2/1 新しい世界(上)
しまったな、今日一日、どうにもついていないことになりそうだ。
僕は賞品、いや商品をビニール袋に入れる店員さんの顔を見て、少し眉をしかめていた。
「お客様、大変お待たせいたしました。こちら、A賞のスペシャルクオリティフィギュア一点となっております」
「はあ……」
今ひとつ覇気のない声を出しながら、僕はそれを受け取った。八百円を出してタオルを買い、小銭を産む作戦はくじ運のない僕にフィギュアを押しつけ終了した。
一回八百円のはずれ無しという名のはずれがたっぷり入った景品交換型のくじ。それを出先で引いてみた。それもこれも、寒さの中に入り交じる暑さに対抗するため、タオルを手に入れようと考えたからである。
本当なら最下賞のタオルが出来て僕も書店もウィンウィンの関係とやらを結ぶはずだったのに、僕はたった一回のくじ引きでフィギュアをたぐり寄せてしまった。
だが僕にはフィギュアを飾る趣味もなければ、集める趣味もない。こんなくじを引いている段階で、ちょっとばかりそういう期待をしていたんじゃないか。確かにそんなことを言われそうな気もする。しかし僕は、出先の本屋で柄付きのタオル、ないしはちょっと欲張ってキーホルダーなんかを手に入れ、あははと笑う予定だったのだ。
そう、幸運の総量は人それぞれに設定されている。とてつもない幸運の後には、とてつもない不運が襲いかかってくるのは、短くない人生において否という程経験させられている。
とはいえ、くじ一回の特賞で失いそうな己の不運属性が情けなくも思えた。
もしかすると、あそこで会いたいと願った人に変な姿をさらすかもしれない。気を付けねばと、僕はもう一度袋に詰められたフィギュアを見つめた。
書店を出て、見知らぬ街を歩き出す。寒風が一度吹くと、木の葉が揺れ落ち、僕の足下を賑わせる。耳に過ぎった痛みは、すぐさま手袋で覆った指先にさえかじかみを与えてくる。
気付けば僕は、本屋で見舞った幸運の裏の不幸を忘れ、薄赤色に変わりつつある空を、ぼおっと見つめながら歩いていた。
ゆっくりと進んでいると、ポケットに突っ込んでいる携帯が少し震えた。メールのようだ。こんな土曜の夕暮れ時にメールを送ってくるなんて誰だろう。携帯を手にし、僕はメールの差出人を見た。
誰かと思えば、昔馴染みの正に腐れ縁、野ノ崎からだった。
本文を見る。
『最近付き合い悪いぞ』
たった一文で終わる文面のために、奴はわざわざ携帯を弄ったらしい。その甲斐甲斐しさと辺りを覆う寒さに僕の足は一寸止まった。
こんな気にしてもどうしようもないことを言いたいがためにあいつは僕にメールを送ってきたのか。まだ年明けすぐなのに、もうそんなことを言われるとは、野ノ崎の押しが強いのか、僕がよほど薄情なのか少し判断に尽きかねる。
とはいえ、野ノ崎のような古い友人と会話するために入れたはずのアプリはほとんど使ってないし、僕のもっぱらの話し相手は、別のグループに所属している。
メールと電話で、特別に繋がっている人。それが僕の今日会いたい人だ。
「……野ノ崎とかミミにも少しくらい善処しなきゃいけないか」
冬空を眺めながら思わず漏れた独り言が、寒さの中に溶けていった。
それでも進む僕の足は、どこか喜びと焦りを隠せずとにかく一歩前へと進み出していく。
遠足前の子供のように興奮するなんて、何年ぶりだろう。いや待てよ、僕が今日会う人と、以前そんな思い出を紡いだ記憶がある。ということは、取り立てて過去の出来事でもないと言えるのではないか。
僕の頭の中で、いつもの理屈っぽい部分の顔を覗かせてきた。
いや、と僕は少し頬を緩めた。
そう、そういう理屈っぽい部分を含めて、全部蹴り飛ばすほど今日会うあの人は力に満ちあふれた人なのだ。
だから僕は恋をした。
何も言えず、だらだらと続きそうな関係だけど、それはそれで結構楽しい。多分彼女には僕の気持ちは届いていないだろう。だから届く日を信じて、今日も軽いメールを送る。
妹には最近にこにこしている日が増えたと言われた。
ただ年末と正月には会えなくて、年明け一週間した今日ようやく会える僕の気持ちを少しは汲んでほしい。妹にそれを告げることもなく、僕はふらりと土曜の宵闇間近な街を進む。
