3.7/17
駅前のハンバーガーショップで約束まで時間潰しに待機して、僕は神様さんの家へ向かった。
彼女の気持ちが大きくて、まだもらったカードケースを使うことが出来ない。
でも、その気持ちに負けていては駄目だ、そんな思いが僕の体を突き抜けていた。
駅前を抜け、駅の近場にある高層マンションへ行く。何度も行っているので、流石に覚えてきた。
逸る気持ちを抑え、神様さんの待つ一室へ向かう。
何を話されるんだろうか。別れのことだろうか、詰問だろうか。一つだけ言えるのは、何を言われても僕はしっかり受け止め、自分の言葉で自分の気持ちを伝えようということだ。
部屋の前に着いた。僕はチャイムを鳴らす。すぐに扉が開かれた。
「あ、一宏君」
想定外に硬くなる表情をよそに、神様さんは柔和な表情で僕を迎えた。そこから別れの色は読み取れない。
思考をフル回転させながら、これから先のことを考える。その僕の戸惑いに気付いたのか、神様さんは僕の腕を引きながら扉を閉めた。
「一宏君、急に呼び出してごめんね」
「大丈夫」
「今日は一人じゃないんだ。だから急になったんだけど」
と、彼女は少しだけため息に似た吐息をこぼした。
彼女のそんな姿を見て、もしかして……そう思う僕の予想は当たった。
「……こんにちは」
玄関から先にあるリビングのソファに座っていた小さな人影から挨拶が聞こえてくる。その声色を僕は忘れる訳がない、人葉さんの声だ。
僕は足を少し早め、ここ最近会えなかった人葉さんの姿を追った。ソファに座る彼女は少し俯き、小さく見えた。
「お姉ちゃん、たまにうちに帰る約束になってて。じゃ、話しようか」
と、神様さんは僕を人葉さんの向かいに座らせると、僕の隣にゆっくり着いた。
「一宏君、今日はお姉ちゃんと私に、きっちり話をしてほしくて呼んだの、分かるよね?」
神様さんがゆっくり一言一言を確かに告げる。僕は黙ったまま頷いた。
「お姉ちゃんにも釘を刺すために先に言っておくよ。私は一宏君がどう思っていても、一宏君のことを愛してる。そこでお姉ちゃんに負ける気はないよ」
神様さんの力強い一言に、人葉さんは黙り込んだ後、長い後ろ髪を梳いておもむろに口を開いた。
「なら、それでいいんじゃないかな。双葉の熱量に私が勝てるわけないし」
人葉さんは投げやり気味に声を返す。それは反抗ではなく、諦観に見えた。
僕は天井に少し視線をやってから、ゆっくり人葉さんを見た。何か悪いことでもしたかのように、唇を噛みしめながら神様さんや僕に視線を合わせようとしない。
「……お姉ちゃん、今日家に来てって言った時、いつもなら文句言うのに凄く素直に来たよね。こういう話すること分かってたんでしょ?」
「まあ、そうかも」
「お姉ちゃんの時間もそんなにないの分かってる。だから、後悔しないように嘘だけはつかないでほしいんだ」
神様さんの諭すような声に、人葉さんは何も言い返さない。すぐに僕は察した。波風を立てないために、嘘をつこうとしていると。
「私の気持ちは言ったよ。一宏君はどうなの?」
神様さんは怒ったような険しい顔をしていない。だが優しいわけでもないのが口調から見て取れる。
僕は頭を下げて、静かに今までのことを口にし出した。一つ一つの、思い出を思い返しながら。
「僕が神様さんと知り合った後に人葉さんに出会いました。面倒な人だなって最初は思いました。でも、接していく内に、弱いところもあって、気になる人になりました」
「……一宏君、いいよ」
「そういう弱いところ見てたら、いつの間にかほっとけない人になってて。僕の素直な思いを言います。神様さんが一番なのは変わりません。でも、もし人間の感情に複数の人を好きになるっていう気持ちがあるなら、一番のすぐ側に付いてる二番目に人葉さんがいるのは間違いないっていうことに、最近僕は気付きました」
落ち着いた僕の声が、波を打ったように広いリビングに響く。
「僕はどうすればいいのか分かりません。双葉さんが好きだっていう気持ちを抱えながら、人葉さんを見ていいのか。でも人葉さんが僕じゃない誰かのところへ行くのも、とても嫌なんです」
「やめてよ……そういう風なこと言われたら……そういうのずるいんだよ……」
「……確かに、僕はずるいです。こういうことを言えば、人葉さんの選択肢が狭まるのが分かってて、言葉を選んでるんですから」
「だからそういうの、やめてよ!」
静かだった部屋に、怒号が響いた。
人葉さんが顔を上げていた。目には涙がにじんでいて、僕の弱い部分を突いてくる。
「ようやく、本音言ってくれたね」
神様さんが呟く。それすらも辛いのか、人葉さんは握りこぶしを震わせていた。
「単なる恋愛ごっこだよ!? それで双葉は納得出来るの? 私が双葉の大切な男と一緒になってるところ見て、満足出来るほど人間出来てるの!?」
彼女の声に、神様さんは黙る。人葉さんは自分を押さえ込もうと、前髪をかき上げた。
「納得出来るわけないよね。双葉の一番大切なものなんだもん」
「……お姉ちゃんの言う通り、私は人間出来てないよ。でも、私はお姉ちゃんじゃなくて、一宏君なら信じられる」
「双葉……?」
「一宏君は強くて、私のことを大切に思ってくれてる。その一宏君が大切にしたい人なんだもん、その人はよっぽど弱くて、一宏君の力を使わなきゃ駄目になるんだって思ってる」
