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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.6/特別という言葉の意味
135/163

3.6/15 失敗したくない時に失敗は訪れる2

 しばらくして、とんとんと僕の肩が叩かれた。どうやら三時になったらしい。

「一宏君、起きて」

 ずっと側にいた彼女が、僕に促してくる。ブレザーを着ていないだけでワイシャツなどほぼ制服のままの僕は、何とも据わりの悪い心地で起き上がった。

「風邪薬効いた?」

「うーん……ちょっとまだ分かりません。ただ熱が下がった感じはしてます」

「よし。じゃ、ちょっと待っててね。えっと……」

 と、彼女は自分のスマートフォンを取り出し、何かしらの操作をしていた。そして電話をかけるように耳元にそれを宛て、「はい、あ、お願いします」と言葉少なに会話を終わらせた。

「あの……人葉さん、何をやったんですか?」

「医者。ちゃんと行って薬とかもらわなきゃ」

「市販の……じゃちょっと駄目ですよね」

 僕が引っ込むように呟くと、彼女はもちろんというしっかりとした表情で僕を見据えた。

「薬だけじゃなくて病状も確かめとかなきゃ」

「でも僕、まだここら辺で医者に通ったことないんですよね」

「大丈夫、タクシー呼んだから。お医者さん聞いても答えてもらえるしね」

 そうか。何というか、何から何まで世話になりっぱなしで、僕は立つ瀬がない。

 ゆっくりとベッドから起き上がる。寝ていた時間が長かったせいか、一瞬頭が浮遊感に見舞われる。

 慌てないように、ゆっくり、ゆっくり。雛が孵化したかのように、もたつく足で立ち上がる。

 人葉さんは僕の腕を取り、自らの肩に巻き付け支えてくれた。

「保険証だけお願い」

「ポケットの中の財布に入ってるんで……多分大丈夫です」

「よし、じゃ、玄関に行こう」

 彼女は僕を連れ、ゆっくり歩幅を合わせて二人三脚のように進んでいく。

 駄目だ、やっぱりまだ体がきつい。普段なら何事もない階段の上り下りだけで息が上がる。こんな状態でバイトに行ったって足を引っ張るだけだ。行かないという選択肢を採ったのは間違いなかったと、情けない思いがいつも偉そうな自分の心を飲み込んだ。

 玄関でしばらく待つ。いつもはしゃぐ人葉さんは、今日は真剣な表情ばかりで余計なことはほとんど言わない。やっぱり、人を心配させるっていうのは嫌なものだ。薄く赤く色づきだした扉の外の光を、僕は遠目に見つめ続けた。

 数分待った頃だろうか、家の外から車の止まるブレーキ音が聞こえた。多分これだ。人葉さんが肩にかかった僕の腕を掴みながら、ゆっくり立ち上がる。

 外で止まっていたのはやはりタクシーだった。人葉さんが一礼すると、扉がぱっと開いた。僕を押し込めるように後部座席に押し込むと、彼女も同じように後部座席に乗り込んだ。

「どちらに行きましょう」

「済みません、内科医探してるんですけど」

 と彼女が告げると、歳の行ったタクシーの運転手が首を捻った。そんなことも分からないのは少し不思議らしい。

「あ……の、済みません……引っ越してきて日が浅いんで」

「ああ、そうですか。そうですね……近くで評判がいいのは……水田さんとこかな。若い女医さんできちんと診てくれますよ。ただ時間がちょっとかかるかもしれませんけど……」

「そこでお願いします。家で倒れるのとお医者さんの待合室で倒れるって、安心感がまったく違いますから」

 人葉さんの一言で、タクシーが走り出した。確かに、家で倒れても救急車を待たなければいけないが、病院の待合室で倒れれば少なくとも対処出来ず放置される恐れはない。

 少しだけ、呼吸が落ち着く。ぐるっと回っていつもの道の反対を行き、流れるように大きな通りへ。そこから更に普段の道に合流するように進み、駅前付近のやや見覚えのある通りに入った。