聞いた店の名前と、スマホの地図を見ながらあっちでもない、こっちでもないと右往左往する。方向感覚に自信がないわけではないが、何故か一向に店に着くことが出来ない。
どこだ、どこだ。
もう一度息を吸い込み、道を見た。確か大通りから一つ道を外れたその先に、店はあるはずだ。
じゃあこっちか。僕は意を決して裏路地に飛び込んだ。
……路地に入ってすぐそこにあった。
今まで迷っていたのは何だろう。情けなさとみっともなさで、顔から火を噴きそうだった。
気持ちを改め、店の前に立った。手書きのカフェの文字がアルファベットでないことに、何故か安堵の息が漏れる。
呼び鈴付きのドアを引くと、からんからんと煌びやかな音がした。そしてすぐさま、店の奥から女性が飛び出してくる。
「お帰りなさいませご主人――」
「どうも、帰ってきました」
一瞬言葉に詰まる間近の女性。僕も目を合わせられず、斜め上を見つめながら独り言のように声を返す。
派手さのない、シンプルなメイド服。それに袖を通した彼女は、普段見るよりも一層輝いて見えた。
そう、いわばここは在京キー局のような浮き足だった店ではなく、ローカルテレビ局のような、どこかのどかでいて時代に逆行するような静けさと荒々しさを持った場所なのだ。
何より僕は、見慣れているはずの彼女に見惚れてしまった。こんなので動じるわけがない、そう思っていたのに。
彼女は言葉に窮しながら、僕を空席に連れて行く。僕も何も言えず、その後を行く。
席に着くと、彼女は何の言葉もなくそそくさと奥へ行った。
……店に行くと伝えていたのに、この反応。もしかして嫌われたか?
待て待て、ちょっと待てと僕の頭が必死になだめようとする。
席に着いて少しすると、水を手にした女性が近づいてきた――が、それは僕の待っていた人ではなくて、違う店員さんだった。
「お帰りなさいませご主人様」
「ああ、はい」
「何か飲まれますか? それともお食事になさいますか?」
なるほど、これが噂に聞くメイドの接客というものか。自分の知らない世界がぐぐっと広がっていくのが如実に分かる。
「済みません、この特製ハーブティーで」
「承知いたしました。以上でよろしいですか?」
「はい」
と、僕が告げると、彼女は奥へそそくさと走っていった。見事な接客だ。
それにしても、僕が会いたいと願った人はなかなか奥から出てこない。せっかく眺めて遊ぼうと思ったのに、僕の浅はかな思惑が見透かされたようで悔しい。
店の中を少し眺める。ここはいわゆるメイドカフェという所だが、客層に分かりやすいオタクという人は少ない。むしろ普通の感じがする人達がタブレットやスマホ、ノートパソコンを広げてのんびりしている。
何というか、思っていたのと違う。派手な格好をした人が、ステージに立ったり、そういうのが煌びやかに営業をしているメイドカフェだと考えていた。だがここは違う。落ち着いたメイド服を着た店員さんとお客さんが特に求め合うこともなく共存する世界だ。
カウンター越しの、調理場。そこでは店長だろうか、あごひげを蓄えた、若そうなのに堂に入っている男性が静かに料理を作っている
僕が店の中を見物していると、メイド服姿の少女がトレイに載せた料理を手に目の前を駆けていく。間違いない、僕が追い求めていた彼女が他の人へ向け笑顔を向けている。
どんな感じの接客なのだろうか。注視してみることにした。彼女は僕に気付いているのか気付いていないのか、こちらに目移りすることなく客に愛想を振りまいていく。
「お待たせいたしました。執事長の愛情を込めたオムライスです」
「ありがとう。ところでさ」
「はい?」
「携帯のアプリとか入れてる? IDとかあったら交換しようよ」
無意識下。僕の眉間に皺が過ぎる。ここは突っ立って、てめえふざけんじゃねえぞと一発殴りかかりに行くべきか。一発出禁確実で、合理的な手段ではない。ではとつとつと語ってやっぱりてめえふざけんじゃねえぞと胸ぐらを掴むのだろうか。やっぱり合理的な手段ではない。
僕がやきもきしていると、彼女はあははと笑って、後ろを見た。
気付けば先ほどまで調理に携わっていた男性、すなわち執事長がにこりと客に微笑んでいた。
「旦那様、大変申し訳ございませんが、当室はそのような言葉を交す場所ではございません」
「……」
