2/18 映画を眺めて想う心
その日はうっすらと雨が降っていた。この冬という季節において、小雨は寒さを一層強くする嫌な敵である。
僕は厚着をして、駅前に向かった。今日は委員長と約束した映画の試写会に行く日だ。
駅の改札前に着く。すると見知った委員長の姿がすでにあった。
「おはよう、塚田君」
「ああ、おはよう。早いね」
「定期があるからここに来るのは何の苦でもないし。せっかくの試写会なんだから早めに行っておきたいって思わない?」
そんなものだろうか。僕はうすらぼんやりとした思考のまま、何も考えず「そうだね」と返答した。
「早く行きましょう」
「ああ、分かった。切符買うから待って」
僕は急いで券売機に小銭を放り込んだ。ものの三十秒もすると目的地までの金額の切符が出てきた。それを掴むと、僕は改札機前で待つ委員長の側に走っていった。
彼女はその僕のせわしない態度が面白かったのか、柔らかい表情が更に柔らかくなっていた。
「早く行こうって言ったけど、そこまで急がなくてもいいのに」
「いや、待たせるのはよくないから」
「生真面目ね。じゃ、約束通り早く行きましょうか」
彼女は先導する形でプラットホームに向かっていく。僕も遅れまいと早足に彼女に付いていった。
電車の中で、彼女は何も言わない。僕から目を逸らすように、窓の外を眺めるだけだ。饒舌で僕を楽しませてくれる神様さんと正反対で、その点も僕を戸惑わせる原因の一つではないかと、僕は彼女の横顔を見つめながら少しだけ考えを巡らせていた。
少し電車が走った後、僕達は映画館のある街に辿り着いていた。大型のシネコンが入っている大きなショッピングモールが何よりも目立つ街だ。
ここへ来るのは、月に二度ほど。いつも委員長と映画を見るために来る。それ以外の目的でここへ降りたことはない。
モールの中を通り、シネコンの受付に向かっていく。すると、もぎりの若いお兄さんが僕達を止めてきた。
「いらっしゃいませ。本日は試写会となっております。招待券はお持ちですか?」
「はい、二名分あります」
「ありがとうございます。確認が取れましたので、五番の上映室のお好きな席に着かれて下さい」
頭を丁寧に下げる彼に、彼女も軽く頭を下げ早足で行く。
それにしても全体的に女性が多い。恋愛映画だと聞いているが、どういった内容なのか、誰が出演しているのかまったく知らない。
指定された上映室に入った。前方の席は熱の籠もった女性達で占められている。
「後ろの方がゆっくり見られていいんじゃない?」
「そうだね。じゃあ後ろでのんびり見ようか」
そう告げ、席に着く。それ以上の会話はない。いつもと同じだ。
しばらくして、席が満員になると、劇場内の照明が落とされた。
スクリーンから映像が流れるのか……と思っていると、スクリーン前の舞台にスポットライトが当てられた。そこに頭を下げる中年の男や美人の女性、そして登場しただけで黄色い声が上がる男性が現れた。
ああ、名前は思い出せないけど、ドラマとかによく出てる俳優だ。なるほど、一番前に陣取る人達はこの光景を見たかったんだな、と僕は得心した。
司会が出てきて、今日の試写会の挨拶や注意点を話し出す。
先ほどの中年男性は監督だったらしく、この作品の見所を話していく。物語の骨子になるのは同じ男を好きになった姉妹の話。彼女達は時に許し合い、時にいがみ合いながら恋愛を通じて成長していく。そういう物語ということを監督やトークに駆り出された俳優や女優は語っていく。
『そんな恋愛したことありますか?』
『凄く小さい頃に。今は全然恋愛とかないですね、仕事が忙しくて』
俳優がお決まりのテンプレートの台詞を述べる。それでも観客の女性達には充分なのだろう、一段と大きな声が上がった。
三十分ほどのトークショーが終わり、映画の試写が始まる。僕はようやく中身にありつけるのかと、遠い目をさせながらそれを眺めた。
『お姉ちゃん、先に好きになったの私だよ!』
『あんたになれなかった私の何が分かるわけ!』
邦画独特の、人間模様を中心とした映画が続く。その時、何故か僕は神様さんと人葉さんのことを思い出していた。
彼女達が僕に対してそんな思いを抱いているとは思えない。ただ視点を主人公の青年に向けると、今の僕の迷いに重なる部分が出てきて、嫌な感じがした。
物語の最後は、先に男を好きになった妹が、姉に譲る形で去っていった。男はそれでよかったのかと迷った末、付き合い始めた姉ともすぐに別れるという苦い終わり方だった。
この作り方に会場も苦しい思いを感じたのか、静かな拍手で試写会は終わった。
僕ならこんなことしないのに。そう言い切れない自分が、一層嫌になった。
「終わったし、帰りましょうか」
「……ああ、そうだね」
僕が浮かない顔をしている横で、彼女は映画を楽しんだのか、それなりに明るい顔をしている。
ショッピングモールを出ようという最中、彼女が喫茶店前で止まった。そうだな、少しくらい休憩は必要だな。僕は彼女に頷き一緒に喫茶店に入った。
「なんていうか、想像してた出来」
「面白かった方で? つまんなかった方で?」
「もちろん、つまんなかった方で。邦画で役者売りをメインにしてる時点である程度予想はついてたんだけどね」
その割に、彼女は明るく話す。どうしてだろう。僕は紅茶を飲みながら彼女の楽しげな表情を眺めていた。
「でも、楽しかったのは事実」
「どうして」
「だって、塚田君が一緒に来てくれてるんだもん。私は塚田君と一緒にいられたら、それで楽しいって思える人間なの、分からない?」
彼女は詰問するように詰め寄ってくる。それはまるで、野ノ崎が散々僕にせっついてきた委員長の姿に重なっていた。
「私ね、自分が恋愛してるかどうか分かんない」
「それは困るね」
「でも、塚田君みたいな自分に刺激を与えてくれる人と接してたら、凄く楽しくなれる。それも確かなことなの」
そして、彼女は立て続けに話す。
「こんな考えになったの、生まれて初めてだから、結構戸惑ってる。でもそんな戸惑ってる自分も含めて、今が面白いわけ」
彼女のその言葉を受け、僕は神様さんのことを思い出していた。僕は彼女の側にいて楽しいと思っている。でもその気持ちが彼女に届いているかは分からない。
苦しい。何もかも。
「塚田君が私をどう思ってるのかは知らないし、私も塚田君に何を感じてるのか分からない。でも一緒にいられるのが、凄く楽しいってことだけは忘れないでね」
彼女は照れたような顔で言い切ると、それ以上何も話そうとしなかった。
まるで今日見た映画のようで、僕の胸から背中を突き刺していく。
いつか僕は、神様さんにきちんと思いを告げられる日が来るのだろうか。それとも人葉さんに別の思いを話す時が来るのだろうか。
分からないまま、その日の小雨の通り、どこか曇った思いが僕を飲み込んだ。