 二メーターしか進んでないのが申し訳ないのに、運転手の男性は笑顔を見せてくれている。世間はこういった善意で支えられているのだと、僕はその時痛感した。

 お金を払おうと僕が財布を出そうとすると、それより先に人葉さんが財布を取り出してお金を払ってしまった。

 これは降りてから精算するのかな、そう思っていても彼女は何も言わず「ほら、降りよう」と僕の手を取るだけだ。

 タクシーから降りて、僕は人葉さんにお金を渡そうとした。すると彼女は僕の視線に返すように視線をぶつけ返し、病院へと歩き出した。

「今はお金の問題じゃないでしょ。とりあえず、療養」

「それはそうですけど……さすがにタクシー代は……」

「ほんと君、双葉から聞いてる通り融通の利かない人だわ。元気になったら今日のお金の話でもしよう。まずは、お医者さん」

 と、僕は人葉さんに連れられ、ビルの一階にある水田クリニックという開業医に足を踏み入れた。

 ……駄目だ、頭が重い。人葉さんもそれを感じているのか、しきりに「大丈夫?」と声をかけてくる。

 受付はもう始まっているのか、内科にありがちなお年寄りの患者が和気藹々と喋っている光景が目に飛び込んできた。これ、待つのか。いきなりげんなりしてくる。

「あの、済みません。ここ初めてなんですけど」

 人葉さんが僕に変わって受付の女性看護師さんに声をかける。すると息が切れている僕の顔を見た看護師さんが、問診票と体温計を渡してきた。

「保険証はありますか?」

「……はい、これです」

「ありがとうございます。それでは、問診票が書けましたら、こちらへお渡し下さい」

 そして僕はソファに座り、体温計を半ば乱雑に半分ほど開けたシャツの胸元から脇へ突き入れた。

 駄目だ、体力が追いつかない。抑えたいのに息が上がっていく。

「一宏君、自分で問診票書ける?」

「……人葉さん頼っていいですか?」

「分かった。じゃあ、まず今日はどうした感じで――」

 彼女の出す質問に、ゆっくり答えていく。体温計は三十八度二分を計測していた。

 全て書き終わって、人葉さんが代わりに受付にそれを渡した。しかし元気なお年寄りがずらりと並んでいて、待ち時間を思うだけで頭がまた痛くなってくる。

 僕はぼんやり天井を焦点の合わない目で見上げていた。すると僕の右隣に座っている人葉さんが、遠くになる僕の左肩を軽くつかみ、彼女の胸元に抱き寄せるような形で包み込んだ。

「ちょっとだけ我慢しようね。大丈夫だから」

「……ごめんなさい、不安そうな顔見せて」

「いいの。それより、君に何も非はないんだから謝んなくていいんだよ? だから、私が守ってあげるから目を閉じてて」

「……ありがとうございます」

 と、僕が目を閉じようとした時、突然受付から声が響いた。

「塚田一宏さん、診察室へお入り下さい」

 「ん?」と僕と人葉さんは共に顔を見合わせた。順番的には一番最後になる僕達が、最初に呼ばれた。

 不思議なものを感じるが、ここは人の恩を素直に受け取るべきだろう。僕達は先ほどまでのちょっとした恋人のような雰囲気を誤魔化すような笑いで消して、そそくさと診察室へ入っていった。

