3.7/15
僕達はそれから街をあれこれ巡った。雑貨店で売っている変わったものを見たり、甘食を食べたり。会話を挟みながら色々眺めているだけで満足するもので、あまりお金の方は使わずに済んだ。
十四時になり、僕達は少し遅くなった昼食を取るためにいつものようにファミレスに赴いていた。
「えっと、チーズハンバーグ、パンのセットで」
「はい、チーズハンバーグ、パンセットとグリルチキンのライスセットですね。ドリンクバーはあちらの方になっておりますので、ご自由にお取り下さい」
定型句を並べウェイトレスが注文を取り去っていく。
行こうか。軽く告げ僕達は一緒に席を立ちドリンクバーの一角に向かった。
言わなきゃ。そう思っているのに、僕の心の中でまだ決心が付かない。このまま僕の中で気持ちを封印して、人葉さんとの関係をないことにすれば、神様さんとの未来は安定したビジョンを見せてくれる。
それはよく分かる。分かるのにどちらに転ぶのも怖がっている。
右左の言っていた失敗したことがないというのを、否という程教えられている気がする。失敗をしたことがないせいで、失敗というものの先にあるものがどれほどの大きさか分からない。改めて思う、右左は本当に大変な道を乗り越えたんだと。
「……一宏君?」
席に着くと、神様さんがその大きな目で僕の顔を覗き込んでいた。僕は何か分からず、声に詰まった。
「何か考え込んでたっぽいけど、大丈夫?」
神様さんは僕の止まっていた何十秒かを見つめていたのか、そんな言葉を発した。僕は机の下で自分の指を何度も絡み合わせて声も無く笑い顔だけを作った。
「大丈夫かなあ」
神様さんは頬杖を突きながら、僕の目をじっと見る。僕は何も答えられず、その視線をあちこちにやっていた。
「一宏君」
「な、何?」
「今日何回目かになるけど、受験合格おめでとう」
彼女の柔らかな声色が、僕の耳を包んだ。
その声に釣られ、僕はテーブルの向かいに座る彼女を見つめる。彼女は横に置いてあった自分の鞄をいそいそと開きだした。
何が待っているんだろう? 僕は彼女の小動物のような愛らしい動きを見つめながら、それが終わるのを待った。
しばらくして、彼女は何かを取り出すと、それを握った手を机の下に隠すように移した。
「一宏君、受験、よく頑張りました」
「それはさっきから聞いてるからいいけど……何かあるの?」
「はい、これ」
と、彼女は隠していた手をテーブルの上に出し、僕の目の前にその手に握っていた小さな箱を差し出してきた。
小さな箱は男性向けのちょっとしたファッションブランドの包装紙でラッピングされている。超が付くほど高級ブランドというわけでもないが、それなりに高いのは僕でも知っている。
これを僕に? 僕が疑問めいた目で彼女を見ていると、彼女は両手で頬杖を突きながら僕をにこにこと見つめてくる。
僕は何も言わず、包装紙を取り、箱を開いた。
箱の中には光沢のかかった、革製のカードケースが入っていた。
「受験の合格祝い。一番実用的かなって思って」
彼女は笑いながらそんなことを言う。ただこういった小物でもここら辺のブランドなら数万ほどはするはずだ。思わぬ高額なプレゼントに僕は当惑していた。
「あの、お金大丈夫だったの?」
「お祝いの品だしいいもの持ってもらいたいし。お金は君が合格した時のことを考えてバイト代からちょっとずつ貯めてた。落ちたらどうしようってちょっとだけ思ってたけど、合格したからまあよし」
「……神様さんらしいな。そこら辺の思い切りのよさ、本当に前から変わってない」
「君を信じてたから、だよ。信じられない人のためにこんなこと出来ない」
僕は彼女から渡されたカードケースを強く握りしめた。
この人はこんなに僕を思ってくれている。なのに僕は、うだうだと考え、この人の思いに甘えてばかりいる。
きちんと言おう。失敗という崖の先に大きな平原がある。崖を飛び越える勇気を振り絞り、僕はようやく本当のことを話す気持ちを持った。
「神様さん、今日言わなきゃいけないことがあるんだ」
「何?」
「……人葉さんのこと」
僕が重苦しい顔で呟いても、彼女の悠然とした笑みは崩れることがない。
「最初に言っておきたい。僕は神様さんが一番大切なんだ。それは変わらない」
「うん」
「でも、ずっと人葉さんに好きだって言われて、神様さんが一番なのに、浮気しそうな気持ちが出てきた」
僕がそんな弱気な声を絞り出すと、彼女は目を少し閉じて、息をついた。
「この間、人葉さんの引っ越しに付き合ったよね。その時人葉さんに最後の思い出にって誘われた。でも、最後にしたくなかったから断った。自分でも分からないんだ。人葉さんをどうしたいのか。断るのが普通だと思う。付き合えないのは分かってるのに、断ることも出来ない」
「一宏君はお姉ちゃんのこと、どう思ってるの?」
難しい質問が、優しい声色で神様さんからかけられた。僕は意を決して、彼女に本音で返した。
「……多分、好きなんだと思う。二人同時に好きになるなんて、酷い奴だと思う。こんなプレゼントもらった日に、言うことじゃないと思うけど……神様さんがこんな男嫌だって思うなら別れてくれていい。僕はそれだけ、神様さんを裏切るようなことをしたって思ってる」
と、僕が詰問された時のような縮こまった肩身をしていると、料理が運ばれてきた。
彼女は何かおかしいのか、くすりと笑いながら、ナイフとフォークを手に、注文したチーズハンバーグに手を伸ばしていた。
「あの……神様さん」
「冷めちゃうよ。とりあえず食べよ?」
「その……」
僕はそれでも彼女の答えを聞こうとする。
すると彼女は艶のある唇を動かし、僕の目を優しく微笑みながら捉えてきた。
「今日せっかくの休みだし、この後一宏君の家に行ってもいい?」
「え、えっと……その、大丈夫だけど……右左もいるかもしれないよ?」
「いいよ。街を巡った後に一宏君の家に行けないかなって思ってたから。さて、食べなきゃ」
彼女はそれだけ言うと、僕と人葉さんの関係についてそれ以上突っ込んでくることはなかった。
僕達はそれから、食事を終え、店を出た。それからも神様さんの機嫌は変わることなく、愛らしい笑顔で、僕の家に着いてもずっとじゃれついたままだった。
その明るい横顔は、否定か肯定か、それともそれらを越えた感情なのか。
結局僕は、その日失敗に足を踏み入れたのかどうかも分からず、覚悟を決めたはずなのに何も見えなかった一日を過ごした。




