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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.6/特別という言葉の意味
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3.6/17 救ったのか裏切ったのか

 倒れて二日目。昼時の僕は体を起こしていた。

 右左に弁当を作ってやれないのも心苦しいが、右左から聞かされた野ノ崎やミミの心配も辛かった。

 曰く、「自分を追い込むのはいいけど追い込みすぎだ」とか「倒れたのが入試の日じゃなくてよかったけど、それでもやり過ぎたところがあるんじゃない?」とか。

 確かに焦っていた部分はある。ただ今回倒れて分かった。僕は必要以上に緊張していた。

 なるようになる、自分の努力を信じる、そういったことを忘れていたような気はする。だから今はほんの少し休んで、次の自分に繋げられるよう新しい意識を作り出したいと眠りの間際、考え続けていた。

 それでも勉強は気になるもので、机の上に置かれている参考書が視界に何度も飛び込んでくる。気にしたら負け。そう思っていたのに僕は負けた。五分ほどの心の攻防の末、結局僕は参考書に手を伸ばしていた。きっとそこまで頭を使わない基礎問を眺める位ならお医者さんも怒らないだろう。

「……あれ?」

 僕は参考書を見てぽそりと呟いた。見慣れた参考書に少し違いがあった。それをよく見るために僕は他のページもめくった。

 やっぱりそうだ。僕は申し訳なさで大きなため息をこぼした。

 一部の問題に赤い丸や青い丸が付いている。勉強してきたので分かる。赤い丸は理解力を深めるための問題、青い丸は試験に出る可能性の高い問題だ。

 そしてこんなことをしてくれるのはただ一人、人葉さんだけ。彼女は僕の試験の合格を、心から願ってくれている。

 ここまで尽くしてくれる彼女に、僕はありがとうしか言えない。それ以上先には踏み込めない。酷い人間だと思う。

 ……いや、その先のことはいずれ決めよう。受験の合格も決まっていない今の僕では何も返せない。

 外が明るい。学園内と違うこの景色を眺めるのなんてどれくらい久しぶりだろう。土曜や日曜と違う、平日特有の間怠い空気が今の自分の体力に重なって妙な安堵感を覚えさせる。

 僕がぼんやりしていると、チャイムが鳴った。

 玄関まで出るかと立ち上がろうとしたが、無理と体の節々が叫んできた。何でもなければよいのだが。

 が、すぐに玄関先から解錠する音と軽やかな「おじゃましまーす」という声が聞こえてきた。

 僕の部屋に近づくような足音が響いてくる。

 扉が開いた。僕はその現れた女性に軽く頭を下げて挨拶した。

「こんにちは」

「こんにちは、神様さん」

 僕がにこりと笑うと、部屋にやってきた足音の主である人物、神様さんが僕に微笑んだ。今日は珍しく、丈の長いジーンズを履いている。もっともいつものように露出がやや多い姿で来られても、この状況だと頭が苦しくなるだけなので避けてくれたことは正解である。

 彼女はマイバッグに何やら色々詰め込んでいる。それを少し置いて、床にぺたりと座り込んだ。

「調子良くなった?」

「割と。人葉さんに助けられた」

 僕がぽそっと呟くと彼女はおかしげに口元を緩めた。

「お姉ちゃん料理とか家事出来ないけど、一生懸命一宏君の世話してたでしょ?」

「分かるんだ」

「うん。あの人普段のやってるところから想像付かないかもしれないけど、意外と家庭的な部分あるから」

 なるほどなあ。僕は負けたとばかりに笑いながら天を仰いだ。

 テーブルの上には人葉さんが昨日何本か買ってきたスポーツドリンクや、未開封のカロリービスケットがいくつか残っている。それを見た神様さんは苦笑を浮かべながら僕の側に近づいた。

「まあこれでも悪くないけど、お粥とか想像付かなかったのかな?」

 確かにそうかもしれない。レトルトの粥でもカロリービスケットでもそう変わりはない気はする。そこで粥という発想に行かずに直接的な栄養補給を勧める辺りが、勉強から全く逃げない彼女らしさを感じさせた。

