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2/9 いろんな人の悩み、僕の悩み

 実力試験も今日で無事終わりだ。

 僕は試験終わりに、珍しく食堂にいた。いたというより、呼びつけられたという方が正しい。

 目の前にいるのは野ノ崎とミミ。この二人に試験終わりにここで食事を取って慰労会をしようと言われたのである。

「というわけでお疲れー。ほら、一宏、パン買ってきてやったんだから食え」

 腹が減っていないわけではない。ただ強引に差し出されたそれを食うという卑しさも僕は持ち合わせていなかった。

 だが横にいたミミは、野ノ崎からジャムパンを受け取ると、自販機で買った紙パックのコーヒー牛乳という甘い組み合わせの食事を楽しみ始めた。

「二人ともお疲れ様。試験どうだった?」

「俺は赤点を逃れてることだけを望む。一宏とミミは?」

「僕は特に引っ掛かったところはなかった。結果が返ってくるまでとりあえず忘れられる感じかな」

「私はねー普通かな」

 何とも世知辛いことを言い出す二人だ。僕はそんな二人をじっと見ながら、自分のテストの手応えを考えていた。

 別に悪かったわけではない。ただ教師の心証に関わるというだけの実力テストにいまいち気が入らなかったのも事実だ。それもこれも、大学は推薦ではなく、自分の実力で行けるところにと決めているせいもある。

「一宏はいいよなーテスト楽勝だろ?」

「……誰がそんなこと言ったんだよ」

「委員長が一宏は凄いって言いふらしてるからな。あいつもよく飽きないよな」

「なんて言うか、委員長さん色々隠さなくなってきてるよね」

「何か隠してるの、あの人」

「……うん、そういう答え、すごくカズ君っぽいと思う」

 ミミの目が死んでいる。野ノ崎は僕から目を逸らしていた。何か気まずくなるようなことを僕は言ったのだろうか?

 悩んでいても二人から答えが返ってくることはない。頬杖を突いた野ノ崎は、クロワッサンをかじりながら、投げやり気味に次の話題に移った。

「まあいいよ、この話は。それよりさ、妹の方はどうなの?」

「ああ、学校から今年一年分のプリントとかもらって、自主的にやってる」

「まあ戻ってくるだけでも凄い力がいるのに、すげー熱心だな。一年からやり直すのに一年の範囲全部終わらせてたら意味ないだろ」

「妹さん、大学で何か学びたいこととかあるの?」

「それは知らない。でもたまに話してたら日本文学とか興味ある感じかな」

「日文でそんな必死に勉強してどうするんだよ。だって学校から配布されたプリントやってるんだろ? つまりだ、理系科目、数学もやってるわけだ。あれか、国立狙いか?」

「そんなこと知るか」

 すると横で聞いていたミミがくすりと微笑んで、僕に語りかけた。

「妹さんの気持ち、ちょっと分かる」

「どういうこと?」

「自分の成績じゃなくて、立派なお兄さんになったカズ君に見劣りしない自分になりたいんだよ。だから今、必死に勉強できてるし、もう一度学校に戻ろうとか思えるんだ」

 その言葉には説得力があった。確かに右左は、僕のような人間になりたいと常々話している。それが正解なのかどうかは分からないが、目標を全て失った少女がまた新しく一歩を踏み出すのには、僕みたいな存在でもいいかもしれないと思っていた。

 ただそれと、右左が必死になって勉強をしているのはまったく違う。僕は右左ほど勉強もしていないし、どちらかと言えば神様さんにかまけてだらだらとした人間に陥りかけている。

 少し襟元をただす必要があるな。僕は野ノ崎から受け取ったクリームパンをかじりながら自戒の念を込めた。

「まあ一宏みたいに成績優秀で完璧な人間には俺みたいな普通の人間の悩みなんて分かんねえだろうけどな」

「お前なんか悩みあるのか」

「そりゃあるだろ。大学進学するにしても浪人するかFランで妥協するかとか。一宏そういうとこ悩んだことなさそうだしな」

「まあ……それはそうか。自分の行ける範囲でいいって感じだしな」

 野ノ崎の指摘が、珍しく僕の心に刺さった。成績をひけらかしたことは一度もないが、コンプレックスに感じている人間には嫌味に映っている部分があるかもしれない。そういう部分を話していないから、右左が必死になって今勉強していることの真実が分からないのだ。

 やっぱり僕は、抜けている。そうして「僕は駄目な人間なんです」と言ったらまた嫌味に映るのだろうな、と僕はため息をこぼした。

「カズ君は勉強とか以外で悩みないの?」

 手持ち無沙汰になっていたミミが、突然僕に質問を振ってきた。悩みと言うほどの悩みはない。

 と思ったが、一つあった。神様さんとのこと、そして人葉さんのことである。神様さんと恋人になりたいにもかかわらず一歩も踏み出せず、その姉にからかわれるという現状は悩みを越えて息苦しくさえあった。

