3.7/11
ショッピングモールから彼女の下宿先は車で割とすぐだった。食材の買い出しもこれなら普通にこなせる。
人葉さんのお母さんが安全面を考慮したのか、入り口も含めてオートロックの部屋に入居していた。
建ってからまだそれほどの時間が経っていないのか、出入り口も綺麗で部屋だけで人を堕落させそうな匂いが漂っていた。
「さ、どうぞ」
と彼女が扉を開ける。
分かっていたことではあるが、段ボール箱が山積みだ。この中からまず何から作るべきか。寝床を作るためにベッドを作るか。パーツを組み合わせるだけならそれほどきつくはない。
「人葉さんはそこでゆっくり見ておいてください。ていうか他人の手が入ると余計に段取りが悪くなるんで」
と、僕は少し聞くと無愛想にも思える言葉で彼女を制した。
ベッドは耐久性が求められる家具だ。当たり前だが一つ一つのパーツは頑丈そのものだ。
金属製のフレームを組み合わせ、マットレスを置くための天板を重ね合わせる。
引っ越しを何回もしてきたおかげか、こういうのは普通の人以上に慣れている。人葉さんを後ろに、僕はパーツを握りながらさっと組み立てていく。
何となく、人葉さんの前で格好悪いところを見せたくない。いつも以上に手際にこだわってみる。すると慣れてない人なら一時間でかかるベッド作りを二十分で片付けられた。
人葉さんがペットボトルのコーラを持ってくる。僕はそれを受け取り少し飲むと、続けざまにテーブルを組み立てだした。これも思っているほど難しくはない。
「次はこれか……」
と、僕が見据えたのは腰ほどの高さがある横に長い本棚だった。普通の人はそれほどいらないし、学生なら置かない人間もままいる。それでも自分の勉強をするための棚を用意している彼女に、僕は畏敬の念を抱いた。
本棚の組立はやや時間がかかる。ネジ留めもそうだし天板など組み合わせるものが多いからだ。
人葉さんが僕の姿を覗き込んでくる。でも僕は彼女に何も言わずひたすら本棚の組み立てに精を出した。
一時間ほどした頃だろうか。何とか本棚を組み終わった。多分電動ドライバーがあれば二十分で終わったと思う。それだけ本棚のネジはきつく締めなければならない。
腕がさすがに疲れてきた。ちょっと休憩するかな、と僕は床に座り込んだ。
「一宏君、汗凄いね」
そう言えば、気にしてなかったがそんな風になってたか。外もかなり暗くなっている。
「一宏君、お風呂入ってきたら?」
「タオルとか使わせてもらっていいんですか?」
「一宏君と私の仲だよ。今更いい悪いもないでしょ」
まあ、そう言われると仕方ない。僕は頭を下げ風呂場へ入った。
風呂場でシャワーを浴びていると、色々なことを思い出した。人葉さんと初めて会った時にからかわれたこと。彼女が神様さんにコンプレックスを抱いて泣いたこと。神様さんとの関係が不甲斐なくて叱られたこと。
思えば、重要な決断の時に彼女はいつも側にいてくれた。それなのに僕は、彼女の好意を受け取ることが出来ない。
僕は彼女をどう思っているんだろう。考えても仕方ない。僕は風呂から上がった。
「人葉さん、お風呂ありがとうございました」
「一宏君、今日遅いから泊まってかない?」
「……布団とか」
「予備のがあるからそれで寝て。私はベッドの上で寝るからさ」
と、彼女は他意がないことをアピールする。それなら、と僕は頷いて横に置かれた座布団の上に座った。
こうして見ていると、本当に大学生活をこの人はこれから始めるんだなと思わされる。
そこに僕はいない。新しい道を歩む人葉さんがいるはずだ。
「ちょっと埃っぽいな。私も風呂入ってくる」
「……はあ」
「扉開けて襲ってくるなよ!」
と、彼女は冗談めかした一言を残すとそのまま風呂場へ向かった。
僕は彼女を待つ間部屋を眺めていた。調度品もさることながら、部屋も大きくオートロックに冷暖房完備。家賃が結構しそうなのにそんな物件を選ぶのは、大切な娘の身を第一に考える人葉さんのお母さんらしい考えだなと思った。
