタートなのかもしれない。

 大切な人。右左以外に感じたことのない感情。神様さんと知り合ったあの日の笑顔は僕にとって初めてで、僕に本当の意味で大切な人を作ってくれるきっかけだった。脳裏に蘇るそれは、色鮮やかで、僕の心にゆっくり染みこんでいった。

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