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戻ってきた街、見知らぬ学校

 カミサマに絡まれ、僕の帰宅は大幅に遅れてしまった。

 ただ僕の遅くなったの基準と右左の遅くなったの基準が違うのか、右左は怒った様子もなく自室にいた。

 急いで料理を作り、テーブルに並べ、もう一度自室にいる右左の元へ向かった。

 予想通り、右左は食卓に来なかった。まあそうだよなと一人うなずき、この家での初めての食事を終えた。

 引っ越しという一大イベントを終えると、一日に起こった大半のことはどうでもよくなり、次々と記憶の端から抜け落ちる。街に戻ってきて懐かしいとか、そういった感慨も気付いた時にはどこかに消え失せているのである。

 無論、記憶力に怪しさがあるわけではないので、問われれば神様さんのことだって思い出せる。しかし右左とあまり会話が出来なかったというそれの前では、三日前の夕食のメニュー並におぼろげな記憶に化けるのだ。

 以前の学園に着用していた制服に袖を通す。まだ新しい制服が出来上がっていない。

 大きめの鞄の中に、更にエコバックを入れ、午前七時四十分の自室の扉を開ける。

 階段付近の扉の前で、僕の足が止まる。しばし黙り込んだ後、僕は声を張った。

「右左、行ってくるから。あと買ってあるパン、右左のだよ」

 少し大きめの声で様子を窺う。すると中からかすかな言葉が聞こえた。

 ――行ってらっしゃい。

 僕はそれを聞くと、自分の心に強い充足感が溢れてくるのに気付いた。今日は頑張ろう、右左は僕をそんな気分にさせてくれる天才だ。

 玄関を出ると、小さな庭にあるクヌギの木が目にとまった。何故か知らないが、僕はお前も頑張れよという立場も意味も分からない言葉をクヌギにかけた。

 さすがにこの時間にもなると、朝日の神々しさなんてものはなくなり、特別さ、プレミアは在りし日の幻に化けている。

 駅前に出て、そのまま一直線に歩く。学園への道筋は、地図によるとこれで正しいはずだ。我ながら最寄り駅の学園を転入先に選ぶというのは安直だと思う。ただ、右左を見ているとこの決断が間違いではなかったと感じさせてくる。

 街ゆく人は皆忙しそうで、他人を見ていない。この朝の人混みの中で他人を注視しているなら、多くの場合それは犯罪者か取り締まる側である。

 早足、ゆっくり、喋りながら。

 色んな歩くスタイルがある。そして僕の歩くスタイルも、とりとめもないものだ。

 学園に着くと、思ったより普通の光景に安堵と落胆を同時に感じる。パンフレットにはもっと綺麗な建物が写っていたはずなのだが、少しばかり経年劣化が感じられる。

 門の前で毛色の違う制服を着ている人間が立っていると、周囲から奇異の目で見られる。さっさと入った方が、視線の刃物から逃げられる。僕は背を伸ばし、ここの人間としての第一歩を踏み出した。

 急いで教室に向かう人の群れと、自分の急がなくていい足をつい比較する。

 拘束に自由はない。しかし生きることにおいては最大の快楽である。

 適当な言葉をでっち上げるが、それっぽいだけで何の意味もない。我ながらセンスのなさに呆れるばかりだ。

 職員室におもむき、学園長などに挨拶を終え、担任を待つ。人当たりの良さそうな恰幅のいい中年の男性が僕の担任らしい。

 彼に手招きされ、教室へ向かう。今日は授業は受けないが、転入生にはお馴染みの挨拶というお披露目会をするのだ。

 先に入った担任が何やらもったいぶった話をして、扉を開いて僕に入れと促す。素直に歩くと、歓声と失望の入り交じった声が聞こえた。

 女子が良かったという男子の声。同じ立場なら僕もそう言うと思うと同情した。

 結構かっこよくないとかいう女子の声。ありがとうございますと言いたくなった。

 担任が黒板に僕の名を記す。塚田一宏。何の間違いもない。

「えっと、これから皆さんと一緒の生活をします。よろしくお願いします」

 軽い挨拶に、多大な拍手で僕は迎え入れられた。そして教室を担任と共に去っていく。

「えっと、塚田」

 担任が人気のない廊下で僕に話しかけてきた。

「何ですか?」

「他のクラスの奴で、お前に会いたいってのがいるから、昼休みに職員室に来てくれ」

 僕は思わずのけぞりかけた。学校に転入した初日なのに、何者かに素性がばれているとは情けない。

 とはいえ、元々育った地の上に、古くからある学園だ。僕の昔馴染みがいてもおかしくはない。むしろここで問題になるのは、どこでこの情報を手に入れたかであろう。

「わかりました。その間教科書とか買ったり、あと図書館行って時間潰しておきます」

「悪いなあ。それがなきゃもう帰っていいんだけどな」

「問題ないです。でもどうしてそんなこと知ってるんですか?」

「他の先生がお前のことを言ったらしくてな。昔この街に住んでた奴だから、知ってる奴もいるかもな、なんて。それで噂に尾ひれがついて追跡隊がお前の名前に行き着いたわけだ」

「……熱心ですね」

「……俺もそう思うよ」

 僕達は同じように肩を落とした。そして彼は言葉を続けた。

「でも離れて長いのに、そうやって会いたいって言う奴がいるってのはいいよなあ」

 僕はうつむき加減になりながら、口の端を緩めた。

「そう思います」

 担任は僕にこれから頑張れよと一言残し、職員室に消えてしまった。なんだか行く前にクヌギにかけた言葉が自分に返ってきたようで、少しむずがゆい。

 彼が立ち去ったあと、僕は人気のないグラウンドをぼんやり眺めていた。

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