僕は思わず神様さんを見た。いつものどこかふんわりとした表情ではなく、きりりとした強い眼差しの顔だった。
神様さんは膝に置いている僕の手のひらに、自分の手を重ねた。僕は静かに口を開いた。
「双葉さんがいる限り、僕の中で一番目は変わりません。でも、人葉さんが今でも一番に限りなく近い二番目なのは変わらないです。……僕のわがままを言わせて下さい。僕は双葉さんも人葉さんも両取りしたいです。そんな男はだらしないって思います。だらしないのは分かっていても、それが理想的な未来だって思っています。それで双葉さんが離れるって言うなら、双葉さんと別れます。人葉さんが離れるって言うなら人葉さんと別れます。お願いです。双葉さん、人葉さん、僕は二人と付き合いたいです」
僕はゆっくり頭を下げた。
しばらく黙っていた人葉さんは、涙をこぼしながら首を横に振っていた。
「そんなの……そんなの無理に決まってるじゃない……! 今はよくてもこれから先はどうするつもり? 一宏君は双葉と家庭持つんでしょ? 色々言われるのに耐えられるの?」
「耐えます。苦しいことを、双葉さん、人葉さんと一緒に越えていきます」
「出来るわけないじゃない……! 一宏君、私は一時の思い出でいいって言ったんだよ? ずっと責任取らせること、出来るわけないでしょ!」
人葉さんは涙を足下にいくつもしたたらせる。
僕の声は届かないのかな。そんな思いが少しずつ胸を過ぎりだした時、神様さんは僕の腕を手に取り、広げていった。
「お姉ちゃん、これ見て」
「一宏君の手がどうかしたの」
「この人、こんなに大きな手をしてるんだよ。私、この腕に収まるまでに大変だった。でも、この人は、もう片方同じ大きな腕がある。そこにね、お姉ちゃんは収まってほしい」
神様さんは人葉さんを優しい眼差しで見つめていた。その時、僕はふいに思い出した。いつも喧嘩しているような素振りだったけど、お互いを意識していた、仲のいい双子だったと。いや、むしろその関係から逃げていたのは、自責の念に駆られていた人葉さんの方だった。
「双葉……なんでそんなこと言うの? 私、あんたの嫌いな姉なんだよ?」
「確かにお姉ちゃんの嫌いなところはいっぱいある。でも、それでも、お姉ちゃんは私にとってたった一人のお姉ちゃんで、学校の成績もよくて、綺麗で、悩んでたら相談に乗ってくれる大好きなお姉ちゃんなんだよ」
「本当……何考えてんのあんた……私だって一宏君が好きだよ! どうしようもないくらい好きだけどあんたの幸せを考えたら諦める以外方法なんてないでしょ!」
「私だって、一宏君がお姉ちゃん以外の人を二番目に好きになったって言ったら一宏君と別れると思う。でも、お姉ちゃんの魅力は妹だから分かるもん。双子だよ、私たち。一緒に好きな人と過ごす未来、見よう」
人葉さんは神様さんをしばらく見つめた後、ゆっくり僕に目を合わせてきた。僕は涙をこぼして目が腫れ上がった人葉さんに不格好な苦笑で応えた。
人葉さんは押し黙っていた。まだ決意出来ないように。僕はそんな彼女から一瞬も目を逸らさず答えを待った。
「……こういう時の双葉、本当に強い」
「お姉ちゃんの幸せのこと考えてるんだもん、弱くなるわけにはいかないよ」
「そうだよね。私が学校でトップやってたの、私のことであんたを馬鹿にされたくなかったからだった。そんなこと、いつの間にか忘れてたんだなあ」
彼女はそれを口にすると、目尻を拭い、何かを決めたように前を向いた。
「本当にいいの? 双葉」
「いいよ。それが私の選んだ道だから」
「一宏君も大丈夫? 付き合うってなったら、双葉に遠慮しないよ」
「大丈夫です。そういうの、頑張りますから」
僕が頷くと、人葉さんは吹っ切れたのか大きなため息を吐いた。その顔には神様さんと瓜二つの眩しい笑顔が見えていた。
「結局私、また双葉に負けちゃった」
「お姉ちゃん……」
「双葉の言葉に甘えることにする。私も、一宏君と付き合う」
と、彼女は顔を上げると、いつもの不敵な笑みで僕達に答えた。
「よしっ、もう迷わない。私の一宏君のこと好きって言う気持ち、いっぱいぶつける。一人で暮らそうって思ってたけど、週に一回はこっちに帰ってきて一宏君に会うから!」
「楽しみにしてます」
「おいおい、恋人になったんだからそういう堅苦しい話し方しないでよ」
「多分、ずっとこういう喋り方だと思いますよ、僕と人葉さんは」
「かもね。双葉……その、ありがと」
「いいよ。お姉ちゃんも一宏君のこと本気で好きだったの見てて分かってたから。でも一宏君にちょっかい出し過ぎたら怒るからね」
神様さんが冗談めかした警告をすると、人葉さんはおかしげに口を押さえた。右左や僕には時折見せる姿だが、神様さんの前では見せたことのないものだった。
二人は微笑みあっている。その横顔を見ていると、距離を取っていた姉と、コンプレックスを感じていた妹の二人がようやく向かい合えるようになったのだと感じさせられた。
「これから春、好きになれそうだよ! 一宏君!」
人葉さんの綺麗な高い声が、ここ最近鬱積していた僕の心の塵を一掃した。
僕達は一つになった。これから先、大変なこともあるかもしれない。でも、その道を選んだのだから、苦しみも程ほどに、喜びを見つけ出していきたい。
春が近づいてきた冬の終わりに、僕はまた一つ、神様さんから幸せを分けてもらった。




