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2/10 不安の予兆

 家に一旦帰ってから、夕食の材料を買い出しに行く。

 そう言えばここへ来て一度も疑問に思わなかったが、僕は右左に料理を教えるべきなのだろうか。右左が料理が出来ず、一人では食事に困ることも知っているし、それを弱点にさせたくないので僕が料理を作っている側面もある。

 しかし先日の神様さんを見て、僕は多少態度を改めるべきなのではないかと考え出した。

 ただ今は時期が時期である。そんな余計なことに労力を割かせるべきではない。

 いつか必要になれば、勝手に覚える日が来るだろう。それが多分、右左に料理を覚えさせる最適解だ。過保護から多少離れるのも、右左と僕に必要なことだと、僕は自分を納得させた。

 家に帰って冷蔵庫に食材を詰め込む。ほぼ毎日しているので当たり前のことになっているが、野ノ崎の反応を見るに当たって、こういう行為は重労働になるらしい。ただ僕の人生に、この家事労働の時間が自由時間になるとして、一体何をやるのだろうかと、まず自分に疑問を感じてしまう。

 さて、そうなるとこれからもしばらく料理を作るのは僕の仕事だ。遅くならない内に料理でも始めよう。

 と、僕が椅子から立ち上がった時、机の上に充電ケーブルを繋いで投げおいていたスマートフォンが着信の音色を奏でだした。

 こんな時間に誰だ? 疑問を孕んだままディスプレイを見る。

『二宮人葉』

 なるほど、あの人から電話か。確かに電話番号もメールアドレスも教えたので、連絡が来ない道理もない。ただ夕食作りの前に時間にかかってくるのは迷惑ではないが予想外だった。

