2/19 知らないから、向き合える
先日の委員長との試写会以来、僕の中にもやもやした感情が走るようになった。
自分のことは割り切って考えられる、そう思っていたのに、割り切れない自分がいる。そこに気付かされたことが、異様なまでに鬱陶しかった。
「なんだなんだ、いいことないって顔してるなあ」
昼休み、一人で食事を終えて食堂で佇んでいると、僕を見つけた野ノ崎が、ミミを連れて僕の顔を覗き込んできた。
今日くらい一人にさせてくれよ。そんな思いを野ノ崎は汲み取ることなく、にやにやと笑いかけてくる。
「まあ、いいことないよ」
「ねえ、カズ君、この間委員長さんと一緒に映画に行ったって聞いたけど」
「誰から?」
「……委員長さんが言ってるの聞いた人がいて、そこから回ってきた」
ミミは申し訳なさそうな声で縮こまる。いや、お前は悪くないんだから縮こまる必要はないんだが、と言いたかったが、今の僕に他人を思いやる余裕がないのもまた事実だった。
「せっかく委員長と映画見に行ったのに暗い顔してるって、お前本当に変な奴だな」
「野ノ崎、何が言いたいんだ、はっきり言え」
「いや別に何も言いたいことなんてないぞ。ただ何かあったんだろうなあって想像しただけ」
野ノ崎は悪びれずに僕に言う。何というか、下世話なことが好きな奴だなと、僕は肩を落とした。
「ねえカズ君、委員長さんから何か言われた?」
「まあ、言われたような気もするし、ふわふわしててよく分かんないことだった」
「何だそりゃ。てっきり委員長に告白でもされたのかと思ったけど」
あれは告白に入るのだろうか。彼女自身自分の感情が分からないと言っているのだから、僕がどうこう思う必要もないと思う。
「しかし」
野ノ崎が腕を組んで間に割って入る。
「いっつもミミとか一緒にいるのに、一宏と話題になることないよな」
言われてみればそうである。何故かミミとは仲のいい友人で通っている。それは間違いではないのだが、委員長で変わった妄想をするくらいなら、ミミとも同じように浮いた話が出てもおかしくない。しかし、そんな話題は一度足りとも出たことはない。
「そう言えば私が噂になったことないね」
「ミミの場合はキャラだと思うよ。何か恋愛してるって感じのイメージが沸かないんだと思う」
「あー確かに。私も恋愛とかにそんな興味ないしね」
ミミはいつも通り、優しいミミだった。顔も悪くないし愛嬌もあるこいつが全く男子に人気がないのは、野ノ崎がモテないこと以上に謎である。
とはいえ、野ノ崎もミミも、何だかんだ言っても僕にとって大切な友人であることは変わらず、今の神様さん、人葉さん、委員長と宙ぶらりんになっている僕にとって中立で話せる貴重な存在なのだ。
「で、一宏、さすがに委員長に決めたよな?」
「決めた……? 何の話だ」
「とぼけんなよ。彼女にする相手の話だよ。まさかそれでもあのちょっといかれた二宮選ぶとか言うんじゃないだろうな」
僕はそれに無言を通した。僕が一番大切にしたい相手は、神様さんだ。それは僕が振られるまで変わらない。いや、振られてもしばらくの間は変わらないだろう。それを周りの妙な恫喝で変えられたらそれこそ僕自身が浮かばれない。
しかし野ノ崎は神様さんと同じクラスだったわけでもないのに、妙に彼女を敵視する。そんなに僕を他の人間とくっつけたいのか。僕からすれば、野ノ崎のそのお節介な性格もちょっと変だと言えた。
「なあ野ノ崎、どうしてお前、二宮さんのことそんなに嫌がるんだ?」
「まあ……言われてみたらきついこと言ってるように見えるかもな。正直に話す。俺は二宮はちょっとおかしいけど、悪い奴じゃないとは思ってる。俺が願ってるのは、一宏、お前が一番幸せになれる人間と一緒にいてほしいってことだ」
