2/15 内緒の遊園地
どんな一週間を過ごすのだろう。僕はそんなことを思いながら、来る日曜に思いを馳せた。
でも人葉さんと約束したこと以外特に変わったこともなく、ごくごく平凡な日常が僕の体を飲み込んでいた。
野ノ崎やミミも一緒に連れて行ければ、ちょっとくらい面白いのにな、と考えてあの二人なら余計なことも言いそうだからやっぱりないな、とまた思い直した。
神様さんとのメールのやりとりも相変わらず楽しく済んで、人葉さんのことなんてまるでなかったかのように文面の僕は神様さんとの交流を果たしていた。
一方、人葉さんとどのような遊園地に行くか、それを決めていなかったので僕はメールで何度かやりとりをした。
最初はあの世界的アトラクションが立ち並ぶああいう遊園地に行きたいと人葉さんにせがまれたのだが、仕方ないですね、と返答すると「冗談だから気にしないで!」とすぐに返信が来た。冗談なら言わなきゃいいのに。僕が呆れていると、「近くの普通の遊園地がいい」と返された。
電車で一時間ほどもすれば、いわゆる昔ながらの遊園地がある。そこへ彼女は行きたいらしい。それならそれでいいか。僕は「了解しました」と返答し、その日を待った。
そして今、僕はある駅で待ち合わせをしている。話を聞けば、二宮家のある街らしい。
「ごめーん、遅くなった」
駅の壁にもたれかかっていた僕に、軽い調子の声が投げられる。チェックのシャツに、ベージュのミニスカート。いつものイメージと違わない人葉さんが、こちらへ駆けてきた。
そういえば、神様さんと出かけた時もこんな感じだったっけ。僕は懐かしい記憶を思い出し自然と笑顔を浮かべていた。
「時間丁度ですよ」
「いや、もうちょっと早く来ようと思ってたんだけどさ、ちょっと寝不足で。電車の中で寝てていいかな」
「それは別にいいですけど……眠いなら帰って寝てた方がいいんじゃないですか?」
「いやいや、それは出来ない。君と出かけられる機会、今日逃したら次いつになるか分かんないからね!」
彼女は気合いを入れて告げる。が、その端々にあくびが漏れ、何だか僕が想像している以上に疲れているのではないかと思わせていた。
まあ、彼女がそれを望むなら僕はそれを受けるだけだ。分かりましたと返答し、僕は彼女と共に電車に乗り込んだ。
あまり人の乗っていない電車に乗り、席に着くと彼女は「肩借りるね」と一言かけてそのまま眠りに落ちた。眠りに落ちたというより、熟睡だ。
もしかして、この人、学校で成績維持するために徹夜で勉強するのが当たり前になっているのではないのか。その予想は限りなく当たっている気がして、今日を指定した僕の中に申し訳なさが過ぎる。
電車が揺れる度に、肩に乗った彼女の頭がくらりと動く。なるべく起こさないように、僕は彼女の動きに合わせて自分の肩を動かした。眠っている彼女は、普段のからかってくる仕草が嘘のように、素直で落ち着いた少女だった。
ぼんやり彼女の眠りこける姿を見ていると、列車の一時間の旅はあっという間に終わり、僕は彼女を少し揺さぶり、起こしにかかった。
「ん……着いた?」
「はい、着きましたよ」
「よく寝た。これなら今日一日はしゃいでも大丈夫かな。よし、行こう」
オンとオフの切り替えがうまい人、というのは時折聞く話である。彼女はその例にそぐっているのか、さっきまで寝ていたとは思えないほどしゃきっとした顔で列車を降りた。
僕じゃこんなの無理だな。ほんの少し苦笑が漏れる。
遊園地は駅とセットになっていて、降りるとすぐに、アーケードのついたショッピングモールが街を彩り出す。
その先を潜ると、観覧車、ジェットコースター、その他色々な乗物がゲートの向こうに見えてきた。
「ここ一日パス結構安いんだよねー。超有名遊園地とは大違い」
「それでも結構お客さんはいますね」
「でもそんなに待たないらしいんだな、これが。さ、入ろう」
そうして彼女は軽い足取りで券売所に向かっていく。彼女はパスを買うと、一目散にゲートの中を通り抜けた。僕も同じように一日パスを買って、中に入る。
