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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.7/恋と愛
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3.7/3

 受験の終わった日、僕は食欲を完全に失っていた。

 右左には「何か適当に頼んでおいて」と告げ僕は現実逃避するかのようにベッドに潜り込んで眠りに落ちた。

 それでも嫌な現実は少し夢から覚めると思い出すもので、受験に受かっていない時というネガティブな思考ばかりを寄こしてくる。

 自分が駄目なら他の人間も駄目、そんな思考が今の僕に出来るわけもなく、神様さんとの関係がどうなるか、そればかりを考えていた。

 翌日、僕は久しぶりに登校していた。受験シーズンだ、三年は受験のためなら休んでもいいし、そもそも来た所で消化試合のような勉強をするだけだ。中には数時間ぶっ続けで自習ということもある。

「お、一宏」

 顔面蒼白の僕に、廊下で声をかけてくる奴がいる。誰でもない、受験の苦しみを楽しんでいるかのような友人の野ノ崎がいた。

「ああ、野ノ崎。受験終わったのか」

「まだ何校かあるけどな。ちょっとばかり遠めの大学受けてみた」

「そっか……」

 心ここにあらず。そんな言葉がぴったりな生返事を思わず野ノ崎に返してしまう。

 僕の気分が沈んでいるのに野ノ崎は気付いたのか、僕の視線を追うように見つめてくる。そんな目で見られてもいい答えなんて返ってこないんだけどな。僕はそう言いたくなる気持ちを抑えてみたものの、ため息だけは隠しきれなかった。

「どうした一宏」

「済まん、絶不調」

 本当は野ノ崎の受験の状況や話も聞きたいのだが、自分のことで手一杯な現状であれこれ聞く余裕はなかった。

 野ノ崎は少し笑って、僕の隣に立った。

「俺も人のこと言えるようないい結果出てないけどな」

「野ノ崎は頑張ってるよ。こっちは一発で結果出すって啖呵切ったのに不甲斐ない感じ」

「受験あんま手応えなかったか?」

「今更言い訳もしたくないけど、不意打ちみたいな問題に当たって。しかもそれが大問。書くだけ書いたけど無理かも……」

 と、僕が項垂れていると、野ノ崎が僕の両肩をぽんと真正面から叩いてきた。

「今から心配してどうするんだよ。合格発表まだだし、その大学、二次募集もあるんだろ? 駄目ならそっちで頑張るしかない、二宮と約束したんだからな」

 野ノ崎に言われて僕もそうだな、とは答えた。ただ二次試験は当然のことながら枠が少ないので当然倍率が跳ね上がる。そこでうまく行く行かないはともかく、今回の試験で受かってくれていることが一番理想と言えば理想なのだ。

「一宏、パンでも食うか。おごってやるぞ」

 その言葉に思わず失笑が漏れた。野ノ崎におごられるなんてどんな状況だ。それでもこの普段いい加減に振る舞ってる男が僕の心配を和らげるためにあれこれ手を尽くしてくれるという行為には、素直に頭を下げたくなった。

「……悪い、いらん。正直食欲がゼロになってる」

「……重症だな、お前。でもなるようにしかならないんだから、しっかりしろ」

 と、野ノ崎は最後に僕に発破を掛けて廊下から立ち去った。

 確かに重症だ。このままだと都心にある文系の大学を受けさせられる羽目になる。それが父親との約束だ。

 ふらふらと勉強も束縛もない校舎を歩く。受験に落ちてどうしようもなくなった時、僕は神様さんや人葉さんにどんな顔をすればいいんだろう。

 大きなため息がまた零れる。

「あ、いたいた」

 僕が窓際で外を眺めていると、後ろから聞き慣れた女性の声が聞こえた。友人の三重美咲の声だ。

 僕が振り向くと、そこにはもう一人見知った姿が見えた。僕の妹の右左もいる。

 二人してどうしたんだろう。僕は二人をきょとんと見つめ続けた。

 僕の方へ近づいてきた二人は、おかしげに口を抑えていた。

「カズ君暗い顔してるね」

「今調子悪くて。そっちはどうかした?」

 ミミはくすりと笑うと僕の前にぐっと近づいてきた。

「カズ君、あのね、私進路決まった」

 その言葉はいまいちぴんと来ない。受験はやめて専門学校に行くつもりだったような気がする。それがどうなるのか、というのは僕も最近話をしていなかったので分からないところだった。