いつもの馬鹿さ加減が抜けたような、落ち着いた調子の野ノ崎の声に、僕は深く聴き入った。
野ノ崎は学園での彼女の行動を知っている。彼女のことを何も知らなければ、彼女が学園でしたことは奇行の一言で表せる。でもそれは彼女にとって真実で、受け入れられなかった人達の方が不幸だったのだ。
僕はやっぱり、神様さんを幸せにしたい。そのために何か出来ることがあるかどうか、今は分からないけど、彼女と電話やメールをしているだけで楽しくなれる。
「野ノ崎の心配は嬉しいよ。でも僕にも、自分の人生がどう繋がってるのか、まだ分からない状態なんだ。その状態であれこれ言われるのは、正直辛い」
「……まあそうだよな」
「野ノ崎くん、一番大変なの、カズ君だよ。私たちは外からあれこれ言うだけで済むけど、カズ君は何かを選んで、何かを捨てなきゃいけないんだから」
ミミの言い回しは、言い得て妙だった。いつかは何かを選ぶ時が来る。選ぶというのは、全てを手に入れられるということではない。捨てる覚悟もいるのだ。
「一宏、あれこれ言って悪いとは思ってる。ただ友人として止めときたいこともあるっていうのは、少し覚えててほしい」
「……分かった、覚えておくよ」
そういうと野ノ崎は少し笑って、何も言わず食堂から立ち去った。
「カズ君、野ノ崎くんって本当はすっごくいい人なんだよ」
「僕みたいな無愛想な人間にあれだけ付き合ってくれてるんだからいい奴なのは分かる」
「カズ君、小さい頃みんなをぐいぐい引っ張る性格だったじゃない」
「そうだったか?」
「忘れてる。そういう性格の人で、気弱だった野ノ崎くんをいっつも助けてた。野ノ崎くんにとってはその頃の恩返しをしたいんじゃないかな」
それと、とミミは少し間を置いて、続けた。
「今でも野ノ崎くんはカズ君に助けられてる。背中で引っ張るって言うのかな。野ノ崎くんからしたら、カズ君は今でもお兄さんみたいな存在なんだよ」
あいつがそんなことを思う性格だとは少しも思っていなかったが、言われてからあれこれ考えてみると、そうした側面でもなければ説明のつかない部分も出てくる。
野ノ崎のためにも、僕は幸せになる義務がある。と、野ノ崎なら言ってきそうだ。野ノ崎のために幸せになるのは少し違うとも思うが、幸せを祈ってくれる友人がいるというのはありがたいことだ。
やっぱり僕は、コミュニケーションが苦手なのかもしれない。神様さんに本当の思いを伝えられず、人葉さんが泣いたのを止めることも出来ず、委員長にいい顔をして本音の部分でどう接すればいいか分からないと自分だけうめいている。
野ノ崎でなくとも、僕がかなりの駄目人間だと思っても仕方ない。右左のことが片付いたと思っているのは、僕の一方的な思い込みかもしれない。そもそもその右左にしたって、今は学園に復帰することで忙しいから、僕にかまけている暇がないだけとも言える。
何だか、色々考えているとどんどん自分の思考がネガティブに侵食されてきている気がする。少しは楽しい話題に振り切った方が、精神衛生上よいだろう。
「ねえ、二宮さんとはどうなったの?」
僕が項垂れていると、興味津々といった声でミミが問い掛けてきた。僕はわざと首を傾げてミミに訊ね返した。
「どう思う?」
「私は二宮さんと会ってると思ってるよ。そうじゃなきゃ、好意のあるなしはともかく、委員長さんと付き合ってると思うし」
そうか、そういう推測の方法もあったのか。僕はなるほどなあ、と頷きながら、ミミの顔をじっと見た。
「じっと見ててもごまかされないよ」
「じゃあどっちだと思ってるの」
「付き合ってないけど、いい感じの仲なんじゃないかって思ってる。付き合い始めたら、野ノ崎くんじゃないけど、私たちくらいには紹介してくれると思うし」
