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2/6 知り合いと思う人の違い

 二限目の授業が終わり、僕は席に着いて窓の外を眺めていた。枯れ木から落ち葉がはらりと消えていく。また次の季節を巡るまで、彼らは寒さに耐える日々を過ごす。

 それはきっと人間も同じで、何か寒い季節を迎えることがあっても、暖かな日々を迎えるために待つこともあるのだろう。

「授業、お疲れ様」

「お疲れ様」

 慣れた調子で声を返す。僕の脇で立っていたのは、一頃嫌悪感さえ抱いた委員長だった。

 神様さんと僕の関係は修復された。彼女はそのことを知らないが、妹の学園復帰のサポートを必死に買って出てくれる辺り、許すには充分すぎるという結論が出た。だから僕は今、こうして彼女に笑顔を見せながら、近くもなく遠くもない距離で話をしている。

「妹さん、どう?」

 彼女はいつもの話をしてきた。彼女のことは右左にも伝えている。右左曰く、ありがたいとのことで、僕も同じようにその言葉を捉えていた。

「二年の勉強やってる」

「入試の時上の方だったんでしょ? 凄いことになるかもね」

「別にそんなの望んでないのになあ。でも、本人としては遅れた分を取り戻すために、今必死になるのは変じゃないってことらしいよ」

 そう、右左は四月からまた一年になる。ということは、一年の勉強を皆でやりながらペースを取り戻してもいいのだ。

 それなのに、今から準備している。張り切りすぎて、後で息切れするのではないかと少し心配になるが、本人にとってその方法が一番なのだとしたら、それを支持してやるのが家族の務めだ。

「来年一年から再開だけど、受験とか楽しみね」

「どこ行くんだろうなあ。難しいところに挑むとは思うけど」

 と、少し考えた後に、ふと神様さんのお姉さんのことを思い出した。そう、全国的にもハイレベルな学校として認識され、そこでトップの成績を収めているという、あの変わった感じのするお姉さんのことである。

「ねえ、委員長は春日第一とか知り合いいる?」

 僕の言葉に彼女は失笑で返し窓の外を僕と同じ方向で見つめた。

「いない。あそこって内部進学でも厳しいし、外部で入学ならますますきついし。公立校で一番取ってる人が受験するかどうか躊躇するようなとこよ。私みたいな凡人じゃそんな知り合いいないわ」

「委員長の成績は凡人じゃないと思うけどなあ」

「努力してあれだから凡人なの。春日第一行くような人達はちょっと違うし」

 委員長はふっと口元を緩めると、軽くターンを決めるように回って僕と向かい合った。

「でも、私はこういう人生も悪くないって思う」

「そうだね、僕の妹みたいな生き方もあるだろうし、前にも話したけど、駅で降りた先で観光するか定住するかまた旅に出るか、それは全部別問題なんだよね」

 僕の答えが気に入っているのか、彼女は何も言わず静かに聴き入っている。

 僕は右左が一年学園を休学したことで、他の人が得られない多くの財産を手に入れたと思っている。いや、それは右左自身が一番分かっていることだろう。

 サボっていたわけでもなく、何かあったわけでもなく。それでも一人で自分の生き方と向き合うのはあの年頃の子にはハード過ぎた。

 でも右左はそのハードな生き方を乗り越えた。

 右左は凄い。僕にとって神様さんと並ぶほど、右左は尊敬に値する人だ。

「ここに来たら、妹にも声かけてあげてよ。多分、喜ぶ」

「私の方がそうしたいくらい。妹さんのこと、私だって気になるし」

 ありがとう、そんな言葉で少し時間が止まる。

 右左は知るのだろうか。新しい自分を。そして変わってしまった僕を。

 右左は知るのだろうか。神様さんを。そしてそこに依存してしまった僕を。

 辛いこともあるかもしれない。でもそれは右左の乗り越えてきた壁よりは低いものだ。きっと何とか出来ると信じている。

「ねえ、塚田くん」

 委員長が突然声をかけてきた。外に思考を預けていた僕は、目覚し時計に叩き起こされたような感覚で、はっと彼女へ顔を上げた。

「どうかした?」

「さっき春日第一のこと聞いてきたけど、知り合いでもいたの?」

 ああ、このことを聞くとこういうことになるのだなと僕はようやく理解した。そりゃ学校のレベルも高いとか色々あるが、女子校に知り合いがいるかどうかなんて聞いたら、普通知り合いでもいたのかと聞かれるだろう。もしくは、僕が野ノ崎のような軽い男になってしまったかということである。