「とうとう決まったのか。どうするんだ?」

「それがね……」

「うん」

「なんと、この近くの会社で、事務で働くことになったんだ!」

「って……就職か!? やったな!」

 ミミの飛び跳ねるような仕草に、僕は目を奪われていた。

 こいつの言ったことがすぐに理解出来ない。理解の先を越えて驚きと祝福の感情が体を飲み込んでいく。

 あれだけ迷っていたのに、やるべきことは成し遂げた。それは僕の知っているミミの生き方そのものだった。

 そうか、やったのか。僕はようやく事態を飲み込むと、顔にその行先を祝福するように満面の笑みを浮かべた。ミミも照れくさいのか、「えへへ」と笑うだけでそれ以上のことは特に喋らない。

「兄さん、三重さん進路指導で先生のところに行ったら就職の募集してるところがあるって言われてダメ元で受けてみたんです。そしたら受かって」

「まあ、右左ちゃんの言う通り。でも自分が受かるなんて思ってなかったからちょっとびっくりしてる」

 凄いな、そんな言葉さえも安っぽくなりそうで、僕は照れ隠しに首を何度も回していた。

 それでもミミは逃げずに自分の人生を歩んだ。まだ結果の出ていない僕とは違う。それが少しばかり恥ずかしく思える。

 でもダメ元で合格か。僕はそんな気持ちをすっかり忘れている。絶対に自信を持って合格出来るなんて、最初の頃は思ってなかったはずだ。それなのに、いつの間にか余裕で受からなきゃいけないという傲慢に置き換わっていた気がする。

 もう少し、自分ややってきた努力、周りの人が与えてくれた支えを信じるべきなのかもしれない。

 そんなことを思うと、肩にのしかかっていたプレッシャーが少しだけ和らいだのが分かった。

「兄さん、三重さんはきちんと結果出しましたよ。兄さんはどうなんですか?」

「確かにもうちょっと楽しむべきだったかも。右左に言われるまでちょっと忘れてた」

「兄さんの受験のその先に大切な人がいるのも分かりますけど、兄さん自身をもっと大切にして下さい」

 右左は笑いながら手厳しい一言を放つ。その横でミミはくすりと微笑みながら「そうそう」と頷いてきた。

 落ちたら落ちたで、まだ道は続く。それが自分との戦いなら、大切な人を守るために頑張るしかないだけの話で、頑張らなきゃ大切な人が僕の元から去るという当たり前の話に帰結するだけだ。

 何だかもうちょっと頑張れる気がした。気付くと僕の顔に、生気が戻っていた。

「……そうだな、右左の言う通りだな。ミミ。僕もちょっと落ち込みすぎてたかもしれない」

「カズ君落ちるとか思ってたの?」

「ちょっとね。まだ合否結果のハガキ来てないけど」

「カズ君なら大丈夫だよ。なんせ二宮さんが付いてくれてるわけだからね。弱気になっちゃ駄目だめだよ」

 そうだな。僕はそうこぼすと自然に笑みが浮かんだ。やっぱり、ミミには敵いそうにない。

 僕はしっかりと一度頷き、教室へ戻った。そうだ、と思い出して進みかけた足を止めた。

「右左、今日は久々にビーフシチュー作るから」

「……はい! 楽しみにしてます!」

「はは……右左ちゃん本当にビーフシチュー好きなんだね……でも健康に気を付けた方がいいよ……」

 ミミの苦笑を残して、僕は教室へと帰っていった。

 受験はもはや、なるようにしかならない。僕はその思いを胸に寒さの過ぎる廊下をすっくと進んでいった。

 窓の外に生い茂るこの葉がまだ緑に色づく頃、僕はどんな人生を送っているだろう。それを考えただけで、少しだけ勇気を持てそうだった。

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