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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.6/特別という言葉の意味
142/163

3.6/22 懐かしい街と思い出と

 その日は寒波が一段と厳しかった。

 朝方の六時半に電車に乗るなんて、いつぶりだろうか。

 流れる景色は、今の街に来たあの一年半前を思い出させた。

 妹に会いたい、そればかりが心にあって新しいものを何も求めなかったあの頃の幼かった僕は、一人の少女と知り合った。

 明るくて、元気で、調子のいい人。そんな印象だったのに、気付けば色んなことを知るようになった。

 自分の世界を閉ざして、人から離れて、本当は涙もろく弱くて。そんな彼女を支えられることが僕の人生において一つの誇りとなった。

 誰かを助けるなんて、滅多にしない人でなし。なのに僕はあの人を守った。

 そして、僕は今日、記憶の片隅から欠け落ちていた別の「助けた人」と会う。忘れていた。助けたことも一緒にいたことも。

 どうして以前の街を指定してきたのか、それも分からない。でも、一年半経って住んでいたあの街を見るのは、気分としては思ったよりも悪くはなかった。

 電車の中で、少しうとうとと眠ってしまう。ここしばらく深夜まで勉強している癖が付いているせいで、朝方は出来るだけ睡眠を取るようにしている。駅を乗り過ごさないように。それだけ気を付けて僕は少しの間熟睡していた。

「ん……」

 僕は目を覚ました。最近は体の中に正確な時計が出来たかのように、気付けば何時間経っているとか、そういうことが分かるようになった。もちろん、体調を崩さなければ、前提が付くが。

 あの街の駅まで、あと三駅。そんなところまで来ていた。

 思えば父の転勤に振り回されて僕の人生は出来ていたけど、その投げやりが奏功して一番好きでいたい人と出会えた。いつも話すことだが、あのタイミングでなければ僕達は恋をしなかっただろう。

 父と母のせいで右左が苦しんだことはまだ許す気にはなれない。でも僕も、同じように進み出そうと思えた。それがあの人のくれた気持ちだった。

 あれだけ離れていて、今更家族とかまだ現実に見えてこない。というよりも、夢見心地でかけ離れているものだ。

 これが僕が今まで感じてこなかった家族というものなのかと思うと共に、ただ目を閉じていつかそれが実感に変わる日まで、と願いを込める。

 僕はあの人といつか家庭を持つのだろうか。彼女に見初められたクヌギの一部として、あり得るかもしれない未来。そして同時に襲い来る、そのまま綺麗に一生を終えられるのかという不安。

 今はまだそんなことを考えていても仕方がない。一つ一つ、目の前のことを片付けなきゃいけない。それが受験であったり、バイトであったり恋愛であったりするのだろう。

 さて、電車が着いた。僕はゆっくり降りる。

 車窓から見えた街並みは、あまり変わってなくて、高層ビルの居並ぶ光景は今の場所よりも都会であることを思い出させた。

 今日会う手はずになっている白詰とは改札で待ち合わせだ。僕は慣れた足取りで改札まで向かった。

「あ、おはよう!」

 僕が気付くより先に、元気な声が耳に響いた。音の方向へ顔を向ける。手を挙げこちらへ引き寄せてくる白詰の姿が目に入った。

 僕は口の端を緩め、改札近くの壁の近くに立っていた白詰に近づいた。久しぶりに会うせいか、何となく懐かしささえ覚える。

 僕は手を挙げながら白詰を見つめた。何の他意もない微笑みの優しさが、駅の温かさのように肌からそっと伝わってきた。

「白詰、おはよう」

「おはよう。あの、無理言ってごめんな」

「大丈夫だよ。バイトも休んでいいって話になったし」

 僕が励ましても、まだ一抹の不安があるのか白詰は少し視線を左右させる。確かに今の現状を少しだけこの間話した。だからこそ、バイトを軽々しく休ませたということに罪悪感を覚えていても仕方ない。

