3.6/6 今はもう離れたけど知り合えて良かった
受験勉強もそこそこに、僕は学校生活とバイトの日々に戻っていた。一週間に一度は来るというはずの白詰から連絡はない。
あの時何も言わずに去ったことや、以前の学校で一時問題にさえなった暴行事件のことも謝りたいと思っているのに、その機会すらないというのが残念である。
会いたいと思っている内は会えない。もう無理と思っていると会える。それが神様さんと知り合って分かったことだ。今は待つ方に賭けるべきか。
「あら、こんな所でぼおっとしてるなんてあなたらしくないわね」
休み時間、渡り廊下で手すりに肘を突きながら、ぼんやりと空を見ていると聞き慣れた澄んだ声が耳に響いてきた。
「塚田君、調子の悪そうな顔ね」
「ああ、委員長。久しぶり。生徒会は順調?」
僕が訊ねると彼女は苦笑で答えた。どうやら、うまくもなく、下手をするわけでもないらしい。彼女の器用さならそれは当然なのだが、僕はおかしくて同じように笑った。
「受験が近づいてるけど、どう?」
「半年で文系から理系の転向は無謀だって思い知らされてる」
「塚田君みたいな優等生でもそういうのはきついのね……」
「地方に行くんだったら余裕で合格出来る所はあるんだけど、やっぱり近くがいいから」
と、ため息交じりにこぼすと、彼女は笑いながら僕の横について同じように手すりに肘を突いた。
「それ、妹さんのため? それとも二宮さんのため?」
「両方。でも前住んでた所よりかは簡単だけど、さすがにここら辺の大学もレベル高いね。近いってだけで選んだらかなり痛い目見そう」
彼女はそうね、と一言置いてからそっと声を出した。
「お金の都合じゃないんだけど、私、どこか国立に行こうと思って。自分の能力で行ける国立ってどこかなって思って今最後の候補を絞ってる最中」
「それってここら辺じゃなくて地方も考えてるってこと?」
「そう。別に地元志向も特にないし、一人暮らししてみたかったのよ。あなたがバイトしながら今の生活に身をやつしてるみたいにね」
やっぱり彼女は強い人だ。僕はそれをまた痛感させられた。地方に行って、知らない人と接して、そしてバイトもこなしてみせる。それも自主的に。それが僕には何より眩しく映った。
「委員長ならこなせるよ」
「ありがと。親からは浪人してもいいって言われてるから少しは気が楽だけど、出来るだけ現役にこだわりたいわね」
彼女の笑顔は爽やかだった。僕が出会った頃の、優しく手取り足取り導いてくれるあの姿が蘇ってくる。
白詰は僕が去った後、誰かそういう人と出会えたのだろうか。あの暴行事件で僕が殴り飛ばしたバカその1は白詰が美人で実は付き合いたかった等という弱音を事件後吐いた。
僕も白詰も、バカその1達も特進クラスだったが、そんなメンタルの弱いバカ共が特進に残れるわけもなく、二年のクラス分けの際、バカ共は一般クラスになって特進に残った僕と白詰とは自然と距離が離れた。
好きな相手だから意地悪して気を引こうなんてどれだけ幼稚なんだよと感じるが、正直取り立てて魅力のない奴だったことだけは覚えているので、情けないなとは思う。
「ねえ、塚田君」
物思いにふけっていた僕の頭が今に引き戻される。委員長は笑いながら僕の側で、僕の目をしっかり見つめていた。
「二週間位前かしら、あなたの知り合いって人が放課後にここの前で待ってたって聞いたけど本当?」
「嘘吐いても仕方ないか。本当だよ」
「見た人が何人かいてね、凄く美人だったって言ってた」
彼女はくすりと笑いながら僕を刺激する。そうだね、僕はそう呟きながら空を見上げる。
「委員長も美人だから、比較に意味はないと思うよ」
「そうかしら? 私なんて十把一絡げの顔よ。二宮さんも美人だけど、その人も相当美人だったんでしょ?」
「まあ、美人なのは認める。僕が前の学校で置いてきたことで、なおかつ置いてきた人」
「恋人だったの?」
「違うよ。友達だったような、そうでないような。学校ではよく付き合うけど休日に一緒にいるほどの関係でもない、よくある微妙な関係。でもクラスはずっと一緒だったから、距離は近かった気がする」
僕はその言葉を自分に言い聞かせていた。あの頃の僕は白詰をただ話しかけてくる人として処理していた。僕と白詰の会話に、白詰の感情は介在していなかった。それはもしかすると白詰をとてつもなく傷つけて、僕を無自覚の悪人に仕立て上げていたかもしれない。
だからこそ、白詰と会いたい。会って何を話せばいいのかなんて何にも分からないけど、またこうした機会が来たのだから、僕はあの頃何があったのか、そしてどう今に繋がるのかを訊ねてみたかった。
「ねえ、塚田君」
「何?」
「私も、ここを卒業する時、あなたの思い出に入れてもらえるのかしら」
委員長はさっきまで僕を見ていた。そのはずなのに、それを語る瞬間、その目は遠くを見つめていた。
僕はそうだね、と一拍間を置いて、静かに答えた。
「委員長とは色々あったよ。正直なことを言うと、二宮さんのことで恨んだこともあった。でも委員長がいなかったら右左は今幸せにやれてないし、僕も随分助けられた。今の段階で、僕の人生の中で充分大事な人になってるよ」
彼女は何も答えない。前だけを見ている。
そんな無言が包む中、僕の左手に彼女の右手がそっと重ねられた。
振りほどくでもなく、ただ黙っていると、長話を終えさせるように休み時間の終わりのチャイムが鳴る。
彼女は重ねていた手を退け、僕ににこりと微笑んだ。
「塚田君、色々あったし、色々思わせたかもしれないけれど、まだ半年くらいは残ってる。私に出来ることがあったら、すぐに相談してね」
彼女は笑顔で告げると、教室の方へ走り去っていった。
人を思う感情。思われる相手の感情。それは一方だけで決められるわけでもなく、割と難しい問題なんじゃないかと思う。
僕は委員長と違いゆっくりとした足取りで教室へ向かった。
振り返った時に、青春が何だったか思い出す。十代なんてそんなもの。
色んな大人に聞かされた言葉は今まで心に響かなかった。でも今僕は、白詰という「置いてきた存在」を前にして振り返らざるを得なくなっている。
白詰は僕に彼女が出来て驚いていたけど、白詰だって彼氏を作ったかもしれない。もしそうだったら、僕はどんな風な表情をすればいいだろう。
驚きか、落胆か、祝福か。
どれも今ひとつしっくりこない。
前の学校で、友人らしい友人なんて、結局白詰しかいなかったのに、僕はここまで無関心になれる。人間として大切な何かが欠落しているのを支えてくれている、今のこの環境は本当に感謝しかない。
でも、と僕は立ち止まった。
もし白詰が、今も僕のことを友人であると思ってくれていれば嬉しいし、この一年の間の空白を埋めるような、劇的な再会に胸を躍らせているなら僕も心丈夫になれる。
白詰は話し方のせいもあって引っ込み思案だ。自分から誘い出せるような性格ではなかった気がする。
バイトの今度の休みの日、時間はそこまで取れないかもしれないけど白詰に会えないかどうかメールで訊ねてみるか。
そう言えば、恋人もそうだけどあいつ、友達作れたのかな。そんなこともふと心配になった自分が、まるで右左を見る時のようで少しばかりおかしく思えた。
右左と同じように、過保護にしてた相手。いきなり去った僕を少しは許してくれるといいんだけど。
僕は背伸びをして、授業の始まる教室まで軽く走った。




