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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.7/恋と愛
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3.7/10

 二月十五日。

 人葉さんと約束したその日、僕は彼女の実家の駅前で待ち合わせしていた。

 寒風はきついが、この厳しさを乗り越えれば春が来る。どんな一年がこれから先に待っているんだろう。僕は青空を見上げながらぼんやりとそんなことを思い浮かべていた。

 と、僕が立っていると、車のクラクションが何度か鳴らされた。あの耳障りな音は交通安全の為に仕組まれているものだと分かっているがやはり好きにはなれない。

 僕は無視して静かに立ち続ける。するとクラクションが更に数回大きな音で鳴らされた。

 まったく、誰だよ……とクラクションを鳴らした軽自動車の方を見た。

「え……ええっ?」

 思わず僕は口を開けたまま驚きの丸い眼を寄こしていた。

さっきまでの騒がしい軽自動車に乗っていたのは人葉さんだ。勿論、運転席に着いている。

確かに車の免許を取ると聞いていたが早すぎないか? いや、受験をかなり早めに終わらせて超短期コースで終わらせれば何とかいけるか。それでも早すぎる。

 彼女の積極性がこんなところで発揮されるなんて。僕は深呼吸しながら、路肩に止まっていたその車に小走りで近づいた。

 人葉さんは僕の側に車を近づけると助手席側の扉を開けた。うるさいと思っていた気持ちが緊張に化ける。僕は彼女に一礼して、綺麗な新車を汚さないように足下に気を付けながら着席した。

「おはよー元気?」

「おかげさまで。車、綺麗ですね」

「合格祝いに買ってもらった。ま、必要なものだし」

 彼女は扉を閉めるとエンジンをかけた。僕はシートベルトを付け、彼女の運転具合を横目で見つめることにした。

「どこ行くんですか?」

「ショッピングモールで雑貨とか買う。家具とかの大きなものはもうアパートに届いてるから後は組立だけ」

 意外と手際がいいな。僕は相好を崩しながら彼女がアクセルを踏むのを眺めていた。

 よく車に乗ると性格が変わる人がいるという。人葉さんは傍若無人な運転をするのではないか。そう思っていたのに、実際はその逆で、普段のはしゃぎっぷりが嘘のように安全運転を心がけていた。

 どのくらいの時間がかかるのだろう。そんなことを心の片隅に押し込みながら、窓の外へ朧気に視線を委ねた。

 いつもなら軽口を叩いてきそうな人葉さんは運転に集中しているのか無言だ。

 国道を抜け、都心に入る。有名な女子大がいくつもあるそこで、人葉さんは新しい生活を始める。僕の手からこぼれ落ちるように。

 こんな風にするのも、最後なのかな。そう思うと寂しさと共に、悲哀の混じった笑顔も漏れた。

 街の真ん中にあるショッピングモールの立体駐車場、そこに車を停めると今日一日が本格的に動き出した。

「さあ色々買わなきゃ」

 彼女は先ほどまでの真面目な顔が嘘のように明るくはしゃぐ。それが本気なのか虚構なのか僕には図りかねて、微笑みながら見つめて誤魔化した。

「何買えばいいと思う?」

 彼女はショッピングモールに足を踏み入れるとおもむろに訊ねてきた。

「パソコン周りはどうなってるんですか?」

 僕の問いに彼女は顎に指を当てながらそうだね、と答えた。

「ネット回線引いてある物件にしたし、ノートパソコンとプリンターも用意したかな」

「スマホ使うのに無線LANとかは?」

「そこら辺は大丈夫、家で慣れてるから。ていうか家だと私が設定係」

「電気は何アンペアくらいの契約ですか?」

「20アンペア。普通だよね」

「……あの、滅多に起こらないと思いますけど同時にあれこれ使わない方がいいですよ。それだと割とブレーカーすぐに落ちますから」

 僕の言葉に彼女は「そうかな……?」と困惑したような目を見せた。僕はそうです、というう目で彼女を見据える。

「家電は大丈夫ですか」

「レコーダーもテレビも洗濯機も全部大丈夫」

「何というか、大学生活を謳歌出来そうな住環境ですすね」

「……そんな暇、あるかな。あっという間に過ぎ去ってあっという間に終わる気もする」

 と、彼女は視線を斜に逸らして自信のなさそうな声を吐いた。いつもの彼女らしくないその弱気が、僕の心を無性にかき乱す。

 彼女に笑顔でいてほしい。でもその方法が分からない。どうすれば彼女を守れるのか、いや守ることを僕がするべきことなのか。どれもこれも分からなくて、ただ今という時間を逃れるためにはしゃいで誤魔化していた。

「ゴミ箱はゴミの分別用とかで何個かあった方がいいですよ。一つだと分別出来ないですし二つじゃ心もとなくてとんでもないことになりますから」

「なるほどありがと。あ、一宏君、あっち下着売り場だ。見に行く?」

 と、彼女はくっと笑って僕に誘いかける。だが僕は平然とした顔で彼女を見た。

「いや……別に」

「何だ何だ。双葉と行ったことでもあるって言いたいのか」

「まあ、その通りです」

 僕が諦めたような口調で肯定すると、人葉さんは顔を真っ赤にして視線を横に逸らした。

「へ、へえ、前から二人ともすることしてるなって思ってたけどかなり好き勝手やってるじゃない。よ、良かったね」

「……そうですね。でも今日は人葉さんに付き合う日ですから」

 諦観にも似た声で僕が呟くと、彼女は寂しげに目を逸らした。でもそれは一瞬のことで、彼女はすぐにいつもの明るい顔に戻った。

 僕は何故彼女を何度も見つめたのだろう。人葉さんの道化を演じる姿を見たくない、それは確かだ。でもこんなことをしても未来なんてないのは分かっている。

 結局踏み込んだ話なんて何も出来ず、僕と人葉さんは上辺の会話でお互いの入ってはいけない領域を探り続けていた。

 僕はそのまま歩いて、工具売り場へと向かった。念のためドライバーや六角レンチを用意しておいた方がいい。電動工具があれば一瞬なのだが、残念ながらこの一回のために購入するのはさすがに無駄だ。

「一宏君、ある程度買い物終わったらフードコートで何か食べよっか」

「そうですね。そう言えば人葉さん料理作れるんですか?」

「出来ない。でもレシピ見て勉強すれば何とかなるって思ってる。自分に自信がなくなった時が本当に負けだからね」

 その言葉に彼女の強さを見た気がした。彼女はきっと、僕がいなくても素敵な人と知り合って幸せになれる。だから僕がどうこう言うのも、これで最後になるだろう。

 そして僕が人葉さんに最後にかける言葉は何だろう。「今までありがとうございました」だろうか。それも何となく違う気がする。

 結局僕は、人葉さんが側にいるのに、自分の心の中に渦巻く不安の感情と向き合いながらショッピングモールの一時を終えた。

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