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落ち着かない日々が続く中、僕は届かない受験の合否にやきもきさせられていた。
ミミや野ノ崎が言っていた通り、もう受験は終わった。何か言っても結果が変わるわけではないのだ。
駄目なら二次募集に向けて努力する。とはいえ、二次募集となると受験費用もまたかかる。割と痛い負担になる。
と、気付くと僕は不合格前提の思考に頭を奪われていた。
いかん、ネガティブになっていてはどれだけ努力しようとしても全ての効率が下がる。
合格した気分で家事でもしよう。僕は気を紛らわせることにした。
土曜の昼下がり、掃除機をかけて夕飯の献立に思いを馳せる。
自分のやってきたことを信じろ。家事の最中、色々なノイズが走る。
大切な人を喜ばせたい、悲しませたくない。「悲」「喜」が表裏一体であることを、こんな馬鹿みたいな時間に気付かされる。
「嫌な時間だ」
右左は今日一人学校に行っている。休みなのだが、来春の生徒会の引き継ぎのために今から準備しているらしい。
ぼおっと窓の外から日差しを窺う。すると低くて耳障りなバイクの排気音がした。
郵便か。でも今日は土曜、配達はないはずだ。
いや待て、土曜に配達ということは速達じゃないか。僕の推測をよそに、そのバイクの音はすぐにまたかき消えていく。
もしかして……。僕は深呼吸しながら玄関に向かっていった。
僕のところに何か郵便物が届いたのだろうか。
もしそれが来たとして、薄っぺらいハガキならアウト、封筒なら合格だ。
喉から心臓が飛び出そうになる。僕はゆっくり、ゆっくり、慎重に外に出て行った。
そして郵便受けを見る。
「……終わりか」
僕はそこにあった一枚のハガキにため息をこぼした。
そう、速達のハガキだ。薄っぺらい合否の「否」だけを伝えるには充分なハガキが一通、郵便受けにたらんと叩き込まれていた。
どうやら落ちたらしい。神様さんとの約束果たせないままになっちゃった。そんな冗談が笑えないほど、僕は落ち込んでいた。
ハガキに何が書いてあるんだろう。せっかくなので僕は接着されているハガキを開いた。
何やら書いてある。それにゆっくり目を通した。
「貴殿は本校の受験に合格されました。数日中に入学の書類や入学金に関する書類を送付致しますので見落とさないようにご注意下さい」
……あれ? 落ちたんじゃないのか?
僕はもう一度ハガキを見た。その文面は変わることなく、僕に何かを伝えてくる。
いや、これは夢かもしれない。目をこする。眠気も浮遊感もない、ここが現実であると確かに感じられた。
本当に合格したのか? いや合格したんだろう。
どうやらこの大学、受験合格の通知と入試用の書類は別々に扱っているらしい。
「そういうスリルは求めてないんだよ……まあ良かったけど」
思わず漏れる独り言に本音が混じる。ただそれはそれ、これはこれだ。僕は入学書類の提出などミスしなければ無事大学生になることが出来そうだ。
何とも冷や冷やさせてくれる。僕は虚脱感から足から崩れ落ちた。
とはいえ、今日は目出度い日だ。右左が学校から帰ってきたら教えてやらないと。
僕は部屋に戻ると、人葉さんと神様さんに合格したという旨のメールを送った。神様さんはバイト中なのでまだ気付かないかも知れないが、きっと喜んでくれるだろう。
と、僕が顔をにんまりとしていると、電話がかかってきた。ディスプレイに浮かぶ文字は二宮人葉の四文字だった。
「あ、人葉さん、どうも」
「受験、合格したんだね、おめでとう」
「……落ちたら人葉さんにしてもらった努力が全部無駄になるところでしたから。でも多分ぎりぎり合格だったと思いますよ」
僕がそう答えると人葉さんはそれを一笑した。
「一点差で合格でも満点で合格でも合格は合格。あとは大学入って何するかだよ」
「それもそうですね。人葉さんに支えられた分、僕も頑張らなきゃ」
僕の明るい言葉に、人葉さんはからかうような言葉を告げず相づちを打つように「うん」と声を返すだけだ。
やっぱり人葉さんは僕が受験に落ちる方が良かったのだろうか。それを思うと、僕の心は複雑な思いになっていった。
「一宏君、これから先のこと何か考えてる?」
「うーん……バイトをして授業に出て……特にこれと言ったことはないです」
僕が難しい声で返答すると、彼女はおかしげにくすりと笑って僕に語りかけてきた。
「あのさ、私引越し先もう決めてるんだよね」
「そうなんですか」
「でも一人暮らしなんて初めてだし、何がいるか分からないわけ」
確かにそれはなかなか難しい問題だ。しかしそれを僕に話してどうするんだろう? 僕は静かに彼女の言葉を待った。
「前に病院に付き合ってあげたじゃない。だから、お礼してもらおうと思って」
「お礼……?」
「引っ越した先で必要な雑貨の購入と家具の組み立て。双葉じゃ家具の組立なんて無理だしね」
なるほどな、と僕は得心した。確かに女性一人が組み立て式家具を組み立てるのは大変だ。そういった事情なら僕の出番と言っても過言ではない。
「生活用品がいるわけですよね」
「そうそう。ゴミ箱から始まって毛布やら電源タップ、色々だよ。机はアパートに送られてくることになってるけど、それの組立とか頑張ってもらいたいってとこ。いい?」
「分かりました。人葉さんには凄くお世話になりましたから、それくらいやらせてください」
僕がそういうと、電話の向こうから微かな声で「ありがとう」という言葉が聞こえた。
窓を見る。結露が染みついている。
あと少しで春が来る。僕や人葉さんが大学生になり神様さんが専門学校生になる春がやってくる。
「それじゃ、二月の十五日でいいかな?」
「雑貨買って……そのまま家具の組み立てもやるってことですか?」
「そ。ちょっときついかもしれないけど、私一人じゃちょっと無理っぽいから頼むね」
「なるほど。人葉さんにはお世話になりましたから、それくらいでよかったら」
そして、人葉さんは「ありがと」と軽く告げ電話を切っていった。
受験は一段落したけど、人葉さんとの事はまだまだこれからなんだよな。
別れを告げるのか、義理の姉として敬うのか。何をとってもまだまだ先の話だ。
それより今は、受験に受かったことの喜びに浸ろう。
僕はうきうきしながら台所へ向かった。今日はビーフシチューをたっぷり作ろう。そして僕もたくさん食べよう。
神様さんと別れる結果にならなくてよかった。僕の中に安堵が過ぎる。
……でも、人葉さんはどうするんだろう。
喜びの隙間に少し入り込む、懸念。僕は人葉さんをどうしたいのだろう。神様さんにも相談したことのない話。
霜の付いた窓は、外気の寒さと部屋の中の温かさを伝えてくる。それは僕の、人葉さんへの思いと神様さんへの思いの板挟みにも似ていた。