 一方の神様さんは、一体何を持ってきたのだろうか。僕の興味が窓から入り込む光に飲まれて、好奇心を一層強くさせる。

「マイバッグなんて持ってきてどうかしたの?」

「これね。後で冷蔵庫借りようと思って」

 と、彼女は鞄の中から色々取り出す。

 ネギ、鮮魚の切り身の入ったパック、卵、パックのごはん……挙げればキリがない。

「それ、どうするの?」

「右左ちゃん最近夕食デリバリーが多いって聞いたから。たまには家で作った料理が必要だと思ってね。そうでしょ? 妹さん思いのお兄さん」

 と、彼女は僕の側に近づき、僕の左腕を指で突いた。当たり前になっているが、僕が料理しなければ右左は食事を外の力に頼ることになる。その健康の隙間を埋めるため、神様さんは一肌脱いでくれるのだ。何というかありがたい申し出だ。

 これも後で精算しなきゃ。こうしていると、僕は周りの人間関係に恵まれているのだと身につまされる。そしてそれを大事にしなきゃいけないと、刻み込まれるように鼓動が頭に響く。

「色々ありがとう」

「何言ってるの。一宏君に今更お礼言われる関係だったっけ?」

「まあ、違うよね」

「そう。私はきみのことが好きだからやってること……まあそれを言うとお姉ちゃんはどうするのかって話にはなるけど、今はまずそんなの考えるより、崩した体調を元に戻さなきゃね」

 そう言って彼女は僕の手のひらに、自分の手のひらを重ねた。僕もその重ねられた手に、そっと手をまた重ね返す。

「最近ずっと忙しいままだったよね」

 彼女の小さな声が、静かな白の部屋に響き渡った。店で一緒に働いていても、まとまった時間は受験勉強のため取れなかった。

 少し前に白詰と一緒に行ったのも、自分達の時間とは言いがたい。

「ごめん、一宏君、寝てていいよ」

「いや、もうちょっと起きてる」

「……駄目だよ、体疲れてるんでしょ?」

「そうだけど……神様さんと少しくらい話したくて」

 僕が彼女の目をじっと捉えると、彼女は「……もう」と困惑したような声を漏らして、重ねていた手のひらをきゅっと握った。

 何を言おうか、僕は口をつぐんだ。神様さんも同じなのか、黙ったままだ。

 静寂に受け止められた時間が妙に長く感じられ、僕と神様さんが歩んでいる今を教えてくるようだった。

 受験なんて早く終わらせて、次のステップへ恋人同士として進んでいきたい。だがその前に立ちはだかるものがいくつもあって、どれもこれも僕達は一生懸命乗り越えていかなければならない。

 そんな時に現れた白詰、そして僕を振りほどくことに悩みを覚えている人葉さん。僕にとってそれも乗り越えなければいけないことなのだろうか? 相手のあることは自分の力だけではどうにもならない。僕の不用意な発言で、神様さんを傷つけるようなことがあるのは、一番あってはならないことだ。

