3.6/22 今は過去に重ならない
図書室での時間を終えた僕達は、また少し校舎を巡ってから学校を後にした。
知り合いに会うかとも思ったのだが、三年の今頃必死になっている奴は予備校に行ったり家で自習したりなのだろう、誰にも会わなかった。
残念な気もしたが、会いたい人間なんて特にいないことに気付くと、やっぱり会わなくて良かったかもと思ってしまう。
「白詰、どこ行く?」
「お昼食べないかんよね」
「そうだな。この辺色々あるよな……食うには困らない街なんだよ。ちょっと高いけど」
と、僕は辺りを見る。見覚えのある店に、見覚えのある長蛇の列。有名な店には休日の昼時という最高の時間帯に客がせわしなく出入りしている。
「何か並ぶ?」
「ううん、駅前行こ」
と、白詰は多くの店に目もくれず、そのまま駅前まで歩き出した。
駅前にも色々あったよな。そんなことが思い出される。ただ何を食べたいかというのは特にないので、白詰の意見に一任すればいいかと、冬の遠くなっていく澄んだ青空を見つめていた。
「さ、ここに入ろ」
白詰が止まった。おいおい、と僕は苦笑しながら白詰を一度見つめた。だが白詰は意見を変えないらしい、そのまま僕を見返してくる。
入るのはハンバーガーのファストフード店。ファミレスですらない。
そういやこの店、学校帰りに寄る奴結構いたな。生活指導に捕まって怒られる奴も時々いたが基本的には黙認だ。そんなつまらない情報ばかりが思い出されて、僕は不思議そうな顔を崩すことが出来なかった。
それでも白詰は店に入っていく。こんな休日もありかと、僕もその後へ付いていく。
休日のハンバーガーショップは僕達と似た年代の少年少女や家族連れでいっぱいだ。席はあと二つ三つは空いているので、座る分には問題ないだろう。
「え、えっと、この旨辛トマトハンバーガーのせ、セットでお願いします」
白詰が少し詰まりながらも割とスムーズな言葉で注文を終えていく。僕の知らない間に白詰は成長している。僕は成長出来たのだろうか。そんな意味のない自問自答が胸を突いた。
「店内で。えっとダブルバーガーのセットで。サイドメニューはポテト、飲み物はコーラで。はい、以上で」
淡々と呟く僕を、白詰は横からきらきらした眼差しで見てくる。昔からそうなのだが、白詰は時々僕に対して、随分と懐く飼い犬のような視線を送ってくることがある。
白詰にはないもの、それを僕は持っていると白詰は言うのだが、白詰にそれがないと言うつもりもないし、白詰が手に入れる必要があるものでもないと言える。
白詰に自信を取り戻させる方法が思いついたら楽なのに。僕は白詰と共に席に着いて、食事の到着を待った。
「そ、その、やっぱり塚田君、ちゅ、注文とか慣れてるね」
「慣れてる……まあ慣れてるのかな。父親の帰りが遅かった時に食べに行ってた時期があったけど、別に緊張するようなことじゃないと思う」
「そ、そうかな。わ、私なんか、後ろの人が、お、怒ってへんかなーって凄い気になって仕方ない時あるんよ。だ、だからスムーズに注文出来る人って凄いなって」
白詰の心の痛みは鈍い僕でもよく分かった。でも僕はそれに賛同することは出来ない。
僕は思ったままのことを白詰に語った。
「白詰、そんなの気にしなくていいだろう」
「そ、それは塚田君やからそう言えることで……」
「違うよ。白詰は充分強いし、他人の目を気にする必要だってない。白詰の思い方一つで世界の見え方なんて変わる。出来れば、そういうことを大学で覚えてほしい」
僕はとつとつと、でも真っ直ぐに白詰を見つめながら語った。もしかすると、白詰から逃げずに語った初めてのことかもしれない。
ああ、そうだった。僕はそういう奴だった。
白詰と真っ向から話したこともなければ、痛みを読み取ろうともしなかった。それでも慕ってきた白詰の優しさに、楽をしてきた部分があった。楽だ。横になっていても寝ていても勝手に転がり込んでくる「楽」に僕は甘えていた。
僕の言いたいことが伝わったのか、白詰は俯き気味に頷き、暫時無言を見せた。
「これからもあるんだから気にしなくていい。困ったことがあったら、いつでも話に乗る。忘れてたけど、白詰だって大事な友人だから」
「……ありがと、塚田君」
「感謝されるようなことじゃない。今住んでる街で、親しくなった人には誰にでもやってることだから、気にするな」
僕が励ましても、白詰は俯いた仕草を解くことはない。いきなり言われても難しく思うだけか。
そうこうしているとハンバーガーのセットが僕達の席に運ばれてきた。
白詰はそれを見ると、顔を上げ、にこっとした顔で自分の頼んだものを手にした。
「こ、こんな湿っぽい話せんと、お昼食べよ。食べな元気出ないで」
「そうだな。……でもハンバーガーが悪いとか言うつもりはないけどさ、もう少しこう、何かあっただろ……」