「はい、始めまして」

 診察室に入ると、だらけた感じはするが、横顔だけで美人と分かる女医が、頬杖を突きながら何やら見ている。僕は丸椅子に着くと、大きく息を吐いた。

「んー塚田さん、熱がちょっと高いね。今日か。受付が早めに診てくれって言うのも分かる感じだなあ」

 と、彼女は僕を見ず書面を見ながら呟いた。どうやら見ているのは問診票らしい。人葉さんが安心したように息をこぼしながら、彼女に言葉を告げた。

「あの、昨日はそれほどでもなかったんですけど、今朝起きた時に凄い熱を感じたらしくて」

「なるほど。塚田さん、普段病気しない人かな」

 と、彼女は自らの座る椅子をくるりと回して僕に向かい合った。彼女は僕と人葉さんの制服をちらりと見ると、特に何か言及することなく僕の顔に再び目を向けた。

「僕は……普段、というか滅多に病気はしないというか……気付いたら治ってるような感じの人間です」

「なるほどね。どっちもいい高校行ってるね。塚田さんは三年?」

「はい」

「受験は」

「します。この近くで」

「なら尚更早く治さないといけないな」

 と、彼女は一人納得したようにふうと大きな息をこぼした。

「聴診器宛てるよ。シャツ上げて」

「あ、は、はい」

「そっちの子はご兄姉か何か?」

「あ、わ、私は……そんな感じです、ははは」

「はい次は口開けて。……喉元も特に異常なし、と」

 彼女は僕をさっと診てカルテに素早く文字を記すと、またくるりと回って僕達に向き合った。

「実は私も春日第一の卒業生だから、その制服懐かしいなって思ってね。さてと……うん、やっぱり呼吸器周りは大丈夫だから、風邪じゃないな。塚田さん、君最近無茶なスケジュールで動いてない?」

 その一言に僕は一瞬固まった。喉と聴診器を宛てただけでそんなことまで分かるのか。確かにタクシーの運転手の男性が言っていた通りだ。

「受験勉強と……学校と……あとバイトと……」

 嘘をつく形になるが家事のことは黙っておいた。突かれると、正に「ドクターストップ」がかかるかもしれないと恐れたからだ。

 彼女は腕組みをしながら、すらりと細いパンツルックの足を組み替えた。

「過労かな。三日は安静に」

「み、三日ですか?」

「まあ、嫌なら無理強いはしないけど。ただし、治しきらないとずっとふらつきが体に残って一年はその倦怠感と付き合う羽目になるよ」

 と、彼女は厳しい一言を突きつけてきた。三日に対して一年。僕に選択する余地は残されていなかった。

「熱がどうしてもきついって時用に解熱剤出しとくから。後はそうね――」

 と、彼女は落胆する僕に尻目に処方箋を書いていく。このビルの斜め向かいに処方箋を取り扱う薬局があったのを思い出した。

 落胆する僕の背を、人葉さんが何度もさする。僕は肩を落としながら、これも試練かと半ば諦めた顔で立ち上がった。

「受験は頑張らなきゃいけないけど、力の抜きどころを見つけないと効率的に情報を吸収出来ないってことも覚えておきなさい。それが過労の原因でしょう。それじゃ、受付で処方箋受け取っておいて」

 そして僕は、人葉さんと共に頭を下げ、診察室をとぼとぼと出ていった。

「一宏君、ごめんね」

「何がですか?」

「なんか、私役に立たなかったなって思って」

 そんなことか。僕は熱でくらむ頭を少し起こして、彼女に明るい調子の声をかけた。

「凄く役に立ったじゃないですか」

「……役に立った……かな」

「人葉さんがいなかったらこんな風にここに来られなかったし、人葉さんが一生懸命看病してくれたから、僕も三日間の安静を受け入れられたんです。だから、落ち込まないで下さい」

 僕の声に、人葉さんは少し俯いた。だがすぐに顔を上げ、僕の顔を下から覗き込んできた。

「そうだね、私が元気じゃなきゃ、一宏君も元気になれないか」

「……そういう風にも言えますね。僕の知ってる人葉さんは、やっぱり元気な人ってイメージがあるんです。だからいつも通りにしててください」

 と、話して僕はそこから先に詰まった。僕は人葉さんに優しくするような言葉をかけていいのだろうか。今こうして献身的に尽くしてくれている彼女に、神様さんの面影を見ているのではないのか?

 だとしたら、僕は何を考えているんだろうと思ってしまう。人葉さんは人葉さんで、神様さんは神様さんだ。そこの区切りを付けられない人間に、人を幸せにすることは出来ない。

 と、考え込むとまた頭が痛くなってきた。今日は考え事には向かない日だ。

 しばらくして僕を呼ぶ声が受付から聞こえた。僕は人葉さんに支えられながら、受付で支払いを終えて薬局へ向かった。

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