流石というか、こいつの観察眼と着眼点には時々驚かされる。これで成績がそれほどふるっていないのは、その二つが勉強というものにおいてあまり役に立たないということの表れでもある。ただ、生きていく上には非常に重要だ。
僕とは違って、艱難辛苦も乗り越えて幸せな人生を送るだろう。そう確信するには充分すぎるほどのミミの言葉に僕は思わず小さな笑みをこぼした。
席を立った野ノ崎のことをふと思う。このまま学食にいても何のプラスもなさそうだが、それはそれで僕の人生に彩りがないと言われる所以にもなる。
友人。考えてみれば付き合いこそすれ、友人と呼べる関係になったのは野ノ崎とミミだけだ。他の人達とはあえて一線を画しているようで、人付き合いの淡泊さをしみじみ痛感する。
窓の外の木々は寒々しく枯れ葉も落ち果て、視覚の上にさえ冷えを寄こす。
この景色が晴れる頃、桜の木に花びらが付く日に右左が戻ってくる。この学園に。戻ってきて、本当に全てがうまくいくかどうかは分からない。でも、右左の未来を信じることが、今の僕に出来る唯一のことだ。
結構、複雑。ちょっとだけ笑って、僕はミミを眺めた。
「二宮さん、今何やってるのかな。元気かな」
「さあ、どうだろうね」
「知ってるくせに。こういう誘導尋問には引っ掛からないんだね」
あ、これ誘導尋問だったんだ。単なる独り言と思ったよ、とは言いがたく、僕は苦笑しながら、手元にあった学食用のお茶を飲み干した。
「ミミは本当に大学のこととか考えてないの?」
「本当だよ。中途半端に行って親に迷惑かけたくないし」
「先生はどう言ってる?」
「どこかしらの大学に行ける学力はあるんだから、挑戦すべきって。絶対にあれ、進学実績目当てだよね」
ミミの教師への不信感はなかなか強烈なものに変わっていた。どこかしらの大学なら行けるというのは、僕の見立てでも間違ってない。それでもミミはそうではなく、自分の道を模索している。
自分の道を模索する。僕は模索したのだろうか。父に言われ、何となくの道を歩んでいるだけのような気もする。右左のことがなければ、ふらついたままで終わりそうな、そんな人間だ。
神様さんは今バイトに集中しなきゃいけない時だ。出来れば彼女を下らない話に巻き込みたくはない。かといって、人葉さんはあれはあれで面倒くさい性分なので相談しにくい。
そもそも、身から出た錆、自分でまいた種だ。自分で解決するのが大前提だ。
「あのね、カズ君」
「何?」
「野ノ崎くんはああ言ってるから言いにくいけど、私はね、二宮さんとカズ君が付き合ってたとしても、似合ってるカップルだなあって思うよ」
その言葉に僕は無言になった。てっきり、ずっと反対されるものだと思っていた。それなのにミミはこの思いを認めてくれるという。問題はただ一つ、神様さんと僕が付き合ってないということだけだが、それでもこの言葉は確かな勇気になる。
僕は素直に頭を下げた。ただ、それ以上うがった見方に聞こえる言葉は避けた。
「ミミ、野ノ崎に言っといて。たまには学校で勉強会やってもいいって」
「うん! もしかしたら、私も一年間で見違えるような成績になって、大学受験に前向きになれるかも!」
「お前……進路調査に何書いたんだよ」
「専門学校か大学進学か悩んでますって書いたよー。でも、カズ君が教えてくれるならこれはいけるかも。期待してる」
と、ミミはいつもの温かな笑顔を見せ、「またね」という言葉と共に席を立った。
僕がみんなから享受しているもの、それから考えればこんなこと、たやすいことだ。
出来れば、僕に関わった人のみんなが幸せになれますように。神様さんが僕と最初に出会った頃に言ってたことだ。
それを僕が叶えられるのかな。少し心配だが、やってみなきゃ分からない。僕は頑張ろう、その言葉を胸にしまい込み、ミミや野ノ崎同様、席を立った。