ここに新しい思い出が生まれる。でも僕と人葉さんの間にあった思い出なんて、考えてみれば一年程しかない。それなのに何か重要なことだったなんて思うのは、僕の自意識過剰なのではないかと失笑してしまう。
人葉さんはもう僕を振り切った。そう信じよう。
そして、風呂場の扉が開いた。脱衣所はないため、陰になっている部分で着替えをしなければならない。
見えるわけはないのだが、僕は背を向けて彼女が戻ってくるのを待った。
「一宏君、お待たせ」
「はい……え?」
彼女から声をかけられ、振り向いた僕は言葉を失っていた。
彼女は下着姿のまま、そっと僕の前に姿を現していた。
恥ずかしげな硬い表情のまま、僕から視線を逸らしながら左腕を片側の腕で押さえ込んでいる。
僕は唖然としていた。彼女を嫌いになったわけではない。それなのにただ混乱して真っ直ぐ前を向けない。
僕は言葉にならない声を上ずらせて、必死に彼女を止めようと喉を震わせていた。
「ひ、人葉さん……!」
「これが今の私の、本音の部分だよ」
僕は人葉さんを直視出来ず、しどろもどろになりながら視線を必死に反対側へ向けていた。
何とかして人葉さんの気持ちを止めなければならない。僕は落ち着かない声を必死に絞り出して彼女へ告げた。
「何言ってるんですか!」
「一宏君、どうせだから、ね?」
「それは……そのそんなことは……」
「一宏君が私と付き合ってくれないのは分かってる。だから、最後に思い出作りしてほしいんだ。駄目かな?」
僕は彼女をちらりと見た。
彼女はベッドの上に立って、僕を見つめている。その目は潤んでいて、今の願いより切な思いが崩れ去りそうな脆さだけを映していた。
僕は何も言えず、俯いていた。少し手を伸ばせば、彼女に触れられる。そのままずるずる行ったって誰に咎められることもない。むしろ人葉さんの心を充足させられる。
……そんなわけはない。僕は神様さんが好きで、彼女を裏切ることが出来ない。
そんな思いが混ざっていくと、僕の目から涙が落ちだしていた。
「一宏君……?」
「人葉さん、ごめんなさい。僕はあなたを抱くことは出来ません」
「……そんなに魅力ないかな」
「魅力はたくさんあります! 何の関係もない人だったら、そのまま一緒になってます! でもあなたは双葉さんのお姉さんで、僕の大切な人なんです」
僕が大声で叫ぶと、彼女はしばらくして黙り込んだ。
「ここであなたと一緒になるのは簡単です。でも、それをしたら終わりなんです。僕のあなたのことを好きだっていう思いが、双葉さんと同じくらいになって、自分がわからなくなるんです! あなたが好きって言うのは本当です。いつ意識したのかは分かりません。でも、それが庇護としての好きなのか、恋としての好きなのか、それが分からないし、双葉さんはやっぱり大好きなんです。だから裏切れないんです。……ごめんなさい」
波を打ったように辺りは静かになった。息の音さえない、ともすれば飲み込まれるような空気が場を支配する。
やがて僕が視線をそっと外すと、彼女は目尻を拭って微笑んできた。
「そうだよね。双葉がいるもんね、君には」
「本当に……こんな風に傷つけてごめんなさい」
「いいよ、仕方ないもん。君がそういう義理堅い性格だったから好きになったって部分も大きいし。これから私も大学に入って、色々考え改めなきゃね。でも好きって言ってくれて、ちょっと嬉しいかな。じゃ、私寝るね」
と、彼女はその下着姿のまま、ベッドの布団に潜り込んだ。
僕は彼女を傷つけた。そのことがあまりにも辛く、僕は彼女を見まいと背を向けて眠りに落ちた。もう今日は何も手に付かない。
人葉さんとの関係は、こんな終わり方だったのか。そう思うとあまりにも虚しくて、恋という言葉が空虚なものに感じられた。
僕は人葉さんをどう思っていたのだろう。神様さんが一番なのは変わらない。なら二番はどう思えばいい?
考えても足りない頭で答えが出るわけもなく、僕はずっと暗い思考のまま涙をこぼして眠りに落ちた。