 今日一日だけは、そういう顔をさせたくなくて、僕は大きく笑ってみせた。

「白詰に心配されることじゃないよ。受験は何とかこなせばいいし」

「でもこの間疲れで倒れたんやろ? 心配したで……」

 白詰はぽそぽそ小さな声で呟く。僕は腕を組みながら、大きなため息をこぼした。

「あれは自分の調整ミスだったかな。久しぶりにやらかしたって思った」

「つ、塚田君がやらかすなんてないんちゃう?」

「中学の時、引っ越し直前に熱出してふらふらしながら梱包したことがある。父親に無茶苦茶嫌味言われた」

 軽く告げた話に一瞬引いたような顔を見せた白詰だったが、僕が真顔でじっと見つめているとやがてそれに込められた「笑ってくれ」というメッセージに気付いたのか、静かに頷いた。

「分かった。じゃあ、うちの行きたいとこに行こか」

「でもなあ……この街だろ。白詰は電車通学だったわけだし、僕はここに住んでたから今更知らないとことかなあ……」

 僕は分からなかった。この街は確かにオフィスや住宅が揃った立派な街だ。食事に関しても人がたくさん来るので選択に困ることはない。

 ただそんな店に入りたいというわけでもなく、この街をぶらぶらするというわけでもない。ならどこへ行くんだろうと思うのは、至極当然の疑問だった。

「さて、どこやろ。つ、塚田君、お、驚くと思うな」

「……僕の驚く所か」

 白詰にヒントを出されても全く分からない。僕は疑問を抱えながらそのまま白詰の後に付いていく。

 駅を抜け、寒風の吹く街並みへ。居酒屋やらラーメン店、カレー専門店など昼食にここだという店が相変わらずたくさん並んでいる。制服では入れないので、在学中に学生達から入りたいけど入れないと言われていた。なら休日に来いよと思うのだが、そんなことをする奴がいないのもまた事実だった。

 息を吹く。白く色づいた吐息の跡がこの冬という時期を如実に表していた。

「あ、あの、塚田君」

 白詰がきゅっと詰まった声で話しかけてきた。僕は小首を傾げて白詰の後ろから応えた。

「どうかした」

「に、二宮さん元気にしてる?」

 そんなことか。僕は肩を少し上げて、静かに返答した。

「元気だよ。あの人、元々体力はあったみたい」

「で、でも学校行かなかったのに、バ、バイタリティのある人やなあって感心するなあ。せ、せっかくやから大学行けばよかったのに」

「まあ今の学校で中ぐらいの成績は取ってたし今から猛勉強したら大学は行けると思う。でも本人がそれに未練ないみたいだし、今の夢に向かって頑張ってるから別にいいと思う」

 僕が諭すと、白詰は黙り込んでしまった。

 白詰はどうも神様さんに対し、コンプレックスのようなものを感じている気がしてならない。彼女の話をすると、雰囲気が悪くなりかねない。僕は勇気を出して、白詰にゆっくり伝えた。

「今日はあの人の話はいいんじゃないかな」

「え……でも」

「二宮さんだってそういうのを求めてないから二人で会えって言ったんだって思うし。僕もどうしてもあの人の話をしたらひいき目が入っちゃうから」

 どうしても、こういうことを言うと照れが入って堂々しづらい。

 それでも僕のそういう態度から思いを汲んでくれたのか、白詰は少しの沈黙の後に、くるりと振り返って眩しいほどの笑顔を見せてきた。

「分かった。に、二宮さんにも失礼やしね」

「そう言ってもらえると助かる。……で、少し疑問なんだけど。この道なんか見覚えあるんだよな……」

 僕は辺りの光景を眺めながら、困惑した声で呟いた。何となく、この道のりには覚えがある。覚えがあるのだが、それが当てはまると更に困惑することは間違いないのだ。

 そんな僕の態度がおかしかったのか、白詰は口元を押さえながら、静かに前を指さした。

「そう。ここに来てほしかってん」

 その先に示された建物に、僕はやっぱりかと天を仰いだ。

 懐かしい学び舎。一年半通った高校。そこが今日の目的地だったらしい。

「……まあいいけどさ。中に入れるわけ?」

「まあまあ。さ、行こう」

 白詰が少し小走りで学校の門を潜る。どうやら入っても問題ないらしい。僕は困ったなと小声を発しながら、白詰の後に付いていった。

 制服姿ならともかく、僕達は私服姿だ。何というか、白詰にしてやられたような気がして僕は苦笑するのが精一杯だった。

 僕達は職員室に着いた。何だかんだでこの近辺では有名校で通っている私立校だ、日曜だというのに部活やテスト前の追い込みのために来ざるを得ない学生を多数見かけた。ただ職員室付近ともなると、軽薄な学生は一気に減るもので、僕達以外の同年代の気配を感じることはなくなった。