「あ、カズ君悩みある! その顔は悩みあるって顔だよ!」

「まあ……色々ある。右左が元気なのはいいんだけどな……」

「そういえば一宏、最近妹のことであんまり心配とかしないな」

「右左は僕が面倒を見なくても、自分でしっかりやれる子、それが分かったからな」

 僕は笑った。それは以前、人葉さんに言われて気付いたことだった。それまで僕は右左を不幸にして、それを守る自分に酔いしれていた。神様さんと再会してそんな感情は吹っ切れたと思っていた。でもそうでなかったということを、人葉さんに突かれた。

 あの人にあの一言を言われていなければ、僕はまだ右左を不幸な少女のまま扱っていたに違いない。その一点だけでも、人葉さんには大きな借りがある。

「あーでも妹さんは勉強できるみたいだし可愛いし、学校戻っても何のハンデもなさそうだよね」

「いやいや、さすがにそりゃあるだろ。思ってるより留年生が一年に混じるのきついんだぞ。中退率も高いしな。一宏もそこくらいは心配してるだろ」

「まあ、ないと言えば嘘になるよな。でも今の右左なら何でも乗り越えられそうな気がするんだ。ていうか、二人が右左の心配してくれてることも僕にとっては驚きだ」

 するといつも僕にやり込められている野ノ崎が、やり返さんとばかりに不敵に笑った。その横で、ミミも同じように僕を見る。

「一宏は俺達の親友だぞ? 親友の妹なんて、家族みたいなもんだ。心配するのは、ごくごく普通のことだろ」

「そうそう。色々困ってることもあるかもしれないけど、私たちもカズ君と同じ目線に立ってるって言いたいもん」

 僕は、人に恵まれているのだと思った。神様さんや人葉さんだけではない。色々面倒を見てくれる委員長、そして思っても見なかった野ノ崎やミミからの助言。それら全てが僕の血肉になり、充足させてくれる力に変わる。

 あとは、僕がどう人生を過ごすか、それに尽きるだろう。やはり右左の前でだらしない兄の姿をさらすわけにはいかないな、と改めて身につまされた。

「そう言えばミミは進路どうするの?」

「大学行こうか短大行こうか、それともいっそのこと手に職付けるために専門学校行こうか色々悩み中」

「ミミ、悪いこと言わないから大学行っとけ。この国の大学新卒信仰は異常だぞ」

「野ノ崎君の言い分も分かるんだけど、自分のやりたいことの方向性があんまり分かんなくて。そういう意味じゃカズ君の妹さんより私の方が悩んでるかも」

 なるほど、それは確かに重い悩みだ。僕にどうにか出来る範疇を超えている。大学に行けと言うのは簡単だが、そこにかかる費用、地元か地方かどこへ行くのか、そもそも何を勉強しに行くのか、勉強ではなく新卒カードが欲しくて行くのかなど、一口に大学に行くと言っても色々な意味合いがある。生真面目なミミはそこで悩んでいるのだ。

 そこから考えると、野ノ崎の浪人するかそれともいわゆるFランと呼ばれる上位ではない大学に行くのは贅沢な悩みかもしれない。もっとも、この学校の進学率で言えば、本物のFランクの大学に行く人間はいないが。それなりに名の通った大学であっても、自虐的にFランに行きましたなんて言ってる不届きな奴ばかりで、野ノ崎も今からちゃんと準備すればそれなりの大学に行けるはずなのだ。ただそれより名の通った、うまくいけば大企業に就職できるような大学への進学を野ノ崎は望んでいる。十七歳の時点で何年も先の就職のことを考えるというのは、何とも世知辛いが、それもまた、現実であると僕は頭を垂らした。

「まあ、色々あるけど、今一番気になるのは今日の実力テストの結果だな」

「私もそうかな。カズ君はあんまり気にしないだろうけど」

「……あのなあ、お前らどう思ってるのか知らないけど、一応結果に関しては毎回気にしてるぞ。あんまり上下変動しないから色々思われてるだけで」

「あんまりガツガツしてないのにトップ層キープしてたら誰だって楽勝人生送ってるって思うだろ。俺も成績良かったら推薦もらえて楽勝なんだけどなあ」

「野ノ崎君、推薦とかもらったらずっと遊んでそう」

「……まあ否定はしねえよ。ていうか一宏がこの学校にいるのがおかしいのかもしれねえよな」

「まあ、僕も右左もここが近くてある程度の学校って理由だけで選んだからな。でも、ここに来たことで後悔はしてない」

 その一言で、僕は笑った。笑ったと言うより、自然と笑みがこぼれた。ここには色んな人がいる。そして何より、神様さんと知り合えた。

 一番力になってあげたい人に、何かをもらってばかりだけど、僕はいつか何かを返したいと思っている。それがどんな形をしたものなのか、今はまだ分からない。でもそれを達成する日が、僕にとって今、一番大きな目標なのだ。

