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人葉さんとの約束を一週間後に控え、僕は学校でのんびりした生活を過ごしていた。
受験に落ちて二次募集にかける奴、浪人すると早々に決めた奴、色んな奴がいるがひとまず僕には関係の無い話になった。
とはいえ、貯めていた貯金が入学金などで一部消えたのはさすがに痛かった。それくらい親に出してもらえよと野ノ崎達に言われたが、僕はその言葉を受け入れることをしなかった。
それはプライドと言うよりは、初志貫徹するための見栄のようなもので、親に言われた進路を歩まなかった僕の小さな覚悟を見せるためのものだった。
もちろんそれを成し遂げるには金がいる。卒業までの休みが決まった今、バイトの時間を増やせないか僕はあれこれ思索していた。
野ノ崎は図書室に籠もって自習を続けている。その努力が報われるといいのだが。合格が先に決まった奴がそんなことを言うと、本音であっても嫌味に聞こえるだろう。僕はあえて声を掛けずに野ノ崎を遠くから見守ることにした。
「あら、今日は一人?」
透き通った声が僕の背に浴びせられる。振り向くとそこにはなじみ深い委員長が笑顔を浮かべながら立っていた。
「こんにちは。受験どう?」
「共通はかなり取れたから後は二次試験だけね。無理しない範囲の大学を選んでたからよかったと思う」
と、彼女ははにかみながら呟き、僕の向かいの席に着いた。
「塚田君、大学合格おめでとう」
「情報が速いね。まあ、隠し立てもしてなかったけど」
「半年で理系転向して合格するなんて、ある意味普通の難関校に合格するより難しいと思うんだけど。でもそれをやってのけるのが塚田君なのかもね」
彼女の笑顔は優しかった。そこに僕に対する恋愛感情はない。背を押してくれる、優しげな彼女がいた。
もし彼女がこんな態度で神様さんを守ってくれていれば、神様さんは学校に残っていたのだろうか。
いや、残っていたら残っていたで色んな男に迫られるだろう。たとえ排除の力が備わっていても乗り越えようとする奴はいるものだ。そう考えると、僕のものにしたかった神様さんという存在が、学校に行かなかったことは幸運そのものだったと言える。
委員長は頬杖を突きながら僕の目を捉える。その目元は瞼を少し閉じた優しいもので、慈愛に満ちていた。
「二宮さんには伝えたの?」
「メールで。凄く喜んでた。そうやって喜んでくれる人が初めてだったから、少し緊張した」
僕の言い分に委員長はくすくす笑う。何がおかしいのだろう、そう思って彼女の目を見つめていると、彼女は後ろ髪を梳きながらさらりと答えた。
「塚田君のことを祝福してくれた人なんてたくさんいると思うけど」
「野ノ崎とかミミとか右左とか?」
「ううん、あなたが名前も知らない子とか、先生方だったり。だからもっと自信を持っていいと思うんだけどな」
委員長の言葉には一理あった。確かに僕は周りを見てこなかった。嫌いな人の視線は割と気付く方なのだが、好意的な感情はあまり読み取ることが出来ない。
委員長はそんな僕の性格を、いつの間にか見抜いていたのだ。
人生どこか斜に構えていたけど、見てる人は見てる。そしてその僕さえ気付かない部分にも気付いてくれる。
友人も恋人もいらないと思っていたのに、今はその一人一人が大切で、付き合い続けたいとさえ思われる。
でもそんな時間もあと僅かで、僕は知らない人達と新しい生活を送る。
ここで紡いだ思い出も、一つの終わりを迎えるのだと思うと、いくばくかの寂しさが体に過ぎった。
「塚田君、あなたなら大学に入ってもいい友達が出来ると思うわ。頑張って」
「委員長はかなり遠くの大学に行くの?」
「飛行機で二時間、新幹線と電車を使ったら五時間ほどのとこかしら。遠いと言えば遠いと思うわ。受かればの話だけどね」
「……会える機会も減るね」
僕が寂しげに呟くと、彼女はくすりと顔を崩して窓の外の枯れ木を見つめた。
雪が降りそうなその寒い空気を溶かすように、彼女は温かな吐息と共に自分の思いを乗せて静かに言葉を紡いだ。
「塚田君、二宮さんと結婚したら、結婚式呼んでね」
「え、え? け、結婚?」
「あれ? そんな覚悟もないの?」
「い、いや……そりゃ結婚したいよ。でもまだまだ先の話だし……今はお金貯めるのに必死だから……」
「それは言い訳ね。二宮さんだっていつか塚田君にプロポーズされるのを期待してる。だからあなたも頑張って」
僕は彼女の目を見つめた。優しく微笑む姿に心を奪われる。最初の頃は二宮さんに敵愾心をむき出しにしていた。それを今、彼女のことを許すという気持ちになっている。
僕はそんな人間だっただろうか。
いや、そんな人間にならなきゃいけないんだ。
と、僕の脳裏に人葉さんの姿が過ぎった。僕は彼女の望むことをしてあげたい。でも体の関係だけは避けなければならない。たとえ彼女が思い出を作りたいからと言っても。
委員長は席を立った。そして黙ったまま学食から去っていった。
僕に与えられた最良の選択肢はどんなものなのだろうか。全く想像が付かず、僕は自縄自縛に陥っていた。