再会
僕は取り立てて考えることもなく、休み明けの学校へ向かった。
周囲のざわつくような目は、ここへ転入して以来だ。相変わらず人をじろじろ見るのが好きな集団だなと、僕は横目で一瞥しながら真っ直ぐ教室へ向かった。
教室に入ると、委員長がいつもの友人達と喋っている。僕と目が合うと、彼女は一礼してくるので、僕も返すように一礼した。
流れるように授業が始まる。右左を幸せにする。昨日結局家の中ですら顔を合わせることのなかった人のことを、僕はしつこく考えていた。
昼休みになり、僕が弁当箱を鞄から出していると、横にいた委員長が僕に声をかけてきた。
「今から昼食?」
「見た通りだよ」
「そう、誰かと食べるの?」
「いや、誰とも約束してない」
僕がそう言うと、彼女の顔に色よいものが灯った。
まったく、面倒だな。僕が弁当箱の蓋に目をやっていると、扉の向こうに駆け込んでくる男の姿が見えた。
あの背格好、そしてどこか浮ついた感じのする男は、間違いなく野ノ崎だ。野ノ崎は息を切らせながら僕を見ている。
「あ、ごめん。友達来たから」
「そう、ごめんね」
委員長は僕の言葉にあっさり退く。神様さんに怒鳴ったそれと同一人物とは思えない。
僕が廊下に出ると、待機していた野ノ崎が興奮したような目で、僕と教室の奥を覗いていた。
「……噂はマジかあ」
野ノ崎は感慨深げに呟く。ここで昼食など取れるはずもない。僕が黙って食堂へと歩きだすと野ノ崎も僕の後についてきた。
「ミミも食堂で待ってるからさ」
先を歩く僕に、野ノ崎が告げる。噂がどうとか言って、委員長を覗き込むような仕草をしたのだ。話のネタはあれしかないだろう。多分、今の僕は、自分の想像以上に白けた顔をしているに違いない。
食堂に着くと、周りで食事をしている一部の人間が僕に目を向けてきた。それをかばうように野ノ崎が僕の前に躍り出て、僕を隠すようにミミのいる奥へ歩幅を合わせてくる。
「野ノ崎くん、お疲れ様」
「いやいや、こっちも聞きたいことがあるからよお。とりあえず主役に座ってもらおう」
と、野ノ崎はわざわざ僕の前にある椅子を引いてきた。そこまでされる話かと、僕は呆れたが野ノ崎やミミの顔は至って真剣だ。そして、その比重が委員長にあるのか、神様さんにあるのか僕も気になる。僕は黙って席に着いた。
「ミミ、こいつ委員長に捕まりそうになってたわ」
「じゃあ噂は本当だってことだね!」
ミミと野ノ崎が興奮気味に息を荒らげる。僕は愛想もせず弁当箱を開けた。
「なあ、お前あの二宮双葉と付き合ってたってマジか?」
「二宮さんか。そういえば委員長もそんな名前言ってたな」
「……名前も知らないってどういうことだよ。ま、あのおかしい残念美少女と付き合う辺り、お前らしいっちゃお前らしいけど」
僕は反論もせず、弁当箱に箸を伸ばす。僕の反応のなさが気に入らないのか、野ノ崎は頬杖をつきながら唇を尖らせていた。
「カズくん、二宮さんとどこで知り合ったの?」
「駅前」
「そうなんだ。二宮さん、電車通学だったらしいから、ちょっと意外だな」
らしいから。そんな不確定な言葉が飛び交う。そう、彼女の記憶はここではすでに断片的なものに変わっている。誰かが大切にしていたわけでもない。僕の脳裏に、神様さんの元気な笑顔と、そっと離れていくときの寂しげな笑顔の両方が蘇った。
「てか二宮ねえ。胸がでかいのと顔よかったのしか覚えてない。その顔も覚えてないし」
「野ノ崎くん……」
「いや、あの問題児はこう言われてもしゃーない。てか一宏の考えが分からねえよ」
「僕の何が分からないって?」
「委員長じゃなくて二宮取る辺り。別に二宮も可愛くないとかじゃないけど、あれは精神的にめんどくさいキャラだろ」
野ノ崎は頬杖をつきながら思い切り息を吐く。ここにおける神様さんの価値は、可愛いというそれだけしかない。僕は漏れ出そうな失笑を必死にこらえていた。
「僕は知らないから少し聞きたいんだけど、どう面倒だったわけ?」
「電車通学してんのに、自分はこの地元の神様だとかワケわかんねーこと言ってさあ。最初は周りも好意的だったわけよ。でもそれをマジで言ってるってなってみんなちょっと引き始めたんだよ」
「委員長さんはね、クラスの運営を先生から任されてたの。でも、二宮さんがこの男子とペアになるのは嫌だとか、色々注文をつけて、最後に委員長さんが爆発したんだよ……」
ミミが僕に申し訳ないとばかりに頭を下げながら呟く。僕はそれにはさしたる感慨を抱かずに、事実に対して「なるほどな」と答えた。
ただそれでも彼女が退学するまでは解せない。僕は更に伺うように、ミミと野ノ崎を見つめた。