 とりあえず、電話に出よう。僕はスマートフォンを手に、電話に出ていった。

「もしもし、塚田ですが」

「なーにが塚田だ。一宏君、元気?」

 ああ、名前を呼ばれたことがなかったので分からなかったが、彼女の僕の呼び名は一宏君で決まったのか。

 僕ははあ、と一息吐いて彼女の続きの言葉を待った。

「ねえねえ、この間、双葉の働いてる店に行ったんでしょ」

「よく知ってますね。神様さんに聞いたんですか?」

「はははー引っ掛かったー。双葉には聞いてないよ。この間あの子の機嫌が良かったからもしかしたら、って思って聞いてみただけ」

 なるほど、いい性格をしていらっしゃる。ただこの間と言ってももう数日前の話であるわけで、今更としか言いようのない部分もある。

「どうしてそんなこと、急に聞いてきたんですか」

「んや、違ってたら間抜けだなって思って。あとすぐに聞いて双葉にリアクション取られるのもなんか鬱陶しいし」

 この姉妹、仲がいいのか悪いのか全く判断が付かない。僕はベッドに腰掛けて、人葉さんの声を聞いていた。

「ねえねえ、お店で何したの? 双葉がずっとにこにこしてたくらいだから相当過激なことしちゃったとか?」

「あの、何を想像してるのか知りませんけど、何にもないですよ」

「何もなくはないでしょ」

「店長さんが急病で休みで。それで店の開店準備をちょっと手伝っただけです」

 僕はさらりと説明した。が、あえてまかないを頂いたことは伏せておいた。この調子である、うっかり話せばどんな展開になるか分かったものじゃない。

「そっか、でも楽しそうだなあ」

「人葉さんはバイトとかはどうなんですか」

「私はしたいんだけど、学校の方がさー。やってる子もいるけど、私がやると成績的な面でぐちゃぐちゃ言われるから出来ないんだわ」

 確かに春日第一で成績トップの人がバイトをしていたら目立ちもするだろう。というより、学校から目を付けられて怒られるどころの騒ぎではない。

「人葉さんは神様さんの働いてるお店に遊びに行こうとか思わないんですか?」

 当たり前に気になっていたことを口にする。すると彼女は大きな笑い声を上げて僕に返答した。

「双葉から止められてる。絶対に来るなって。ひどいよね、実の姉に対してこの仕打ち」

「いや、仕方ないと思いますよ。人葉さんの性格を考えたら」

「君も酷いこと言うなあ。でもまあ、双葉がしっかり働いてるのを邪魔するのは、さすがに嫌な姉でもやっちゃいけないことだからさ」

 少し、寂しげに彼女が声をひそめる。流石に何も考えていないわけではなかったか。僕の口から、静かに反省の言葉が漏れた。

「済みません、ひどいこと言って」

「いいのいいの、気にしないで。双子とはいえ姉らしいこと出来てないのは事実だしさ」

 彼女は笑う。僕はそうですね、と当たり障りのないよう笑って返した。

「さてと、話も十分したし電話切ろうか」

「え? もう切るんですか?」

「まあ普段の君と双葉の会話の長さからすると、短いと思われるのも仕方ないな」

「って人葉さん、電話してるとこ聞いてるんですか」

「いやいや、たまに部屋の前通ったら笑い声が聞こえてくるだけだよ。あの子があんなににこにこ話してるなんて何年ぶりだろうなあとかそういうこと思いながら通り過ぎるわけ」

 聞いていないというが、それは聞いていないという内に入るのだろうか。まったく、困った人だなと僕は改めて人葉さんのつかみ所のない性格に疲れたような吐息を漏らした。

「それじゃ、またその内会おう!」

 と、一方的な宣言を残し電話はぷちんと切れてしまった。嵐のように突発的に現れては去っていく人だ。

 とはいえ、接していて不快感を覚える人ではない。そんな人ならすでに何とか距離を取ろうとしているだろう。それをしないということは、僕にとって彼女は何らかのプラスに働いているということだ。

「さてと……」

 と、僕が移動しようとした時、スマートフォンにメールの着信があったのが見えた。電話がかかってくる前にはそんなものはなかった。ということは、電話の最中にメールが届いたということか。

 誰だろうか。僕はメールフォルダを開いて、発信者を見た。

 そこには『父』とあった。

 先ほどまでの浮かれた調子が一転、妙に嫌な現実感が僕を襲う。今更何だというのだ。僕はメールを開いた。

『久しぶり。そっちの方に行ける機会が出来た。今度食事でもして二人で話が出来ないだろうか。悪いが、右左は連れてこないでほしい』

 何が悪いが、だ。本当にそう思ってるなら右左を連れてこいというはずだろう。

 僕はメールを返した。分かりました、いつですか、と。

 右左抜きでしなければならない話題。嫌な方向に話が進まなければいいのだが。不安が拭い去れないまま、僕はキッチンへと向かった。

 今日の夕食は鶏肉のグリル。大したことのない料理ばかり並べて、右左に悪い気もしてきた。しかしあれだけきちんと残さず食べているのに、まったく太りそうな気配のない辺り右左の生まれ持った美少女としての才能を感じてならない。

「あ、兄さん、今から夕食の準備ですか」

 料理を作り出していると、背から右左の声が聞こえた。右左はいつもの薄手の服でのんびりと構え、ニュースにチャンネルを合わせる。

 右左と二人でいると、父から来た謎のメールのことが頭に過ぎってくる。こんな時は他のことを考えるに限る。僕は今日野ノ崎から聞かれた「趣味」の話題を右左に振ってみることにした。