「受験、うまく行きそう?」

 不安げな声が彼女の口から漏れた。僕は少し黙った後、本当のラインを答えた。

「正直分からない。無条件で大丈夫って言える所には立ってないし、駄目だってほど無理そうなわけでもない。ただ人葉さんには感謝してる」

「……そういうので力になれるお姉ちゃんがちょっと羨ましいな」

 彼女が弱音を吐くのを見るのはどれくらい久しぶりだろう。直近数ヶ月は覚えがない。

 ただその弱音は僕もいやというほど分かって、安易な慰めもかけられなかった。

「私が出来ることって今は何にもないんだよね。今は電話もメールも控えてるし、ちょっと寂しい時もあるよ」

「それでも僕を信じて付いてきてくれる神様さんが、大好きだよ」

 そう言うと、彼女ははにかんで僕の膝元に顔を埋めた。

「一宏君が大学合格したらどんな生活になるんだろう?」

「それはまだ分からないな。やらなきゃいけないこともたくさんあるし」

「やらなきゃいけないことって言えば、白詰さん確か明日店に遊びに来る予定だったんだよね? どうしたの?」

 真剣な空気が一転、気まずいものに化けていく。僕が苦笑いを浮かべると、神様さんも苦笑いを浮かべた。

「それがその……昨日は寝たらそのままダウンしちゃってメール送れなくて……」

「今日はまだ昼だから連絡入れられない……かな?」

「まあ……そういうこと」

 と言うと、神様さんは僕の頭をぱんっと軽く叩いた。

「そういうの、いきなり言われたら友達でもびっくりするでしょ。私友達いなかったからあんまり分かんないけど」

「そうだよね……昨日無理にでもメール送っておくべきだったか」

「まあ仕方ないから、今日の大丈夫そうな時間になったらすぐメール送っておけばいいと思うよ。白詰さんみたいな人なら体調崩したって言えば分かってくれると思うし」

 神様さんの励ましが心に沁みる。白詰のことはどう思っていても今のこの体調では仕方ないところはある。それを我慢して受け止めてもらうしか現状を進める方法はない。

 そんな僕の考え込む表情を見かねたのか、神様さんは僕の手をきゅっと握りながら小首を傾げながらそっと訊ねてきた。

「ねえ、一宏君、前から聞きたかったんだけど白詰さんと会ってどうしたいの?」

「……謝りたい」

「謝るって、何を?」

 彼女は淡々と僕に問い掛ける。それは詰問するようなものではない。僕の心の中にあるもやを振りほどこうと、寄り添うような訊ね方だった。

「僕が忘れてたこと。何も言わずに去ったこと」

「それだけ?」

「……じゃない気もする。ただその何かが分かんないんだ。もっと側に寄り添ってやりたかったとか、もう少し話しておけばよかったとか。でもそれが全部じゃないって気もして」

 僕が寂しげに笑うと、神様さんは伏し目がちな目をさせて、ベッドの匂いを嗅ぐように顔を布団に押しつけた。

「私は一宏君が来てくれたことで救われたよ。でも、白詰さんは救われたのかな?」

 その一言が胸に鈍く強さを持たないで響く。僕は白詰を裏切った。それは再会してからずっと抱えている思いだ。

 あの時僕は救ったのだろうか。僕はそんな気持ちにならず、ただ一緒に過ごして、白詰が楽しげに話すのを他人事のように受け止めていた。

 そんな人間味のない自分に、本当に出来ることはあるのか。僕の悩みは、疲労回復に充てるこの暇な時間で、何度も考えてしまう事だった。

 僕は考え込み、硬直していた。そんな僕の表情を汲み取ったのか、神様さんは苦笑しながらゆっくり立ち上がった。

「疲れてる時にする話じゃないね。冷蔵庫にこれ入れてくるね」

「ありがと。どんな料理作るの?」

「ムニエルとパスタとサラダ。右左ちゃん、和食より洋食の方が好きみたいだから」

 その言葉に僕は笑った。右左は和食も嫌いではない。ただあのビーフシチューというメニューをやたらと欲しがるだけなのだ。

 ただいつまで経ってもあんな濃い味付けでは右左の味覚が育たない。ここは神様さんに任せてみよう。

「あのね、一宏君」

「何?」

「私達、互いの恥ずかしいところ全部さらけ出した気になってたけど、まだ知らないこといっぱいあるね」

 その一言に無言が過ぎる。体を重ね合ったのに、そんな気持ちになる。体を重ねただけでは心の奥底までは到達出来ない。それを今、否という程教えられている。お互いのことを全部知るのはいつになるのだろう。難しい命題ばかりが浮かんで、心に入り込んでいく。

 僕が黙っていると、神様さんは僕の頭を軽く撫でた。にこりと笑いながら机の辺りに出していた食料品を手に取り、エコバックに詰め込みなおした。

「じゃ、後のことは任せて。一宏君にも卵粥作るから、それまで安静にしておくんだよ」

「分かってる。店休ませてごめん」

「大丈夫だよ。きみかさんも執事長も一宏君のこと心配してた。店に戻ったら、今日の分、お互いに一生懸命働こうね」

 彼女はそんな軽口を叩きながらその場を去った。

 大切な人に言われること。僕にとって白詰はどんな存在だったのだろう? それが今も分からなくて、再会した今どんな存在なのかも分からない。

 ため息が零れる。暖房の効いた部屋ではもやは現れない。

 僕は窓際を見た。カーテンの先の景色はどんな色づきを見せているんだろう。いつもと変わらない寒々しい景色か。

 疲れか、悩みか。僕は分からないまま、夕方のメール時を待った。

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