「一宏、お前さ、家に帰っても家事とかばっかなんだろ? 何か趣味とかないわけ?」

 食事を終えた野ノ崎が、僕を横目で見ながら閑散とした食堂にふさわしくない質問をする。

 言われてみれば、そういう話をしたこともない。僕は少し考えて答えた。

「趣味か……特にないな」

「妹も無趣味、兄も無趣味、何のために生きてるんだお前らは」

「いやそう言われても特に何かあるわけでもないしな……」

「委員長さんと時々映画見に行くんでしょ? 映画とか好きなんじゃないの?」

「いや、そんなに好きでもない。むしろ二時間拘束されるのはきつい派なんだ」

 これ言ったら面白いかな。真面目な顔をして冗談を言ってみる。そうすると、野ノ崎とミミは表情を凍らせて黙り込んでしまった。

 冗談にしてもたちが悪かったか。反省すべきだろう。僕はそっと内省した。

「野ノ崎君は趣味とかないの?」

「そー言われてみれば俺も特にこれってのないな。ゲームは程ほど、音楽やってみるかって思って買ったギターは放置。テレビも何か好きなジャンルがあるわけでもないし」

「言われてみれば趣味ってカテゴリーに分けるの、結構難しいよね」

「行き過ぎるとオタクだしな。まあ読書くらいならいいんじゃない? 一宏、読書とかどうだ」

 と、野ノ崎が特に期待もないような目で僕を見る。悲しいことにその予感は当たっているため、僕はうんうんと頷きながら野ノ崎に返した。

「まあ予想通り、別に読書も好きじゃない」

「なんつうか、お前は家事のために生きてるな」

「大変だけど楽しいぞ。料理作り、掃除、洗濯、食事の買い出し、家でやること全部やってたら、趣味なんていらなくなってくる」

「……お前みたいな男と付き合える女はすげーラッキーかもな」

 野ノ崎は呆れた口調で僕から目を逸らした。

 もし神様さんが僕と付き合えることになったら、それは野ノ崎の言う通り凄まじくラッキーな少女になるのだろうか。

 しかし先日も見た通り、彼女も料理が得意だ。恐らく家事の類は得意な方だろう。

 となると、互いの家事のやり方で反発し合って、揉めるということも充分に考えられる。

 しかし、そこを考え直した時、どうして出会った当初のあの人はあんなにファミレスが好きだったのか、よく分からなくなる。いや、自分で作った料理よりも他人に食べさせてもらう料理の方が美味しいのは僕もよく分かるのだが、それでもあの喜びようは今でも忘れられない。家で普通の料理をしていたからこそ、外で暴飲暴食に近いことをしたかったのか。また今度機会があれば聞いてみよう。

 野ノ崎は趣味の話が気になるのか、だらりと机に突っ伏しながら、ミミの方を見ていた。

「こいつはもうこれでいいとしてさあ、妹の方だよ」

「カズ君の妹さんね」

「趣味があったら共通の話題もあって付き合いたいって言い出す男も楽だと思うけど、無趣味ですって、どうやって付き合い出すんだって話になるだろ。苦労するぞ」

「いや、別に付き合いたくないんだったら付き合わなくていいだろ。そこを乗り越えてくる男は絶対いると思うけど」

 と、僕が真っ当至極な反論を繰り出すと、野ノ崎は大きな息を吐いて起き上がった。

「前は男出来るのが嫌だって言ってたのに随分と意見変えたな」

「それが右左のためになるからな」

「なるのかね。お前の妹も相当な偏屈っぽいけど」

「今の右左は、僕がイメージしていた右左とは違うんだ。僕が一番信じてやらなきゃいけない、それだけのことだ」

 僕の言いたいことがいまいちくみ取れないのか、野ノ崎は首を傾げながら席から立った。

「まあそんなこと今から考えててもしゃーないか」

「そうそう。妹さんがなくした時間なんてたった一年だよ。長い人生で見たらどうってことない時間なんだから、カズ君も自信持って」

「ありがと。野ノ崎、帰るのか」

「まあな。つーか徹夜で勉強してたから眠いんだよ。昼寝してーって感じ」

「なるほどな。じゃあたまには一緒に帰るか。ミミはどうする?」

「私も一緒に行く。昔みたいだね」

 その一言がこぼれると、僕達三人は誰が先陣を切ったわけでもないのに笑い出した。距離が離れていたのに、縮めてくれた二人に、なかなか言い出せないけど感謝を思う瞬間だ。

 この二人がいなければ、僕の学園生活はもっと空しいものだったかもしれない。

 いつか、改めてありがとうと言う日が来るのだろうか。多分そんな日は来ないだろう。言葉にしなくても互いに分かっている。だから僕達は今もこうして、友人を続けていられる。

 でも、神様さんにはいつか自分の思いをきちんと口にしなければいけないだろう。あれだけの人だ。ぼおっとしていたら知らない誰かに手を引かれていくなんてことは充分にあり得る。

 右左、神様さん、野ノ崎達。色んな人の色んな思いを色んな距離から見つめながら、僕はどこへ行けばいいのか迷いながら、ゆっくり歩いていく。

 それが正しいことなのかどうか分からないけど、僕はそれがベストだと信じてやるしかない。

 試験は終わった。また神様さんの働いているメイドカフェに遊びに行けるだろう。

 冬の澄んだ空と、寒波の吹き荒れる道のりに、僕の視線がゆっくり移ろいだ。

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