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2/11 当たり前の悩みは根深くて

 あの日、食事を終えて部屋に戻るとスマートフォンにメールが寄こされていた。送ってきたのは父で、会う日取りについて書かれていた。

 何を言われるのだろう。僕に対し直接何か言うとはあまり考えられない。ただ間接的に、たとえば右左のことなどを突かれる可能性は十二分にある。

 嫌な感じだ。

 父との接触があと二日と近づいてきたその日、僕は野ノ崎やミミと共に昼食を取っていた。

「あーやっぱ一夜漬で何とかなるような試験じゃねえなあ」

 先日の実力試験の結果が返ってきた。僕は普段通り全体的に八~九割を取り、何もしていないのに担任から褒められたが、野ノ崎は赤点だったらしく、今度の休日に補習を受けることとなった。

「カズ君成績いいんだから、野ノ崎君カズ君に教えてもらったらどう?」

 その提案をするのは何度目だろう。僕は野ノ崎の顔を見た。その目は何か、獣を捉えた狩人のように鋭く射貫く目線を僕にぶつけてきた。

「こいつにだけは教えてもらわねー」

「僕は別にいいんだけど、なんでまた」

「成績で負けてる、モテ具合で負けてる、これ以上何かあったら俺ダサすぎて仕方ねえだろう。せめて勉強くらい自分の実力で何とかする」

 そうか、と僕は頷き弁当箱に入った白米に箸を伸ばした。その心構えは良いのだが、まず先にすべきは赤点を回避することだろう。

「まあいいけどね。野ノ崎が留年しても泣かないように覚悟だけはしておくよ」

「お、お前、何気に酷いこと言ってない? 流石に留年はしねえよ!」

「でも野ノ崎君赤点の常連だし……危ないよ」

「ミミまで……。でもあの委員長まで一宏に勉強のやり方聞くくらいだもんなあ。結構優越感あるんじゃねえの?」

 うどんの入っていた空の丼を前に、野ノ崎は頬杖を突く。優越感。勉強に関して、少なくとも彼女とは対等な関係である。そう思っていたからこそそんなことは考えたこともなかった。そう言われると、途端に据わりの悪さを覚えるものである。

「留年回避と志望校ランクアップのために一宏に教えてもらうってのは一つの真っ当な手段なんだろうけど、やっぱ実力で何とかしたいよなあ」

 野ノ崎がテーブルに突っ伏した。

 野ノ崎は僕が特別凄い人間のように語るが、僕は野ノ崎の気持ちを充分分かっていた。そりゃ誰だって、格好付けたくなる時はある。僕の場合なら、右左や神様さんの前で格好悪いところを見せたくない。

 野ノ崎のそういう空回りしても精一杯に生きる眩しい部分が、色々対照的なのに友人たらしめる一番の理由なのかもしれない。似たもの同士は反目する。そんな言葉をふと思い出した。

 それより、近づいてきた父との話しあいが気になる。

 この地元の駅近くの店ではなく、少し出た商業都市にある店で食事をしながら話をする段取りになっている。きっと、右左のことを話したいのだろうが、右左を連れてこないでくれという理由が分からない。あの人にとって右左は接しにくい相手なのか、それとも信用に値しないのか。どちらにしろすでに僕の中で、その一点だけで大きなマイナスを感じさせていた。

「野ノ崎君、夏に出した進路志望どうしたんだっけ」

「進学希望。でもこの実力試験の結果だと志望校変えなきゃいけないかもなあ。ド田舎とか行きたくねえよ……」

「じゃあ、行く学校のランク落とす?」

「それも嫌なんだよ、まあ一宏みたいなエリートには分かんねえ悩みだろうな」

 野ノ崎はふて腐れた。自分がエリートを装ったことは一度足りともないのだが、野ノ崎にそう映ってしまったのなら申し訳ないと答えるしかない。

 本物のエリートっていうのはストレートで医学部に入学したり、司法試験などの難関試験に一発合格とかする人じゃないだろうか。あと、政治家を親に持つとかもあるが、少なくとも僕にはそれは無理だし縁がない。

 ごくごく普通に、右左を観察しながら、神様さんのいるお店へ遊びに行く。それだけで充分なのに、父が横やりを入れてくる。鬱陶しい話だと、僕はまた眉をしかめた。

「カズ君、進路決まった?」

 ミミが笑顔で僕の横顔を伺ってくる。そうだな、と前置きして僕はおもむろに答えた。

「全然」

「ミミ、こいつの場合は仕方ねえって。妹の面倒を少なくともあと三年は見なきゃいけないわけだろ。三年だぞ三年。そのまま大学行って妹の面倒を見終わる時期にいきなり就活開始だぞ。本当、こいつ自分の人生軽く考えてるよな」