遊園地の中でまず目立ったのは、動物園さながらの施設だった。象が眠り、フラミンゴが足を上げ、ホワイトタイガーが歩いている。
人葉さんはそういった動物も好きなのか、柵に前のめりになりながら笑顔で見つめていた。
「人葉さんは遊園地とかあんまり来ないんですか?」
「小さい頃以来だね。ほら、勉強とか学校とか色々あって彼氏なしだとそういう誘いもないわけじゃない。だから久しぶりにこういうとこ来られて、何か気分いいんだ」
彼女は動物に手を振ると、次の場所へ走り出した。今度はどこへ行くのだろう、そう思って見ていると、彼女はメリーゴーランドを指さした。
まず最初はこれらしい、僕は「分かりました」と答え、メリーゴーランドの受付に並んだ。
あちらへ行き、こちらへ行き。
遊園地なんて、僕も久しく来ていなかった。右左と最後に行ったのなんて、親の離婚が決まる数年前だ。僕も小さければ右左なんて記憶すらあるかどうか分からない。
そんな場所に、僕が知り合って一ヶ月もしない人葉さんと過ごしている。神様さんと似た容姿の人と、友情で結ばれて過ごす一日は、悪くない。
人葉さんがジェットコースターを指さす。僕は絶叫系は苦手ではないが、人葉さんは大丈夫なのだろうか。いや、気にしないからこそ乗るのかもしれない。僕は無言で彼女の側についてジェットコースターに乗り込んだ。
それから何個乗物に乗っただろう。人葉さんは大きく伸びをして休日を満喫しているようだった。
「ふあー楽しい!」
「そう言いますけど人葉さん、ジェットコースターで思いっきり叫んでましたよね……」
「叫ぶのが面白いアトラクションじゃん。そういう夢のないこと言ってると、私みたいになるよ?」
どういう理屈だ。僕は無言でやり過ごした。
それでもかなり遊び疲れたのか、彼女は売店でチョコのソフトクリームを買っていた。僕も付き合うように、バニラのソフトクリームを注文した。
「あ、そっちの方がよかったかな」
「交換します?」
「いや、いいよ」
そうですか、そう答えて僕はソフトクリームに口づけた。この冬の冷たい時期でも、ソフトクリームのうまさは変わらない。
と、僕の食べていたソフトクリームを突然横から人葉さんがぱくっと口にした。
「何してるんですか」
「君の美味しそうだなって思って」
僕の口のついたソフトクリームを何気なしに食べるこの人の精神は凄まじい。ただただ驚かされるだけである。
「私の食べる?」
「いえ、結構です」
「間接キス嫌なんだ」
と、また彼女は僕をからかってくる。
何を言ってるんだ――そう思い横を見る。彼女の目は、僕ではなく下方を捉えていた。
何のきっかけかは分からない。でも彼女は、時折下を向く。口ではおどけているのに、その目はとてつもなく寂しそうで、僕一人の力で助けられそうには思えなかった。
何を考えているんだろう。そう思っても答えが出るわけもなく、僕はソフトクリームを完食して、彼女の軽い質問から逃げた。
「次何乗ろっか」
「僕は何でもいいですよ。基本的に楽しいところだなとは思ってますし」
「本当は双葉と来たかった?」
「……今日は人葉さんと来たんです。神様さんの話はやめましょう」
僕はそう言って、彼女の言葉を遮った。そりゃ本心で言えば神様さんと来たかったに決まっている。でも、彼女は今日は店のイベントに駆り出されているし、そもそも人葉さんとここへ来たことすら知らない。
やっぱり、あまりにも気になる。どうしてもその感情を抑えきれずに、僕は彼女へ神様さんから託された質問を投げかけることにした。
「あの、人葉さん悩んでますよね。前にも言いましたけど、僕でよかったら、教えて下さい」
「……悩みか。何にもないよ」
「何もない人はそんな顔しません」
「そうだね、せっかく付き合ってくれてる一宏君に何も教えないのは卑怯か。教えないつもりだったんだけどな。じゃあ軽く説明しよう。私は二宮双葉じゃない、二宮人葉ってことかな」
