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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.6/特別という言葉の意味
131/163

3.6/11 自分で分からないから、尚更惑う

 休日の家に帰り、玄関の扉を開ける。

 するとすぐさま駆けてくるように右左がやってきた。

「兄さん、お帰りなさい」

「ああ。そんな急いでどうかした?」

 僕が右左に軽く訊ねると、右左はにこっと笑って手を差し出した。

「今日、双葉さんだけじゃなくて、前の高校時代のお友達とも会ったんですよね。写真の一枚でも撮ったのかなって思って」

 ああ、そんなことか。僕はポケットからスマートフォンを取り出し、神様さんに半ば強制される形で撮った写真を右左に見せた。

「うわ……噂には聞いてましたけど、本当に凄く美人な人じゃないですか」

「確かに客観的に見れば誰でも近寄りたくなる美人だよな」

「兄さん、この人と前の学校で仲が良かったんですよね。何かなかったんですか?」

 何か。この場合の何かは肉体関係までは及ばず、プラトニックな何かを示していると思われる。

 だがそんなものは何もない。僕は笑って靴を脱いだ。

「何もないよ。何かあったら双葉さんと付き合ったりしないし」

「……ですよね。でも本当に美人な人だなあ。普通に彼氏とかいそうな感じなのに」

「それ、今日も話に出てたんだけど、学校で彼氏作れなかったんだって。引っ込み思案が過ぎると色々こじらせるもんなんだな」

 と、僕が大笑いすると、右左はむっとした顔で僕にスマートフォンを突き返した。

「人生のタイミング、出会いだってあります。仕方ない時は仕方ないんですから」

 右左の言葉は一理あった。どれだけ白詰が恋愛に憧れていても、見合う相手がいなければ恋愛に進むことはない。

 それは僕自身が一番知っているはずのことで、右左からそうしたリアクションを返されたのが少し恥ずかしくもあった。

「ふあー今日は疲れた」

「兄さん、夕食はどうします?」

「右左、何か好きなもの取って。僕は外で食べたからもういいよ」

 僕があくび交じりに答えると、右左は少しだけ含み笑いしながら固定電話の方へ歩いていった。

 人生のタイミング。白詰がそれを逃したというのは僕には少し考えられない。

 白詰は高校の三年間で何を得たのだろうか。右左や神様さん、人葉さんの三者三様の生き様を見ていると、白詰が格段に変わった人生を送ったとも思えない。

 今日の白詰は、どもりながらも必死になって自分を神様さんに教えていた。それは僕の知っている白詰そのもので、懐かしく、そしてあの頃共にいたんだと思い出させてくれるものだった。