「右左、僕が言えたことじゃないんだけど、右左って何か趣味ある?」

「私ですか……何かな……そう言えば特に趣味らしい趣味ってないような気がします」

「そうか。僕も趣味がないんだよな」

 僕が深々とため息をこぼすと、右左はくすっと笑ってから僕に一言かけてきた。

「じゃあ趣味を作ってみたらどうですか? 絵画教室に通ってみるとか、楽しいかもしれませんよ」

「いや、それはいいよ。別に絵を描いてみたいっていう欲求もないし、無理してやってみる趣味ってきつそうだから」

 僕が反論すると、右左はそうですね、と軽く返した。

「むしろ僕は右左の無趣味さに心配を覚えてる。本当に何かないの?」

「うーん……そう言われてみても……音楽とかも別に特に気にしませんし、何かに入れあげてるっていうのもないですし」

 嫌なところで兄妹の似通った性格が出ている。僕は冷蔵庫から野菜を取り出しながら、右左に提示できる建設的な趣味を考えていた。

「旅とか面白そうだけどなあ」

「あんまり遠くに行くのはちょっと……」

「遠くじゃなくて近くの散歩とかどうだろう」

「一人でいる時にうろうろしてたことはあったんで、あんまりいいイメージはないです……ごめんなさい」

 そりゃそうか。僕は肩を落としながら野菜を炒めた。生野菜よりも炒めることによって栄養価が逃げにくくなる、というのをその内、右左に教えなければいけないだろう。

 簡素な料理はすぐに出来た。最近右左は、僕がテーブルに置く前に自分から取りに来てくれるので、ほんのわずかだが労力がかからなくなった。何も出来ない右左も可愛かったが、こうして少しずつ成長している右左を見ていると、僕が右左に押しつけようとしていた価値観が間違っていたと改めて思い知らされる。

 しかし、僕と右左の関係は健全なものに戻っているというのに、父は一体何を告げようというのか。再婚話がなくなったというのなら、それはそれで色々困る。また別の街へ行けとなったら、神様さんと会える機会もぐっと減る。へたをすれば恋を強制終了させられる可能性だってあるのだ。

 もうあの人に振り回されたくはない。何か言い出すような雰囲気があれば、強い口調で食ってかかろうと僕は一つ、胸に決意を込めた。

「兄さん」

 残りの料理を並べている僕に、右左が突然声を掛けてきた。どうしたの、と笑いかけると右左は硬い面持ちのまま、僕に訊ねてきた。

「何か考え事をしてる感じです。悩みとかあるんですか?」

「いや、まあないと言えば嘘になるけど、右左を心配させるほどのことじゃないよ。心配しなくていい」

「あの、兄さんからしたら私はただの子供なのかもしれませんけど、何かあったら私にもきちんと話して下さい。私にも、出来ること、多分あるはずなんです」

 右左はしっかり言い切った。右左に弱い部分を見透かされている。情けないとかそういう話ではないのだが、僕は何をやっているんだろうと、視線が少し落ちていく。

 こんな時、いつも話を聞いてくれていたのは、ここ最近はずっと神様さんだった。それ以外は誰にも話すこともなく、自分で解決策を探し、解決策が見つからないまま一人で抱え込んでいた。

 きっと、自分で思っているより僕は他人を不安にさせる雰囲気が漂っているのだろう。

 情けない顔を右左の前でさらすわけにはいかない。僕は笑顔で右左に炒めた野菜を渡した。

「野菜はしっかり取らないと駄目だぞ」

「はい。あの、今、お昼いつも準備してくれてますけど、学校に戻るようになったら、お弁当とか作ってくれなくていいですよ。パンとか買って食べますし……」

「いやいや、それじゃ右左の健康状態が悪化する。それに弁当作りは楽しいことなんだ。それくらいはさせてくれ」

 皿を並べる僕が、弁当作りを「趣味の一環」のように話すと右左も仕方ないと諦めたのか、はい、と小さな声で返答した。

 手間暇を考えるとパンを買ってくれた方が確かに楽なのだが、やはりここは兄として妹にまともな食事を提供する方が好ましい。それが僕の、兄として右左に出来るせめてものことだ。

 そう、あの父と母に振り回されて、僕は右左に何もしてやれなかった空白の時間がある。

 今度は右左を守れるように。父に何を言われても、右左を守らなければならない。それだけは確かなのだ。

 テーブルに並べた鶏肉が冷めつつある。僕は何もなかったかのような顔で、右左と共に食事を取りだした。

 さて、父との対話の日はいつになるのか。当日雨が降らなければいいが。僕はそんなことを薄らぼんやりと思いながら、記憶に残らない味の食事に箸を伸ばし続けた。

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