「塚田君、何か食べたいもんとかあったん?」
「そう言われるとないんだけど……自分で料理することも多かったし。ただせっかくこの街に久しぶりに来たから食べてなかった店に入っても良かったかなって思っただけだよ」
僕の呆れ調子な声に白詰はおかしげに口を押さえる。
思えば、こんな風に二人で昼食を取るのはいつ以来だろう。この街の学校に通っていた頃、時々一緒に食事を取ることがあった。でもそこで深い会話をすることはなかった。ただ一緒にいて、無言だけで過ごす時間、それが僕達の食事の流儀だった。
たまに一緒にいるけれど、笑顔はそんなにない。そうだった、僕達はそんな時間を共に過ごしていた。それは本当に友人だったと言えるのだろうか。僕の中に、むずがゆい感情が過ぎっていく。
ハンバーガーを一口かじる。ぱさぱさの肉に、チーズとケチャップの味が混ざって、ジャンクな味を口いっぱいに広げていく。
表情の変わらない僕を、白詰は肘をついたままじっと笑顔で見つめ続けていた。
「白詰、ポテト冷めるぞ」
「うん、今から食べる」
と、白詰は笑顔を崩さずポテトに手を伸ばした。その開いた唇は艶がかっていて、今まで白詰に感じたことのない色香を覚えさせてきた。
どうして白詰はこんな何の変哲もない、言ってしまえばどこででも入れる場所を選んだのだろう。チェーン店ならよほど片田舎でない限りどこででも入れる店だ。それを白詰がわざわざ選んだ理由を、僕は知りたかった。知りたいのに、白詰は教えようとしない。
「ねえ、塚田君」
「どうかしたか」
「久しぶりの学校、どうやった?」
白詰に尋ねられ、僕はしばし無言になった後、ぽそりと口を開いた。
「懐かしかったのは確か」
「そう、良かった」
「でも、それと同時に何にもなかったんだって分かった。今の街は色んな思い出がある。妹もいるし、好きな人も友人も、たくさんの人に囲まれてる。でもここにいた頃、周りを拒絶してたんだって気付かされて、少し虚しくなった」
ありのままの言葉を吐いて、僕は天井を見あげた。大きなプロペラにも似たシーリングファンの回る様を、無言で見据える。
せっかくこの場を用意してくれた白詰はどんな表情をするだろう。僕はハンバーガーを少し押しつぶすように力を込めた。
「……あの、塚田君」
天井を眺めたままの僕に、白詰が声をかけてくる。僕は視線を下ろし、白詰を見た。俯いたままの白詰が、何か言いたげに自分の指を幾重にも絡めていた。
「そ、その、私と再会したの、面倒やった?」
「驚いたよ。でも面倒って気持ちはなかった。それは本当。ここの学校で会いたい人なんて、考えたら白詰しかいなかったし。その白詰と会えたから、ここに残した思い出は全部終わったかなってとこ」
僕は笑顔を見せた。笑顔を見せたというより、自然に笑顔になったという方が正しい。
白詰のことは忘れていた。でも再会してからその思い出が極彩色に輝き蘇ったのも事実だった。
こんな大切な人を忘れていたなんて、酷い奴だと思う。でも、再会したからには少しでもいい関係を結びたいと思った。
僕のこの思いは、白詰に届くだろうか。僕はまた硬い表情になりながら、ハンバーガーを口にした。
「ねえ、塚田君、そ、その、に、二宮さんとはどうなん?」
「どうなんって言われても……何を指してるのか分からないからどうも答えようがないというか……」
僕の失笑気味の返しに、白詰は恐縮したように縮こまる。
「そ、その、たとえばキ、キスしたとか!」
「あーそれね。最初は緊張したけど最近は普通かな……」
「え? え? それじゃあその……その先も……」
白詰は恥ずかしそうに訊ねてくる。僕も今更恥ずかしがるステージは過ぎているので、笑顔で頷いた。
「よくしてるよ。休日が合う時は家に籠もって大体ずっと」
僕が笑うと、白詰は俯いてしまった。白詰みたいに純粋のまま隔離された子には刺激の強すぎる話だったのだろうか?
そう思っていると、白詰は顔を上げ、にこりと笑って僕の目を見据えた。
「ほんと、二宮さんと塚田君、お似合いさんやね」
「そう言ってもらえると嬉しいかな。僕もあの人を大事にしたいって思ってるし」
「塚田君、人にポテト冷めるって言ってるけど、塚田君のポテトの方が冷めそうやで。油回ってへなへなになってるやん」
「うわっ本当だ。でも揚げたての熱くてさくさくしてるのより、こういうへなった奴の方が好きなんだよな」
「変わってるね、塚田君。それじゃ、食べた後またどっか回ろう」
と、白詰はまた食事に勤しみだした。僕もそれに釣られたように食事にありついていく。
意図の見えない今日という日。でも、意図のないことが、白詰の用意した最大の意図なのではないかと僕はぼんやり考えていた。
気を遣わせたくないんだろう。僕はただ黙って、食事を口に運んでいく。その姿を見つめる白詰の笑顔を、胸に刻んで。