「以前申し上げましたよね? 注意が三度目に達しましたらここの主人である資格を喪失すると。本日で二回目です。執事たるものが不躾ではありますが、主人に忠告するのもまた務め。次はございませんよ? お気を付け下さいませ」
彼がにこりと微笑んだだけで、彼女を口説こうとしていた男はしゅんとしてしまった。
はあ、良かった。しかしあり得ない話ではなかったのだ。彼女くらい綺麗な人なら声を掛けないことの方が不思議なのだ。
彼女はまだそれに慣れないのか、店長に断らせた先で、大きなため息をこぼしていた。
僕はそんな彼女の後ろ姿をじっと見つめていた。そんな僕に気付いたのか気付いていないのか、彼女がくるりと回った先で、一瞬目が合った。
彼女はぐっと口を結び、すたたと奥へと戻ってしまった。
やっぱり今日は、何となく運がない。己の不運にがくりと肩が落ちる。
僕が項垂れていると、先ほど僕に注文を訊ねてきたメイドさんが、ハーブティーを携えて僕の元へやってきた。
「お待たせいたしました。ご注文のハーブティーでございます」
「ああ、ありがとうございます……」
「ご主人様、何かお疲れですか? お顔色が優れませんけど……」
彼女は少し腰を屈め、僕の顔を覗き込んできた。見上げるようなその視線に、僕は苦笑で返した。
「何でもないです。強いて挙げるなら、個人的な事情です」
「そうですか。ここは色々ありますけれど、楽しい場所にしたいってみんな考えています。もちろんそのためにはご主人様のお力も必要です」
「そう、ですね」
「はい。たくさん楽しんでいって下さいね」
彼女のはきはきとした親切が、少し落ち込みがちだった僕を励ましてくれた。そもそも落ち込む必要はなかったんじゃないか、そうも思える。
それもこれも、僕の一歩踏み出さない姿勢が悪いんだと分かっている。この性格はいつになったら改善されるのか、ハーブティーの香りと対話しながら、僕は一人きりのテーブルでまた他の席を眺めだした。
時間が経ってもあの人は出てこない。今日行くというのは事前に伝えたはずなので、不意の事故というのはあり得ないはずなのだが、こうも交され続けると心配になる。
自然と難しい顔になってしまう。僕は今日ここへ来るべきだったのか、そんな自分の存在意義さえ疑いだしてきた。
「……あれ?」
ポケットに入れていた携帯が振動する。ここへ来た時みたいに、知人関係からメールでも来たのだろうか。すぐさまそれを手にし、誰から来たのかを確認する。
『神様』
僕は思わず息を飲んだ。今日待ち望んでいた人からメールが来た。だが中身を確認するまで幸か不幸かは分からない。
落ち着け、落ち着け。ハーブティーを一口飲んで、また暗示のように落ち着けと語りかける。
震える手を必死に抑えてゆっくりとメールの本文を見る。
『今からお店を出るから外で待ってて』
文面が視界に入ると同時に、はあ、と深いため息がこぼれた。それと同時に、今日お店に来て彼女と何等会話をしなかったことに空しさを覚えた。
何はともあれ、ようやく二人で話が出来る。
僕は少し冷めつつあるハーブティーを一気にかき込んで、席を立った。
「ご主人様、お出かけですか?」
お帰り=店に入る。お出かけ=店を出る。頭で分かっていても、この業界用語がまだ今ひとつ体に染みこんでくれない。
僕は愛想笑いを浮かべ、軽く会釈した。
「もうちょっとゆっくりしたかったんですけど」
「何度でも機会はありますよ。それではハーブティーが――」
何も知らないであろう目の前の彼女は、僕のそんな笑顔さえ受け止めて会計を終わらせていく。その若干淡泊である部分に、僕も楽に振る舞えた。
支払いを終え、店を出る。暖房の効いた店の中と違い、外は息をするだけで透明な冷たさが胸の奥に刺さっていくようだった。
一部目に判明したことが前提になっているので二部目から読むと少し分からないことだらけかもしれません。筆者としてはあんまり気にしてないですが、一部目から通しで読んだ方が多分面白いです。
あと改題しました。こんなところでこっそりお知らせするのもどうかと思いますが。
ちなみに細かく出しているのは先行公開という形です。後でその章をまとめてお出しするのでそちらを待つのもよし、先行公開を常に先に追いかけるもよしという形です。要するに読んで下さる方にお任せする形です。よろしくお願いいたします。