 風呂に入って部屋に戻る。ごろんと寝転び今日はたっぷり寝るかと思っていると、携帯が鳴り響きだした。

 誰だろう。少なくとも神様さんではない気がする。

 僕は手に取ってディスプレイを見た。

『二宮人葉』

 と示されたそれに、僕ははあ、とため息をついた。何も今日でなくてもいいのに。

 僕は電話を取り、人葉さんの声を待った。

「もしもし、一宏君、元気にしてるー?」

「今から寝る所だったんですけど」

「おいおい、まだ六時だぞ」

「睡眠負債っていうんですか、ああいうのが貯まってる気がしたんでたまにはぐっすり寝ようと思っただけですよ」

 と、僕が反論すると、人葉さんはおかしげに笑って僕をからかってきた。

「確かに一宏君寝不足だよね。でも双葉と一緒に寝てる時間を削ったらもう少し睡眠時間取れたんじゃない?」

 彼女は含み笑いをしながら僕をからかう。確かにそんな機会は何度かあったがそんな一日程度のことで眠気が増すわけがない。

「今のこの眠気は全部受験勉強の分ですよ」

「なんだなんだー私を悪者にしようって言うのかー」

「そういうわけじゃないですけど……疲労がたまってるのは事実です」

 僕が殊勝な声で呟くと、彼女はふむ、と返事をよこした。

 すると、明るい声で僕に「今日あった出来事」を告げにかかった。

「双葉から聞いた。今日すっごく美人な子と会ったんだってね」

「この間話した前の高校の知り合いですよ」

「双葉に写真見せてもらったけど、驚く位美人じゃない。人葉さん、自分より可愛い子ってそういないって思ってたけど、ありゃ完敗だな」

 自信がありふれている人葉さんが、負けを認める。明日は大雨が降るんじゃないかと僕は寒気を覚えた。

 だが彼女のそれは嘘で出来ているものではなく、本気で訴えかけてくるものだった。

「そりゃあれだけ可愛かったら芸能人と間違われるわ……一宏君、凄い子と知り合いだったんだね」

「あいつはいたって普通の高校生ですよ……それを言うなら、僕は双葉さんや人葉さんと仲良く出来てる方が不思議です。あいつとは何もなかったですし」

「据え膳食わぬは男の恥という言葉を知らんようだね、君は。ま、知ってたらさっさと私を抱いてるか」

 と、人葉さんはくすくす笑う。人葉さんが神様さんの姉でなければ手を出していたかもしれないけれど、その場合まず人葉さんに惹かれる要素がない。

 神様さんの姉だったからこそ知り合って、そこから関係を結びだした。神様さんの存在抜きで人葉さんのことはない。

 要は僕は、神様さんのことが大好きで、彼女以外を抱くつもりはないということだ。

 そして白詰のことである。今日会った白詰は、あの頃の濁った目が嘘のようにきらきらした眼差しで街を歩いていた。あの悪夢のような入学当初の一ヶ月を振り切ったことが、強さに繋がったのかもしれない。