 白詰は職員室の扉をノックした。期末前につき生徒の出入り禁止ということだろう。

 しばらくして、一人の男性教諭が出てきた。白詰がその人物と一言二言交わすと、入れ替わるように、他の教師が出てきた。

「おお、塚田、元気にしてたか?」

 全くかつあんまり会いたくもなかったですけど。とは言いづらく、僕は無言で頭を下げた。

 だが向こうはこちらへ好意的な姿勢を崩さず、職員室から出てぽんぽんと肩を叩いてきた。

「どうも。先生お久しぶりです」

「白詰が日曜に塚田連れてくるって言ってきてな。本当かと思ったがいやあ、びっくりするな」

 久しぶりに会う、かつての担任。問題のあった一年の時の人物だ。

 別に彼に悪意を感じることはない。ただそこにまつわる思い出も特にないというだけであり会ってどういう表情をすればいいのかも分からない。

 僕は白詰をちらりと横目で見た。ごめんと言う表情と悪戯に成功したような子供のような無邪気さをその特徴的な切れ長の目に浮かべていた。

「塚田、向こうでも成績いいって聞いたぞ。頑張ってるのか?」

「まあ……妹とかいますから、悪影響ですし、不真面目な姿は見せられませんよね」

「確かにな。白詰から聞かされたんだが、理系に変わったって。ここにいた時は文系志望だったのに大変じゃないのか?」

 おいおい白詰、お前何べらべらとどうでもいいことをどうでもいい奴に話してるんだよ。そう言いたくもなったが、白詰は白詰で僕を連れてくる手前、この人物に色々話しておかなきゃいけなかったんだろう。そう思うと、目の前で饒舌を表す彼に、文句は言えなかった。

「大変ですよ、やっぱり。でも頑張らなきゃいけないことですし」

「うんうん、彼女のためにも頑張れよ」

 ……白詰。本当にお前何喋ったんだ? 僕はさすがに白詰を睨んだ。白詰は担任の後ろでごめんと言いたげに手を合わせていた。

 ここへ連れてくるために、僕の話をした、か。もう仕方ない。僕は静かに作り笑いを浮かべてそれ以上の追求を躱すことにした。

「お前がいなくなって残念がってた奴も結構いたけど、その内再会する奴もいるかもな。同窓会の連絡とかどうする?」

「いえ……また引っ越しとかあるかもしれないんで」

「そうだよなあ、お前の家は昔っから大変だしその辺は仕方ない。今日はOB扱いで許可は取ってるから、校内を好きに見て回ってくれていい。ただ試験前だからあんまり騒ぐなよ」

 そうしてかつての担任は大きな笑い声を残して職員室へ帰っていった。

 何と言うか、一日の最初なのにやたらと疲れる人物に会った。こちらがそれほど思っていないのに、向こうが強く色々感じてくれるのは、ありがたいことではあるのだが面倒くささも覚えさせられた。

「……白詰」

「ごめんごめんごめん! いっ、色々喋る気ちゃうんかったんやけど……そ、その、せ、先生がな、色々聞いてきたから喋らなあかんかなって……で、でも他の人には言うてへんで!」