 参った。神様さんは一部理解してくれた部分もあるが誤解もさせたところはありそうだし、右左は右左で何か含んだ目で僕を見てきた。ミミや野ノ崎には黙っておこう。

 僕はくすりと笑って、彼女に訊ね返した。

「いると思う?」

「うーん……野ノ崎くんとか三重さんと幼馴染みだったんでしょ? もしかしたらそういう関係でいるのかなって思ったんだけど」

「いや、これが特にいなくて。ていうか、この街に何人も知り合いがいるはずなんだけど、全然思い出せないから野ノ崎とミミ以外旧友が増えてないんだ」

 僕がそう言うと、彼女はおかしげに口元を押さえた。それは僕のイメージと合致する、ということであろう。

「でもそういうの分かるな。私も電車通学になって地元の友人とかなり疎遠になっちゃったし。塚田くんみたいに引っ越した人だったらますますそういう側面が強くなるのかもね」

 僕もそうかも、と口元を緩めて頷いた。考えてみれば、年が明けたとはいえ、委員長とこういう軽口に似た話が出来たのはいつ以来だろう。いや、思い出してみると事務的な話が多くて世間話に似たことなんてほとんどしたことがなかったようにも思える。

 半年。

 半年は人を変えるのに充分な時間だ。いや、もしかしたら三ヶ月、一ヶ月、十日、一週間、一日でも人は変われるのかもしれない。

 でも僕のその引き出しを作ってくれたのは、間違いなく神様さんであり、その作ってもらった引き出しに、今、僕や右左、そして多くの人が救われている。

 やっぱりあの人は特別だ。僕は徐に目を閉じ、少しの間、学業から意識を遠ざけた。

「ねえ、塚田君」

「何? また映画でも行くの?」

「そうじゃない。塚田君、ここへ最初に来た時より、表情が柔らかくなったなって思って」

 委員長から突然漏れた言葉に、僕は目を丸くした。自分自身ではそんな感覚はない。むしろ日によっては刺々しくなったり、あまり優しくない人の一面を出しているつもりだ。

 それでも委員長は僕が変わったという。それが信じられず、僕は委員長の顔を間抜けにもじっと見つめていた。

「そうなのかな……」

「うん、自分じゃ気付けないかもしれないけど、色んなことに前向きになってる。そもそも嫌な人だったら私が映画に誘っても一緒に来てくれるわけないじゃない」

 それはただの付き合いだから――と言いたかったのだが、彼女には僕の変化がしっかりと読み取れるらしい。

 でも、考えてみれば、以前の街にいた頃、誰かと何かをするのを、義務的な感覚以外でこなしたことはなかった。友人がいなかったわけではない。ただ誰か特定の人と深く付き合うことはなかった。

 ここには右左がいる。野ノ崎やミミもいる。そして何より、神様さんがいる。

 気付けば、この街に来て変えられたのは、僕の方だったのかもしれない。

「来た頃の塚田君も素敵だと思ったけど、今の塚田君はもっと素敵ね」

「……ありがとう。それ以外なんて答えればいいのか分からないけど」

 彼女は微笑む。神様さんのことが絡まなければ、本当にこの人は善人なのだと思い知らされる。でも僕にとってたった一人大切にしたいのは神様さんで、そこは委員長とどう折り合いを付けるべきなのか分からないところであった。

 僕と委員長の仲は修復された。いつか二宮双葉という少女と委員長の仲が直ることもあるかもしれない。悲観的な予測は、悲観的な未来しか寄こさない。そのいつかを信じて、僕はまず右左のサポートを必死にすることを誓った。

「塚田君さえよければ、来年の生徒会に入ってもらいたいんだけど」

「うーん……それは難しいかな。さすがに家事勉強とそこにプラスはね……」

「妹さんのサポートにと思ったけど、やっぱり大変か、仕方ないわね」

 僕は委員長にごめんと頭を下げた。ただ、心変わりする可能性はある。このことは少し心に留め置いてもいいかな、と僕はほんの僅かに笑った。

「そうそう、塚田君、先生から妹さんの勉強のサポートにプリント用意してるって言われてるから、都合のいい時に受け取りに行ってね」

「分かった。本当にありがとう」

 僕の礼に彼女は手を横に振って拒否した。でも、こうして先生や委員長が中心になって右左をサポートしてくれている。

 そのこと自体はありがたいが、神様さんはここで否定された。その面を思い出すと、僕は今のことを素直に喜べなかった。

 あの人が学園に来られるような性格だったら、誰からも好かれて恋人の一人や二人出来ていただろう。そして僕は普通になった彼女に何の興味も示さず、ただ互いに通り過ぎるだけの関係に落ち着いたのは間違いない。

 僕にとってはありがたい話だ。だが彼女にとっては辛いことかもしれない。そのジレンマを解決出来る日は、枯れた落ち葉のように、まったく見えてこなかった。

 そういえば、春日第一に通うお姉さんとの関係をあまり聞いてなかったな。今度会った時にでも聞いてみよう。

 しかし神様さんみたいに自由奔放に生きている人の姉が、全国的に名の知れた学園のトップとは、はっきり言って今でも想像がつかない。というか、あの時神様さんになりすまして接触してきたお姉さんから、そういう空気を読み取ることが出来なかった。

 多分、非凡を通り抜けた才能を持ってるから、そういう人間になれるのだろう。僕はやれやれと呆れながら、右左のプリントをいつ取りに行くかを考えていた。

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