3.6/7 デートにはならない時間
バイトが終わり、家に帰る。今日はお帰りの旦那様お嬢様が多く、脚がかなり張った。
それでも、僕はスマートフォンを手にある人へメールを送っていた。
そう、いつもの神様さんではなく、白詰にである。
あいつ、一回会ったからもう満足したのかなと思うこともある。それでも僕はただただ、あのなくした時間の欠片程度にもならないけれど、少しでも多くの言葉を交したかった。
メールを送って十分、さあ、これから寝ようかとした時、メールの着信音が部屋中に派手に響いた。
「……白詰か」
発信者を見て、僕はくすりと笑った。そんな急に鳴るんだったら、もっと早く連絡をくれればいいのに。
月夜の光が窓の隙間から差す中、僕は白詰のメールを見た。
『塚田君、誘ってくれてありがとう。私は受験終わってるしいつでも都合つくよ』
当たり前だが、メールの中の白詰は饒舌だ。それを見ていると、きっと根は社交的な人なんじゃないかと思わせる。
しかしいつ誘えばいいものか。休日は神様さんと一緒にいたい。
どうせいつか紹介しなきゃいけない関係だ。神様さんもこの機会に引き合わせておくか。
僕は『今度の日曜はどう?』と返答して、メールの返信を待った。
すると、白詰からすぐに『分かった。楽しみにしてるね!』と嬉しげなメールが返ってきた。その文面を見ているだけで、僕は幸せになれた。
メールのやりとりを終えると、僕は神様さんに電話をした。今日も店で会って、帰り際にもたくさん話をしたのに、それでもまだ話し足りない。僕と彼女の関係は、どれだけ積み重ねても今はまだ足りないのだと思い知らされる。
三コールすると、電話がすぐに取られた。電話越しの向こうから、神様さんの柔らかな声が聞こえてきた。
「あ、一宏君、どうかしたの?」
「ちょっとお願い事があって。いいかな」
僕がお願い事、というと、彼女は首を捻っているのだろうか、少し無言になっていた。僕はそんな彼女の不安を一蹴したくて、大きく笑った。
「ほら、この間前の学校の同級生と再会したって言ったじゃない。それでさ、今度会うことになったんだけど一人だと何か落ち着かないから、神様さんも紹介しようかなって思って」
と、僕が笑ってみせると、神様さんは「うーん」と言って悩み出した。そんなに難しい問題なのか?
「私はいいけど……その人は大丈夫なの?」
「この間再会した時に彼女はいるって言ったから大丈夫だよ。それに、そいつと特別な関係になったこともないし」
「一宏君がそこまで言うんだったら私が否定することは出来ないけど……。分かった、行くよ。いつ?」
と、彼女はにこりとした表情がすぐに思い浮かぶ、可愛い笑い声を響かせて僕に訊ねかけてきた。そうだね、と僕は先ほど決めた今度の日曜を示した。ちょうど僕達が休みの日だ。
「どんな人か分からないけど、一宏君が前の街でどんな生活してたのか、ちょっと気になるかな」
「今と大差ないよ」
「でも友達付き合いとかなかったんだよね? やっぱりかなり違うよ」
「そうかな……僕はちょっと分かんない」
神様さんの苦笑気味の声に僕は返す言葉を失っていた。
友人を一人も作らなかった僕にとって、もしかすると白詰は唯一出来た友人だったのかもしれない。それを友人として認識していなかったところに、当時の僕の人間味のなさを感じてならない。
「一宏君、その子の特別と、私の特別、意味は一緒かな?」
「そんなわけないよ。神様さんは特別ってカテゴリーでも難しいくらいだしね」
「あとはお姉ちゃんかー。一宏君、お姉ちゃんにべたべたされても拒否しないのはどうしてなんだろうね」
と、彼女は悪戯っぽく僕を突いてくる。確かにどうしてか僕は人葉さんの悪戯めいたちょっかいを拒否しない。
勉強を教えてくれるから、恋愛感情が残っていることを知っているから、考えてみれば理由らしい理由は何となく付けることが出来る。だが、どれも自分の中で本当に納得出来る部分はない。
勿論、神様さんが僕の中で一番なのは変わらない。それでも彼女に付き合い続けているのは彼女は放っておけない危うさがあると思っているせいなのか。
「ま、色々あるけどお姉ちゃんならちょっとくらいの浮気は許しちゃうかな」
「……ないよ。ていうか、神様さんの口からそういうのが漏れるっていうのが信じられない。そんなに僕と人葉さん近づきすぎかな」
「近づきすぎだよ。抱きついたりキスしたり、お姉ちゃんの一方的な行動だって分かってるけど一宏君それを振りほどかないんだもん。きっと、一宏君の中にもお姉ちゃんにちょっと特別な感情があるんだと思うよ」
特別。今日何度も交した言葉が妙に重い。
僕が遊び歩くような人間なら、先日人葉さんがベッドに来た時そのまま抱いていただろう。
でも僕はそれを拒否した。あれから僕は、何度かあの日の事を考えていた。
大切だから抱かなかった。でも、大切なら人葉さんの思いを汲んでも良かったはずだ。
結局、僕は人葉さんに何を求めているのか分からず、気持ちの悪い感情が体の中に渦巻いていた。
「一宏君」
「何?」
「私は一宏君の事が好きだから、一宏君が見限らない限り、私はずっとそばにいるよ」
その優しい声色の言葉に、僕の複雑な感情はますます複雑になっていった。
その言葉に甘えたくない。甘えたくないけれど、打開策も見つからない。人葉さんの影に隠れたアプローチを振り切れないまま、今に繋がる。こんな日々がいつまで続くんだろうか。それを思うと、僕は自分の心の弱さに辟易しそうだった。
「一宏君、今度会う子と私も仲良くなれたらいいな」
「大丈夫だよ。引っ込み思案だけど性格は本当にいい奴だから。神様さんともうまく行くよ」
「うん、楽しみにしてるね。それじゃ、またメイドカフェで。夕食作り頑張ってね」
と、電話は切れた。
僕は手にしていたスマートフォンを投げだし、ベッドに寝転がった。
以前は僕しかいなかった部屋に、色んな人が足を運ぶようになった。右左、神様さん、人葉さん。三者三様に笑顔を見せ、ここにいることに充足感を覚えるような顔を見せる。
神様さんは僕に甘えているという。でも実際に甘えているのは僕の方だ。
人葉さんのことは、彼女が僕より好きな男性を見つけない限り解決しそうにない。
僕の応援をしてくれている右左も、こればっかりは仕方ないと思うだろう。
神様さんにも言われたし、夕食でも作るか。僕はベッドから体を起こし、少し伸びをした後窓から見える淡い色の月を眺めた。