彼女が意としていることが分からない。僕はきょとんと彼女を見ていると、彼女は晴天の青空を見上げ、大きく息を吐いた。
「うち、父親いないんだよね」
「……」
「小さい頃に亡くなって。女ばっかりの家。で、そんな家の中で双葉は一生懸命やろうとしてるんだけど、空回って学校中退。私は自分のことしかしないって決めて、勉強漬け。でもうちの母親は私の生き方も双葉の生き方も否定しなかった」
知らなかった事実を聞かされ、僕は戸惑うように口を噤んでいた。噤むというより、声を無くしていたという方が正解かもしれない。
「双葉は友達がいなかったけど、神様だった。私には何にもない。勉強に打ち込んで、色々必死にやって、それでも双葉に追いつく事なんて出来ない。絶対に埋められない溝が、ほとんど同じ時間に生まれたのに私たちを分けたんだ」
その言葉で、僕はようやく人葉さんという人間をわずかながらだが察することが出来た。特別な力がある神様さん。それがなくて、それが欲しかった人葉さん。
神様さんは力をひけらかしたことも、自分が神であるということを強く言ってきたことはない。でも、それは人葉さんにとっては苦痛で、普通の人の生活として必死に暮らすことで世間に立ち向かわせていた。
人葉さんは大空を見つめる。その目尻から、段々雫が漏れ落ちてきた。
「私だってなりたかったよ、神様に。人を幸せに出来る存在に。でも私は普通の人。何が悪かったのかな、そんなこと考えたって仕方ないし、双葉を恨んでも仕方ないでしょ」
「……人葉さんは充分、魅力的な人だと思いますよ」
「みんなそう言うんだ。でも私が神様になりたかったなんて知ってるの、君くらいだよ。双葉だって知らない。みんな上辺の勉強が出来る私しか見てないんだ」
人葉さんはいつものような笑顔を作っていた。でもその頬を伝う涙は何もごまかせていなくて、僕に辛さを突きつけていた。
それを見ても、僕は手を差し伸べることすら出来ない。なんて情けない男なんだろう。どうすれば人葉さんを救ってあげられるのか。考えても結論なんて出るわけもなくて、僕は黙ったまま、人葉さんの涙が止まるのを待った。
「双葉の人生を、神様って存在が苦しめたのは分かるよ。でもその資格すらなかった私からしたら、何言ってんだって感じだった。だったら、私にその能力譲ってよ、そう言いたいことだって何回もあった」
「……人葉さんは、どうして神様になりたかったんですか」
「分からない。でも、何か出来る能力があるって聞いたら、そういう存在になりたいって思わない?」
人葉さんは目尻を拭って僕に振り向く。その涙で崩れた笑顔が、とてつもなく苦しかった。
「双葉はね、私にコンプレックスがあるって言うんだ。でも私もそれは同じ。そういうとこ、一番双子で似てるとこかも」
「かもしれませんね。少なくとも人葉さんは神様さんとそっくりだって思いますよ」
「そう言われるのは何か嫌だけど、情けないとこ見せちゃったな」
人葉さんの涙が止まった。そして彼女は目尻を拭うといつもの笑顔を僕に向けてきた。でもそれは、自分の不安を隠すための虚構ではないかと思えてくる。
僕は手袋をした手で人葉さんの手を掴んだ。その行動に、人葉さんは一瞬驚いたような顔つきになった。
「人葉さん、時間、まだありますからたくさん遊んで帰りましょう」
「……ありがと。でもそういう風なの、双葉に気付かれたら大変だよ?」
「僕は神様さんから人葉さんを助けてあげてって言われてます。だから、これは神様さんの願いでもあるんです」
僕は毅然とした態度でしっかりと最後まで言い切った。すると彼女は、やれやれと息を吐き僕を見た。
「そんなことしてたら、いつの間にか彼女になってるかもしれないよ」
「……それは困りますね」
「私が彼女だと困るのか、君は。まあいいや。せっかくだ、遊んで帰ろう」
「はい」
そうして僕は、彼女の手を引いてまた遊園地内を歩き出した。
今日という日が、何か幸せの一歩でありますように。僕はそんなことを願いながら、人々の夢が絡み合うテーマパークを人葉さんと夕暮れ時まで巡り続けた。