「結局、委員長さんと不和になって、全体的に重たい空気っていうのかな……クラスが崩壊しちゃって、そういうのになったから、二宮さん、学校来なくなっちゃったんだ」
「確か二学期入ってすぐだったかな。顔出してるからどうしたんだろうって思ったらやめるって話だったんだよな」
「そう、みんな驚いてたよね」
二人はお互いに知っている過去を共有しながら、思い出話に浸りだした。
僕は二人から聞かされた情報を元に、神様さんの当時を推察した。もっとも、人一倍優しい彼女だからその現状を受け入れられなかったのだろう。僕がクラスの委員長なら、そんな馬鹿なことで迫害しないのにな、と委員長への冷めた思いをまた感じた。
やめることが半ば分かっていたのに、やめるとなると驚くとはおかしいのではないか。右左はやめるかやめないかの線で悩んでいる。今仮にここへ戻ったとして、年下の人間と一から学園生活をスタートしなければならない。それに耐えかねてやめたとして、本当に驚きはあるのか。きっとないのに、みんな驚いたというのだろう。
「……一宏?」
野ノ崎が素っ頓狂な声を上げる。僕は席から立っていた。二人と話をすればまだ気分も落ち着くかと思ったが、現実はそうではないらしい。二人に罪はないのだが、どうも排斥された神様さんのことを思うと、右左と重ね合わせてしまい自分でいられなくなる。
「色々ありがと。ちょっと一人で考え事する」
「いいけど、二宮だけはやめとけよ。あいつのわがままでどんだけの人間が――」
「分かってるって」
僕は適当な相づちを打って、その場を立ち去った。もちろん、神様さんと疎遠になるつもりなど毛頭ない。
ただ彼女がどこに住んでいるのか僕は知らない。この土地に根ざしていると言っていたくらいだから、この地元の人かと思ったが、そうではないらしい。
では彼女が言っていたことは嘘だったのだろうか。僕は巾着に入れた弁当箱をくるくる回しながら、校庭へ出た。外で一人昼食を取るのも、この冷静になれない現状においては悪い選択肢ではない。
校庭から見て右手にある校門付近には誰もいない。校庭で遊ぶ人の賑やかさとは大違いだ。
何気なく、校門近くの自転車置き場へと歩いていく。庭があって、風が吹いて、緑黄の自然がきらきらとした日差しに包まれ、ひっそりと時を回していく。僕の知る、二人の少女はこの自然をどう見たんだろう。それを思うと、一概に美しいとは言えない。
僕は再び足を校門付近に近づけた。すると、学園の外の世界から、制服を着てこちらを伺う姿が見えた。
「……神様さん?」
気付くと僕の足は学園の外へ踏み出していた。
間違いなく、神様さんがいる。僕はそのことに驚きと喉の締め付けられる痛さを拭えず、彼女の元へ駆けていた。
神様さんは僕から逃げることもなく、僕が前に現れるとにこっと笑ってきた。
「やっほー」
「神様さん、どうしてここに?」
「ここにいたら、もしかしたらきみに会えるかもって思ったから。でも二週間くらい張っておかなきゃって考えてたのに、一日目で会えるなんて本当、運命だよね」
神様さんは自らを茶化すように相好を崩す。
こんな都合のいいことがあるのか? 僕は一瞬自分を疑った。だが僕の目の前には確かに神様さんがいる。となると、僕の会いたいという気持ちを察して神様さんが来たか、彼女が言ったように奇跡的な運命で出会ったとしか考えられない。
ともかく、どちらでもいい。僕は彼女を学園の人間の好奇の目にさらさないため、少し離れた場所にある小さな公園に連れていった。
「その、会いに来た私が言える立場じゃないけど、抜け出して大丈夫?」
「あそこに興味なんてない。神様さんが来てくれたことの方が大切だ」
僕がきっぱりと言い切ると、彼女は一瞬あっけにとられたかのように口を開けていたが、すぐさまくすりと微笑み、僕の側についた。
「ちゃんと通わないと駄目だぞ?」
「やめた人に言われてもなあ」
僕の言葉に、彼女も笑う。辛い過去なのかと思ったけれど、僕がこうして冗談めかして言う分には大丈夫らしい。
この時間帯の公園に人気はなく、僕は神様さんと共にブランコに腰掛けた。
昨日の今日のことではあるが、何となく言葉にしづらい。何を言えばいいのか、僕が暗中模索していると、神様さんの方から僕に声をかけてきた。
「昨日驚いた?」
「……驚いたか驚かないで言ったら、驚いたかな」
「そうだよね。あの人に会うの久しぶりだったなあ。あの頃色々言われて疲れたよ」
神様さんはぷくりとむくれて、委員長への悪態をつく。でも今の僕は彼女に共感することの方が多かった。