 と、白詰は必死に釈明してきた。僕もそれ以上怒る気にもなれず、すぐ側の窓際へ向かい肘を突いた。

 部活に勤しむ生徒達が吹きすさぶ寒風に負けず、グラウンドで熱を放っている。僕はここにいた頃、熱を放っていなかった。その分、今は熱を放っていると自信を持って言える。

 白詰はこんな光景を見せたかったのかもしれない。二年も経っていないほんの少しの過去がやけに懐かしく、今との大きな違いが思いも寄らない回顧の情を揺れ起こしていた。

「……あの、塚田君」

「白詰、別に怒ってない。ただちょっと驚いた、それだけ」

「そう。じゃあ、学校回ってみようか」

 と、白詰は人気の少ない日曜の校舎を歩き出した。僕も一歩ずつ踏みしめながら、恐らく二度と来ないであろうこの場所の今を目に焼き付けていた。

 白詰は色々と回っていく。今の学校よりもちょっと豪華な定食が出る学食は日曜なので休みだが、自動販売機で菓子パンや飲み物が買える。そこで紙パックの飲み物を買って、少し喉を潤した後、また歩き出す。

 一年の時に使った教室は、日曜故人気がなかった。白詰に「試験休み入ったの?」と聞くと「来週から試験」と返された。一年なら今が一番遊べる時期だ、気の抜けてしまった奴もいるかもしれない。

 あそこで名前も忘れた奴を殴って、担任にこっぴどく叱られた。叱られても僕は平然として意に介することもなかった。場合によってはとっとと辞めてやるくらいに考えていたのだから、転校するまで在籍出来たのは奇跡とも言える。

 あの頃の僕は、どうしてそんなことをしたのか分からなかった。理性よりも感情よりも、自分でもまったく分からない本能で殴っていた。

 きっとそれは、何の感情も覚えないと言ったくせに、辞めれば白詰が責任を感じ続けると直感で思ったからだと今なら分かる。

 そう、一年半で僕は他人の気持ちを思うことを覚えた。そのことを思うと、自然と胸が熱くなる。

「……塚田君、どう? 何かある?」

「何にもないな」

「……そう」

「でも、何かあった気はする。今日まで一回も思い出したことなんてなかったのに、白詰と一緒にいた時間が長かったなって実感が沸いてきた」

 白詰は返事をせず図書室の方へ歩き出した。この時期の図書室なんて、半分戦場だぞと言いたくなったが、白詰は臆することなく突き進む。

 白詰は図書室の引き戸を開け、入っていった。受験勉強やテスト勉強に勤しむ自習組で机のほとんどが埋まっている。

 たくさん人がいるのに、場は静寂そのもの。当たり前の図書室の姿がそこにはあった。

「……白詰、ここでどうするんだよ」

 僕は声を極力殺して白詰に訊ねた。白詰はくるりと回ると、言葉を交わさず笑顔だけ見せた。

 白詰は本を一冊手に取り机に着く。僕は手持ち無沙汰でどうしようか迷った。

 ……あれ? そう言えば昔、こんな光景があった気がする。

 教室で行き場のない白詰を僕が無理矢理図書室へ連れていって、白詰が本を読んで。その一方で僕は白詰の相手をほとんどせず、ただ黙って宿題を片付けたり、手が空いていれば適当な本を読んだりしていた。

 あの頃見た光景が蘇る。少し前の、自分がいたあの頃の光景。

 白詰は読書をしながら、後ろ髪を梳いていた。そこに吃音の辛さはない。文学を楽しむ少女の姿がある。

 僕が思っているより、白詰は弱くなかった。その事実を突きつけられ、僕は何も言わず、そして何も言えず席に着いた。

 白詰は僕に思い出してほしかったのだろうか。ここにいたこと、ここにもほんのわずかに思い出があったことを。その忘れた思い出の中に白詰という少女がいたことを。

 委員長が先日言っていた、思い出の中にいるのかという直接的な質問を白詰はしない。それでもきっと言いたいことは同じで、神様さんと人葉さんばかり見ている僕にとって、忘れていた思い出は今しか拾えず、その今でさえ忘れていた大切なものだった。

 何の本を読もうか。昔みたいに、ぼんやり百科辞典を眺めるのだって悪くない。分かってたら参考書持ってきたのにな。僕の表情が、自然と緩んだ。

 図書室に差し込む日差しが眩しい。白詰は黙々と本を読み、僕も同じように本を読んでいた。

 僕達はそれから二時間ほど、図書室で無言の時間を過ごした。

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