 僕より先に、野ノ崎のマシンガントークが始まった。そこまで自分の人生を軽く考えているわけでもないが、どうやら僕の人生は野ノ崎の言葉からすると羽毛のように軽いらしい。

 ただ野ノ崎の言うことも事実で、僕が右左のために近場の大学に進学するとなると、右左の生活のサポートが高校卒業で終了するとして、その頃には大学三年になっているのだ。もちろん浪人も留年していないという前提がつくのだが、その辺は右左と一度話しあった方がいいのかもしれないと、僕はほんの少しだけ視線を落とした。

 僕が項垂れていると、ミミが心配そうに僕の顔を下から覗き込んできた。僕は目が合うと心配ないとばかりに軽く笑顔を作ってみせた。

「カズ君、せっかくだからいい大学行こうよ。私は無理だけど、カズ君ならきっとすごいとこに行けるよ」

 ミミは優しく励ましてくる。そんな簡単なことなのだろうか。家の事情、神様さんの都合が絡み合う中、僕はその言葉に「そうだね」と即答することは出来なかった。

「だから俺は成績いい奴が嫌いなんだよなー。何でも自由に決められるもん」

「野ノ崎君だってもっと頑張ればいいとこ行けるよ」

「精一杯努力してこれだよ。……って言いたいけど、まだちょっと甘い部分はあるかもしれねえな。もう少し頑張らなきゃいけないかもしれない」

 野ノ崎の顔に笑顔が戻った。すると、野ノ崎は立ち上がると体を伸ばして、僕ににっと笑った顔を見せた。

「一宏、進路決まったら教えろよ」

「いや……別に……」

「教えろ。お前がどうするのか、俺が判定してやる。担任よりもあてになるぞ」

 と、野ノ崎は言いたい放題言って、食堂から姿を消した。ミミはおかしげに口を押さえると、机に肘を突いた。

「野ノ崎君、あれでカズ君のことかなり心配なんだね」

「まああいつが何の心配もしてないなんて言うつもりもないけど、強引だよな」

「その強引さが野ノ崎君のいいところなんだよ。変に優しくしないで、ああいう言い方になるの、野ノ崎君の照れ屋さんの部分から来てるから」

 そんなもんか。僕は目を閉じ考えた。ただ、僕のいい加減な素振りで野ノ崎を苦しめているというのなら、それは悪というものだ。

 右左の前で、弱い僕を見せたことはない。見せたらどうなるだろうかと考えて、僕はいや、と考え直した。そんな素振りを右左に見せるわけには行かない。僕はあくまで右左の理想の兄であり続けなければならない。

 そのイメージを崩されるかもしれない、数日後の父との食事。最初から嫌な予感がして、意外にも良かった試しなど生まれてこの方出会ったことがない。

「カズ君、何か悩んでる?」

「まあ悩んでないと言えば嘘になる。ただまだ確定した話でもないし、詳しく話せる状況でもないんだ、ごめん」

 僕が素直に頭を下げると、ミミは大きく手を振ってそれを拒否してきた。

「カズ君が悪いわけじゃないから別にいいよ。ただね、少しだけ覚えてて」

「何?」

「野ノ崎君も私も、委員長さんも、あと今も付き合いがあるかどうかは知らないけど、付き合いがあるなら二宮さんも、みんなカズ君の味方だから。それだけは信じてね」

 ミミは優しい顔色でそれを告げると、すっと椅子から立ち上がり、「またね」という言葉を残して食堂から立ち去った。

 みんな味方。

 でも味方じゃない人と食事を取らなきゃいけない。何を言うつもりか知らないけど、僕にとってそれが重い意味を持つのは間違いなかった。

 散り散りになった家庭の責任を、どう取ってくれるんだろうか。

 そんなもの、取るはずがないか。僕は少し唇を歪めて、野ノ崎達のいなくなった食堂を発った。多分つまらない会話に終始する、それは僕が一番よく分かっていることだ。

 向こうが楽しげに話しても、僕がつまらなさげに返答すればつまらない話になる、単にそれだけの話。わざわざ愛想を振りまいてやる必要もない。

 さあ、どんな楽しい会話を聞かせてくれるんだろう。僕は遠くを見るように細目になりながら、教室へと帰っていった。

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