「神様さんのこと、知ってる人の方が多かったよ」
「はは、名前は覚えてても顔は覚えてないって」
「そうかもね」
僕が合わせるように頷くと、彼女もえへへとまた笑う。そんな明るさが、嫌な風に人を突くあの環境を忘れさせてくれる。
野ノ崎やミミが悪いわけではない。ただあの二人がああ言うということは、他の人間はもっと口汚く罵っている可能性があるということだ。僕だって神様さんの全てを知っているわけではない。ただ彼女をけなされる、それが今の僕を無性に苛立たせる行為であるのは間違いなかった。
「制服、似合ってるね」
着やせするタイプの制服だが、それでも彼女の胸元はしっかり出ている。そこまで可愛いデザインではないのに、彼女が着るととてつもなく上質のものに見えた。
「そうかな? 久しぶりだからどうかなって思ったんだけど」
「もったいないな」
「でももう戻れないし。今日はきみに会いに来るために変装してきたってとこ」
彼女はさばさばと言う。そこに昨日の逃げだそうとした悲哀は感じられなかった。
「……正直、もう会えないかと思ってたから、安心したよ」
僕は俯きながら静かな声を絞り出す。彼女はブランコを軽くこいで、それを一笑に付した。
「確かに昨日逃げちゃったけど、やっぱりあんなのに負けたくないから」
「あんなのって……?」
「委員長もそうだし、逃げようと思った自分もそう。そのままだったらきみに会えなくなるじゃない」
僕はふと彼女を見た。彼女は頬を緩めながら、僕を見つめていた。僕はしばらく彼女を見つめていたが、その逸らさない視線に負け、結局自分から目を外してしまった。
僕は神様さんと会えないかもしれないと思っていた。会えなければ探すつもりはあった。でも、無理かもしれないという気持ちが頭の片隅にあったのは否めない。それがこうしてすぐに再会できた。そして彼女は僕に会いたいと言ってくれる。僕の胸が、にわかにざわつきだした。
「でもきみ、妹さんが一番大事な人間だからなあ」
「いや……まあそうだけど」
「きみの妹さんくらい愛されるのって、どんな感じなんだろうね」
彼女はブランコをこぎながら、僕に語りかける。右左がどう思っているか知らないし、今のところ僕の思いが一方通行であることは否めない。今日は随分と答えに窮することばかり言ってくる。僕は困ったなと頭をぽりぽりかいていた。
「神様さんは、誰かに大切に思ってもらったりしてないの? ……なんか前にも聞いた気がしなくもないけど」
僕は困った調子で訊ねた。彼女は顎に手を宛てながら、僕の方をちらりと見た。
「どう思う?」
「そういう人がいないってわけじゃないと思うけど」
「ふふ、秘密」
彼女は僕の言葉をはぐらかした。彼女はブランコの上に立ち上がり、そのまま勢いよくこぎだす。長くない制服のスカートから、白い尻肉が見えるが、彼女はお構いなしに元気よくそれをこぐ。
「他人の価値観に縛られるのなんてつまんない」
「学園やめたこと?」
「まあね。私は仲良くやりたかったよ。でもみんなが拒絶するんだもん、どうしようもないよね」
昨日の落ち込んでいた姿が嘘のように、彼女は強気な言葉を発する。僕はその彼女の姿に若干の戸惑いを覚えていた。
「きみ、本当に優しいね」
「何が?」
「私、色々あるの知ってるのに、余計なこと全然聞こうとしないもん」
そういう趣味があるわけでもないし、聞いたところでどうしようもない。彼女のプライベートは気になるところではあるが、それを訊ねたところで彼女の現実が変わるわけでもない。だから僕は、ただ黙って彼女を見つめるだけだ。
「知りたい? 私のこと?」
「知りたいか知りたくないかで言ったら知りたいけど、それは多分神様さんのためにならないから」
「やっぱりきみは優しいな。私が人生で会った中で一番かも」
彼女はブランコをこぐのをやめて、僕の前にゆっくりと立ちふさがった。何をしたいのだろうと僕がきょとんとしていると、彼女はくすりと悪戯っぽく笑った。
僕と彼女の目が合う。しばらくして、彼女は薄く目を閉じ、僕の唇に自分の唇を重ねてきた。
生温かくて、さらりとしているのに粘着を持つ感覚。驚きは生まれず、僕はただ彼女の目を見つめ呆然としていた。
「……神様さん?」
「こういう口の閉じ方もあるんだよ。そろそろきみを学園に戻さなきゃ。じゃないと私の二の舞になっちゃうからね」
彼女は少し頬を赤らめ、軽い足取りで一人公園を抜け出した。
突然のキス。彼女の思うこと。それら全てが分からず、僕は彼女に口づけされた自分の唇を、何度も指でなぞっていた。