 僕はふう、とため息をこぼして人葉さんに呟いた。

「確かに、あいつは僕の人生の中で特別な存在かもしれません。でもそれ以上に双葉さんや人葉さんは大切なんです」

「そう言ってくれると少し嬉しいな。……でもあんまり褒められすぎると、また未練が残っちゃいそうだ」

「前に言ったじゃないですか。自然と忘れる日が来るって。その日を待ちましょう」

 僕が諭すと、彼女ははあ、と息をついて電話越しに笑い声を伝えてきた。

 部屋の暖房が少しずつ効いてくる。僕はベッドの上に横たわって彼女との会話を続けた。

「あんなに可愛い子が相手だと、流石の胆力を持ってる人葉さんでも臆するよ」

「……僕は人葉さんや双葉さんの方が美人だと思いますけどね」

「そ、そう? でもあの子、学校で友達いなかったって不思議だな」

「それは……双葉さんと同じだと思います。もし僕がこの街を離れずに今の高校に行ったら双葉さんと知り合えたかもしれないですし」

「でも、違う学校に行った可能性の方が高い、そうでしょ?」

「そうですね。やっぱり、最良のタイミングってあるんだってあいつ見てたら思い知らされました」

 その言葉に人葉さんは暫時無言になる。そして、口を開いたかと思うと、白詰のことを告げてきた。

「でも、双葉は後回しだけど救ったし、あの前の学校の子も助けてあげたんでしょ。……君の勇気は凄いよ」

「そんないいものですかね。僕は自分の衝動のまま動いて、正直恥ずかしいだけですけど」

「その恥ずかしい気持ちが双葉やその子、右左ちゃん……それと私を救ったんだよ。あー君を好きになるって、なるのは簡単だけど振りほどくのが面倒だなあ」

 さばさばした口調の中に、少しばかりの諦観。人葉さんの中で、この恋を終わらせるのはまだ難しいらしい。

 本当は余裕があれば、人葉さんのことも何とかしたいのだが、今はとにかく受験合格に向けて必死にならなければならない。

 その手助けをしてくれるのが人葉さんというのが、またややこしいなと思う。

「でもこんなに美人なわけでしょ? 大学入って悪い虫付かなきゃいいけど」

「僕もそこは心配で……普通にしてても声かけられそうなのに、大学入ってサークルとか行ったら酷い目遭いそうですから」

 僕がため息交じりの声を漏らすと、人葉さんはくすりと笑って僕に答えた。

「大学入って大丈夫って思う位になるまで守ってあげればいいんじゃない?」

「……神様さんのこともあるし、右左のこともあるし、何よりあなたのことがありますから。さすがに手が回りませんよ」

 僕が疲れたとばかりに答えると、人葉さんは電話の向こうで大きく笑っていた。

「まあ、そうだよね。一宏君、女性関係でマルチタスク出来そうな人じゃないし」

「分かってるんだったらそんなこと言わないで下さいよ……あいつの心配は一応してるつもりではあるんですから」

 そして、僕がふうと息をつくと、人葉さんから、いつもと違う熱の籠もった甘い声が漏れてきた。

「ねえ、私は大学入って悪い虫つくと思う?」

「……人葉さんは大丈夫かと思いますけど、でも分からないです」

「そこら辺の軽い男に遊ばれる人葉さん、君は想像出来る?」

 そう言われると、思わず口を噤んでしまう。人葉さんには真っ当な恋愛をしてほしい。

 その時僕は気付いた。僕は人葉さんの体を弄ばれるのが凄まじいほどに嫌だと思う気持ちを持っている。

 だったら、僕が人葉さんの面倒を見るのか? それも現実的じゃない。でも、人葉さんが遊ばれるのは嫌だ。

 そんな僕の沈黙を読み取ったのか、人葉さんは笑いながら答えた。

「大丈夫大丈夫。サークルも入らないし、飲み会も断るし。……私が好きなのはね、一宏君だけなんだよ?」

「それを嬉しいと思うかどうかは難しい所ですね。でも、人葉さんが遊びに興じる可能性が低いって知ったのは、ちょっと良かったです」

 僕はその言葉が僥倖だと告げ、人葉さんの言葉を待った。

 電話口から甘く笑う声が聞こえる。そう、僕はこの人を守りたいと思う。それは好きとか嫌いを超越した難しい感情だとも分かっていた。

「……あのさ、一宏君」

 突然彼女の声が低いトーンに変わった。驚くほどではないけれど、少し心に引っ掛かって、彼女に声を掛け返した。

「どうかしました?」

「……ごめん、今はまだいいや。なんせ私、君の専属家庭教師だからね」

「それは本当に感謝してます。人葉さんは自分の受験勉強大丈夫なんですか?」

 ずっと気になっていたこと、それを訊ねると彼女はくすりと笑って返答した。

「君に教えるのは週に一度だけだよ? それ以外の時間はたっぷり受験勉強に充てられるわけでね。……と言っても歯ごたえある入試問題全然ないから割と暇」

 その言葉を聞いて僕は少し恐ろしさを覚えた。彼女が本気を出せば日本国内のどの大学でも受かるのは知っている。だがそれらの試験を余裕と言ってしまうところがレベルの違いを感じさせてくる。

 色々と話しているけれど、彼女がどこの大学を受けて、何の学部に進むのかまだ知らない。ただ医師になるとか弁護士になるとか、そういう夢を聞いたこともない。

 夢は見つかったと聞いているけれど、何が彼女の夢なのか、それも僕は知らない。彼女に聞いても笑って「まだ秘密」としか返されない。

 教えてくれるような人間関係ではないのかなとちょっと寂しくも思うが、僕にとって彼女といる時間が大切なのも事実であり、無理に聞くことはしなかった。

「人葉さん、教えてくれる人葉さんのためにも受験、絶対合格します」

「何それ。告白されてるみたい」

「そういう意味じゃないですけど……でも、頑張るのは事実ですから。努力します」

 僕がそう言うと、彼女はふふと小さな声を漏らして僕に語りかけた。

「それじゃ、睡眠負債貯まってる人を拘束するのはこの辺にしておくか」

「済みません、眠くなかったらもっと付き合えるんですけど」

「いいのいいの。今日はこの辺で。また土曜、勉強終わったらちょっと話でもしよう」

 まさか、またベッドに潜り込んでくる気じゃないだろうか。そう思ったが、最近の彼女はそういう極端な行動は控えている。

 本当に勉強が終わった後に二人で飲み物を飲みながらだらだら三十分ほど喋っているだけだ。今の人葉さんは、僕にとって神様さんに次ぐ心強い味方だった。

 目を閉じ、眠りの準備に入る。

 人葉さんの一卵性双生児なのに神様さんとは違う、明るさと影の籠もった笑顔が自然と浮かんだ。

 彼女は大学に行ってもサークルにも入らないし、飲み会も行かないと言っていた。それはきっと僕のためなんだろうとすぐに察しが付く。

 僕はどうなんだろう。

 ふと、彼女が僕の腕に普段組み付いているように、見知らぬ誰かの腕に組み付いて歩いている姿を想像しようとした。

 しようとした。

 でも出来なかった。

 連想出来なかっただけなのか。それとも違うのか。

 それはすぐに答えが出た。僕は自分と付き合っていない人葉さんを想像出来ない。いつの間にか彼女を「自分の女」として扱っているのではないかと気付かされた。

 白詰にも感じたことのない思いを、神様さんという彼女がいる中で感じている。こんな僕が誰か一人を幸せに出来るのだろうか。

 ……嫌悪感が体の中を突き抜けた。人葉さんだって、女子校生活から離れて大学に進めば僕のことを忘れるだろう。

 その可能性に僅かばかりの願いを込めて、僕は気持ち悪さばかりの残る眠りに落ちていった。

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